10種類のスパイスを使った自家製酒や、各国の郷土料理をベースにしたスパイス創作料理をウリに多くの若者を呼び込んでいる「山谷酒場」。出店の経緯や、遠方のお客さんも引きつけるお店の魅力に迫ります。
かつて労働者の街だった東京の「山谷(さんや)」(※台東区の北東部、清川・日本堤・東浅草一帯の通称)に今、若者を呼び込んでいるのが「山谷酒場」です。
店名に「酒場」と掲げつつ、一般的な大衆酒場ではあまり見かけない珍しい料理やドリンクをメニューに並べ、10種類のスパイスを漬け込んだ「山谷酒」、各国の郷土料理をベースにしたスパイス創作料理など、“ここでしか味わえないもの”で食の感度が高いお客さんを魅了しています。
そんな山谷酒場はどのような経緯で誕生したのか、そして、なぜ遠方からもお客さんが訪れるのか。店主の酒井秀之さんに伺いました。
- 酒井秀之さん
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岐阜県出身。福祉施設職員として計10年務めたのち、2015年に東京都調布市で「喫茶 楓」を開業。2018年9月に閉店させ、同年10月台東区日本提に大衆酒場「山谷酒場」をオープン。
喫茶店から酒場の店主へ。スパイスブームを知らずに開業
――酒井さんは以前、西調布で「喫茶 楓」を経営していたんですよね。なぜ喫茶店を閉めてまで、山谷で大衆酒場を開いたのでしょうか。
酒井秀之さん(以下、酒井さん):もともと山谷の雰囲気が好きで、喫茶店の開業前にも山谷で物件を探していたんです。でも、当時は空きがありませんでした。
喫茶店の開業から3年たち、自分も40歳を迎える頃、今後の生活を考えることが増えて。おかげさまで赤字になることはなかったんですが、かといって貯金ができる状態でもなく、この先どうやって生計を立てるべきかと。そこで、客単価がある程度担保できる酒場に鞍替えしようと決めました。
山谷の近くで商売をしていた友人の渡辺豪さん(遊廓専門書店「カストリ書房」の店主)に物件探しから手助けしていただき、無事開業に漕ぎ着けられました。
――開業前にはクラウドファンディングも活用されていましたね。
酒井さん:これも渡辺さんの提案です。みなさんに支援を募るだけでなく、多くの人に山谷酒場を知ってもらえる良い機会ではないかと。ですが、喫茶店の閉店作業と山谷酒場の開店準備を1か月間で同時進行していたのでまったく余裕がなく、正直渡辺さんに任せきりでした。
目標金額には届きませんでしたが、当時支援してくださったお客さまは今もお店に来てくれています。山谷という場所柄もあって、開業前はどういう方が来てくれるかまったく分からず、不安しかなかったので、本当にうれしいですね。
――ほかにも、ビビットなカラーののれんや、パイナップル柄のテーブルクロスの店内写真をよくSNSで見かけます。外観や内装はどのようなイメージで作られたのでしょうか。
酒井さん:お店のデザインはデザイナーの上堀内浩平さんに依頼しました。喫茶店の開業時も感じたことですが、「どういうお店にしたいか」を具体化するのは本当に難しくて。自信をもって「こういうお店にしたい」と言えるようなことが何もなかったんです。
上堀内さんはそんな僕の状況を踏まえて、コンセプトを言語化するところから一つひとつ具体的に提案してくださったんです。例えば、「目を引くように看板の色は青にしましょうか」とか、「ラベルの文字は髭文字にしてみますか」とか。渡辺さんと上堀内さんは山谷酒場にとって親のような存在で、感謝しています。
これぞ山谷酒場名物。個性豊かな料理&ドリンクたち
好奇心旺盛な女性客を魅了。世界旅行気分が味わえる「スパイス創作料理」
――山谷酒場といえば、スパイスを使った創作料理とお酒が名物ですよね。こうしたユニークなメニューを開発することを、開業当初から想定されていたんですか?
