写真館で写真を撮るということ〜レンズが紡ぐ家族の歴史〜

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<街を見つめる老舗写真館を訪ねて>

SNSが普及し、スマートフォンのカメラ機能もどんどん向上。撮りたいと思ったときに撮影し、すぐに家族や友人とシェアすることができるようになりました。

「松尾寫眞舘」は、東京・麻布十番に店を構えて90余年。親子3代にわたって営業を続ける街の写真館です。同じ場所で同じ街を見つめ、馴染みの人たちを撮り続ける。時代が変わった今、写真館の矜持はどこにあるのでしょうか。3代目として店を切り盛りする松尾輝明さんと、現役で活躍する2代目・賢一さん親子に話を伺いました。

家族3代で守り続ける「街の写真館」

――松尾寫眞舘は3代にわたって90年以上、この麻布十番で写真館を営んでいらっしゃいます。たくさんのエピソードがあると思いますが、初代が写真と出合ったきっかけはご存知ですか?

3代目・松尾輝明さん(以下 輝明さん):祖父(創業者・松尾善男さん)が上京したとき、皇居に馬車が入っていくのを見たそうです。その馬車に乗っていたのが天皇陛下の写真を撮る「写真師」さんだと分かり、「かっこいい!あんな風になりたい」と憧れを持ったと聞いています。よほどインパクトがあったんでしょうね、それが写真を志すきっかけだったそうです。1904(明治37)年生まれの祖父が15、6歳のときですから、大正時代の話です。 

それから写真の勉強をして、麻布十番で写真館を始めたのが1927(昭和2)年。巣鴨と中野にも店を出して、兄弟で写真館を営んでいました。お弟子さんもいて、祖父はとにかく交友関係の広い人でしたね。町内から省官庁関係まで幅広い付き合いがあり、今でもご利用いただいているお客さまがたくさんいらっしゃいます。

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創業から間もない頃の写真館。現在の所在地から少し離れたところで開業。左が創業者・松尾善男さん

輝明さん:2代目は父(松尾賢一さん)を含めた3兄弟で、初代からお付き合いのあったお客さまを大切に引き継ぎ、対応していました。ただ、当時はみんな職人気質で外に出て営業や宣伝をしていなかったので、裾野を広げることがなかなか難しかったようですね。だから、僕がこの店を継ぐときにも父から「“写真館”はいずれなくなってしまうから、やめたほうがいい」なんて言われたこともありました。

僕が引き継いでからは時代もずいぶん変わり、確かにこのままでは先細ってしまうと考えました。そこで、営業や宣伝をかねて、この写真館よりももっと歴史のある、老舗の経営者が集まる会に参加し、少しずつお付き合いの幅を広げているところです。

言葉はなくとも紡がれる写真師としての矜持

――輝明さんから見たおじいさま、善男さんはどんな方でしたか?

輝明さん:僕にとっての祖父は“大黒様”。体型もキャラクターも大黒様そのもの(笑)。呼ばれたら真摯に丁寧に対応して、あちこちで可愛がられていたそうです。本当にコミュニケーション能力に長けた人でしたね。僕自身は祖父から写真を習ったことがなくて。いつも電動チェアに座っていた印象です。

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初代である祖父・善男さん(左)と輝明さん(右)

――2代目のお父さまは初代から写真を教えてもらいましたか?

2代目・松尾賢一さん(以下 賢一さん):写真は教わるものではなく、見て学ぶものと言われていましたからね。手にとって教えてもらったり、アドバイスをもらったりということはなかったです。写真技術は写真専門学校で勉強しましたが「このお客さんはこんな風に撮るといい」という感覚は、父の仕事を何年も見ながら理解していきました。

――実際にお客さまをどう撮影するべきかというのは、どのように把握していくものでしょうか?

賢一さん:お客さまが店に入って来られたときにね、大体わかるんです。みなさん撮って欲しくて来られるのでね、その様子でなんとなくわかる。言葉を交わす前から「こんな風に撮ればいいな」って感じるものがあるんです。

――お父さま(賢一さん)はご自身の職業を「写真師」と名乗っているそうですが、カメラマン、写真家ではなく「写真師」とはどのような職業なのでしょうか?

輝明さん:父は学校に出す書類の職業欄にも「写真師」と書いていました。写真館で写真を撮るという仕事は、お客さまの大切な時間をいただいて、僕らも命を削ってシャッターを切る。そういった重みも含んだ言葉だと感じています。

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2代目3兄弟と3代目・輝明さん

麻布十番の人々を撮り続けるということ

――麻布十番という土地にはお洒落で華やかなイメージがありますが、一方で歴史のある街でもあります。周辺には大使館などもあって、海外の方も多く住んでいる地域ですよね。お客さまの層も幅広いと思います。

賢一さん:大使館などに勤務している外国の人たちは、任期を終えて帰国する前に写真を撮ることが多いですね。お客さまの中には公爵、男爵の方とか大手会社の会長さん、社長さんや芸能人の方なども来られますが、何も特別なことはありません。どんな方でも、お客さまはお客さまですから。

輝明さん:「どんな人でも撮るのは一緒なんだよ」というのはよく言われました。確かに“被写体”としては同じなんですけど。とはいえ、後から聞いて「えぇっ!早く言ってよー」って思うことも結構ありましたね(笑)。有名企業の会長さんであっても、プライベートですから普通にご自身で予約して来られます。

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2代目の賢一さん(左)と。初めて聞く話もあって思わず笑みが溢れる

――麻布十番に住んでいる方や近隣の方も撮影に来られますか?

