京都で老舗喫茶店の歴史を守りつつも若返らせた、六曜社・店主の「通いたくなるお店」

六曜社の奥野董平さん

京都で1950年に創業して以来、住民や観光客に愛され続ける喫茶店「六曜社」3代目の奥野薫平さんに、「通いたくなるお店」をつくる上で大切にしていることを聞きました。


ある人にとっては、毎日通う行きつけのお店。ある人にとっては、観光のときに必ず立ち寄りたい店。多くの常連客に愛されるお店は、店づくりやお客さんとの関係において、どんな工夫をしているのでしょうか。

「六曜社珈琲店」は、そんな多くの常連客を抱えるお店の一つ。京都の繁華街・河原町三条で1950年に創業して以来、訪れる人たちが求める時間とコーヒーを提供し続けてきました。現在のお店は、オリジナルのブレンドコーヒーを出す一階の「珈琲店六曜社」と、自家焙煎コーヒーを出す地下の「COFFEE&BAR」に分かれています。

今回は、2013年8月から「珈琲店六曜社」のカウンターに立つ、3代目の奥野薫平さんにインタビュー。歴史あるお店を受け継ぐ上で大切にしていること、奥野さんがお客さんとして「通いたくなるお店」についてお話を伺いました。

喫茶店には、たった15分を充実させるかもしれない要素がある

――六曜社珈琲店は、3代にわたってご家族で営まれてきたお店です。奥野さんも、幼い頃からお店に出入りしたり、ご両親がお休みの日にはいろんな喫茶店にも連れて行ってもらったりしたそうですね。大人になった今も喫茶店に行くのはお好きですか?

奥野薫平さん(以下、奥野さん):好きです。ある意味で趣味なのかもしれませんね。釣りやゴルフのような趣味は、1日をかけて遊びに行くものだけれど、喫茶店やカフェにはたった15分でも充実できる要素があるのが魅力です。

――喫茶店に行きたいと思うのはどんなときですか?

奥野さん:気持ちにゆとりを持ったり、リフレッシュしたりするために行くことが多いです。仕事をしていると、1日の中で自分自身に使える時間は限られています。その時間をいかに充実させるかは、仕事を続けていくためにも重要な部分です。

奥野薫平さん

――お仕事柄、厨房の様子やお店のオペレーションが気になったりはしませんか?

奥野さん:やはり自然と見てしまいます。例えば、コーヒーを飲んで「このお店は、こういうことを伝えたいのかな」と感じたりはします。ただ、お客さんとして行くときは、「好き」の部分を大事にしているので、お店に対してあれこれ思うような時間を過ごそうとは思っていません。

――他のお店のやり方を見て、ご自身の仕事に生かそうと思うことはありますか。

奥野さん:作業的な部分については、これまでの経験の中で確立してきたオペレーションがあるので、それを崩そうとは思いません。コーヒーの味については、例えば少し前に「サードウェーブ」と呼ばれた浅煎り志向の豆が流行したときには、「こういう表現の仕方があるのか」と発見もありました。でも、六曜社は「変えない」「変わらない」に重点を置いているお店なので、何かを発見したからといって変えることはないと思います。

一方で、僕は奥野薫平個人として、六曜社珈琲店のセカンドライン「6448 COFFEE + ESSENCE」というブランドで、コーヒー豆を焙煎しています。僕個人として発見したものは、「6448」に結びつけるための楽しみとして蓄えています。

六曜社を「継ぐ」と決めるまで

――奥野さんは六曜社を継がれる前に、同じく京都の喫茶店の一つ、前田珈琲*1で7年半ほど働かれていました。その時に「継ぐ」ということを意識されたそうですね。

奥野さん:そもそも、僕は音楽をやりたかったので家業を継ぐつもりはなく、前田珈琲にもアルバイトとして入ったんです。すると、履歴書を見た社長が「六曜社の息子なのか」と気付かれて、当時のマスター(前田珈琲の現会長)の横に付けて喫茶の仕事を一から教えてくださいました。前田珈琲も六曜社と同じく家族経営のお店。当時は、ちょうどお父さんから息子さんへと代を引き継ぐタイミングでした。その光景を見て「ああ、継がれていくっていいな」と思うと同時に、「父がいなくなったら六曜社はどうなるのかな」と思ったんですよね。

