子どもにとって「なじみ」の店といえば、駄菓子屋。時代の流れとともに、その立ち位置は変化しつつありますが、今もなお地域のオアシスとして存在する店は多くあります。そんな駄菓子屋を取り仕切る店主は、子ども心をくすぐる“愛され名人”かもしれない。そんな仮説のもと、愛される店づくりの秘けつを名駄菓子屋店主に伺います。案内役は、全国800軒の駄菓子屋を巡りつつ、自身でも駄菓子屋を営む宮永篤史さん。
第1弾は、そんな駄菓子屋愛あふれる宮永さんイチオシの一軒、再開発が進むさいたま新都心の街にある創業74年の駄菓子屋「福屋」を訪れました。駄菓子の箱が重なり合うように置かれた店内。迎えてくれたのは、3代目店主の尾形昇さんです。
駄菓子屋「福屋」店主・尾形昇さん
1949年、東京・神田生まれ。家業を手伝いながらも、さまざまな仕事を経験。50歳の時に「福屋」の3代目を継ぐ。「子どもたちが選べる楽しみ」にこだわり、定休日には複数の問屋さんをはしごする。駄菓子の他にも、「やっぱり一味違う」瓶入りのコーラやビー玉入りサイダーも冷蔵庫でスタンバイ。
駄菓子愛好家・宮永篤史さん
1979年生まれ、埼玉育ち。4歳から駄菓子屋に通い、20代は日本を中心に放浪の旅、30代で学童保育を起業。人気施設に育てた後に事業譲渡し、息子と日本一周駄菓子屋巡りの旅へ。少子高齢化や後継者不足を目の当たりにし、「このままいくと駄菓子屋は消滅するのでは?」と危機を感じて2019年に「駄菓子屋いながき」を立ち上げた。これまで訪ねた駄菓子屋は約800軒。訪問は継続して学びを得つつ、現在6店舗を経営&支援中。目標は駄菓子屋が当たり前にある景色を未来に残していくこと。
時は平成。街の変貌とともに食料雑貨店から駄菓子屋さんへ
宮永さん:まずは「福屋」の歴史から教えてください。
尾形さん:私は1949年に、東京神田の鎌倉町ってところで生まれたんです。1歳の時に家族でここに越して来て、両親が福島県出身だから「福屋」って名前で商店を始めたの(1950年創業)。私が子どもの頃は、ここはスーパーもコンビニもなくて、うちの店だけがぽつんとあった。よく家の前の草っ原で三角ベースをやっていましたね。
宮永さん:当時、お店では何を売っていたのですか?
尾形さん:食料品や日用雑貨、お客さんが「これ置いて」っていうものは何でも売っていましたよ。油や酢は、お客さんが瓶を持ってきて量り売りをしていた時代。「油を売る」って言葉があるでしょ。とろーりとろーりって、世間話をしながらのんびりと。
宮永さん:昔の町のコンビニ的なお店だったのですね。そんな商店がなぜ駄菓子屋に?
尾形さん:簡単に言うと、売れなくなったものを辞めて、売れるものを増やした結果。私が20歳の頃だったかな。町にスーパーができて、売り上げに影が出てきてね。これじゃダメだ、店だけでは食べていけないからって、私は出稼ぎに行ったんだけど。
宮永さん:出稼ぎ!?
尾形さん:そう。この店を手伝いながら、写真関係の会社に勤めたり、その前後もいろいろなアルバイトをやったの。クリーニングの取次店と証明写真屋さんとか。その間、福屋は徐々に駄菓子中心の店になっていきました。完全に駄菓子専門の形になったのは、30年くらい前。食料品や日用品が売れない代わりに、子どもたちがお菓子を買いに来るようになったんです。
宮永さん:さいたま新都心駅ができたのが2000年。それに伴う再開発もあり、子どもがいるファミリー層も、その頃に増えたのでしょうね。
尾形さん:そうですね。親の具合が悪くなったので、こりゃほっとけないって跡を継いだのが25年前、私が50歳の時です。新しい駅ができて町が大きく変わった時期ですね。
宮永さん:それからは順調に?
尾形さん:いやいや、店を続けられないかもって思うことは、何回もありましたよ。でも、両親が、姉と私を育ててくれたありがたいお店ですから。それを潰したくないって思いでね。親はもう亡くなったけど感謝は忘れないね。
売れないものを辞めて、売れるものを残す。シンプルな戦略で74年
宮永さん:現在まで続けてこられた大きな理由は何でしょう?
