「エリックサウス」店主・イナダシュンスケさんが「通いたくなる店」

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飲食店にとって、お客さん、とりわけ常連である「おなじみ」の存在はとても重要です。

来店してくれたお客さんが常連になる「通いたくなるお店」を観察してみると、そのお店ならではの工夫が見えてきます。お客さんとさまざまな手段でコミュニケーションしたり、次はこれを食べに来ようと思わせる何かが潜んでいたり……。

今回お話を伺ったイナダシュンスケさんは、南インド料理専門店「エリックサウス」の総料理長として、店作りの重要なポジションを担っています。

店内では、『本場の南インド料理を、もっと身近に、もっと楽しく』をコンセプトに、ミールスやビリヤニ、ドーサといった南インドの伝統料理と、スパイスを駆使したグリル料理を提供しているとのこと。

日本ではまだニッチなジャンルの料理を提供するお店として、イナダさんは見慣れない食べ物をどのようにアピールし、どのようにお客さんの心をつかんできたのか。そして、お客さんを“一見さん”で終わらせず、長く通い続けてくれる「おなじみ」にするために、どんな工夫をしてきたのでしょうか。

自らを“ナチュラルボーン食いしん坊”と称し、南インド料理のみならずさまざまな飲食店に通うイナダさんにとっての「通いたくなるお店」や、エリックサウスで意識している「おなじみ」を増やすための店作りのポイントを聞いてみました。

※取材は、新型コロナウイルス感染対策を講じた上で実施しました

イナダさんと南インド料理との出合い

――イナダさんは南インド料理店「エリックサウス」の総料理長で、お客さんとしてもさまざまなお店に通われています。そもそも、数ある料理の中から南インド料理に着目した理由は何だったのでしょうか。

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イナダシュンスケさん

イナダさん:2000年代のはじめ頃、雑誌で紹介されているのを見かけたり、旅行で現地を訪れた友人から「南インド料理はすごく面白いよ」と聞いたりしたことがきっかけです。

当時、岐阜・名古屋を拠点に仕事をしていたんですが、東京で南インド料理が食べられるお店の存在を知り、実際に行って食べてみたらすっかりハマってしまって(笑)。

――どんなところに魅力を感じたんですか?

イナダさん:その時食べたのは南インド料理の定食「ミールス」だったんですが、独特なハーブやスパイスの風味もさることながら、酸味やうま味といった基本的な味や、食材の構成そのものが全く未知のものでした。

自分で選んだ料理なのに、どう食べていいか分からないし、味もおいしいのか判断できない。それまでいろいろなジャンルの料理を食べて知見を深めてきたつもりだったので衝撃を受けました。

当時、同じインドでも北インドの宮廷料理を出すお店は1980年頃から増えていたんです。ただそれらは本場の味というより、すでに日本人向けにローカライズされたものが多かったんですね。

一方で、南インド料理はまだ知る人ぞ知るマニアックな位置づけ。お店の数も片手で数えられるくらい少なく、どのお店も南インド人の店主が本場そのままの味を出していたんです。

実際に訪れるお客さんは、インドから来ていたビジネスマンか、日本人のごく一部の熱狂的なインド料理マニアくらい。その違いが面白く、「もっと知りたい」とお店を巡ったり、南インドを訪れて料理研究を重ねたりするようになりました。

――南インド料理の「分からなさ」が、イナダさんをひきつけ、お店に通わせたのですね。当時、お客さんとしてお店をめぐって感じたことはありましたか?

イナダさん:この頃すでにあった南インド料理店は、味は本場仕込みでも、インド人の店主の「日本人はこういうお店を求めているだろう」という感覚で運営されていたように思います。

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例えば、本場のミールスには基本的に甘くないヨーグルトが添えてあるんです。ごはんにかけて食べるためのものですが、日本人は一般的にごはんとヨーグルトを合わせて食べる習慣がありません。だから、店側は日本人の客が来ると、ヨーグルトをサラダに入れ替えて提供してくれるんです。

後から来店したインド人のミールスにはヨーグルトがあって、よく見るとメニューの内容が英語版と日本語版では違っていた。日本人向けにローカライズした善意からのサービスだと思うのですが、現地の味を体験したくて来ている私にとってはちょっと寂しい出来事でした(笑)。

