最初の1杯は“ファーストキス”。広島のビール専門店に大行列ができる理由

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営業時間は17時~19時までの2時間、注文はビール2杯まででおつまみはなし。酒屋の一角に設けられた狭小空間は10人ちょっとで満員です。これほど極端な営業形態にもかかわらず、週末ともなれば開店前から行列が続く人気店が広島にあります。

2012(平成24)年にオープンした「ビールスタンド重富」は、広島屈指の繁華街、流川エリアにある生ビール専門の角打ち酒店です。お店を切り盛りするのは「重富酒店」三代目の重富寛さん。ビール好きの間では「ビール注ぎ(つぎ)の名人」として知られ、「ビールの伝道師」として全国を飛び回る重富さんに、飲食店が繁盛するための秘訣を聞きました。

うまいビールを出せばお客さんが集まる。まずは自分が実践してみせようと思った

JR広島駅から路面電車に揺られて約10分。「銀山町」駅から2分ほどのんびり歩いてお店の前に到着すると、約束の時間前にもかかわらず、「どうぞ」とスマートに招き入れてくれた重富さん。ビールを注ぐときは、ユニフォームとしてバーテンダーの正装であるバーコートを羽織っています。清潔感と品の良さがある白いバーコートは、重富酒店を継ぐ前に5年間勤務していたニッカウヰスキー時代に着用していたものと同じデザイン。

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重富さんの祖父が大阪で初めて飲んだ樽生のアサヒビールに感動して創業した「重富酒店」。「ビールスタンド重富」は酒屋の一角にあり、酒屋の一部を改造して生ビールの提供を始めたのは広島初

「実はビールがずっと苦手だったんです(笑)。ウイスキーやブランデー、焼酎ならどんどん飲めるんですが、ビールはジョッキ1杯が限界。だから、親父に修行先としてニッカウヰスキーかアサヒビールをすすめられた時、ニッカウヰスキーを選びました。そこで、お酒はなぜ存在するのか、といった成り立ちや歴史、販売方法まで、お酒のイロハを習いました」

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かつてアナウンサーを志していただけに、聞き取りやすく軽快なトークも評判

気軽に生ビールが飲めなかった時代、アサヒビールの西宮工場で技術と知識を吸収し、戦前の広島で樽生ビールを提供した祖父の思い、それを継いだ父親の背中を見て家業継承を決めた重富さん。あるとき、軽い気持ちで参加したサントリーのビールセミナーで、ビールを見る目が変わります。

「生まれて初めて、ビールがうまいと思ったんです。見た目も味もとにかく“きれい”。驚いて理由を聞くと、きちんとサーバーの洗浄とメンテナンスをしているだけだと言うのです。つまり、今までビールが苦手だったのは、それができていないビールを飲んでいたから。おいしいビールの味を落としていたのは、提供側であるお店であり、そのお店にアドバイスをできていなかった酒屋だったのです」

それを飲食店に伝えたいと、重富さんは大手ビールメーカー4社のビールセミナーを受講し、各社のノウハウをまとめたオリジナルビールセミナーを開催しました。しかし、飲食店の反応はいまひとつ。説得力不足を痛感した重富さんは、ビールに特化した店を自ら出店することを決意します。

「例えるなら、ペーパードライバーが自動車教習所を開いたようなもんですよ。現場経験のない酒屋が偉そうに言ったって誰も聞きませんよね。でも、うまいビールが提供できればきっとお客さんは集まる。それを自分で実践しようと思い、2008(平成20)年に生ビールがコンセプトの居酒屋をオープンしました」

それから数年後に誕生したのが「ビールスタンド重富」。営業時間は2時間、ビールは2杯までという強気ともいえる営業スタイルは、酒屋として得意先の飲食店と競合せず、ビールを味わってから周りの飲食店で料理やサービスを楽しんでもらうための心配りです。

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コロナ禍で密を避けるためにやや拡張したとはいえ、こじんまりとしたスペース

最初の1杯は「ファーストキス」と同じ。失敗すればその先は期待できない

開店当初は1日5人~10人程度の来客でしたが、口コミで訪れる人が増え、気付けば100人を超す行列ができる日も。商品はどの飲食店にもある生ビールですが、何が多くの人を惹きつけたのでしょうか?