酒井さん:いいえ、スパイス創作料理を主体にしようとは思っていませんでしたし、それは今も同じです。ただ「これまでに食べたこと、飲んだことがないものを作る」という一心で取り組んでいます。世界に目を向けると、どの国の料理にもスパイスが入っていますよね。未知の料理を作ろうと考えた結果、自然とスパイスに行き着きました。さまざまな文献を当たって「これ面白そうだな」と思ったものを僕たちなりのアレンジを加えてお出ししています。
実は僕、スパイスがブームになっていることを知らなくて。開業してからお客さまに「最近スパイスのお店流行ってますよね」と教えてもらって「そうなんですか」と驚きました。
――えっ、じゃあ世間の流行からはまったく別ルートでスパイス料理にたどり着いたんですか。
酒井さん:そもそも、世の中で流行ってるものにまったく興味がないんですよ。現在や未来よりも過去が知りたいという人間なので。だから、メニューにも冷奴やハムエッグといった大衆酒場らしい一品もありますが、先ほどお話ししたように、未知の料理を作りたい、という思いも強いので、変な料理がどんどん増えていってます(笑)。
――メニューは現在どのくらいあるのでしょうか。人気メニューも教えてください。
酒井さん:日替わりも入れておよそ50種類です。作りたいものがたくさんあるので、内容はどんどん変わります。
看板メニューは「山谷酒(600円)」と「特製麻婆豆腐(1,500円)」ですね。山谷酒は八角やシナモンなど10種類以上のスパイスを独自のブレンドで配合して甲類焼酎に漬け込んだ自家製酒です。砂糖は加えていませんが、クラフトコーラのような甘みも感じられます。誰もが「これはスパイスがたくさん使われているんだな」と感じられるような味わいにしています。
「この山谷酒に合うのは中華だな」と開発したのが特製麻婆豆腐です。日本人がイメージする一般的な麻婆豆腐ではなく、もっと刺激的な味を目指そうと、中国・四川省のレシピなど複数の文献をもとに試作を重ね、オープンに間に合わせました。
麻婆豆腐の花椒の刺激とラー油の辛みは、甘い香りの山谷酒に合うようにと調節しているので、この料理だけは「辛さを控えめにしてください」と言われてもお断りしているんです。
また、安定して出るのはベルプリ(750円)です。甘味、酸味、辛味がひと口で全部感じられ、さらにポン菓子の軽い食感も楽しめるインドのストリートフードです。ここまでいろいろな要素が入っている料理って日本にはあまりないんじゃないかなと。僕も初めて食べた時にびっくりした記憶があり、お店でも再現してみました。
若い女性客に人気なのは「バナナステーキ」(1,000円)でしょうか。ベーコンと一緒にソテーしたバナナを、下に敷いたモホソースで食べる一品です。モホとはイタリア・カナリア諸島発祥のソースで、ニンニクや白ワイン、青唐辛子などをブレンドしたもの。バナナとソースの意外な組み合わせが好評です。
――トーストも3種類ありますね。これは喫茶店時代のメニューを採用されたのでしょうか。
酒井さん:そうですね、トーストは喫茶店時代のメニューの唯一の名残です。「ハムチーズ」「ピザチーズ」「モホチーズ」(各600円)の3種類を用意しています。
――ここまで紹介してくださったものをはじめ、味が想像できない料理もたくさんメニューに入っています。みなさん、どういった注文の仕方をされるんですか?
