違和感の少ないお店がしっくりくる。『dancyu』編集長・植野広生さんの「通いたくなるお店」

自他ともに認める食いしん坊である『dancyu』編集長の植野広生さんに「通いたくなるお店」について伺いました。


1度ならず、何度も足を運んでくれる“おなじみさん”は、飲食店にとって心強い存在です。 そうした常連客の心をつかむお店は、どのような工夫をしているのでしょうか。また、お客さんから見てどういうお店が「通いたくなるお店」なのでしょうか。

今回お話を伺ったのは、食の専門誌『dancyu(ダンチュウ)』の編集長・植野広生さんです。自他ともに認める食いしん坊であり、全国の食いしん坊たちを魅了する雑誌を作り続けている植野さん。「通いたくなるお店」だけでなく、「お店選び」や「注目しているジャンル」なども詳しく伺いました。

「面白そう」「もったいない」! 旺盛な好奇心が仕事に

――以前、植野さんがテレビ番組でナポリタンの食べ方をご紹介していたときに、粉チーズとタバスコを「どの部分にどのタイミングでふりかけて食べるか」と、工夫と研究を重ねられていて衝撃を受けました。「生粋の食いしん坊だ!」と思ったのですが、植野さんは昔から“食”への興味が強かったんでしょうか。

植野広生さん(以下植野さん):確かに“食”への意欲は強い方で、いつも「隣の人よりおいしく食べたい」とは思っていますが、もしかしたら「食いしん坊」というより「好奇心が強い」のかもしれません。

僕の中で“食”は音楽と同じように生活や人生のベースのひとつで、食べることだけに興味があったわけではないです。よく「食のプロ」「食べ手のプロ」と言われることがありますが、誰でも当たり前に毎日食べたり飲んだりする中で、僕の場合はそれがたまたま仕事になっているだけで。

ただ好奇心から、どんなことでも「面白そうだな」「もったいないな」と思ったらつい口や手を出したくなってしまう。それが仕事につながって、別業界の人と一緒に食のイベントを開催したりすることも多いです。いろいろやりたくなってしまいますね。

――確かに、今も雑誌に限らず、イベントを開催したり、テレビやラジオなどにも多く出演されたりしていますよね。もともと植野さんは経済誌の編集者として働きながら、『dancyu』でライターを始めたと伺いました。

植野さん:大学時代はいろいろな飲食店でアルバイトをしていたんですが、先のことはあまり考えていなくて。たまたま求人広告で見つけた業界紙の記者になり、その後、日経ホーム出版社(現在は日経BPに統合)に入社して、13年にわたり経済記者をしていました。1991年に『dancyu』の編集長とたまたま知り合って、話しているうちに「うちで書いてみない?」と誘われて、面白そうだなと思って。「大石勝太(おおいしかつた)」のペンネームでこっそり書き始めました。

その後「週刊文春」などでも食の記事を書くようになりましたが、経済誌の編集者をしながら同時進行で食の分野に関われたのは、好奇心を満たすという点でも自分の中でうまくバランスが取れていたのではないかと思いますね。

『dancyu』はグルメ誌ではなく食いしん坊雑誌

――『dancyu』は1990年創刊なので、植野さんが携わられてからすでに30年以上たつんですね。2017年には編集長に就任されていますが、それを機に変えたことはありますか?

植野さん:創刊時からのコンセプトとして「食こそエンターテインメント」を掲げていたのですが、編集長に就任した2017年からは幅広く食を楽しみたい人に向けてより強くアピールできるよう、「『知る』は、おいしい」を表紙に記しました。「食いしん坊」という言葉をよく使うようになったのもこの頃からです。

『dancyu』9月号

――「グルメ」ではなく、「食いしん坊」なんですね。

植野さん:世の中に食の情報が増え、多くの方の食の経験値も高まってきています。雑誌としては最新の情報を届けなくてはならない面も確かにありますが、「世の中の最新情報」がむしろ本来の「食の楽しみ方」と離れてしまっているような傾向もあると思っていて。

僕が常々「食いしん坊」や「ふつうにおいしい」と言っているのは、食の楽しみ方をベーシックで当たり前なところに戻したいとの想いがあるからです。

――ベーシックな食の楽しみ方、とは具体的にどんなことでしょうか。

植野さん:一番分かりやすいのは「すし」ですね。高級すし店とリーズナブルな回転すし店に二極化しつつあります。情報が増えるほど両極端になっていき、​​その中間的な位置にあり、本来もっとも実質的な町のすし店のおいしさや楽しさがないがしろにされている気がします。人それぞれ食の好みや利用シーンは異なるはずなのに、星や点数の高さ、行列の有無や長さが評価基準、行動基準になっている。自分の中にあるべき基準を外部に求めるって、僕にとってはすごく違和感がありますね。

