【商売偉人伝】渋沢栄一の商売繁盛5カ条。逆境に負けない生き方に学ぶ!

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常に新しいアイデアを取り入れながら難局を乗り越え、歴史に名を残した偉人はたくさんいます。2024(令和6)年度上半期をめどに刷新される、新1万円札の肖像画に選ばれた渋沢栄一もその一人。偉人・渋沢栄一の足跡をたどりながら、商売繁盛へのヒントを探します。

渋沢栄一は、500もの企業を設立した「近代日本経済の父」

渋沢栄一は、1840(天保11)年2月13日、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市)の豪農の家に生まれました。家業である藍玉(あいだま=藍の葉からつくられる染料)の製造や販売、養蚕(ようさん=カイコ(蚕)を飼ってそのマユから生糸(絹)をつくる産業)に精を出していましたが、青年時代には尊王攘夷運動に熱中します。

その後、京都へ出た渋沢は一橋慶喜(徳川慶喜)の家臣となり、慶喜が15代将軍になると、幕府の家臣へと出世していきました。さらに、幕府の使節の一員としてヨーロッパへ渡り、西欧の近代的な産業や経済制度を見聞する幸運を得ます。明治維新をきっかけに帰国すると新政府の大蔵省に招かれ、さらなる出世コースを歩みますが、意見の対立から辞職してしまいます。

それでも、活躍の場を民間へ移すと、ヨーロッパでの体験を生かして約500もの企業を設立。日本に近代的な金融システムをつくることに力を尽くし、「銀行」という言葉も考案したとか。ほかにも、「株式会社」という組織を日本に根づかせ、商法講習所(現在の一橋大学)や日本初の組織的な女子高等教育機関である日本女子大学校(現在の日本女子大学)の設立にも携わりました。

 渋沢栄一に学ぶ商売の5カ条

【その一】ピンチのときにはあえて一歩を踏み出すべし
【その二】チャンスと見たら、ためらうことなかれ
【その三】お金に対して誠実であれ
【その四】自分の信念に忠実であれ
【その五】失敗しても粘り強くあるべし

【その一】ピンチを奇抜なアイデアでくぐり抜ける!

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渋沢は青年時代、天皇(王)を尊んで外国(夷)を追い払う(攘)ことをスローガンに掲げることで、江戸幕府の政治体制を批判した尊王攘夷運動に身を投じました。その熱意は相当なもので、高崎城を乗っ取り、横浜の外国人居留地を焼き討ちする計画まで立てるようになります。

この計画は実行に移されなかったものの、幕府に目を付けられてしまいます。そこで渋沢は追っ手から逃れるため、ツテを頼りになんと将軍の一族である一橋慶喜の家臣に。自分を追っている幕府の家臣になることで、追跡から逃れることに成功したのです。

【教訓】

ピンチに直面したとき、一見すると“コレはダメだろう……”と思えるような意外な選択肢を選ぶことで、九死に一生を得ることがあるという教訓です。

新型コロナウイルスや災害など、予期せぬ自体により何かと先が読めない昨今。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということわざもあるように、溺れかけたときはもがけばもがくほど深みにはまるもので、時には流れに身を委ねてみるのも良いかもしれません。先細りの本業に見切りをつけて、新分野に挑戦するのも一考⁉

【その二】チャンスと見たら、ためらうことなくチャレンジ!

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渋沢は27歳の時、幕府の使節の一員としてヨーロッパへ渡ることを打診されます。しかし、尊王攘夷運動に熱中していた後ろめたさも手伝ったのか、渋沢は外国を訪問することにためらいを感じていました。ただ、それと同じくらい、外国から多くのことを学ぶ必要性を感じていたこともあり、心変わりを指摘されることを恐れずにヨーロッパ行きを引き受けました。

結果、ヨーロッパ滞在中に得た近代的な産業や経済制度などの知識は、明治維新後の渋沢の活躍を支える教養の基盤となりました。さらに、江戸幕府の滅亡という大事件に巻き込まれることなく、明治という新しい時代を平穏に迎えることができたのです。

【教訓】

新しいことを始めるときには、それまでの考え方と反する決断をしなければならない場合もあり、時には抵抗を感じることもあるでしょう。しかし、渋沢のように、その先で得られる新しい何かと比べれば、そのためらいはとても小さな障害に過ぎないのかもしれません。

チャンスはたやすく巡ってくるものではありません。だからこそ、人の目を気にするばかりに、そのチャンスを逃してしまっては本末転倒。最近増えているクラウドファンディングや助け合いECサイトのように、時には人に助けを求めることも恥ずかしいことではありません。これまでの考えにとらわれず、まずは「やってみる」姿勢が大切です。

【その三】商売で成功するならお金に対して誠実に!