酒井さん:SNSで見て、食べたい料理をすでに決めた状態でご来店される方が多いですね。スマホのメモを見ながら注文される様子を見て、山谷酒場のことを調べてから来てくださってるんだと思うと、本当にうれしいですし、頭が下がります。
――そもそもお客さんはどんな方が多いんでしょうか?年代や男女比、利用シーンなどを教えてください。
酒井さん:およそ9割が20~30代の女性です。2~3人のグループが中心ですが、女性のおひとりさまやカップルも多くいらっしゃいます。ほとんどの方がSNSでお店を知り、予約をして来店されますね。国内ですと北海道から沖縄まで。海外からは中国、台湾、オーストラリアといった遠方からも来ていただいています。
――男女間でも人気メニューに違いはあるんでしょうか。
酒井さん:女性のお客さまは好奇心が旺盛で、知らない料理を食べてみたいと思ってくださる方が多いですね。例えば、あるカップルは女性主導で注文していて、男性が「唐揚げ食べたいな」とボソッと言うんですけどその意見はスルーされていて(笑)。その様子を見ると「頑張れ」というか、何だかほほえましくなります。うちのお店は、女性の「知らないものを追求する」力に支えられていますね。
――一種の「攻略の楽しさ」のようなものもあるのかもしれませんね。
酒井さん:そうなんだと思います。作りたいものを作るという一点で進めてきた結果、僕たちは「メニューを分かりやすく伝える努力」をまったくしてきませんでした。
店内にはメニューの写真すらありません。「山谷酒場のユニークな店構えや内装のなかにメニュー写真があると“普通”の居酒屋のような雰囲気になってしまうかも」とメニューブックを作ろうかどうか決め切れずにいる間に、お客さまが料理の写真をSNSで発信してくださって、広がっていった感じです。この展開はまったく予想していなかったのですが、今となっては文字のみのメニューで良かったのかなと思っています。
「飲めない方も大歓迎」。店主自らシェイカーを振って作るモクテル
――ドリンクはお酒だけでなく、モクテル(ノンアルコールカクテル)のメニューも充実していますよね。
酒井さん:モクテルは2020年2月に提供を始め、今では8種類まで増えました。その中の一つ「山谷スパークリング」はスパイスを煮出したシロップを、ソーダで割って作ります。
――モクテルを実際に提供しているお店はまだそこまで多くありませんが、どのような経緯で開発されたのでしょう?
酒井さん:開業して以来ずっと、若い世代はお酒を飲まない方が本当に多いなと感じていました。モクテルを始める前はコーラやウーロン茶といった定番のソフトドリンクを4種類くらい置いているだけだったのですが、グループで来店されても、飲まない方はやっぱりどこか寂しそうなんですよね。そんな様子を見て、飲まない方も楽しめるようなお店にしたいとモクテルのメニューを開発しました。
――お客さんの反応はいかがでしたか?
酒井さん:「飲めない方も大歓迎です」という文言とモクテルの写真をXにポスト(投稿)したら、翌月お客さまが殺到しました。とくに若い方が多くて。この月の売上は今でもベスト5に入るくらいです。
山谷酒場の1週間が始まりました、この後17時から元気にオープンです!
— 山谷酒場(週末は予約してください) (@sanya_sakaba) January 29, 2020
本日よりノンアルコールカクテル(モクテル)を始めます。十種のスパイスで作った山谷シロップの炭酸割り、ガスパチョ、わさび&ピーチ 美味しく楽しい飲み物が揃いました お酒が飲めない方も飲まれる方も是非ご賞味ください! pic.twitter.com/SlWdViNHnG
――すごい反響だったんですね!
酒井さん:うれしかったですね。ちなみに、僕がお席まで行ってシェイカーを振ってお出しするモクテルもあるんです。完全に独学で始めたので、本業の方がお店にいらしたら緊張しますが(笑)。とはいえ、そんなお客さまも「自分のために初めてシェイカーを振ってもらった」と喜んでくださる方が多いですよ。
手土産需要をガッチリ掴む。コロナ禍で始めた「スパイス焼き菓子」
――ほかの酒場にないポイントとしてもう一つ、クッキーやパウンドケーキといった焼き菓子が充実していることもすごく特徴的だと思います。
酒井さん:焼き菓子はコロナ禍から始めたんですよ。テイクアウト以外にも何かできることはないかと。喫茶店時代も焼き菓子は出していませんでしたし、そもそもお店にオーブンすらなかったので、イチから勉強して作りました。
――以前食べたのですが、どれもスパイスがガツンときいていてびっくりしました。もともとインパクトのある味を目指していたのでしょうか。
酒井さん:勉強も兼ねて、スパイスが使われている焼き菓子をいろいろ食べたのですが、ほのかにスパイスを感じる程度のものが多かったんですよね。山谷酒場で出すなら、スパイスをもっと近くで感じられるお菓子を作りたいなと。
――皆さん好奇心旺盛なお客さんなので、やはり反響も大きかったのでしょうか?
