飲食店にとってお客さん、とりわけ「おなじみ」の存在はとても重要です。
そうした常連客の心をつかむお店には、どのような工夫があるのでしょうか。また、お客さんから見て、どんなお店が「通いたくなるお店」なのでしょうか。
今回お話を聞いたのは、雑誌『古典酒場』の創刊編集長・倉嶋紀和子さん。座右の銘は「隙あらば呑む」。テレビ東京「二軒目どうする?」では、カメラ前とは思えない自然体の酔いっぷりを見せてくれます。
そんな酒と酒場を愛する倉嶋さんは、全国津々浦々の酒場に足を運んでいるそう。倉嶋さんが通いたくなるのは、どんなお店なのでしょうか? また、古典酒場の魅力や、人が集まるお店の秘密とは?
倉嶋さん行きつけの神田「まり世」でお酒と料理を味わいながら、お話を伺いました。
※取材は、新型コロナウイルス感染対策を講じた上で実施しました
おしゃれカフェより新橋ガード下が「しっくりきた」
――倉嶋さんは20代の頃からお酒と酒場を愛し、最近ではテレビ東京の「二軒目どうする?」でも気持ちの良い飲みっぷり、酔いっぷりを披露されています。
倉嶋さん:いつも馬鹿みたいに酔っちゃってすみません……(笑)。
――いえいえ、いつも楽しく拝見してます。まずは、お酒との出合いから教えてください。
倉嶋さん:お酒のおいしさを意識したのは、子どもの頃に飲んだ正月の「お屠蘇(おとそ)」(正月に無病長寿を願い飲む薬草酒)です。
故郷の熊本には「赤酒」という独特な地酒があるんですけど、それに屠蘇散(とそさん・お屠蘇を作るための生薬をブレンドしたもの)を漬け込むことで甘くてまろやかな味になるんです。甘さと、屠蘇散の薄荷のような香りのマッチング具合が幼心に痺れたというか、おいしいなと思って。
――子どもながら通な味わい方で末恐ろしいですね……。
倉嶋さん:もちろん子どもなので、それ以上は親から止められました。でも、止められれば止められるほど飲みたくなって、以来、お酒にはずっと興味がありましたね。
その後、大学生になって一人暮らしを始めた時には「やったー、これで自由にお酒が飲めるぞ」と、20歳になった直後に一升瓶を買いに行きました。月桂冠か松竹梅、菊正宗のどれかだったと思うんですけど、一人でコップ酒をあおった時の幸福感ったら……。たまらなかったですね。
――その後、老舗の酒場、いわゆる「古典酒場」に通うようになったきっかけは?
倉嶋さん:当時は熊本から一人で東京に出てきて、自分の「落ち着きどころ」を欲していました。最初は都会のキラキラした場所にも憧れがあって、雑誌の『Hanako』に載っているようなオシャレなカフェにも行ってみましたが、なんだかしっくりこない。
そんな折、新橋のガード下にある「羅生門」という居酒屋に行ったら、とても居心地がよかったんです。「ここだ!」って思いました。
――どんなところが気に入りましたか?
倉嶋さん:大学の友人と2人で店に入って、周囲はもっと大人の方ばかりだったんですけど、すごく温かく私たちの面倒を見てくださったんです。そんな交流と、歴史ある酒場ならではの風情にすっかりハマってしまい、それからは老舗の大衆酒場に惹かれるようになりました。特に、社会人になって一人で飲む楽しみを覚えてからは、いろんなお店に行くようになりましたね。
――ただ、そうした老舗の酒場は、作法に厳しいイメージもあります。
倉嶋さん:もちろん、お店ごとに守るべきルールはあります。でも、必要以上に怖がらなくていいと思いますよ。私自身も大雑把な人間なので注意されることもありましたが、その度に周囲のみなさんが優しくフォローしてくださって、何となく身に付いたような気がします。
そんなふうに、お客さんみんなで雰囲気をつくっているお店って、本当に居心地がいいんです。酒場の中心はもちろん店主さんですけど、お客さんもお店を一緒につくり上げていくメンバーだと思うんですよ。
酒場の雑誌を作れば、朝から飲めると思った
――酒場にハマった当初は、どのようにお店を探していましたか?
倉嶋さん:なんとなくの感覚ですね。街を歩いていて「この酒場、なんか好きかも」と感じたらふらっと入っていきました。今もそれはあまり変わっていなくて、事前にネットで調べたりはしません。ネットの口コミで高評価でも、おそらく私が好きだと感じるポイントとは違うと思うので。たまに調べて行こうとしても、途中で風情が良さそうな酒場を見つけるとそっちに入ってしまって、目的のお店にたどり着かないんですよ。
――その古典酒場めぐりが高じて、ついには『古典酒場』という雑誌まで創刊してしまうんですよね。
倉嶋さん:完全に公私混同ですね。私は編集者なんだから、酒場の雑誌を作れば取材と称して朝から飲んだって全然OKじゃないかと。
――朝から……ですか。
倉嶋さん:当時は徹夜は当たり前で、翌昼の家路につく途中に真昼間から気持ちよく酔っているお客さんでいっぱいの酒場があったんです。それを見る度に、いつか私もあの中にいる人になりたいと思っていました。
そして朝から呑みたいと。それが『古典酒場』創刊のきっかけですね。上司からは「遊びで本を作っているんじゃねえんだぞ」と怒られましたけど(笑)。
――古典酒場ではどんなお店を取材していたのでしょうか?
