スーツを脱いで駄菓子屋に。「ぎふ屋」の世界観は“1964”

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日本特有のノスタルジーをぎゅっと詰め込んだかのような「駄菓子屋」。近年、減少の一途をたどるなか、あえてその業界に飛び込み、文化の灯を消さぬよう営業を続けるのが、西武新宿線新井薬師前駅にある、駄菓子屋「ぎふ屋」オーナーの土屋芳昭さん。店舗を継続させるモチベーション、駄菓子屋の魅力はどんなところにあるのか――。昭和40年代生まれの東京下町育ち“駄菓子屋世代”ライター篠原と、平成生まれで青森出身の新米ライター佐々木が、世代間交流を兼ねて話を伺いました。

戦後の雑貨屋はコンビニの先駆者!?

篠原:お店の成り立ちについて教えてください。

土屋芳昭さん(以下、土屋さん):戦争が終わってまだ間もない1949(昭和24)年、両親が岐阜から出てきて商売をしたのが始まりです。当時、この辺は焼け野原で西武鉄道の駅くらいしかなかった。商売をやるとしたら雑貨屋さんくらいしかなくてね。

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ご両親が故郷への思いを込めて名付けた店名。土屋さんもここで生まれ育ったそう

篠原:なるほど、それで「ぎふ屋」なんですね。雑貨はどんなものを売っていたのですか?

土屋さん:塩、砂糖から洗濯バサミに石鹸、たらいや便所紙……。ここにくれば生活に必要なものがなんでも揃う、今でいうコンビニのような存在だったんじゃないかな。少しですが、本来の「駄菓子」も置いていました。当時は白砂糖が貴重だったので、上等な白い砂糖で作ったものを「お菓子」、黒砂糖で作ったものを「駄菓子」と呼んでいたんです。

佐々木:今は黒砂糖のほうが高級なイメージですよね!

土屋さん:当時は砂糖を精製する技術が発達していなかったため、黒砂糖の方が安かった。例えば、ふ菓子は今も黒砂糖を使っているでしょう。かりんとうも黒いのが当たり前だった。これらが駄菓子の原点なんですよ。

篠原:店頭ではタバコも売っていますが、これも当時からですか?

土屋さん:そうですね、当時から中心的な商品でした。タバコや塩、アルコールなどは専売公社という専売制によって国で管理されていたので、タバコを扱っていれば食いっぱぐれがないだろうと父が免許をとったようです。

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現在も豊富な種類を揃えるタバコ。他ではなかなか見かけない銘柄も多い

初代から引き継いだのは人脈と9坪の店舗

篠原:土屋さんがお店を受け継いだのはいつ頃ですか?

土屋さん:16年前です。当時はサラリーマンとして普通に会社勤めしていました。でも父が病気で倒れ、店はシャッターを半分閉めて細々と続けている状態だったんですが、見舞いに行くたび病床の父に「あそこは売るなよ」と呪文のように言われましてね……。

篠原:ご両親にとっては大切な土地だったんですね。

土屋さん:戦争から帰って東京に出て、商売をして、一所懸命お金をためて借地だった土地をようやく手に入れて……。バブルのときに、かなりの金額を提示されても絶対に手放さなかった。たった9坪ですが、父にとっては大事な場所。それを思うと、この場所を売るなんてことはできないなと。

佐々木:そもそも、サラリーマン時代にお店を継ぐことは考えなかったのですか?

土屋さん:全く考えたことがなかったですね。でも、いざ店を継ぐとなったとき、今までのお客さんにも変わらず来てもらいながら、新しいことにもチャレンジしたい。いろいろ考えた結果、世の中が元気だった時代を再現できる駄菓子屋にたどり着きました。

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ラフな格好ですっかり駄菓子屋店主になった、土屋芳昭さん。とても気さくな性格で、長時間滞在するお客さんもいるそう

篠原:お父さまはお店を駄菓子屋にすると聞いて、どんな反応でしたか?

