JR荻窪駅西口から徒歩10秒の場所に1軒の酒場があります。店の名は「酒処 かみや(以下、かみや)」、創業は1955年11月。初代店主は中野にあった神谷酒店という居酒屋を兼ねた酒屋(広い意味での角打ち)で修業後、のれん分けでこの地に食堂を兼ねた大衆酒場「かみや」を開きました。実は、日本ではじめて「バー」を名乗った浅草「神谷バー」と縁がある酒場です。「かみや」で1人飲みを楽しめる理由を案内人が紹介します。
お店の特徴
今回の案内人を紹介
塩見なゆさん
酒場案内人:酒場や酒類を専門に扱うライター。全国1万軒以上の居酒屋を巡り、その魅力をテレビ・雑誌・Webマガジンなどで発信している。生まれは東京都杉並区。
まるで実家で飲んでいるような雰囲気。何十年と通い続けたい魅力がある
昔の名残で、昼は定食を中心とした食事を提供し、夜はちょい飲み利用から鍋料理を囲む本格的な飲み会ニーズにも応える酒場として老若男女に親しまれている「かみや」。店に入ると迎えてくれる女将さんが、三代目の奥さんである小山由香さん。そして、厨房で包丁を握る店主さんが、三代目の小山昌宏さんです。さらに、厨房には二代目の芳成さん・ユキ子さん夫妻が現役で店を手伝っており、四代目となる佳祐さんも厨房に入ります。
これまで数多くの酒場を取材してきましたが、3世代で切り盛りされている店は珍しく、しかも皆さんとても仲が良くて、思わず笑みがこぼれるような温かいムードに包まれています。朝から晩まで、仕事もプライベートも年中一緒、休日の旅行なども家族一緒だそう。
そんなアットホームな空間で、女将さんが選んだ自慢の日本酒を味わいながら、店の皆さんやカウンターに居合わせた常連さんととりとめのない会話をしていると、まるで実家で飲んでいるような気分になってくるのです。
1人飲みポイント①
何気ない声掛けから生まれる、それぞれに居心地の良い空間
塩見
私は荻窪生まれで、幼い頃から両親と「かみや」で食事をした経験があります。ずっと変わらず、皆さん本当に仲良く楽しそうにされていますね。
昌宏さん
「楽しく仕事をする」というのがうちのモットーなんです。笑顔で料理やお酒を用意すると、お客さんも楽しく飲んでくださいます。そんな様子を見ると、私たちも楽しくなるんですよ。余裕があるときは、注文を受けるだけでなく積極的にお客さんと雑談をしています。そうすると、お客さんとの距離も近くなりますよね。「家族そろって仲良く切り盛りしている姿を見て、疲れが飛んだよ」とお客さんから言われたこともあります。
塩見
仕事場や家庭だけではない、新しいつながりも酒場に求める要素だと思います。
昌宏さん
私たちの会話をきっかけにして、隣り合って座っていたおひとりさま同士の会話が始まることもあります。そこから顔なじみになられている方も多いですね。
塩見
隣のお客さんに声を掛けてほしくない方もいらっしゃると思いますが、そういう場合、どのように見極めをされているのですか?
昌宏さん
やはり長年の経験ですね。もちろん、静かに飲みたいお客さんも大歓迎です。スマートフォンを見ながら自分の時間を過ごされる方も多いですよ。それと、声を掛けてほしくないお客さんに話しかけようとするお客さんがいれば、うちの常連さんが注意してくれるんです。本当にいいお客さんばかりで助かっています。
1人飲みポイント②
週に何度も来てくださる方を飽きさせないメニュー
塩見
「かみや」のお客さんは常連さんが多いのでしょうか?
昌宏さん
おかげさまで、早い時間帯は長く通ってくださっている常連さんが多いです。また、最近はうちのような大衆酒場が好きというお客さんも多くいらっしゃるので、若いおひとりさまも増えています。週に2~3回来店されるお客さんもいらっしゃいますね。だからこそ、週に何度も来てくださる方を飽きさせないメニューを心がけています。
塩見
例えば、どのような工夫をされているのですか?