倉嶋さん:本当に、自分が好きだなぁと思うお店を取材していましたね。趣味と実益が全て直結していました。お店のことを知ってほしいという思いと、もう一つはその酒場の全てを写真に収め、アーカイブとして残したいという気持ちも大きかったです。古典酒場はガード下や小路にあることが多く、町の再開発によって閉店を余儀なくされるお店もあります。その前に、この場所の全てを真空パックにして残したいと思っていました。
全国の酒場を渡り歩いた倉嶋さんが通う店とは?
――全国の酒場に取材やプライベートで足を運ばれているそうですね。何度も訪れているお店はありますか?
倉嶋さん:いくつかありますね。東北地方だと青森県弘前市の「土紋」。「いがめんち」など郷土料理をはじめ、何を食べても美味しい料理とそれに合わせる地酒「豊盃」のラインアップが痺れるくらい素敵です。店主ご夫妻の、料理に対する実直な向き合い方や酒呑みの心を知り尽くしているお人柄も大変素晴らしいので、数回お邪魔しています。
石川県金沢市の「広坂ハイボール」にも何度かお邪魔させてもらっています。とにかく店主さんの人柄が抜群に素晴らしくて。初めてお邪魔した一見客の時ですら、酒呑みのたわいもない話を聞いてくださり、一緒に笑ってくださいました。その心の寄せ方が素晴らしく、いつも元気をもらっています。自家製の燻製をつまみに呑むハイボールも最高に美味しいんですよ。家呑み用に取り寄せるなど、普段からここの燻製つまみを愛食していますね。
あとは、奈良県奈良市にある「小料理 奈良」。お任せで出てくる料理がどれも品のある味わいで、見た目も麗しく器も素敵です。店主ご夫妻のきめ細かいお気遣いやお人柄も大好きで、2度ほどお伺いしています。忙しく立ち働いていらっしゃる中で、お客さん一人ひとり、箸の進み具合をよく観察されていらっしゃるなぁと。お客さんとの付かず離れずの距離感が抜群でとても居心地がいいです。
初めてお邪魔したのは仕事だったのですが、その時のご対応の様子、家族経営の雰囲気も気に入って。奈良という土地も大好きなので、それも含めて気に入っているポイントです。
お客さんみんなでつくり、みんなで守る空間
――今回、倉嶋さんにご紹介いただいた「まり世」さんも、普段から通われているお店の一つだそうですね。
倉嶋さん:はい。初めて伺ったのは2017年です。現在は神田駅近くの高架下に移転しましたが、当時は神田の今川小路という場所にお店がありました。素晴らしく風情のある小路で、神田に立ち寄る時はきまって散歩をしに来ていたのですが、開発によって閉鎖されると聞き、改めて訪れてみたんです。閉鎖の1週間ほど前でほとんどのお店のシャッターが降りていましたが、ちょっと一軒呑んでいこうと入ったのが「まり世」でした。
ただ、もし混んでいたらそっと扉を閉めて帰ろうと思って。
――なぜですか?
倉嶋さん:お店の最後のひとときは常連さんのためのものだから、混雑していたら一見客は遠慮した方がいいと思っているので。その時のまり世も常連さんでぎゅうぎゅうだったので扉を閉めかけたんですけど、店主のみっちゃんが声をかけてくれたんです。「いいよいいよ、入って」って。そしたら常連さんもすかさず席を詰めて場所を空けてくださいました。
その時にも感じたんですが、まり世はみっちゃんのホスピタリティーや常連さんたちの阿吽の呼吸など、一緒につくり上げられたお店の雰囲気が素晴らしいんです。親戚の家みたいに何の緊張感もなくくつろげて、ただ座っているだけで素敵なお料理がどんどん出てくる。みっちゃんが「あれも食べる? これも食べる?」と気にかけてくれるし、お酒も常連さんが「この順番で飲むと美味しいよ」って教えてくれて、気付いたらいつも私の席がお酒とお料理で溢れかえっているという(笑)。
――まさに常連さんも一緒につくり上げているお店ですね。まり世さんにはどうしてお客さんが集まるのだと思いますか?
倉嶋さん:やっぱり、店主の人柄だと思います。ここは特に、先代のお母様やみっちゃんのことが好きで通っているお客さんが多いように感じますね。それだけに、行儀の悪いことはできない。本当にみんなでつくり、みんなで守っている空間なんですよ。
――そのあたりが、倉嶋さんが好きなお店の共通点でしょうか?
