「ポンコツな私が和菓子屋の女将に!?」家業を立て直した利他精神とは

埼玉県桶川市に2店舗を構える創業135年の和菓子屋「五穀祭菓をかの」。長年にわたり地域で愛されるお店ですが、ここ数年は地元商店街の衰退、若者の和菓子離れなど、さまざまな要因から経営的に厳しい局面にありました。

そんな老舗を、新しい感性を生かして立て直したのが、6代目の榊萌美さん(27)。家業を継いですぐにヒット商品を生み出し、和菓子業界で注目を集める若手経営者の一人となりました。「自分はポンコツ」「競争は苦手」「お金に執着はない」と話す榊さんの戦略は、一体どんなものだったのでしょうか?

教師の夢破れるも、小学生の自分の夢に感化され和菓子の世界へ

JR桶川駅東口からのびる通りは、途中、中山道の宿場町・桶川宿とも交わり、かつては多くの買い物客でにぎわう商店街でした。しかし、全国的に衰退が目立つ商店街の例に漏れず、後継者不足や大型ショッピングモールの進出などにより、にぎわいは徐々に失われつつあります。

「五穀祭菓をかの」が面する桶川駅前の商店街。平日昼間は人通りが少ない

老舗ながら若い人でも足を踏み入れやすい、明るくてフレンドリーな雰囲気の店内

地域の人に愛されてきた懐かしい味が並ぶ。バタークリームとラムを使った「縁起太鼓」は、この店のロングセラー商品

そんな商店街にある老舗和菓子屋の6代目として生まれた榊さんですが、当初、家業を継ぐつもりはなかったといいます。

「人の役に立つ仕事がしたい、と思い教職を目指していましたが、大学で自分が教師に向いていないことを自覚し、夢を断念しました。いつしか大学へも通わなくなり、将来を見失っていた時期もありました。もちろん、両親が店の将来について話し合う姿を目にすることもありましたが、自分は経営者には向いていないと、店を継ぐことを選択肢として考えたことはありませんでした」

6代目として「五穀祭菓をかの」を継いだ榊萌美さん

しかし、誰かがなんとかしてくれるだろうと他人事のように思っていた矢先、たまたま同級生のお母さんと出会い、「お店、継いだの?」と聞かれたことが、榊さんの転機となりました。

「『だって小学校の卒業式で、お店を継ぎますって言ってたじゃん』と言われて。そのまま家に帰って当時のビデオを見たら、ステージ上のライトにめっちゃ照らされながら『店を継ぎます!』なんて言っていたんです。当時の私は大学にも行かず、アパレルショップやコンビニでアルバイトをする日々。それまでの人生の中でも無気力な時期だったので、店を継ぐと言い切っている小学生の自分が、なんだかかっこよく見えました」

かつては人の役に立つ仕事がしたい、と志した教師の道。しかし、和菓子屋だってお客さん、従業員、家族にとって役立つ仕事なのだとしたら、軸はぶれていないはずだ……。そう思い至った榊さんは、ついに家業を継ぐことを決心します。

「葛きゃんでぃ」で味わった成功と挫折

家業を継ぐといっても、経営のこともビジネスマナーもまったくわからない自分に不安を感じ、アルバイトをしていたアパレル会社に一旦は就職することに。能力ではなく、「人間性」を見てくれる環境の中で自信を深めた後、満を持して「五穀祭菓をかの」に入社しました。職人のように一つのことを突き詰めることが苦手なため、入社後は和菓子製造ではなく、商品開発や広報の仕事を担当。程なくして生まれた大ヒット商品が、「溶けないアイス 葛きゃんでぃ」でした。

ヒット商品の「葛きゃんでぃ」。シャーベットのようなシャリシャリとした食感と、弾力のある葛餅のもちっとした食感を合わせて楽しめる

「入社してすぐの頃、をかのでは商品ロスが多かったんです。それほど売れていない商品の一つに『葛ゼリー』というものがあり、なくそうかという話もありました。でも、私は子どもの頃にこんにゃくゼリーを凍らせたものを食べるのが大好きだったんですよ。そのとき、アイスには賞味期限が書いていないとコンビニの先輩が言っていたのを思い出し、『葛ゼリー』を凍らせたらどうなるだろう?と思ったんです。そこで、葛を扱う問屋さんに聞くと、『凍らせたらアイスとして販売できますよ』と。じゃあ、これをアイスにして販売してみようということになったんです」

試験的に商店街の夏祭りで販売したところ、なんと2日で1,000本の売り上げに。1日1個売れるか売れないかであった「葛ゼリー」が、店を代表するヒット商品に生まれ変わった瞬間でした。

とはいえ、すべてが順風満帆だったわけではありません。「葛きゃんでぃ」がテレビで紹介されると、InstagramをはじめSNSで商品が拡散され、認知度が一気に拡大。さらに、コロナ禍でネット通販の需要も爆発的に高まりますが、そのレベルでの注文対応や生産管理、発送業務に至るまで、すべてが初めての体験だったため失敗の連続でした。

「お客さまからのクレームが多く、毎日怒られているみたいな状態でした。製造体制も限界に達し、職人さんを含め3名の従業員が辞めてしまったんです」

この失敗の体験と反省により、「人に喜んでもらえることを考える」という自身の経営指針に対する思いをさらに強くします。

きっかけさえあれば、人は和菓子屋に足を運んでくれる

次の転機となった商品は「かき氷」でした。きっかけは、コロナ禍で緊急事態宣言が発出されたときに、夏休みなのに遠くへ行けない近所の子どもたちが喜んでくれるものを販売したいと考えたこと。そこで思いついたのが、店頭でのかき氷販売でした。