土屋さん:病床にいた父にはいつも「ダメだ、こんなの!」って言われていました。でも、当然ですよね。自分が築き上げてきたものと全く違う形になっているんですから。

篠原:新しい商売を考えつつも、先代が築き上げたものや心情は汲み取る。まさに後継者としての課題ですよね。

土屋さん:何代も続いている老舗は、代々のお客さんがちゃんとついているからこそ、のれんをつなげられる。店はお客さんとの絆に守られていると気付くことが重要です。「俺がこの店をもっと大きくしてやる!」なんて気持ちでいると壊れてしまう。でも、時代は変わっていくから、そこにも対応しなければやっていけないでしょうね。

お店のコンセプトワークにサラリーマン時代の経験を生かす

篠原:継がれる前はサラリーマンだったとのことですが、どんなお仕事をされていたのですか?

土屋さん:店舗開発をしたり、海外から商品を持ってくるバイヤーのようなことをしたり。今でいうマーケターのような仕事をしていて、店を継ぐ直前の頃には、50代で肩書きもあって収入も安定していました。一回の商談が何千万、会社の年商が何億という世界でしたね。

佐々木:うわ!ガラッと環境が変わりましたね。

土屋さん:だから最初はかなり迷いましたね。でも、やるからには自分の経験も生かした店づくりをしようと決めたんです。

篠原:ところで、駄菓子屋さんって二通りありますよね。昔ながらの店とレトロな感じを演出したいわゆる“ネオ駄菓子屋”。ここは駄菓子屋としてはまだ新しいのに、演出した古さではない“懐かしさ”を感じるのがすごいですね。

土屋さん:そこに気付いてもらえると嬉しいですね。駄菓子屋をやるにあたって個人店から大手スーパーの中にある店舗まで、関東圏を回ってひたすらリサーチしたんです。いわゆる5W1Hのチャートを作り、どんな商品をどのように置けばいいのかを考えながら空間設計していきました。

篠原:前職の知識を最大限に生かされたんですね。

土屋さん:そうなんですよ。そして、たどり着いたお店のテーマが昭和30年代でした。戦争に負けてわずか十数年で東京オリンピックを開催した高度成長期。そんなたくましかった時代を再現するために、床にも木を入れてダウンライトで温かみを出して。実はタバコケースもその時に作ったんですよ。

佐々木:タバコケースも! 昔からあったものだと思っちゃいました(笑)。

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高度成長期をヒントにした店づくり

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1964(昭和39)年に開催された東京オリンピックのポスターも店内に飾られている

駄菓子屋のオモテ情報、ウラ実情

佐々木:店内の駄菓子はどのくらいのアイテム数があるのですか?

土屋さん: 200種類前後ですかね。お菓子もおもちゃも問屋さんによって扱う商品が違うから、これだけ揃えるには12、3社とのお付き合いが必要になってきます。

篠原:“うめジャム”の製造元が廃業したり、“おばけけむり”が生産終了したり。最近は寂しいニュースが多いですよね。

土屋さん:駄菓子は名古屋や大阪のメーカーが多いんですが、この15年の間に名古屋も半分くらいになってしまいましたね。新商品も出るには出ますが、すぐには浸透していかない。子どもたちは新しい駄菓子のパッケージを見ても、どんな菓子なのかを即座には理解できません。こんな菓子なんだと分かるまで、意外に時間がかかるんですよ。

佐々木:店先のゲームは子どもたちに人気ですね!

土屋さん:あれ、実はレンタルなんです。今は1台100万円にもなるプレミアが付いているんです。子どもたちがゲーム機で遊んでくれると店先の賑わいが演出できる。それによって、他のお客さんの足が止まりやすくなるんですよ。1回10円で当たりが出たらお菓子と交換できるから儲けはでませんが、広告費のようなものですね。

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店先ではゲームに興じる子どもたちの声が聞こえる

篠原:さすがのマーケティング戦略です(笑)。ところで、駄菓子の単価は数十円。利益を生むための工夫はありますか?