倉嶋さん:そうですね。飲み歩いてきた酒場を振り返ってみると、やはり店主さんや常連さんにまた会いたいと思うお店に何度も通っています。特別なお酒や料理があることも素敵ですが、それよりも、そこに行くと家族の一員のように過ごせる場所が好きですね。
ただ、私はいつもその居心地の良さについ甘えちゃうんです。「ちゃんとした客にならなきゃ!」と思うのだけど、大抵は酔って記憶をなくしています。「お金だけはちゃんと払う」とか、本当の本当に基本的なことだけはきちんとやろうと心がけていますが、あまりにもひどく泥酔した翌日はお店に電話をかけて「私、ちゃんとお金払いましたか?」と聞くようにしています。
――でも、それだけいつも楽しいお酒ってことですよね。
倉嶋さん:いやいや、お店の人は呆れていると思いますよ……。一応、いつもスマホで食べたもの飲んだものを全て撮影し、外部記憶装置として活用しているんですけど、後で見返すとそのお店に行った記憶すらない時がありますから。久しぶりに訪問した酒場で「ご無沙汰してすみません」と言ったら「一昨日いらっしゃいましたよ」と言われたり。
まあ、でも記憶をなくすことでまたゼロから楽しめるからいいか、と楽天的にとらえるようにしています。
――いちいち「やっちゃった」と後悔するよりも、その方がいいですね。
倉嶋さん:後悔していたら生きていられません。記憶は失う前提で生きています(笑)。
「まり世」店主・みっちゃん:いい言葉だね(笑)。でも、倉嶋さんは酔っても人に迷惑はかけないから。よく笑って、泣いて、周りの人も楽しくなるような飲み方なんですよ。
倉嶋さん:ありがたいですね。本当に周りの助けがあってこそです。
みっちゃん:そうそう。私だって一人じゃとても完璧にはできないからね。いつもみんなに助けてもらっています。
――みっちゃんの話を聞いていると、まり世が愛されている理由がよく分かりますね。お一人で切り盛りされるのは大変じゃないですか?
倉嶋さん:このお店は常連さんたちが自分で冷蔵庫を開けてビールを取って、勝手に飲み始めるんですよ。食べ終わったお皿も、各々が洗っていくし、みっちゃんの手が回らない時は接客も常連さんがしてくれる。それも、みっちゃんのことが好きだから自然と助けたくなるんでしょうね。みっちゃんのホスピタリティーと常連さんの温かさがまり世の魅力ですね。
みっちゃん:本当に温かい人たちばかりでね。ありがたいですよ。
倉嶋さん:いやいや、私たちからすればこうやってお店を続けてくれていることこそが、本当にありがたいです。コロナ禍の中で、本当はいろんなご苦労があるはず。私が好きないくつかの酒場も、緊急事態宣言で休業したままお店を閉めてしまって……。お金の問題より、気持ちが続かなくなってしまったというお話も聞きました。
(しばし涙)すみません、歳で涙腺がゆるくて……。それでも継続してくださっている酒場は本当に素晴らしいと思います。飲むことしかできない私のような人間は、その場所がないと人生の楽しみ全てがなくなってしまいますから。「まり世」もしばらく休業されていたんですが、みっちゃんから「お店を再開するよ」ってLINEが来た時は本当にうれしかったですね。
真似るなら古典酒場のマインドも忘れずに
――お話を伺っていて、古典酒場の魅力は人ありきということがよく分かりました。
倉嶋:最近はチェーン展開も含めて、「大衆酒場」と呼ばれるジャンルのお店が増えてきました。大衆酒場を商業的にやることを全く否定しませんし、むしろそれでハードルが下がって酒場推しの人が増えてくれたらうれしいです。
でも、大衆酒場を真似るのなら、そこに必ずいる女将さんや大将さんのマインドやホスピタリティーも踏襲してほしいなと思います。例えば、誰かにイヤな絡み方をされた時に、昔ながらの酒場では女将なり大将なりがきちんと守ってくれるんですよ。「この人は静かに飲みたいから、やめてあげてね」って。
――そこは、なかなかマニュアル化できない部分ですね。
倉嶋さん:そう、難しいと思うんですけど、そこでイヤな思いをして酒場が嫌いになったらもったいないですよね。酒場の切り盛りって、本当に店主の人間力が試されると思うんですよ。逆に言えば、長く続いている酒場には必ずそれがある。だからこそ、私のような人間も楽しく飲ませてもらえるわけで。
なんて偉そうに言ってますが、私自身もそんなお店にふさわしい、ちゃんとした酒飲みにならないといけませんね。……といいつつ、今日もたぶんもうすぐ記憶をなくすんですけど(笑)。
【お話を伺った人】
倉嶋紀和子さん
熊本県生まれ。お茶の水女子大学大学院を経て出版社に入社。酒場雑誌『古典酒場』を創刊し、編集長を務める。著書に『Tokyoぐびぐびばくばく口福日記』(新講社)。CS旅チャンネル「にっぽん酒処めぐり」、テレビ東京「二軒目どうする?」に出演中。きき酒師、球磨焼酎案内人。
【取材先紹介】
まり世
東京都千代田区鍛冶町1ー2ー14
取材・文/榎並 紀行
1980年生まれ。ライター、編集者。編集プロダクション「やじろべえ」代表。
撮影/佐坂 和也
編集:はてな編集部
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