――その後、2011年に南インド料理専門店「エリックサウス」の1号店を東京・八重洲で出店されますが、お店のコンセプトはどのように決めていったのでしょうか。

イナダさん:私も初めて入ったお店で戸惑ったように、南インド料理はメニューの内容や食べ方が分かりにくいものが多く、慣れている人しか入れない雰囲気があります。

だから「誰もが入りやすく、どう楽しめばいいのか」を伝えられるお店をつくろうと「本場の南インド料理を、もっと身近に、もっと楽しく」というコンセプトに決めました。こんなに面白い食文化を、一部のマニアだけの宝物にしておくのはもったいないですから。

――「入りやすく、楽しみやすいお店」にするために、どのような工夫をされたのですか。

イナダさん:日本人がイメージする、いわゆるインドらしい「カレー」と、南インドの伝統的な料理の中から日本人の味覚に合うものをピックアップして提供することにしたんです。

そこから具体的に、これまで私がいろいろな南インド料理店を食べ歩いて「こうだったらいいのに」と思うことをひとつひとつ積み上げて形にしていきました。

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エリックサウスマサラダイナー 神宮前で提供されている、ライスおかわり無料の「ランチカレープレート」。3種1,000円、4種1,242円で、10種類のラインナップから好きなカレーを選べる。その他、オプションとしてバスマティライスやターメリックライスへの変更も可

日本人のイナダさんだからこそできた「かゆいところに手が届く」店づくり

――実際にお客さんとしてお店をめぐっているときに感じたことを、お店に取り入れていったんですね。例えばどのようなことをされたのでしょうか?

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イナダさん:あえてローカライズするのではなく、現地の味を体験できるようにしました。とはいえ、初めて南インド料理を食べる人にとっても分かりやすいように、例えばミールスの場合は「ミールスの楽しい食べ方」というイラスト付きの説明書を各テーブルに置くようにしました。これがあればミールスが初めてでも迷うことなく楽しめますよね。

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人気メニューのひとつ「マサラダイナーミールス」(ライスおかわり自由で1,410円。ライス、サンバル、ラッサムの3種類おかわり自由の場合は1,530円)。現地インド人が経営する料理店は量が多いこともあり、エリックサウスでは一品ずつの量を減らす代わりに価格を下げたという

また、以前訪れたあるお店では、プレートの端におまけとして小さな漬物のようなものをのせてくれたんです。彼らにとっては日常的に食べるまかないのようなものですが、私たち日本人にとっては現地南インドの味そのもの。こういう心遣いはうれしいですよね。もっと食べたいし知りたい。だからうちのお店では全テーブルに配して自由に食べられるようにしています。

つまり、インドの方にとっては当たり前すぎて分からなかった「南インド料理のいいところ」が、「エリックサウス」のお店づくりのヒントになったんです。

――なるほど。日本人ならではの「かゆいところに手が届くお店づくり」ということなんですね。

イナダさん:そうですね。実際に1号店が八重洲にオープンすると、南インド料理マニアの日本人の方たちが開店前から行列をつくるくらい盛況でした。初日を終えてクチコミサイトをチェックすると、どれも好意的な内容で、ある人は「僕たち(南インド料理ファン)の夢が実現した」とまで言ってくれて。

私と同じように「本場の味が食べられる南インド料理店がこうだったらいいのに」と思っている人がいると分かって、すごくうれしかったのを覚えています。

お客さん×料理の“不幸な出合い”をなくす。手痛い失敗を教訓にしたメニューブック

――八重洲店のお話をお聞きすると、順調な滑り出しですよね。マニアの方だけでなく、一般的なお客さんが来ることも多かったのでしょうか。

イナダさん:マニアの方は平日1割、週末2割程度の割合で、ほとんどのお客さまは八重洲近辺で働くビジネスマンでした。そうした方々は「南インド料理店」ではなく「新しいカレー店ができたんだな」という認識で入店されるわけです。

だから、オープン当初の注文の割合は、「カレーのような分かりやすいメニュー」が8割、ミールスやビリヤニといった「マニアックなメニュー」は2割ほど。ビリヤニは1日2~3食出ればいい方でした。

しかし、時間がたつにつれて、その割合が少しずつ変わっていきました。マニアの方たちがクチコミでミールスやビリヤニのおいしさを広めてくださったほか、初回はカレーを食べたお客さまが近くの席で出されていたミールスを見て「次はあれを食べてみよう」と来店してくださることも増えて。オープンから3年後には「分かりやすいメニュー」と「マニアックなメニュー」の注文の割合が5:5になったんです。

かつては人気がなかったビリヤニも1日30食売れるほどになり、名実ともに「エリックサウスはカレー店ではなく、南インド料理専門店」になったと実感しましたね。

その後2016年には紀尾井町に2号店をオープンし、順風満帆に思えたのですが、名古屋市内に3号店を出したとき、忘れもしない事件が起きてしまいました……。

――何があったんですか?