前田珈琲でこれだけ熱を入れて教えてもらっている経験を生かせないかなと思った時に、漠然と家業を意識するようになりました。ただ、家業については祖父母が確立したスタイルがあったので「六曜社で僕がやりたいことをやるのは、きっと難しいだろう」という思いもありました。

奥野薫平さん

であれば、まずは自分のお店で、自分なりの表現をやり切れたと思えてから戻る方が、家業のためにもなる。僕自身が本当の意味で充実したり満足したりして初めて、家業を続けていけると考えました。

また、前田珈琲はいろんなお店を幅広く展開されていて、今も尊敬の念を持っています。一方で、「僕だったらこれはやらないな」と感じた部分もありました。そこから「じゃあ、自分がお店をやるなら」と考え始めたことも、自分のお店をつくるきっかけになったと思います。

――2009年12月にご自身のお店として「喫茶feカフェっさ(以下、カフェっさ)」をオープンされました。私も通っていましたが、接客もコーヒーもしっかりした考えに裏打ちされているのを感じました。

奥野さん:カフェっさは、まさに自分の希望を形にしたお店です。初めはスタッフを育て、任せられるようになったら僕は六曜社に戻ることを考えていたんです。でも、実際にお店を経営してみると、自分が生み出したものでお客さんを招くことが好きなんだと再確認できて。僕が不在の「カフェっさ」が想像できなくなったこともあり、お店に終止符を打つことにしました。

六曜社は「変わらないままで若返る」ことをお客さんに伝えたかった

――2013年8月に奥野さんが六曜社に戻られて、2022年で10年目を迎えようとしています。ご実家のお店とはいえ、継ぐにあたってはさまざまな試行錯誤があったのではないですか?

奥野さん:六曜社に戻るときには、「変えたい」という思いはまったくありませんでした。何より念頭にあったのは、常連さんたちに「変わらないね」と言ってもらえる居心地を残し続けること。そういう気持ちの中で、「まずは皿洗いから始めようかな」と思っていたら、祖母の判断でお店の中心的存在であるコーヒーを淹(い)れるポジションを担当することになりました。

六曜社はベテランのスタッフが多く、慣れていない人間がお店の中心に立つのはけっこう難しいんですよね。いろんなことを教えてもらいながら、指示も出さなければいけない。しかも僕の動き方は、前田珈琲とカフェっさの経験に基づいたものです。六曜社のスタッフからすると戸惑うこともあったと思います。

――奥野さんの目から見て、改善すべきだと感じたこともあったのでしょうか。

奥野さん:"六曜社スタイル”が確立され過ぎていて、時代にそぐわなくなっているという肌感覚はありました。

祖父母のやり方は、このお店で長い年月を重ねてきた二人だからこそ、お客さんに理解されるものです。僕の代になったら、もう少し伝え方を謙虚にしないと多くの人に理解されないと思い、「六曜社はここから若返るんです」という伝え方になるように気を配っていました。

コーヒーを傍らに、背筋を伸ばして過ごす時間の醍醐味

――私はお祖父さまがマスターだった頃に初めて六曜社に入りましたが、奥野さんの代になって、昔の六曜社の雰囲気をちょっと思い出しました。一人の客として、「変わらないままで若返ったな」という印象を受けていたので、今のお話にはすごく納得感があります。六曜社らしいスタイルの中で「これは絶対に守りたい」と思ったこともあったのではないでしょうか。

奥野さん:父も僕も、「喫茶店はコーヒーが主役ではない」という考えが念頭にあります。喫茶店やカフェは、メニュー以外の魅力があることも重要だと思うんです。

つまり、専門家としてこだわりのコーヒーを出して、それを傍らに置いて過ごしてもらうという贅沢(ぜいたく)ですよね。祖父母や父が大切にしてきた「お客さんが過ごしたい時間を支える空間づくり」は、僕も変わらずに守っていきたいことです。

――奥野さんが担当する一階店には相席文化があり、これも六曜社らしさにつながっていると感じます。

奥野さん:そうですね。この時代にあえて、僕が守りたいものでもあります。外資系のセルフ・カフェができてから、カフェはお店の人との関わりよりも「自由に過ごせる開放感」を求める場所になっていきました。コーヒーはテイクアウトするものにもなって、店内に滞在しない文化も構築されています。