酒井さん:今では7〜8割のお客さまが手土産として買って帰られるようになりました。中には焼き菓子だけをテイクアウトされる方もいらっしゃいます。その分、仕込みが大変になったのですが、売上の1/3を占める月もあるのでお店の運営においては重要なメニューです。12月に焼き菓子の詰め合わせとしてクリスマスブーツを出すようになりましたが、おかげさまで1日たたずに完売しました。
【クリスマスブーツ】
— 山谷酒場(週末は予約してください) (@sanya_sakaba) December 4, 2024
本日よりクリスマスブーツのご予約を開始します、郵送販売はありません。
お渡し期間は12/11(水)から12/22(日)の営業時間内です(月火定休)お一人様3個まで、途中で数の変更はできません。
お電話かDMで来店日時、個数、お名前ご連絡先をお伝えください。 pic.twitter.com/dx45Tq4eqK
「期限なしのボトルキープ」で体験価値を提供、リピートにもつなげる
――接客の面など、お客さまにまた来ていただくためにお店として意識していることはありますか?
酒井さん:料理の中身が分かりにくいので質問があれば丁寧に答えていますが、押しつけにはならないよう、こちらからはできるだけ説明しないようにしています。
あと、これは直接リピートにつながっているかは分からないのですが、山谷酒は期限を決めずにボトルキープできるようにしているんです。
――ボトルキープは、3か月など期限を設けているお店が多いように思います。
酒井さん:今、若い人たちってスナックやバーに行く機会が少ないと思うんですよ。なのでシンプルに、ボトルを入れる経験を楽しんでもらいたいなと思って。クラファンのリターンにも入れていました。実際、うちのお店で初めてボトルキープを体験したというお客さまが多いのではないでしょうか。さすがに色が変わるくらい時間がたったものは処分させてもらいますが、ありがたいことに間を置かず来てくださる方が多いですね。
「挑戦し続けないと興奮しない」。これからも新メニューをどんどん開発したい
――喫茶店時代、今後の生活を考えることが多かったと仰っていました。山谷酒場として6年間営業してきて、心境の変化はありましたか?
酒井さん:喫茶店をやっていた頃は暇な時間が多かったこともあり、「自分の人生はこれでいいのだろうか」とか、いろいろ考えて不安になっていたんですよね。今は朝8時から仕込みをしないと間に合わないし、考える時間がないくらい忙しくて。つくづくありがたいなと思っています。
――最後に、これから山谷酒場でやってみたいことなど、今後の展望があれば教えてください。
酒井さん:基本的には現状維持しつつ、新しい料理をどんどん作っていきたいですね。挑戦し続けていないと興奮しない自分がいて(笑)。現状、スパイスの配合などは各種文献を参考にさせてもらっていますが、ゆくゆくはオリジナルの配合を開発し発信できるようにしたいです。
あの店の集客成功事例
【取材先】
山谷酒場
住所:東京都台東区日本堤1-10-6
Twitter:@sanya_sakaba
Instagram:@sanya_sakaba
取材・文/田窪 綾
調理師免許を持つフリーライター。惣菜店やレストランで8年ほど勤務経験あり。食分野を中心に、Webや雑誌で取材やインタビュー記事作成、レシピ提案などを行っている。
編集:はてな編集部