尾形さん:店は持ち家で家賃がかからないことと、周辺の環境が大きく変わったことかな。近年は、また新しいマンションがたくさん建ち、人口が増えたんです。子どももすごく増えた。
宮永さん:実は埼玉のこの一帯はもともと田畑だったんですよね。でも地主が亡くなり土地が手放されれば、新しいマンションが建ち、若い世代が購入するので、子どもの数も増える。同じ場所で商売を続けながら、創業から「売れないものを辞めて、売れるものを残す」というシンプルかつ柔軟な発想が運を呼び、今の「福屋」につながったんですね。すごいな……。
尾形さん:そうですね。落ちこんだままだったら、商売を辞めていたでしょうね。今は平日にちびっ子や中学生、休日は家族連れで来てくれますから。そうすると、親の方が駄菓子を見て、「テンションが上がる」「懐かしい!」なんて喜んでくれてね。ずっと日曜日が定休日だったんだけど、お父さんとお母さんの要望で、今は日曜日も営業しています。
宮永さん:うちも、土日は家族連れが来てくれますよ。駄菓子を懐かしむ世代がちょうど小学生の親世代だから、親が子どもを連れてきますよね。
同じお菓子も会社が違えば味が違う!お客を引きつける、駄菓子好きならではの品揃え
宮永さん:僕が個人的にすごいなって思うのは、尾形さんは、同じ種類の駄菓子でも、複数の会社の商品を仕入れていること。例えば「餅飴」。明光製菓と共親製菓、2つのメーカーの商品を置いている。普通はどちらか一つですよ。
尾形さん:だって、味が全然違いますから。ちびっ子に「選べるのが楽しい!」って言われるとうれしくてどんどん種類を増やしちゃう。休日は、問屋さんをはしごして仕入れています。置き場所がもうなくなっちゃって、ほら、ケースを重ねて置くしかない。
宮永さん:この“多層レイヤー”がまた楽しいんですよ。駄菓子って、娯楽だと思うんです。だからこそ、お客さんの選ぶ楽しみに応える。これはなかなかできないことだと思います。
尾形さん:新商品が出ると、一つ食べてみるんですよ。ちびっ子から「おじさんは何が好きなの?」ってよく聞かれますから。
宮永さん:あ、僕も知りたい。尾形さんのお気に入りは?
尾形さん:「餅太郎」に、塩が効いた「マギーおばさんのチョコチップクッキー」、あとは「ガリボリラーメン」。ガリガリ硬いままかじるからおいしいのに、カップ麺を食べる子が替え玉に使うのよ。「え! スープ入れて食べんの!?」って。子どもから教わることもありますね。
宮永さん:子ども目線でお菓子を取り揃えるだけじゃなく、新商品は試食したり、違う会社のものを食べ比べたり。尾形さん自身が、駄菓子の研究家ですよね。子どもたちにとっては、頼もしいコンシェルジュ。その信頼関係こそ、子どもたちがお店に通いたくなる最大の理由だと思います。
Wi-Fiもゲーム機も!「なんとなく導入」で時代の波に乗る
宮永さん:僕、「福屋」の裏名物はお菓子のPOPだと思っているんです。「おいしさながもち」とか「この会社はつづけています」という、キャッチーなコピーの他に、「かた〜い」とか「あまくないゼロコーラ」とか、メリットなのかデメリットなのかよく分からない一言が交じっているのがすごく好きなんですよ。ちょっとゆるくて、突っ込みたくなっちゃうような尾形さんの人柄が表れているように感じます。
尾形さん:そ?(笑)。私の思ったことを書いているだけ。メーカーの言葉じゃない。
宮永さん:にぎやかな雑貨ショップのような雰囲気を感じます。
尾形さん:雑貨ショップにはたまに行きますよ。大きなお菓子の箱とかポップとかが店内に飾られていたりするでしょ。ああいう派手な装飾を、お手本にしているんです。そこで、でっかい「まけんグミ」や「スーパービッグチョコ」の箱とか、わっ面白い〜っていうのを見つけると、店内のアイキャッチのために買うんですよ。
宮永さん:店を彩る工夫を感じます。たくさん置いてあるぬいぐるみも、アイキャッチ?
尾形さん:あれはボロ隠し(笑)。店が古いから。どうせ隠すなら子どもたちが好きなぬいぐるみを置こうと思って。このあいだ「すみっコぐらし」のぬいぐるみを買ってきたら、子どもたちがキャラクターの名前を教えてくれましたよ。
宮永さん:大人気だというゲームコーナーは、いつからあるんですか?