昌宏さん
若い方にも喜んでもらえるように、二代目の頃に「ベーコンポパイ」や人気の「なすチーズ焼き」などを加え、私も「ハムチーズカツ」や「肉きくらげ炒め」をメニューに加えました。また、週に数回、豊洲市場で旬の魚介類を仕入れることで、日替わりメニューで季節感を演出するようにしています。
塩見
料理は昔から一人客が数品注文できる量でしたよね。「かみや」の冬の風物詩となったあんこう鍋も、新規メニューに挑戦してきたご主人の考案ですか?
昌宏さん
あんこう鍋は二代目が始めたメニューなんです。それまでもおひとりさま向けに鍋料理を出していましたが、寄せ鍋以外に何か提供できないかと考え、老舗のあんこう鍋専門店などを巡って研究もしました。
塩見
アンコウはさばくのに手間がかかると聞きます。
昌宏さん
吊るし切りという方法でないと、うまくさばけません。先日はじめて、四代目の息子も吊るし切りに挑戦しました。
塩見
そうして名物が継承されていき、そのうち四代目も新メニューを考案されるのでしょうね。楽しみです!
1人飲みポイント③
誰とも予定を合わせることなく、その日の気分でふらっと立ち寄れる
塩見
そういえば、気づかないうちに地酒のラインナップがぐんと増えましたね。
昌宏さん
旅行の合間に積極的に酒蔵や酒屋さんを訪れて、東京ではあまり見かけないお酒を見つけては買ってくるようにしています。それ以外にも、普段から妻が地酒を仕入れに行っています。特に季節のお酒を少量ずつ次々仕入れるようにしていて、売り切ったらすぐ次の銘柄へと、いつ来ていただいても新しい味わいを楽しめるよう工夫しています。
塩見
地酒に力を入れたことで何かメリットはありましたか?
昌宏さん
日本酒がお好きな方が来店されるようになり、お客さんの幅が広がったように感じています。
塩見
個人的には、本当においしい地酒は大人数でワイワイと飲むのではなく、おいしいおつまみといっしょに静かに味わいながら飲むほうが断然向いていると思います。
昌宏さん
そうですね。おひとりでいらして地酒とお刺身を楽しまれていくお客さんが増えました。駅前の大衆酒場ですから、「今日は日本酒が飲みたいな」と思われた日には気軽に寄っていただければうれしいですね。。
塩見
1人飲みは誰とも予定を合わせることなく、何を飲むか、何を食べるか、いつ帰るかが全て自由ですからね。近年は若いお客さんが増え、特に上京してきた方にとって「かみや」はサードプレイスになっているようにも感じます。?
昌宏さん
長年通ってくださるおひとりさまが「かみや」の人気を支えてきてくれました。お店も世代交代していますから、安心して若い方おひとりでもご利用ください。これからも、ほっと安心できる居心地の良い時間を提供していきたいと思います。
愛される老舗は、時代に合わせて居心地良く変化する
取材後もお酒を楽しんでいると、さらにご家族が店に登場。荻窪駅前にこんなアットホームな空間が残っているのは奇跡です。それを実現してきたのは、老舗であっても時代の変化に合わせて挑戦してきた歴代のご主人と、優しく迎えてくれる女将さんの温かな接客です。
ネットを介した人と人のつながりが当たり前になった現代ですが、ときにそれらのコミュニケーションを億劫に感じてしばらく逃げ出したくなることも。そんなとき、顔を合わせてゆるやかなコミュニケーションを楽しめる個人経営の酒場が、第三の居場所になると私は思います。家庭や職場とも違う、店の皆さんや居合わせたお客たちがつくり出す、ゆるくて適度な距離感のつながり。これが実に心地良いのです。
取材先紹介
- 酒処 かみや
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住所:東京都杉並区荻窪5-26-8
電話:03-3393-2963
- 取材・文塩見なゆ
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X(Twitter): https://twitter.com/KanpaiNayu
- 写真新谷敏司
- 企画編集株式会社 都恋堂