『dancyu』も情報を発信する立場ではありますが、ランキングや対決、点数をつけることは絶対にしません。会員制や、予約が取れないお店も掲載してないです。読者ターゲットは、価格にかかわらずどんな食でもおいしく楽しみたい「食いしん坊」。そうした方たちに向けてより深く、幅広く味わうための提案をしたいと、お店を紹介したり、レシピや食の知識を届けたりしています。

――そうなんですね。『dancyu』では毎号、スタッフさんたちが総出で取材候補のお店に食べに行っていると聞きました。

植野さん:毎回、編集部で手分けして食べに行きますね。もちろん予約する時も『dancyu』とは言いません。その号の企画や特集に合っていると判断し、取材をお願いすると決まった時点で初めて名乗ります。

例えばすし店を探す場合でも、友達とちょっと軽く飲みに行きたい時と、田舎の両親を招待する時とではお店の選び方が異なりますよね。僕たちは読者の食いしん坊たちの代わりに、お店でのひとときを体験するんです。誌面では『dancyu』という人格があり、こういう目的やシチュエーションだったらこのお店がおすすめですよ、と伝えることを意識していますね。

――毎号の特集は、どのように決めているんですか? 各号の売れ筋や反響のデータなどから、掲載するお店を選んだりするんでしょうか。

植野さん:特集テーマはスタッフからの提案を含め、僕が年間を通して決めています。売れ行きや部数といった客観的なデータもありますが、あえて意識しないようにしています。というのも僕はdancyuの「読者」というより「ファン」を増やしたいと思っているんです。お客様は面白いもの、おいしそうなものがあれば買ってくれますが、買ったら帰ってしまうし、モノがなければ集まりません。しかし、ファンは「面白いものないかな」といつでも見ていてくれるし、モノがなくても集まってくれます。

特にコロナ禍で自由に外食ができない状況になり、本当に行きたいお店、大事にしたいお店の大切さに気付く人が増えていると感じます。そうしたことも含め、食いしん坊たちは今何を求めているのか、実際にお店を訪れるからこそ分かることもたくさんあるので、そうした感覚的な部分をとても大切にしています。

――なるほど。ちなみに、これまでで特に人気が高かったテーマはありますか?

植野さん:同じ特集を組むわけではないので分かりにくいのですが、「日本酒」と「カレー」特集は人気ですね。

特に食のような嗜好性の高い媒体は、雑誌として熱量が感じられるようなパワーが重要だと思っています。でも、ただ熱量ばかり高くても編集側の自己満足になってしまう。「伝える」より「伝わる」ことに重きをおいて、半歩下がったところから冷静な目で誌面づくりをしていますね。

植野さんの「おなじみ」のお店とは

――ここからは、植野さんが実際によく行かれるお店について伺います。事前のアンケートではいろいろなジャンルの飲食店を挙げていただいていますが、今回は立ち飲み店「ニューカヤバ」、居酒屋「銀座升本」、イタリアン「オルランド」について、それぞれの魅力を教えていただけますか?

植野さん:1964年創業の「ニューカヤバ」にはもう30年以上通っています。僕はよくひとり飲みをするんですが、仕事を忘れて何も考えずに過ごせる空間なんですよね。

壁際には日本酒や焼酎の自販機がずらっと並んでいて、コップをセットして100円玉を入れるとお酒が注がれるんです。店の奥には炭火の焼き台があって、セルフで焼鳥を焼いて。これも1本100円。お店がある茅場町はビジネス街なので立派な三つ揃えのスーツを着た紳士もたくさん来るんですが、みんな傍らに100円玉を積み上げて、ワクワクした表情でお酒を注いでいますよ。最近は若い人たちも多く来るようになりましたね。

今は娘さんが継いでいるんですが、お母さんが亡くなる前に50周年を迎えて。お母さんに「何か50周年イベントやらないの」って聞いても「目立つことはしたくないけど、当日来てくれたお客さんには何か感謝を伝えたいね」って言っていて。でも当日、やっぱり何もしていないんですよ。でも、いつものように100円入れて日本酒注いだら、いつもの倍の量が出て来た(笑)。

――それはうれしい(笑)。長く親しまれている理由が分かる気がします。では居酒屋「銀座升本」は、植野さんにとってどんなお店ですか?

植野さん:「銀座升本」も並木通り沿いに古くからあるお店です。マグロの脳天の刺身があれば、昔懐かしい赤ウインナー炒めもある。雑誌のようにいろいろな料理が適度に楽しめる、まさに“居酒屋”なんですよね。

僕はこのお店のレモンサワーが大好きです。注文が入ると削りたての氷で作ってくれて。それがちょうど良い濃さで、冷え過ぎないし薄くならない。

氷屋から仕入れた氷を毎回削るのはとても大変ですし、きっと製氷機の氷に変えても売れ行きに影響はないと思います。そこに「お客さんに評価されたい」とか「褒めてもらいたい」という考えはなく、「当たり前のことだから」と変わらず続けている。銀座の店ならではの矜持に感動して、「ここで飲めることがありがたい」という気持ちになります。

――年月を経てもブレずに営業されているのが素敵ですね。最後に挙げていただいた「オルランド」についても教えていただけますか?