当初からInstagramなどSNSを活用し、店の宣伝をしていた榊さんでしたが、かき氷を販売した際は、毎晩500〜1,000枚のチラシをポスティングするといったアナログな宣伝活動を行いました。

「そうしたら、かき氷をきっかけに初めて店に足を運んでくれたお客さんがたくさんいらっしゃって。来店したついでに、せっかくだから他の商品も見てみるかと豆大福を買ってくれたり、おいしかったからと別の日にも和菓子を買いに来てくれたりするようになりました。今の人はコンビニで黒蜜や抹茶のスイーツを買うことはあっても、和菓子屋にはなかなか行かないし、お店もちょっと入りにくいじゃないですか?でも、何かのきっかけがあって和菓子屋に足を踏み入れていただければ、次から帰省のお土産、普段のギフトを買いに来てくれるようになるんです」 

自家製ソースを使った、ふわふわのかき氷

「和菓子屋って入ったことなかったけれど、意外においしかった」、「地元の頑張っている和菓子屋を応援したい」。榊さんは初めて、そんなストーリーが付加価値になることに気付きます。そこで、この成功体験を和菓子業界や身の回りの人のために生かしたいと考えるようになりました。

「人の役に立つ仕事がしたい」。ぶれない思いがつなぐ未来

その後、榊さんは2022年に「五穀祭菓をかの」とは別の法人を設立し、和菓子ブランド「萌え木」を立ち上げます。そこには、榊さんならではのサステナブルを志向する経営戦略がありました。

https://moegi-wagashi.com/

「萌え木」公式ホームページのキービジュアル

「今後、特に店を大きくしたいという展望はなく、どちらかといえば長く続くように店を小さくしたいとすら思っているんです。うちは地元の人に支えられて135年続いてきた和菓子屋なので、お客さまの声が届く範囲で、細々とでも長く続けていきたい。曾祖父の代のことも知っている70年来の常連さんがいますが、その方があるとき、『私が一番うれしいのは、私の一番好きなお店が死ぬまで残っていることなのよね』と言われて、泣いてしまって。だからこそ、私の勝手で店を変えたくない。とはいえ、代々続く家業のスタイルだけで売り上げを伸ばすのは難しいから、やり方を変えようと考えたのです。

商品開発を『萌え木』で行い、製造を『をかの』に外注し、販売はまた『萌え木』で行う。そうすれば、リスクを負うのは私だけで、『をかの』はロスの心配もなく安定した商品作りに専念できます。もし『をかの』だけで製造が間に合わなくなったときは、仕事が減って困っている他の和菓子屋さんにお願いすれば、みんなが助かると思います」

明治20年からお菓子で地域の人々を楽しませてきた「五穀祭菓をかの」

榊さんが考えているのは、利益を1社で独占するのではなく、和菓子業界全体を活性化していくこと。

「和菓子業界って今、中堅層がどんどん抜けてしまっているんです。正直なところ、低賃金で拘束時間は長く、会社によっては昔ながらの職人気質の方もいるので厳しい指導も当たり前のようにある世界です。だから続けられないし、職人になりたいという人がそもそも少ないんです。でも、それでは、いつか和菓子の文化が途絶えてしまいます。だからこそ、既存の業界構造から抜け出して、そこに風穴を開けたいと思っています。私が外に出ていき、外部の人と和菓子業界をつなぐ入り口になれればいいなと思って」

掲げる理想は壮大ですが、まずはそのための土台作りとして、向こう1〜2年は「萌え木」で売り上げをつくり、「五穀祭菓をかの」を持続可能な事業にしていくことが当面の目標だと言います。

「ゆくゆくは海外にも出ていきたいです。国内ではこれ以上、和菓子の単価を上げることは難しいと見ていますが、世界的に和菓子をラグジュアリーなものとして位置付けることができれば、海外での単価は上げられますし、逆輸入的な発想で、国内でも和菓子に対してより誇りを持てるようになるはず。そんな和菓子を、日本に来て安く買えるとなれば、インバウンド需要も高まるし、業界としても国としてもいいことだと思うんです」

思い描く青写真を実現するために動き出した榊さん。「この1〜2年は、私にとって本当に勉強の時期となります」と意気込む彼女の表情は、生き生きとしています。

「自分の幸せってなんだろう?と考えたとき、お金はもちろん必要ですけど、そこまで執着はなくて、やっぱり私には『人の役立つ仕事がしたい』という軸がぶれずにあるんです。だから、ずっと幸せに働けているんだろうな」

老舗和菓子屋の再生ストーリーの裏側にある、ソーシャルグッドな経営者の理念。みんなを出し抜くのではなく、みんなと一緒に栄えていく、そんなぶれない視点こそが成功の秘訣なのかもしれません。

取材先紹介

五穀祭菓 をかの 本店

埼玉県桶川市南1-6-6
電話:048-771-1432

取材・文小野和哉

1985年、千葉県生まれ。フリーランスのライター/編集者。盆踊りやお祭りなどの郷土芸能が大好きで、全国各地をフィールドワークして飛び回っている。有名観光スポットよりも、地域の味わい深いお店や銭湯に引かれて入ってしまうタイプ。

写真新谷敏司
企画編集株式会社 都恋堂