イナダさん:名古屋店オープンの際は「東京で話題のお店が名古屋初出店!」のような見出しで、出版社やテレビ局から多数の取材があったんです。

私たちは八重洲店で南インド料理、とくにミールスを主力商品に育て上げることができたと自負していたので、「ミールスが看板商品です!」と大きくアピールしました。その結果、オープン当日からミールスが6~7割の注文を占め、名古屋でも成功したと有頂天になったんです。

ところが、注文するお客さまはみんな半分以上残して帰っていくんです。

今なら冷静に考えられるんですが、当時の名古屋は東京と違い、南インド料理店がほぼない状態。ミールスもビリヤニも初体験のお客さまが多いんです。だけど雑誌やテレビで看板商品だと言われているから、ミールスも自信作のカレーなのだろうと注文するわけです。なのに予想とはまったく違う料理が出てきて戸惑うんですよね。

初日を終えた後にSNSをチェックしたら、有名なインフルエンサーの方がエリックサウスの写真をアップしてくださっていたんですが、「新しくオープンしたカレー屋さんに来ました!お味は……×××」と書かれていてさすがに落ち込みました。

そのため、翌日からは、ミールスやビリヤニなどのマニアックなメニューを注文しようとする方に「本当にいいんですか?」「それはカレーではありませんが大丈夫ですか?」とスタッフ総出で念押しするように…。本当に苦い思い出です。

――なるほど……。

イナダさん:初めて南インド料理を体験するお客さまなら、一般的なカレーを楽しんでもらうべきでした。それならきっと残すことなく、満足して帰ってくれた。「ちょっと変わっているけどおいしいカレーだね、また来よう」と思ってくれたはずなんです。

なのに、私たちが最初の誘導を誤ったばかりに「おいしくない、思ってたものと違う、二度と来るか」になってしまった。

この事件を「不幸な出合い」と呼ぶようになり、全店舗でメニューブックの作り方を根本的に変えるきっかけになったんです。

――実際にどう変えたんでしょうか。

イナダさん:実際にメニューブックを見ながらご説明しましょう。まず、一番目につく最初の見開きは……、

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誰もがイメージできるカレーを写真付きで載せて、分かりやすく選べるようにしました。そこから1枚めくった先には……、

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ミールスやビリヤニなどのマイナーなメニューを掲載するんです。写真は一切使わず文字だけ。おまけにトップに「マニアック」と書いて、あえて心理的なハードルを設けました。なお、下段にはスペースを空けておき、期間限定メニューをシール貼りできるようにしています。今はディナー食材を活用して「鯖ビリヤニ」や「骨付き鴨肉」を使ったメニューを提供しています。

本格的な南インド料理を食べたいと思う方はもともと熱量が高いので、写真の有無は気にせず、文章だけでもしっかり読んで注文してくれる。一方で気軽に普通のカレーを食べに来たお客さまは写真で判断することが多いので、めくった先が文章だけのメニューならば引き返してくれるんです。

――なるほど。マニアックなメニューを見た際にちょっと考える構造にしてあるんですね。

イナダさん:先ほどの名古屋店のケースでは、一般的なカレーを求めて来店されたお客さまがマニアックなメニューと出合ってしまったパターンですが、逆にマニアックで本格的な南インド料理を食べに来たのに、そうしたメニューに出合えずがっかりして帰られるお客さまも少なからずいたんです。

だから、ひと目見ただけではっきりと分かるよう交通整理をした結果が、今のメニューブックづくりにつながっています。

「分かりやすい料理」と「マニアックな料理」、それぞれの常連客を満足させる運営の工夫

――南インドカレーの初心者に向けた、いわゆる「分かりやすい」メニューと、上級者向けの「マニアック」なメニューを明確に分けたんですね。そうした異なるジャンルを設けるとメニューが増えて、食材管理やオペレーションが難しくなってきませんか?