そこにおいて僕たちは、「店でコーヒーを飲んで過ごす時間」について、お客さんにあらためて考えていただけたらと思っています。僕らの仕事は、一つの空間を守って、お客さんをもてなすこと。お水を注いだり、灰皿を取り替えたりして、テーブル一つずつに過ごしやすい場所をつくり続けています。目には見えない心地よさが、人の心を惹(ひ)きつけたり、また、お店に足を運ぶきっかけになるんじゃないかと思います。

六曜社・一階店のソファ席

一階店のソファ席

一階店の手書きメニュー表

一階店の手書きメニュー表

他者と関わる時間に自分から飛び込んで、ちょっと背筋を伸ばして過ごすという緊張感が、お店にはすごく必要なものだと思っているんですよね。

お客さんにとっては、相席によって見知らぬ人との出会いや会話が生まれることもあります。それを若い人たちにも醍醐味(だいごみ)として感じてもらえたら、うちも残っていけるかなと思います。

――最近は、若いお客さんも増えてきていますか?

奥野さん:実はコロナ禍で、若いお客さんが増えたんです。やっぱり対面がいい、目と目を合わせて向き合って話したいんだということを再認識しました。画面上の交流が増える中で、若い人たちも物足りなさを感じているんだろうと実感したんですよね。何時間も熱い話をしていたり、待ち合わせ場所に使っていたり。同じ空間を共有して直接感じるという経験が、人の心を育んでいくものになっているんだろうなと、この数年まじまじと感じてすごくうれしく思っています。

コーヒーを入れる奥野薫平さん

“いいお店”では、お客さんがその店の色になっている

――お店がつくっている雰囲気や空間を受け取って、お客さんが時間を過ごすことによってお店の文化が形成されていくということですね。

奥野さん:そうですね。僕の中の「いいお店」って、お客さんがその店の色になれているんです。「まあ、ジャージで行ってもいいんじゃないの?」というのが、喫茶店に限らずいいお店の要素かなと僕は思っています。

――お客さんとして、奥野さんはどんなお店に通われているんですか?

奥野さん:生活圏の中に心が豊かになれる場所があるのはすごくいいなぁと思うんです。ふとしたときに「あ、ちょっと寄ろうかな」みたいに行けるのが、「通う」という意味合いではすごく重要だなと思います。

そういう視点で言うと、「はなふさ珈琲 イースト店」は、何でもないけど行ってしまうお店ですね。その「何でもなさ」って僕は究極だと思っていて。お店の人はシャツに蝶ネクタイを着けていますが、接客などは意外にラフだったりするというちょっとした違和感なんかがうまい塩梅なんですよね。コーヒーの種類は多いけれど、そのこだわりを押し付ける感じもない。時間帯によってお客さんがつくる風景も変わっていきます。同業者としては「この何でもないという魅力は何なんだ?」と思ってしまいます。

――どういうときに、はなふさ珈琲 イースト店に行かれるんですか。

奥野さん:誰かと打ち合わせをするときに行って、あーだこーだと話していることが多いですね。それに対して、一人で行って書きものや考えごとをしたいときに行くカフェが「more」です。かっこいい空間に浸れている自分がいいなと思うんです。お店の人はすごく丁寧な接客をしてくださるし、「行けばあの人がいてくれる」っていう安心感もあります。おそらく顔を覚えてくれていて、挨拶もしてくださるのでお店側も受け入れてくれているんだなという心地良さも、通う理由になっていますね。

――確かに、moreはおしゃれなお店ではありますが、入ってみると緊張しないし、とても居心地がいいですね。

奥野さん:地域柄もあって、お客さんには年配の人も学生もいます。お客さんはお店をちゃんと見ているし、感じているんだなと思います。

――お客さんもまた、お店を一緒につくっている部分もあるのかなと思います。

奥野さん:カフェっさをやっていた頃に、お店を閉めてから焙煎小屋に行く途中に寄っていた、「お福」という麺類や丼を出すお店があるんです。「おふく(お餅や揚げ玉の入ったうどん)作っといてなー」と大将に声をかけて、自分でおでんをすくったり冷蔵庫のお総菜を取ったりして席に着く。

お会計は自己申告制で、まさにお客さんとの間柄があってのスタイルです。ああいうお店ができるのはすごいなぁと思います。かと言って、常連さんに寄り過ぎていないから、きっと観光客の人にとっても居心地がいいだろうなと思います。いろんな人が、そこでの時間を過ごせているのが面白いんです。