尾形さん:3年前、リース屋さんが、「1台、置いてみませんか?」ってふらっと店に来たんです。毎日、ちびっ子が集まるし、置いてみようかなって。そしたらすごく人気で、今は5台に。
宮永さん:ふらっと営業で来た人を受け入れる……!もしかしたら、フリーWi-Fiも?
尾形さん:そうそう。Wi-Fiの会社の人がふらっと来て「入れませんか?」って。今はそういう時代かなと思って入れたら、子どもたちが家からゲーム機を持って来て、ベンチでお菓子を食べながら遊んでいますよ。無料だから、子どもたちにはお金がかからないでしょ。最近はベンチだけじゃ足りなくて補助椅子も出しています。
宮永さん:これまたきっかけは、飛び込みでやってきた営業……!尾形さんの、何事も一回試してみようかなというチャレンジ精神と、時代にナチュラルに対応する柔軟性が、お店が長く続く秘けつかもしれませんね。
駄菓子屋は、子どもが楽しく学べる唯一無二の社交場
宮永さん:駄菓子を買いに来る子どもたちが、楽しく快適に過ごせるようなきめ細やかなサービス。それを自然体でしている尾形さんは、子どもたちにとってどんな存在なのでしょう?
尾形さん:駄菓子屋の店主、それ以外ないよねえ。あ、でもハロウィーンの時は、保育園の子たちが来るから、マントを着て三角帽をかぶってお菓子を配るんですよ。毎年、みんな、楽しみにしてくれているから。
宮永さん:わあ、それは楽しいなあ。肩肘張らずに気楽に接することができるちょっと愉快な“駄菓子屋さんのおじさん”なんでしょうね。子どもたちとの忘れられないエピソードはありますか?
尾形さん:人生相談みたいなのは、受けたことないねえ。
宮永さん:そこまでは食い込まないんですね。
尾形さん:でも、普通の客と店員という関係でないことは確かですよね。血が通っているっていうか。大人になってから、「子どもの頃、ここで万引きしたんです」って謝りに来た人がいますよ。「その時のお金、お支払いします」って。「反省だけで十分だから。お金はいらない」って。わざわざ来たんだから、10年も20年も前のことをさ。
宮永さん:えっ、許したんですか!?僕ならお代も受けるし、ちょっと怒っちゃうかも(笑)。さすが、仏の「福屋」さん。僕、町の駄菓子屋の役割は、菓子小売業を通した“コミュニティー”だと思うんですが、「福屋」はいかがですか?
尾形さん:知らない子同士でも、ゲームしながら自然に会話できる子どもの社交場だよね。あとは、いろいろなことを知ることができる場所かなあ。たまに「(ゲームの)メダルをお金に交換してくれませんか」って聞いてくる子がいるんだけど、「お金に変えるとお巡りさんに捕まっちゃうよ」って言うんです。それを聞いたお父さんやお母さんが、「こういう場所でお金のことやいろんなルールを勉強していくんだね」って感心していますよ。
宮永さん:学校と家庭以外に駄菓子屋というコミュニティーの中で、彼らなりに「社会」を学ぶことができる、この地域の子たちはある意味すごく幸せだと思いますね。尾形さんはこれから、「福屋」をどんなお店にしていきたいと考えていますか?
尾形さん:ゲーム屋さんは、「まだまだ他のゲームがありますよ」って言っている。クリーニングコーナーを閉めたら置けるかな。子どもたちが喜ぶから、その方が集客できるかもしれないですね。売り上げにもつながるしね。そうそう、私はこの間75歳になったんですよ。敬老会1年生。
宮永さん:おめでとうございます!
尾形さん:それはいいんだけど、たまに、「継ぐ人いるの?」って聞かれるの。「私が元気なうちはやりますよ」って言うんです。
宮永さん:尾形さんの後継者になりたいって人がいたら紹介してもいいですか?
尾形さん:うちに来るちっちゃい子に、「大きくなったら何になりたい?」って聞くと「駄菓子屋さん」って言いますよ(笑)。
宮永さん:うれしいですね。末長く、町のちびっ子たちの憧れの駄菓子屋さんでいてください!
取材先紹介
- 福屋
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住所:埼玉県さいたま市大宮区北袋町1-242
- 取材・文さくらいよしえ
- 写真初沢亜利
- 企画編集株式会社都恋堂