「どんな業態の飲食店にもビールはあります。僕はビール本来のポテンシャルを引き出しているだけなんです。基本の洗浄とメンテナンス、これを毎日しっかりやるだけの話です。サーバーやホース、ジョッキを丁寧に洗い、樽やガス圧を適切に管理する。基本を徹底するだけで、ビールは見違えるほどうまくなります」

おいしいビールを注ぐのに大事なことは段取り。準備の8割で味が決まると重富さんは断言します。ところが、サーバーの進歩によって簡単に生ビールを提供できるようになった反面、適切な洗浄方法やメンテナンスを知らない飲食店が増えていました。

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「泡切三年、注ぎ八年。昔のビール注ぎは職人技でした。サーバーの進歩によって平成の30年間はビールにとって“失われた30年”です」と重富さん

「ビールは『ファーストキス』と同じです。お客さんが最初に口にするビールの味がその店の印象を決める。ファーストキスで失敗したら良好な関係を取り戻すのに時間がかかります。だから、歯磨きをしたり、体臭ケアをしたり、身だしなみを整えるでしょう? 飲食店はファーストキスの心持ちで、お客さんの最初の1杯をもっと大事しなきゃいけないんです」

飲食の入口となるビールを丁寧に整えることで、その先にある料理やサービス、飲食店が本来提供したいものをお客さんに届けることができるようになります。

昭和と平成、2つのビールサーバーで5種類の味わいに変化するビール

ビールスタンド重富で提供するビールは基本的に1銘柄ですが、ビールサーバーは2つ設置。多くの飲食店に導入されている一般的な「平成のサーバー」と、スイングカランと呼ばれる「昭和のサーバー」です。この2つを使い分けながら、5種類の注ぎ方でビールを提供しています。

2つのサーバーの大きな違いは、ビールが出る量と速度です。平成のサーバーはビールホースの内径が5㎜。これに対して昭和のサーバーは内径9㎜で、平成のサーバーの約4倍のスピードでビールが出てきます。

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50年前の飲食店では一般的に使われていたスイングカラン(右)。流速が速いためコントロールにテクニックが必要

なぜ注ぎ方で味が変わるのでしょうか?

「秘密は『泡』にあります。泡の正体は麦芽のタンパク質と、ホップに含まれる苦味の成分、そして二酸化炭素です。ビールの苦味は泡に集まるので、簡単に言えば泡立てるほど、液体中の苦味と炭酸が抜けていきます。注ぎ分けというのは、ビールに含まれる炭酸と苦味、うま味のバランスを整えること。ステーキならミディアム、レア、ウェルダンと焼き方を選べるでしょう? ビールで同じことをやっているというイメージです」

その日の気分や好みで飲みたいビールの味が選べる。それが注ぎ分けの魅力です。

静かにゆっくり注がれる平成のサーバー

昭和のサーバーで一気に注ぎ、50年前の味を再現

重富さんに注ぎ分けをお願いしました。

1杯目におすすめなのが「一度つぎ」。昭和のサーバーで勢いよく一気に注ぎます。グビッと飲むと、体の中に一本筋が通るような爽快感が走り抜けます。

「二度つぎ」は、昭和のサーバーで泡立てながら注いだ後、泡が落ち着くのを待って二度目を注ぎます。一度つぎよりも炭酸が抜けて、麦芽のうま味を感じられる味わいに。

「三度つぎ」は三回に分けて注ぐことで、泡に苦味をしっかり吸着させます。泡だけをすするように飲むと苦みを感じますが、液体の方は中の炭酸がほどよく抜けて、麦の丸みと甘さを強く感じられます。じっくりと味わいたいビール。

「マイルドつぎ」は、「三度つぎ」で苦味が残る泡をすべて吹きこぼします。すると、炭酸と苦味がすっかり抜けて、なめらかでやさしい口当たりに。「一度つぎ」のビールとはまるで別物。ビールの苦味が苦手な人におすすめです。

そして「シャープつぎ」は、2つのサーバーの合わせ技。泡立てない平成のサーバーで炭酸と苦味を残しつつ、昭和のサーバーで泡をのせます。これが絹ごし豆腐のようなソフトな口当たり。泡と液体の境目を感じることなく「喉を電気自動車が音もなくスーッと通る」と表現する重富さん。