――それぞれ、六曜社とはまたスタイルが異なるお店ですが、根底には通じる部分があるように思います。

奥野さん:六曜社ではお客さんの「居心地」を大切にしているとお話ししましたが、自分自身が他のお店に行く際も、やはりお店の方をはじめ、そこに集う人たちの雰囲気や居心地の良さに惹かれて通っているなと感じます。

いずれのお店も確実に常連のお客さんたちに愛されていて、そんな日常が垣間見れることも、通う上での醍醐味です。六曜社も、通ってくださるお客さんにとってそういう存在でありたいと思いますね。

時代を見据えつつ「これが六曜社だね」という居心地を守っていきたい

――お話を聞かせていただいて、「変わらない」をつくることは、自分のスタイルをつくることと同じかそれ以上に難しく、クリエイティブなのかなと思いました。奥野さんは、これからの六曜社についてどう考えておられますか。

奥野さん:これからも「変わらないこと」は意識するつもりですが、僕が将来を見据えて考えているのは、今の六曜社のやり方が時代にそぐわなくなった時のことです。経営を続けるために、形態を変えて「残す」ことが果たしていいことなのか? それとも、終わりを遂げた方がよいのか。もちろん、その時になってみないと分からないのですが、そこでどう判断するのかは、今の自分の中に美学として持っておきたいと思っています。

やっぱり、お客さんが「変わらないね」「これが六曜社だね」と思ってくださる居心地を守っていきたいし、ただ続いていくことだけがいいわけではないと思っていて。もしも「変わってしまったね」という六曜社が生まれてしまうぐらいなら、変えずに終わってしまう方が、意味があるんじゃないかなと思ったりします。

奥野薫平さん

もちろん、今の肌感覚では、このままの形態でずっと伝え続けていけるだろうと思っています。ただ、歴史のあるお店だからこそ、引き際も重要だということは意識していますね。

――「いつか六曜社がなくなってしまうかもしれない」と想像するだけで、胸がぎゅっと締め付けられます。街の中に変わらない場所があることは、安心感や住み心地にもつながってくるように思います。

奥野さん:そう言ってくださるお客さんがたくさんいらっしゃるとうれしいですし、かけがえのないことだと思います。お客さんにとっては、このお店に来て感じてもらうことが全てです。

僕たちは、もしかしたら言葉すら交わすこともなく、お客さんが過ごす時間の中で「どういうお店なのか」を判断してもらわないといけません。だからこそ、「毎日どれだけお店に向き合えているか」「一席ごとのテーブルに対して注力できているか」を常に問われ続けています。お店を続けるという意味では、やっぱりその一瞬一瞬をおろそかにしないことが、めちゃくちゃ大事だと思います。

――いいお店って、お店とお客さんが言葉を交わさずして共有しているものが多いお店なのかもしれませんね。

奥野さん:世の中には、言葉にはできても形にはないものがいっぱいあります。そんな曖昧さもまた惹きつけられる要素になったりするし、それを探ることが楽しかったりするんですよね。お店とお客さんとの関係性にも、同じようなところがあるような気がしています。

六曜社のコーヒーとドーナツ

【お話を伺った人】

奥野薫平さん

奥野薫平さん

六曜社珈琲店3代目。1983年京都府京都市生まれ。高校までは野球少年で、卒業後は好きだった音楽をしようと考えていたとき、親しみがあった喫茶店でアルバイトをしようと前田珈琲で働き始める。先代の教えのもと本店・錦店・明倫店に携わり、京都から全国へと躍進する前田珈琲で過ごすうちに、自分のやりたいお店のイメージが膨らみ「喫茶fe カフェっさ」を開業。3年半ののち、2013年8月に家業である六曜社珈琲店の一階店のマスターに。2019年からは、開業以来のオリジナルブレンドを自家焙煎に切り替え、焙煎も担当している。


公式サイト:京都河原町三条の喫茶店「六曜社」

取材・文/杉本恭子
京都在住のフリーライター。学生時代から京都に暮らし、地域の人たち、僧侶や研究者などへのインタビューを主に執筆。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)。

撮影/浜田智則

編集:はてな編集部

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*1:1971年創業、京都の四条烏丸エリアに本店を構える喫茶店。2022年7月現在、京都に11店舗、北京に1店舗の系列店がある。自家焙煎のコーヒーと手づくりのフード・菓子類にこだわり、幅広い年齢層に親しまれている。