【商売偉人伝】福神漬けの生みの親?河村瑞賢の逆境をはねのける生き方に学ぶ

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日本の歴史をさかのぼると、数多くの豪商が存在しますが、江戸時代の繁栄の礎をつくったといっても過言ではないのが河村瑞賢です。商売人としての成功にとどまらず、現代に置きかえると地域開発事業のプロジェクトリーダーとして功績を上げ、世の中の人が豊かになる世界を目指した河村瑞賢の生きざまから、商売繁盛へのヒントを探してみましょう。

金がなければ知恵を出す。さまざまな公共事業でたくさんの人を幸せに!

河村瑞賢は、元和4(1618)年、現在の三重県伊勢町東宮(当時は伊勢国度会郡東宮村)に生まれました。貧しい幼少期を経て13歳のとき江戸に出ると、荷物の運搬や土木工事、はたまた漬物屋など、さまざまな仕事に就いたといわれています。

そして、20歳を過ぎて材木商をはじめると、大きな飛躍を遂げました。きっかけは、明暦3(1657)年に起こった江戸の大火。いわゆる「明暦の大火」の際に、すぐさま建築資材となる材木を買い占めて大きな利益を上げたのです。その後も江戸の復興に貢献すると、瑞賢の実績は幕府からも認められ、さまざまな公共事業を取り仕切るようなっていきました。

中でも有名なのが、東北地方の米や物資を運ぶための航路の開発です。現在の福島県から宮城県へと流れる阿武隈川の河口から江戸へ向かう東廻り航路、山形県の酒田から山口県の下関を通り、大坂・江戸へと向かう西廻り航路を整備しました。これらの開発は、のちに江戸が100万都市として成長する礎をつくっただけでなく、日本海側の物資が大坂(現在の大阪府)に集まったことで、大坂が「天下の台所」と呼ばれるきっかけになったとされています。

また、淀川・安治川・長良川などの治水事業にも力を尽くし、水害に苦しむ地方を救うことにも貢献しました。商人としてだけでなく、社会インフラ整備のプロジェクトリーダーとしても活躍した瑞賢は、元禄11(1698)年に徳川将軍家直属の家臣である旗本にも列せられました。

河村瑞賢に学ぶ商売の5カ条

【その一】経験から得た学びを実務に反映すべし
【その二】逆境は発想の逆転ではねのけるべし
【その三】チャンスを呼び込むためには即行動すべし
【その四】より多くの人の利益を追求すべし
【その五】成功するには頭をやわらかくすべし

【その一】経験から得た学びを実務に反映せよ

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瑞賢は13歳で江戸に出ると、大八車などを引いて荷物の運搬をする仕事や土木工事の労働者など、さまざまな仕事をしながら懸命に働いたそうです。このときの瑞賢は、うだつがあがらない、ただの若者。出世のチャンスが巡ってくることはなく、日々暮らしていくことで精一杯です。

だからといって、決してあきらめることはなかったそうです。明日への希望や目標を見失いそうになりながらも、目の前にある仕事に懸命に取り組み、その体験からさまざまな学びを得ました。

そうした苦労や努力は、すぐさま実を結ぶことはありませんでしたが、単なる学問として吸収した知識ではなく、さまざまな体験に根ざして学んだ多くのことは、瑞賢にとって大きな財産となります。のちに、現代に置きかえるとディベロッパーともいうべき開発事業家として大いに活躍できたのも、世の中の酸いも甘いも噛み分けてきた時間があったからに違いありません。

経験という意味で、どんな成功も失敗もムダになることはひとつもありません。例え、単体では意味のないように思える経験でも、一つひとつをつなぎあわせることで、新しい価値が生まれることもあります。大切なのは、その経験を未来にどのように生かしていくのか、ということなのかもしれません。

【その二】発想を逆転で逆境をはねのける

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なかなか出世できないことから、江戸を離れて近畿地方に向かおうと、東海道を小田原まで進みました。しかし、途中で出会った老人の「日本の中心である江戸でうまくいかない者が、上方で成功するはずがない」というアドバイスに耳を傾け、再び江戸へと戻ります。

そのとき、品川付近を通りかかります。お盆の精霊送りで川に流され、岸辺に打ち上げられた大量のナスやキュウリを見つけるのです。これを見た瑞賢はこれらを拾い集め、塩漬けにして販売。すると、この漬物が思わぬ人気を呼び、商人として自立する第一歩となりました。

また、この成功が評判となり、土木工事の指示をしている役人とも知り合うきっかけを得ます。そして、瑞賢はこのチャンスを逃すことなく信頼を得ると、労働者のリーダーになることで、さらに大きな仕事を請け負えるようになっていきました。自分は逆境にいると思っていても、実はちょっと視点を変えるだけで、見える景色が180度変わってくることもあるようです。

一説によると、このとき瑞賢が売った漬物が「福神漬け」の由来ともいわれています。神様のお供えものから作られた漬物であることから「福神漬け」。それまで価値がないとみなされていたものでも、名前のつけ方ひとつで新たなバリューが生まれます。サービスや商品も、ネーミングによってはその後の売り上げの成否を大きく左右する可能性があります。

【その三】チャンスを生かすには行動力が必要

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明暦3(1657)年に起こった「江戸の大火」は、正月18日の昼すぎに火の手が上がると、20日の朝まで鎮まることなく、江戸の町を燃やし尽くしました。このとき瑞賢は、自分の家にも火の手が迫ってくるのを顧みることなく、家中にあるだけの金銀を懐に昼も夜もなく休まず、とある場所へと向かいました。

