京都を代表する伝統工芸品・清水焼は、かつて公家や大名にも愛用された、華やかなイメージのある焼き物です。陶芸家・清水大介さんが代表を務める「TOKINOHA Ceramic Studio」と「HOTOKI」は、そんな清水焼の伝統を受け継ぎながらも、新しい風を吹き込む店として注目を集めています。器をただ売るだけではなく、実際に使う場としてカフェや陶芸体験の場を提供する2つの施設。使う人に寄り添う器とは、どのようにして生まれるのでしょうか。「HOTOKI」を共に運営する大介さんの家族をまじえ、話を伺いました。
切っても切れなかった「陶芸と清水家」
清水家のルーツは、江戸時代の名工・清水六兵衛にまでさかのぼります。一子相伝で受け継がれる陶工の家系で、大介さんの父・久さんは五代目清水六兵衛の孫にあたり、陶芸家として今も活動を続けています。さぞや幼少期から陶芸をたたき込まれた一家なのだろうと思いきや、大介さんから出てきたのは意外な言葉でした。
「大人になるまで、ほとんど陶芸はやったことがなかったです。土まみれの父を見て、汚いとさえ思っていました。スーツを着て毎日会社に行く、サラリーマンのお父さんが憧れでしたね」
大介さんが陶芸の世界に入ったのは、大学卒業後。大学で建築を学ぶうちにものづくりに引かれ、京都市内の陶芸専門学校へ。在学中に講師から清水焼の陶芸作家を紹介され、弟子入りを果たしました。
「師匠の作品を見て、清水焼への認識がガラリと変わりました。とにかく、めちゃくちゃ格好よかったんですよ。この人にぜひ弟子入りしたいと。京都の山奥で師匠と寝食を共にしながら修業しました」
2年の修業の後、実家に戻り物置だったスペースを工房に改造して独立。自分の窯を手に入れ、本格的な創作活動をスタートしました。
風雲児の第一歩はトキノハ。父の作陶工房はHOTOKIに
大介さんはその後、清水焼の窯元や作家が集まる清水焼団地に「トキノハ」をオープン。同じく陶芸家である妻と共に、工房兼ショップを完成させました。
「最初は技巧を凝らした渋い作品ばかりつくっていて、全然売れませんでした(笑)。トキノハブランドというシンプルなシリーズを出したころから、ようやくお客さまに来ていただけるように。さまざまなご要望を受けて新しいものをつくるうちに『生活に寄り添う器』というコンセプトが見えてきました」
シンプルで上質な清水焼の器は、美しく使いやすいと評判に。さらに数年後、大介さんは実家を改装して姉妹店「HOTOKI」のオープンに着手します。
「器は料理を盛り付けて使うものだから、カフェでフードを盛り付け、実際に器を試してもらえるような空間をつくりたいと思いました。最初はトキノハを改装するつもりだったのですが、同じころ、両親が実家を売却してもう少し便利な場所で工房兼ギャラリーを持ちたいという話がありました。でも、条件に合う場所が見つからないまま2年ほど過ぎて……。もしかしたら、この場所でも僕の構想が実現できるのではないかと思ったんです」
両親に新しい店づくりを提案したものの、最初は互いの意見がぶつかり合うこともしばしば。
「両親は、清水六兵衛の流れをくんでいることを前面に出して、5代目の曽祖父や祖父の作品も店頭に置きたいと言いました。でも僕は、そのやり方では未来がないと思って。自分のやりたいことを100%出す、それが実家で両親と共に商売をする際の僕の条件。当然、父には父の思いがあったので、毎夜激論でしたね」
結果、改装費を全て自分で賄うという大介さんの強い思いを両親が受け入れることに。両親が掲げていた「きよ陶房」という工房名も改め、ショップ・カフェ・陶芸体験施設を兼ね備えた「HOTOKI」が誕生しました。
オープンから2年後には、大介さんの弟・洋二さんもマネージャーとしてHOTOKIの運営に加わることに。当時のことを洋二さんはこう語ります。
「兄はトキノハが忙しくなってきていた時期でもあり、両親だけでは手が回らないことも多かったようです。以前から面白そうだと思っていましたし、自分にもできることがあるのではと兄に相談し、お店を手伝うことにしました」
それまで陶芸とは無縁の生活、京都でアパレル系企業のサラリーマンをしていた洋二さんにとっても大きな転機となり、HOTOKIの運営に深く関わっていきます。
2店舗を並走して見えたそれぞれの役割
父・久さんが陶芸体験の講師を、母・祥子さんがショップやカフェの接客を、洋二さんが店舗の運営や広報を担当。京都市北部・岩倉という観光地とは離れた立地にも関わらず、ガイドブックに紹介されるなどしてHOTOKIは徐々に知名度を上げていきました。