イナダさん:その点は飲食店経営のテクニックになってくるんですが、初心者向けと上級者向けとで使う材料は可能な限り共通させ、無駄な在庫を増やさないようにしています。また、ロスが出ないよう出食数の精度を上げるなどですね。

こうした運営面は、エリックサウスの運営会社である円相フードサービスが居酒屋業態のノウハウを蓄積していたことも役立っているかもしれません。居酒屋ってたくさんのメニューがあっていかに効率よく提供できるか、みたいなところがありますから。

2018年から神宮前で運営している「エリックサウスマサラダイナー」ではディナータイムに伝統的なミールスコース、季節ごとに変わる「モダンインディアンコース」を設けているのですが、コースで使う食材を期間限定ランチとして提供しています。

少し価格は上がりますが、マニアックな料理を求めている方は、ここでしか食べられないからと値段を気にせず注文してくださる方も多いんです。

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「もしインドに○○という食材があったなら」「○○の調理法を取り入れたなら」という“if (イフ)料理”を取り入れたモダンインディアンコース。フレンチやイタリアンの技法を使うこともあるそう

いつ来ても新鮮な驚きがあるようにさまざまなメニューを考案しているので、作り手のスタッフも楽しめるし、リピーターの方も安定して来てくださっています。中には週3回ほど通ってくださる方もいますよ。

――イナダさんはSNSでお客さんの反応を見たり、情報収集したりするというお話もありましたが、お客さんからの注文やリクエストをメニューに反映させることはありますか?

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イナダさん:異なる客層から、同じようなリクエストが複数上がってきた時は考えますね。

例えば、東京よりも南インド料理店の数が少ない名古屋店は、必然的にインド人のお客さまが多くご来店されるんです。そのうちに「ドーサを出してほしい」とリクエストをいただくことが増えて。ドーサは豆の粉を水で溶き、クレープのように薄く焼いた生地のことですが、以前からレシピは考えてあったものの、鉄板でカリカリの状態に焼くので、オペレーションコストが高く、メニューとして採用するには難しいと見送りにしていたんです。

ある時、再びインド人の方からリクエストがあり、ドーサを簡単にフライパンで焼いて提供したら涙を流さんばかりに喜んでくれたんです。そんなに需要があるなら……とキッチンを改造して鉄板を入れて、本格的にドーサづくりに取り組むようにしました。ドーサは今、名古屋だけでなく他のいくつかの店でも売れ筋メニューになりました。

全てのリクエストに対応するのは難しいですが、こうしたメニューの成長を見ると、思い切ってやって良かったなと思いますね。

個人的に通いたくなるのは、高級路線の「おひとりさま」料理店

――最後に、食べ手としてのイナダさんが考える、「通いたくなるお店」ってどんなお店ですか?

イナダさん:行くたびに新しい驚きや解釈が得られるようなお店ですね。驚きといっても、突飛なことをするわけではなく「定番のあの料理を、こんな食材で、こんなふうに作るのか」と自分に刺激をくれるようなお店なら思わず通っちゃうと思います。

個人的に欲しいのは「おひとりさま」で行けるフレンチや割烹料理店ですね! 友人や家族と一緒に楽しむのもいいですが、ラーメン店の一蘭のようについたてを設けて、ひとり5,000円~1万円の2時間コースがあったら、じっくり料理と向き合えて楽しいと思うんです。

コロナ禍で飲食業界は新たなチャレンジがしにくいご時世ではありますが、見方を変えればチャンスにもなるはず。私も今温めているたくさんのアイデアを世に出していけるよう頑張りたいと思っています。

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【お話を伺った人】

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イナダシュンスケさん
飲食店運営、プロデュースなどを手掛ける「円相フードサービス」の専務取締役。幅広いジャンルの業態開発に取り組み、中でも南インド料理店「エリックサウス」では総料理長としてコンセプトからメニュー開発、調理や接客など一連を担当。高級店からチェーン店まであらゆる料理に精通し、自らをナチュラルボーン食いしん坊と称するほど。その知見を活かしグルメ記事の執筆なども行っている。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社)、『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(柴田書店)などがある。

・Twitter
https://twitter.com/inadashunsuke
・円相フードサービス
https://enso.ne.jp/

【取材先紹介】
エリックサウスマサラダイナー 神宮前
東京都渋谷区神宮前6-19-17 GEMS神宮前5F
電話 03-5962-7888

ERICK SOUTH - ERICK SOUTH

取材・文/田窪 綾
調理師免許を持つフリーライター。惣菜店やレストランで8年ほど勤務経験あり。食分野を中心に、Webや雑誌で取材やインタビュー記事作成、レシピ提案などを行っている。

撮影/小野 奈那子

編集:はてな編集部