その場所とは、当時、材木の産地として有名だった、現在の長野県南西部に位置する木曾です。誰よりも早く江戸から到着すると、この地の材木を買い占めます。後の江戸では、復興のため材木の需要が非常に高まりましたが、材木商が保有していた材木の多くは大火で燃えてしまい、瑞賢が買い占めた材木は非常に高値で飛ぶように売れていきました。

そして、このとき瑞賢は、その資本をもとに大火後の江戸の復興にも力を尽くしたことから、幕府にもその名が知られるようになっていきます。

商売を成功に導くためには、さまざまな要素が必要になりますが、いちばん最初に必要となってくるのは素早い行動力です。しっかり考えてから行動することも大事ですが、状況によっては、行動を優先したほうがいいときもあります。どんなにいいアイデアがあっても、先を越されてしまえば宝の持ち腐れ。「スタートダッシュの早さ=決断の早さ」は、その後の商売の成否を左右する第一歩であることを肝に銘じましょう。

【その四】自分の利益だけを追求しない姿勢を

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さまざまな知恵で財産を築いてきた瑞賢ですが、誰かが知恵をはたらかせてお金を儲けると、まるで自分のことのように喜び、その人を招いて酒宴を開きました。

なぜそのようなことをするのか、ある人が不思議に思ってたずねたそうです。すると瑞賢は「幕府や大名のもっている金はみんな埋れている金。これを市中にばらまけば、金銀が天下を走りまわって、たくさんの人が利益を得て喜ばしい限りである」と答えたといいます。

つまり瑞賢は、自分だけが利益を得て楽しむのではなく、常に広い視野で世の中が潤うことを考えていました。それはめぐりめぐって、自分の新しい利益にもつながるという考えがあったからこそ、他の人が利益を得ることを大いに喜んだというわけです。

また、瑞賢の場合、このような立派な考えを口にしながらも、酒宴を催す姿を周囲に見せることで、人々の信頼や人気を集めていたという戦略家の側面もあったようです。自分がどう思うかということにこだわっていると、小さな利益しか得られません。相手からどう思われたいかという、より大きな視点をもつことこそが、大きな利益へとつながっていくことを教えてくれます。

【その五】やわらかな頭で成功をたぐり寄せる!

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あるとき、芝の増上寺では鐘楼の鐘を吊り上げる工事が検討されていました。しかし、必要となる工事費の割に発注金額が安かったことから、誰も引き受けようとはしませんでした。そこで困った人たちは瑞賢に相談したところ、思いがけず安価で請け負ってくれたそうです。

工事が始まると、瑞賢はまず近くの米屋から大量の米を買いました。次に、この米が入った米俵を鐘の下に積み上げさせると、これを土台にちょうど良い位置まで鐘を持ち上げて固定しました。そして、工事を終えると、米屋にわずかばかりの引き取り料を払って米を買い取らせることで、ほとんどお金をかけずに工事を完成させてしまったといいます。

競争が激化していく昨今の市場では、まわりに先駆けて新しい仕組みをつくったり、機転を効かせて効率化したり、他社と差別化することが事業の足腰となります。そのためには、非常に難しい仕組みが必要と思われがちですが、実はとても単純な仕掛けがひとつ加わっただけで、ものごとがスムーズに運ぶことがあります。常にやわらかな頭で物事を考えられるよう、日ごろから意識したいものです。

考えながら行動する、柔軟な姿勢を大切に!

仕事がうまくいかないときにも、決してあきらめなかった河村瑞賢。どんな体験からも学ぶことを忘れず、それを生かして新たな仕事に取り組んでいくことで飛躍につなげていきました。

さらに、逆転の発想で新しい商機を見いだしたり、柔軟な考え方で商売を成功させたりと、やわらかい頭で物事に対処していく姿勢は、現代に生きる私たちも大いに学ぶ点があります。立ち止まって考えるのではなく、素早い決断と大胆な行動で未来を切り開いてきた瑞賢の生きざま。ぜひ、参考にしてみてください。

 

参考資料

商人をこえた日本の偉人 河村瑞賢/南伊勢町教育委員会編著/南伊勢町教育委員会

水利科学43号『治水家としての河村瑞賢』/古田良一著/一般社団法人 日本治山治水協会

酒田市公式サイト 河村瑞賢~西廻り航路を開拓したプロジェクトリーダー~
https://www.city.sakata.lg.jp/sangyo/kanko/zuiken_sakata.html

最上川電子大事典
https://www.thr.mlit.go.jp/yamagata/river/enc/genre/02-reki/reki0204_003.html

産経新聞 国土開発の先駆者 水害から大阪を救った豪商、河村瑞賢
https://www.sankei.com/article/20210222-ECFKV6ZUAJLCJDLQ7IUN3OMZ6A/

スノハラケンジ

日本史を中心とした社会科学から自然科学まで、執筆・インタビューを幅広く手がける。代表作として『なぜエグゼクティブは、アラスカに集まるのか』(幻冬舎メディアコンサルティング)。近年では『古代・平安時代の偉人に聞いてみよう!』(岩崎書店)、『全国 御城印 大図鑑』(宝島社)などの制作に携わる。第3回江戸文化歴史検定受検において1級を取得。

イラスト沼田光太郎

雑誌、広告、ポスター、web、映像媒体でイラストレーション、漫画、アニメーション、を制作。2019年11月 文芸社より絵本「バナナうんち」(原作 はりまりえ/文・絵 ぬまたこうたろう)発売。テーマソング「バナナうんち」作詞・作曲・歌を担当。