植野さん:神泉の「オルランド」はイタリア料理とワインをカジュアルに楽しめるお店です。オーナーシェフの小串貴昌さんが駒沢や代官山でお店をやっていた頃から通っていて、長い付き合いですね。小串さんは、イタリアらしい料理を食べさせてくれるんです。

――イタリアらしい料理、ですか? 

植野さん:イタリア料理は、いい意味で雑というか、レシピに起こせないおいしさがあると思っています。小串さんの料理には、イタリアの風土を感じさせるような、毎日でも食べたくなる味わいがある。それが素晴らしいなと思いますね。ひとりでふらっと訪ねて、カウンターでゆったり楽しむことが好きです。

通いたくなるお店の共通項は「違和感の少ないお店」

――お話を伺うと、挙げていただいた3つのお店には「おいしい」を支える確かな信念があるような気がしました。植野さんは、ご自身が「通いたくなるお店」にはどんな共通項があると思いますか? 

植野さん:抽象的な表現になってしまいますが、「ふつうにおいしいお店」になると思います。その意味は味だけでなく雰囲気も含め、「違和感の少ないお店」ですね。

――違和感の少ないお店?

植野さん:これは雑誌づくりにも通じるんですが、ちょっとした言葉や表現で、読む人が「なんとなく面白くないな」と違和感を持つことがあります。それが具体的に何かは分からなくても、なんとなくの感覚で「もういいや」と離れて行ってしまうことがあるんですね。

例えば割烹の料理写真で、汁物の椀と一緒に、箸留めがついたままのお箸が並べてある。細かい話ですが、これは本来の順番で考えるとおかしいです。箸留めは初めて食べる時に封を切りますが、汁物は先付けなどの後に出てくるのが一般的。本来のタイミングでは箸留めが取れているのが当たり前です。明確な理由は分からなくても、読み進めるうちに居心地の悪さを感じてしてしまうのです。僕の仕事は、誌面からこうした違和感をひとつひとつ潰していくことでもあります。

通いたくなるお店も同じことが言えるんじゃないかなと。適切なサービスはそれぞれのお店で異なりますが、入店してから帰るまで、違和感なく心地良く過ごせるなら、2度、3度と行きたくなるのではと思います。

――なるほど、確かに……。では逆に、初めて行った場所でのお店選びで意識すること、見るポイントなどはありますか? 

植野さん:そうですね……。これも感覚的な要素が大きくて言語化するのが難しいですが、「掃除が行き届いている」など、適度にきちんとしている店、でしょうか。時間がある時は、そのお店から出てくるお客さんを見ますね。実はこれが1番確実です。

――お客さんのどんなところを見ますか?

植野さん:表情です。どんなお客さんでも、出てきて笑顔のまま帰るのはいいお店です。逆にどんなに高級なお店でも、何かが足りなかったり過剰だったりすると、店を出た瞬間に笑顔が消えますから。

――確かに……!今度お店選びに迷ったら、お客さんを観察してみようと思います。では最後に、植野さんが今注目されているジャンルやお店があったら教えてください。

植野さん:イタリアンやフレンチという分類を越えた、ジャンルレスなお店が面白いなと思いますね。数年前から少しずつ増えてはいましたが、店主それぞれのベースがあり、信念や哲学をもとに、食べ手の想像を超えるような料理を作るお店が出てきています。

例えば恵比寿に「小泉料理店」というフレンチベースの店があるんですが、毎回驚くような料理を出してくれます。食材の組み合わせが意外性に富んでいて驚かされたり、いつも楽しませてくれます。

よく「今のトレンドってなんですか」って聞かれるんですが、『dancyu』は楽しみを提案する媒体であり情報誌ではありません。データでのリサーチ結果ではなく、僕を含めた食いしん坊が求める感覚を優先して、これからも雑誌づくりをしていきたいですね。

 

【お話を伺った人】

植野広生さん
1962年生まれ、栃木県宇都宮市出身。法政大学卒業後、新聞記者を経て日経ホーム出版社に入社。経済誌「日経マネー」の編集を担当する傍ら、ペンネームで「dancyu」「週刊文春」などで食の記事にも携わる。2001年にプレジデント社に入社、その後は「dancyu」の編集を担当し、2017年4月には編集長に就任。BSフジの「日本一ふつうで美味しい植野食堂」を始めテレビやラジオさまざまな媒体にも出演するほか、高知「土佐のおきゃくPR大使」「誇れる宇都宮愉快市民」「栃木市ふるさと大使」も務める。著書に「dancyu“食いしん坊”編集長の極上ひとりメシ」 (ポプラ社)
・Twitter:@dancyu_ueno
・Instagram:@dancyu_ueno

取材・文/田窪 綾
調理師免許を持つフリーライター。惣菜店やレストランで8年ほど勤務経験あり。食分野を中心に、Webや雑誌で取材やインタビュー記事作成、レシピ提案などを行っている。

撮影/佐坂 和也

編集:はてな編集部

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