土屋さん:「うまい棒」でいえば1本売れて1円の世界です。しかも、スーパーやコンビニなら消費税も入れて11円で販売するところを10円で売っています。実は利益率が高いのは、おもちゃ類なんです。おもちゃはコンビニにもあまり置いていないので需要も高い。駄菓子屋が店先におもちゃをぶら下げているのは、ついで買いを狙っているんです。だから、うまい棒だけ100本とか“大人買い”されるのが一番辛い(笑)。

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当たりが出る確率が高い飴は子どもたちに人気

0歳から100歳まで、どんな人も来られるお店に

篠原:取材中も子どもたちがひっきりなしにやって来ますね。

土屋さん:メインは小学生ですが、高校生やタバコを買いに来る大人も多いです。コロナ禍前は23時までの営業で、ほろ酔い気分で駄菓子を買う方も多かったんですよ。今は家飲み用の需要が増えていますね。

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昼は子どもの交流場。夜になるとノスタルジックなムードがさらに高まる

佐々木:確かにリモート飲みでも盛り上がりそう! 意外と客層が幅広いんですね。

土屋さん:うちは0歳から100歳までがターゲットなんです。お母さんに連れられて来た赤ちゃんから、お孫さんの手を引いて訪れるおばあちゃんまで。その中間層にタバコを買いに来る人がいるイメージです。

篠原:子どもたちと楽しそうにお話しされている姿が印象的です。

土屋さん:今の子どもたちは、会話をしながら物を買う経験がないんです。スーパーのレジで「おじさん、これ何?」なんて聞かないでしょ。

佐々木:確かに。子どもの頃、近所に駄菓子屋さんはなかったんですが、商店の軒先に駄菓子を置いている店があって、そこではお店の人と会話しながら買っていた記憶があります。そう思うと私の世代、20代後半がギリギリかも。

土屋さん:だから、子どもたちとできるだけ会話ができる場所でいたいなと思っています。テストはどうだった? 宿題はやったのか? とか。雨が降ったら傘を貸したり、お母さんに連絡して迎えに来てもらったり。

篠原:大人のお客さんとはどんなコミュニケーションをとっていますか?

土屋さん:店に飾ってある昔のおもちゃは、捨てるに忍びないからとお客さんが持ってきてくれるんです。それがどんどん増えてきて、店内が賑やかになってきました。レコードは自分が持っていた物ですが、ビートルズのレコードを見つけて「当時好きだったなぁ、コンサートに行ったんですよ」なんて声をかけてくれる方もいます。

篠原:“かつての子ども”も楽しめる場所なんですね。

土屋さん:そうそう(笑)。16年も経つと、小学校1年生だった子が20歳を超えるんだよね。だから、駄菓子を買いに来ていた子が気づけば“オヤジ、タバコちょうだい”なんて言うようになって。「あれ、お前あの時のアイツか!」なんてこともあるんですよ。

佐々木:そのエピソード、すっごく面白いです!

篠原:飲食店でも、小さかった子がいつの間にかお母さんになって訪れて……というお話を伺うことがありますが、タバコがあることではっきりした大人の境界線が見える。他にはない職業かもしれませんね。

土屋さん:町の交番みたいな感じだよね。健全に育っているかなと見守れるのは嬉しいこと。経営のことだけを見ると大変な部分が多いけれど、こういう商売はどの地域にもひとつはあっていいんじゃないかなあと思っています。

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篠原・佐々木:“町のオヤジ”土屋さんは、いつも子どもたちに囲まれて楽しそうでした!

 

【取材先紹介】
ぎふ屋
東京都中野区上高田5-44-3
電話 03-3389-4281

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取材・文/篠原美帆
東京生まれ。出版社の広告進行、某アーティストのマネージャー、パソコンのマニュアルライター、コールセンターオペレーターなど、大きく遠回りしながら2000年頃からグルメ&まち歩きカメライターに。日常を切り取る普段着インタビュアーであることを信条とし、自分史活用アドバイザー(自分史活用推進協議会)としても活動中。 

写真/新谷敏司