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ヨーロッパに滞在中、使節一行のお金の管理を任された渋沢は、使った経費を事細かにすべて記録していました。帰国した際には、計算書とともに余った経費まできちんと返却したため、「経費が足らないと文句をいう人はいても、余ったお金まで持ってくる人は見たことがない」と、非常に驚かれたそうです。

逆に使節団の代表であった徳川昭武が私物を整理してできたお金を、明治政府が回収しようとした際には強く抗議し、お金をきちんと取り戻しています。こうした経緯もあって、渋沢は帰国後に静岡藩で勘定組頭という、財政経理を担当する役職を任されます。さらに、その誠実な仕事ぶりが評価され、新政府の大蔵省へ出仕を命じられることになるのです。

【教訓】

商売人として成功するためには、お金の管理をきちんと行うことが必須。渋沢はお金と誠実に向き合うことで、商売相手やお客からの信用度を高めてきました。信用は新しい商売へとつながり、さらに新しいお金を生み出すことにもつながっていくでしょう。

誠実に商売をする姿勢にお客は胸を打たれ、応援したくなるものです。これこそ、街の小さな商店が長く愛される理由なのかもしれません。

【その四】信頼される商売人であるためには、自分の信念に忠実であれ!

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大蔵省時代の先輩として親しかった伊藤博文が立憲政友会を結成するにあたって、相談を受けた渋沢はこれに賛同しました。しかし、伊藤から党員になることを誘われると、「政治に関与しない」という信念から断固拒絶。伊藤は激怒したそうですが、のちに和解して「自己なしに(自分の利益を考えずに)働いてくれるのは君ばかりだ」と、渋沢が政治に下心を持たず、商売に専念しようとする姿勢を大いに褒めたそうです。

また、同じく大蔵省時代の先輩として親しかった井上馨が内閣を組閣するにあたっても、渋沢を大蔵大臣にすることを組閣の条件としました。しかし、この時も自らの信念からこれを断ります。すると、井上は怒るどころか、商人として政治から距離を置こうとする渋沢の強い決意と潔い態度に感じ入り、渋沢を呼んで「組閣を断念するお祝いの宴」を開いたといいます。

【教訓】

自分の信念に沿わないことでも、相手の地位や立場などを考えた場合、当然断りにくい申し出もあるでしょう。ただ、そこで簡単に信念を曲げてしまうと、今まで周囲から得ていた信頼を失いかねないということ。毅然たる態度で臨むことこそが正解であり、新しい信頼を勝ち取ることにつながっていくことを渋沢は教えてくれます。

手法は変えても、理念は守る。例えば、お店の理念が「地域の人を幸せにする」だとします。こうした理念が変わらず根本にあれば、状況や顧客ニーズに応じて業種や販売手法などを変えたとしても、お客に支持されるお店であり続けられるのではないでしょうか。

【その五】商売人たるもの、失敗しても簡単には諦めない!

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渋沢が設立した日本初の化学肥料製造会社である東京人造肥料会社は赤字続きで、さらに工場からの出火で施設がすべて燃え落ちるという不運に見舞われます。この時、株主の多くは会社の解散を求めましたが、渋沢は「挫(くじ)けても挫けてもたゆまず築き上げてゆく。その決心と誠実こそが仕事の上で大事なことである」と耐え抜きました。そして、ついに操業再開にこぎつけると、業績も回復し、現在の日産化学株式会社へと発展します。

また、渋沢は、大手製紙会社の王子ホールディングス株式会社と日本製紙株式会社の前身にあたる王子製紙の設立にも関わっています。この王子製紙も設立当初は赤字続きで、利益が出るまでに10年近くかかりました。しかし、決して諦めることなく商売を続け、日本を代表する企業へと成長させていきました。

【教訓】

商売がうまくいかないときにこそ、商売人としての力量が試されます。渋沢は商売の難しさを子育てに例え、「いかに苦境にあっても、どこまでも耐え抜いてやり通していくだけの忍耐心」が必要だということを教えてくれます。

一度や二度の失敗で諦めていては、決して成功できません。すべてが順風満帆に進む商売などありませんから、挫折を力に変えて、粘り強く前進していきたいものです。

“不確実な今”を乗り越えよう!

商売に対しても、自身の信念に対しても誠実だった渋沢栄一。失敗をくり返しながらも、決して諦めることなく、常にチャレンジ精神を忘れず新しい道を切り開いてきました。また、どんな状況にあっても誠実な姿勢で商売に臨むことで、多くの人に助けられ、ゆるぎない信頼を築き上げました。

渋沢の肖像画が描かれた新一万円札を手にする頃には、より活気ある日常が訪れているよう、諦めずにチャレンジを続けていきたいものです。

 

参考資料
渋沢栄一伝記資料

文/スノハラケンジ
日本史を中心とした社会科学から自然科学まで、執筆・インタビューを幅広く手がける。代表作として『なぜエグゼクティブは、アラスカに集まるのか』(幻冬舎メディアコンサルティング)。近年では『古代・平安時代の偉人に聞いてみよう!』(岩崎書店)、『全国 御城印 大図鑑』(宝島社)などの制作に携わる。第3回江戸文化歴史検定受検において1級を取得。

イラスト/沼田光太郎
雑誌、広告、ポスター、web、映像媒体でイラストレーション、漫画、アニメーション、を制作。2019年11月 文芸社より絵本「バナナうんち」(原作 はりまりえ/文・絵 ぬまたこうたろう)​発売。テーマソング「バナナうんち」作詞・作曲・歌を担当。
https://www.instagram.com/numata_kotaro/