「HOTOKIは、器のことを知らない人にも興味を持ってもらえる空間を目指していました。カフェでは清水焼の器でお茶を楽しみながら、棚にディスプレーしている他の器や階下の体験工房の様子を見ていただけるようになっています。陶芸体験も15分からと気軽に試せるようにしました」
カフェや陶芸体験を軸に器初心者の集客に成功したHOTOKIに対し、トキノハには上質で使いやすい清水焼を求めるコアな器ファンが集まるように。2つの店を並走させることで、それぞれが異なる客層を有しつつ、時にはお客の目的により店舗間を送客し合う関係も築けるようになりました。
そして、2021年4月にトキノハは「TOKINOHA Ceramic Studio(以下、TOKINOHA)」としてリニューアル。HOTOKIの形態に近い複合施設へと生まれ変わります。
「HOTOKIでは器を複合的に体験ができるという理想が叶えられました。ただ、お客さまの多くはカフェ利用や体験にとどまって、器を購入するまでに至らないのが課題だったんです。新しいTOKINOHAは、HOTOKIでの反省や経験が生かされています」
と大介さん。スタイリッシュなショップの隣には、職人たちの手仕事が見えるガラス張りの工房を配置し、FOOD STANDには「陶芸を味覚で味わう」というコンセプトのもと、斬新なドリンクや菓子がそろいます。1万円以上の商品購入で体験できる無料のおもてなしですが、希望すればカフェだけの利用も可能です。
2階には、有料会員だけが利用できるオーダーメイドサービスの専用ギャラリーを新設。トキノハシリーズとは異なる色彩豊かな器がズラリと並びます。
「数年前からプロの料理人向けのフルオーダーサービス”素—siro”を始めていたこともあり、膨大な数の釉薬を研究しました。プロの方と向き合って感じたのは、みんなが納得するスタンダードなんてないのだということ。本当に、料理人の数だけ要望があったんです。実は一般のお客さまもそうなのではないかと。つくり手が使い手の希望に徹底的に寄り添う、それがスタンダードになる時代が来ると思っています」
新しい空間で、新しい器のあり方を模索し続けています。
コロナ禍というパラダイムシフトが店舗運営の見直しのきっかけに
2020年、世界の景色を一変させたコロナ禍は、観光都市・京都にも大きな打撃を与えました。国内外から観光客が集っていたHOTOKIも例外ではなく、一時は集客がゼロに近い状態になったこともあるそうで、新しい営業形態を模索することを余儀なくされます。
「収益のバランスを考え、営業日を金~日・祝に絞るなど、コロナ禍の前年からHOTOKIはよりコンパクトな形態にシフトしつつありました。ようやくいい形になってきたところへ、コロナ禍がやってきたんです」
と大介さん。マネージャーの洋二さんとの話し合いの末、店舗を完全予約の貸し切り制にし、体験価格をそれまでの1.5倍に上げることに。その決断は思わぬ効果をもたらしました。
「最初は強気すぎたかと悩みましたが、意外にも好評でした(笑)。お客さまからは『こんなにじっくり楽しめてこの価格は安い』と嬉しい言葉もいただくようになりましたね。実は以前、体験教室を1日に8枠設けていたことで、分刻みのスケジュールを強いられていました。予定時間に遅れたら、観光の予定が詰まっているお客さまからクレームになることもあって……。それが貸し切り制にしてからは、スタッフもゆとりを持って行動できるようになり、これがHOTOKIに合う形だったんだなと。僕たちにとってすごくいい気付きになりましたね」
と洋二さん。未曽有の困難がもたらした新たな発見となったようです。
家族経営だから許される⁉ 丸投げされたECサイトが新しい販路と人生の岐路を見いだす
コロナ禍で運営の危機を迎え、洋二さんにはHOTOKIの見直しのほかにもう1つ重要なミッションが与えられました。それは、ECサイトの売り上げアップ。サイトの全面リニューアルも含め、全てが洋二さんにゆだねられました。
「いや、ほんまに無茶ぶりやと思いましたよ(笑)。何の経験もない中、突然の丸投げ。デザイナーさんと打ち合わせを重ねながら、どう整えていくかを必死で考えました」