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左から「一度つぎ」「二度つぎ」「三度つぎ」「マイルドつぎ」「シャープつぎ」の全5種類。外観は似ているが、味わいはまったく異なる

注ぎ方だけで多彩な味が表現できるビールの世界。さらに、スイングカランには左回転と右回転で流派があり、地域性の違いもあるのだとか。

「関東では爽快感を楽しめる一度つぎ、関西はマイルドな口当たりの二度つぎや三度つぎの名店が多いんです。醤油味を好む関東と、出汁の風味を好む関西で食文化の違いがあるように、注ぎ方にも違いがあったのではないでしょうか」

あくまで仮説と前置きしつつ、全国各地でビールを注いできた重富さん調べ。説得力が違います。

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「シャープつぎ」は平成のサーバーで静かに注ぎ、昭和のサーバーでやわらかい泡を乗せる

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一時期は15種類あったという注ぎ分け。最大30種類の注ぎ分けができるものの、説明が難しく、2杯限定のため集約して5種類に落ち着いたそう

飲食店で飲むおいしいビールが笑顔を呼ぶ

近年はクラフトビールの専門店も増えましたが、お店で注ぐのは日本の大手ビールメーカーのビールのみ。そこには、日本のビールと向き合ってきた重富さんらしい筋書きがあります。

「昔は富士山のてっぺんに登りたかったけど、今は違います。富士山は日本一裾野の広い山でもありますよね。私は大手のビールの質を上げることで裾野を広げて、土台を支えようと思うんです。そこに個性豊かなクラフトビールがあれば盤石なピラミッドになります」

どの飲食店でも飲めるビールがほんの少しおいしくなれば、自然と笑顔が増えます。すると、コミュニケーションが円滑になって笑顔が笑顔を呼び込む。そんな日常的な幸せの積み重ねが、日本中の幸せを底上げする。これを注ぎ手として実践しているのが「ビール伝道師」である重富さんのライフワークです。

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活動を始めた頃は全国で25店しかなかったスイングカランを置く店が、現在では50店にまで増加(2021年12月現在)。各地で再びスイングカランが注目を浴びている

「おいしいビールを届けていれば、日本が変わります」

スケールの大きな話ですが、絵空事ではありません。ビールを人類の歴史から紐解く「生ビール大学」や自主制作映画『日本の麦酒歴史』など、生ビールの力を伝えるために全国で講演を行い、ビールを注いできた重富さん。コロナ禍はYouTubeやSNS、LINE公式アカウントを駆使して、歴史文化や科学的視点からも情報を発信してきました。今では重富さんから学んだ注ぎ手が各地で店を構え、人気店になっています。

10年かけて重富さんがまいた種は、着実に芽吹き始めています。ビールで笑顔をつないできた重富さんに、これまでに一番うれしかったことを聞きました。

「お子さんが20歳の誕生日に、お父さんと娘さん、あるいはお母さんと息子さんの親子で来てくれることがあるんです。初めて親子一緒にビールを飲むために。親はその瞬間を夢見て子育てするものですから、うれしいですよね。そんな新成人を『ビールの世界にようこそ!』と、歓迎する文化をつくっていけたらと思っています」

ビールを注ぎながら、ビールを継いでいく。広島の小さな酒屋の一角で、重富さんは今日もビールを注ぎながら未来を継いでいます。

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「大手メーカーとクラフトビールメーカー、それに注ぎ手がいれば日本のビールは世界一になれます」という重富さん。2022年1月10日の「成人の日」発売に向けて、クラフトビールメーカー3社と「初めてのビール」をテーマにオリジナルビールを製造中

【取材先紹介】
ビールスタンド重富
広島県広島市中区銀山町10-12
電話 050-3635-4147
http://sake.jp/

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取材・文/山口紗佳
愛知県生まれ、大分県在住のフリーライター。名古屋の出版社と都内の編集プロダクションで編集者・制作ディレクターとして勤務。オールジャンルの書籍・ムック・広告・販促ツールの制作に携わった後、ライターとして独立。日本ビアジャーナリスト協会所属ライターとして、さまざまな媒体で執筆を手がける。

撮影/野口岳彦