輝明さん:ずっとこの辺りに住んでいる方だけでなく、結婚したり就職したりして外に出ていった方が「写真だけはここで」と撮りにきてくださることもあります。皆さん、実家があったり、おばあちゃんが住んでいたりするので、私たちも「写真館は懐かしい場所」であることを意識しています。

この前、テレビの企画で56年前の写真をお貸しする機会があったんですが、今も使っている椅子で撮っていました。半世紀以上、変わっていないんです。

――お客さまにとっては思い出が変わらずに、ここにあることが嬉しいでしょうね。

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半世紀以上、たくさんの人たちを見守ってきた撮影用の椅子

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代々の家族写真を松尾寫眞舘で撮られているお客さまよりお借りした写真。今も使われている撮影用の椅子が写っている

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家族写真を撮ることで、特別な記憶と記録が残る

「街の写真館」の存在意義とは

――今は誰でも気軽に写真を撮れる時代です。でも、写真館で写真を撮るという行為はそれだけで特別感がありますよね。家族の歴史を綴る上でも重要なツールだと感じます。

賢一さん:4代続いて撮らせていただいているご家族もいらっしゃいます。おばあさんが着ていた着物をお母さん、娘さんと受け継いで、3代にわたって同じ着物を着た写真を撮ったこともあるんですよ。

輝明さん:そうそう、写真を見ながらおばあちゃんがお孫さんに「私も着ていたのよ」なんて話をしていました。一度撮影に来られると長いお付き合いになることが多いですね。

そういえば、祖父は自分大好きなところがあって(笑)。撮った写真には店の刻印だけじゃなく、自分のイニシャルも押していたんです。最近も90歳を越えた女性がそのイニシャルの入った写真を持ってきてくださって。しかも、その女性がお宮参りのときの写真に英字で「Y.MATSUO」って。

その女性は「刻印に名前が入っていたからきっとここだと思って」と訪ねて来てくださったんです。場所も変わっていなかったから、すぐ分かったっておっしゃっていました。

――イニシャルの刻印は当時としては先進的な発想だったでしょうね。そして、そのイニシャルがきっかけで90年越しに写真に写っていた人が訪ねて来るとは……。

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初代(左)を中心とした松尾家の家族写真。右下にイニシャルが刻印されている

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親子で話しながら思い出を紡いでいく

――松尾寫眞舘さんが独自で工夫していること、お店の特徴はありますか?

賢一さん:うちではいつも2カットの写真をお渡ししています。1枚はかっちりとしたポートレート、もう1枚は少しリラックスしたカットをセットにしています。

輝明さん:昔は2枚1組にしている意味がわからなかったんです(笑)。でも、僕の代でデジタルになってからも、例えば成人式なら振袖できちんとセッティングして撮りますが、それとは別にラフなショットも撮って差し上げています。

――1枚撮って「はい、いくら」というビジネスライクなお付き合いではないんですね。そういうやりとりができるのも、街に根付いた写真館だからこそという気がします。

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いつもは撮る側のおふたり。今日は笑顔の親子ショット

変わらないこと、変わっていくこと

――これまで90余年の歴史を紡いできた松尾寫眞舘さん。変えたくないもの、変わっていくべきものなどもあるかと思います。3代目の輝明さんが思い描く未来予想図を教えてください。

輝明さん:初代がさまざまな人に可愛がられ、交友を広げたように、僕も会合などに参加していますが、そこのメンバーに「古いものを残していくためには、新しいものを取り入れていくことが大切」と教えていただいたんです。古いものを古いままではなく、かといって刷新してしまうのでもなく。写真館に足を運んだときに感じる懐かしさや愛着は維持していきたいなと思っています。

それと今後は、「松尾さんに行けばうちの家族の写真が全部ある」と言っていただけるような顔認証ができるシステムを作りたいですね。今までのお客さまリストは全部2代目3人の頭の中にあるような感じでしたので、これをデータ化していきたい。数十年前に撮影された方がいらっしゃった際、古い写真をデータ化していれば、どのお客さまなのか分かるので。f:id:onaji_me:20210513100304j:plainそれから、将来的にはこの近くに喫茶店みたいなものを作りたいんです。撮影の時はお待たせすることもあるので、その時間が退屈しないように。古い写真を壁一面に飾って見られるようにしたいなと考えています。近隣には新しくてお洒落なカフェもたくさんありますが、長くうちにきてくださっている年配の方でも寛げるようなスペースができたらいいなと思っています。

 

【取材先紹介】
松尾寫眞舘
東京都港区麻布十番2-1-11 1F
電話 03-3451-9436

取材・文/篠原美帆
東京生まれ。出版社の広告進行、某アーティストのマネージャー、パソコンのマニュアルライター、コールセンターオペレーターなど、大きく遠回りしながら2000年頃からグルメ&まち歩きカメライターに。日常を切り取る普段着インタビュアーであることを信条とし、自分史活用アドバイザー(自分史活用推進協議会)としても活動中。 

写真/鈴木愛子