商品写真のほとんどを洋二さん自らが撮影し、器をより身近に感じるアングルや見せ方を工夫。洋二さんが手掛けた商品写真の総数は約7,000点にも及びました。苦労の末、ECサイトは無事に完成。製作過程で必ず生じるB級品をアウトレット価格で提供するなど、メーカー直売である強みを生かしたサイトが誕生しました。
試行錯誤はそれだけには留まりません。次なる課題は、リアルとオンラインをつなげることでした。
「今までは、リアル店舗とECサイトのつながりが見えなかったんです。お客さまがリアルとオンラインをどう行き来しているかを把握できるように、顧客管理を一元化する新たなシステムの導入を予定しています」
と洋二さん。さらには、欠けた器を簡易金継で修理するサービスや、限定のアウトレット商品購入、イベントの先行予約など、さまざまな特典がある有料会員サービスも検討中。「お店のファンになってもらうこと」を目標に、新しいサービスを生み出しています。
お店の運営を支えてきた洋二さんですが、これまでの経験を生かして独立することが決まっています。家族で盛り上げてきたHOTOKIは、また新たなシーズンを迎えることになりそうです。
「ザ・京都」に真っ向勝負。ニューカマーの本質は、元来の清水焼だった
さまざまな困難を乗り越え、2つの店を成長させてきた大介さん。そこには京都ならではの葛藤もあったといいます。
「もうずっと”ザ・京都”との戦いなんですよ。外から切り取った京都のイメージは強固なものです。権威ある老舗ばかりを取り上げられると、僕たちのような新規参入の作り手は勝ち目がない」
オブジェなどのアート作品を重視し、普段使いの器を軽く見る風潮にも疑問を投げかけます。
「”トキノハの器は清水焼じゃない”とまで言われたこともあります。清水焼は大名や公家からの依頼を受け、使い手の好みに合わせたものをつくるオーダーメイドから発展していったもの。自由にその時代に合ったものをつくるのが本来のあり方だと思っています」
自由を掲げながらも、使い手に寄り添う器づくりに真摯に向き合う大介さん。その考え方は、師匠からの教えに強い影響を受けているそうです。
「師匠から”日ごろの行動は全部作品にでるぞ”と言われてから、小さなことも気を抜けないですね。まずは、工房を散らかさないこと。お客さまにお渡しする袋や梱包にも気を配り、乱れのないように。スタッフにも口酸っぱく伝えています」
器だけではなく生活の細部にまで宿る美意識が、伝統産業の未来を支えていきます。
HOTOKIにして良かった――父と母の本音
2人で守ってきた「きよ陶房」が大激論の末に「HOTOKI」へと生まれ変わったとき、大介さんのご両親にはどんな想いがあったのでしょうか。最後に話を伺いました。
「HOTOKIにして良かったと思います。大成功ですよ」
と力強く断言したのは父・久さん。建物の売却を考えていた当時は、廃業まで視野に入れていたといいます。
「息子たちも独立して、この場所は2人では手に余る広さ。生活の規模を縮小するつもりでした。私たちの世代はね、子どもに迷惑をかけたくないんですよ。一時はめげそうにもなったけど、息子たちが頑張ってくれて、また活気が戻ったのは本当に良かったです」
と母・祥子さんも笑顔で語ります。
きよ陶房の時代から教室に通い続ける常連さんともお付き合いを続けながら、体験教室の講師を務める久さん。HOTOKIが誕生してから、客層は以前よりもぐっと若い世代が中心になりました。
「楽しいですよ。幅広い世代に楽しんでもらえて、やりがいがあります。岩倉は、市街地から少し離れていますが、緑豊かで陶芸には向いている場所。土と向き合いながら、ゆっくり過ごしていただきたいですね」
意見の違いを乗り越え、変化し続けるTOKINOHAとHOTOKI。その原点は、家族の温かなまなざしだったのかもしれません。
【取材先紹介】
TOKINOHA Ceramic Studio
京都府京都市山科区川田清水焼団地町8-1
電話 075-632-8722
HOTOKI
京都府京都市左京区岩倉西五田町17-2
電話 075-781-1353
取材・文/油井やすこ
京都郊外在住のフリーライター。奈良のフリーペーパーの編集・ライターを経て、2013年ごろよりフリーになり、紙・WEBの種別を問わず取材・執筆活動を行う。関西圏の街ネタやグルメ情報のほか、ローカルで活躍する人物インタビューも手がける。
撮影/サダマツヨシハル
京都生まれ・京都在住のフリーカメラマン。京都の四季景を撮り続けていますが、ブログは最近サボり気味。京都ブログ『その先の京都へ…』