お一人さま時代を先取った「大力酒蔵」。半世紀以上愛される“1人焼肉”酒場の流儀

京成金町線の小さな踏切が鳴り、ゆっくりと短い電車が通り過ぎていく——。駅前には真新しいタワーマンションがそびえ立つ一方で、一歩路地に入れば昭和の面影を残す商店街が息づく街、東京都葛飾区金町。この新旧が混在する下町の空気の中に、“1人焼肉”スタイルで楽しめる一軒の酒場「大力酒蔵(だいりきさかぐら)」があります。半世紀以上も前から時代の変化を静かに見つめてきた同店を訪問し、1人客を魅了する理由を探ります。

お店の特徴

今回の案内人を紹介

塩見なゆさん

酒場案内人:酒場や酒類を専門に扱うライター。全国1万軒以上の居酒屋を巡り、その魅力をテレビ・雑誌・Webマガジンなどで発信している。生まれは東京都杉並区。

未来を予見していたかのような “1人焼肉”の先駆け

ガラガラ、と入り口を開ける音と共に目に飛び込んでくるのは、使い込まれて艶を帯びたコの字カウンターが広がる、昭和のドラマで見たような飲食店の景色。壁は長年の煙でいぶされ、風格のあるあめ色に。壁に貼られた手書きのメニュー札は、その一枚一枚が店の歴史を物語っているようです。そして、店の前に漂っていたタレの焼ける香ばしい匂い。この匂いに引き寄せられてきた人が、この60年間に何人いたことでしょう。

個人の時間を豊かに過ごすスタイルが定着し、1人飲み、1人焼肉といった多様な選択肢が生まれた現代。私たちは、自分のペースで誰にも気兼ねなく、食事と酒を楽しめる場所を当たり前のように見つけることができます。しかし、「大力酒蔵」は、そんな言葉すらなかった時代から、まるで未来を見通していたかのように、そのスタイルを確立していました。

カウンターに一人一台ずつ置かれたガスロースターで、思い思いに肉を焼く。しかし、そのシステムは、酒場である「大力酒蔵」の魅力のほんの一端に過ぎません。長年に渡ってのれんを守り続けてきた二代目店主・松木宏仁さんに話を伺いながら、その魅力をひもといていきます。

誠実な人柄で店の歴史を背負う松木宏仁さん

1人飲みポイント①
マイペースで気ままに過ごせる“1人焼肉”スタイル

塩見

大力酒蔵さんの、“1人焼肉”のスタイルが始まった経緯を詳しくお聞かせいただけますか?

松木さん

それはもう、創業当初からなんだよね。ただ、面白いことに、最初からこの形を目指していたわけではないんですよ。もともとは、ごく普通の串焼き屋としてスタートしたんです。

塩見

そうだったのですか!てっきり焼肉店として始められたのかと。このスタイルがあまりにも完成されているので……。

松木さん

先代にしてみれば、毎日大量の肉を一本一本、串に刺していく作業がとにかく大変だったみたいでね。もつ焼きは、仕入れたもつの下ごしらえもあるから、仕込みにとにかく時間がかかる。職人としてのこだわりはもちろんあったんだろうけど、それ以上に終わりなき単純作業に、ある時、心が折れちゃったんじゃないかな。「もう……面倒くさい!」って(笑)。

塩見

その一言が、半世紀以上続く店の歴史を決定付けたわけですね。

松木さん

結果的にね。「切ってそのまま出しちゃえ、あとはお客さん自身に焼かせちゃえ」と。その「面倒くさい」は、単なる怠惰じゃなくて、もっと本質的な部分に時間と心を注ぐための、先代なりの合理的な判断だったのかもしれない。串打ちという仕込みの時間を、お客さんと向き合う時間に変えた、そう捉えることもできる。今思うと、その発想の転換が半世紀後の「お一人さま時代」を予見していたかのようで、本当に面白いですね。

 

客同士の距離を自然に縮めるコの字カウンターと、歴史を物語るメニュー札

塩見

確かに、自分のペースで焼けるのは一人客にとって最高の贅沢です。しかし、串を刺す手間が省けた分、お客さん一人ひとりの鉄板を洗うのは、それはそれで大変な作業ではないですか?

松木さん

もちろん大変ですよ。油とタレでギトギトになった鉄板を、営業が終わった後に一つひとつ手で洗うわけですから。冬場の冷たい水はこたえるしね。まあ、どっちも大変なことには変わりないけど、先代はこの形を選んだ。その覚悟があったからこそ今がある。肉に限らず、サバやイカなどの魚介も同じスタイルで提供しているのは、その頃からの名残だね。

 

何十年と活躍してきたガスロースターが、老舗酒場の味をより魅力的なものにする

1人飲みポイント②
人懐こい店主と常連客がつくる、初めてでも温かい“集会所”の雰囲気

塩見

最近は一人で訪れるお客さんも増えていると思いますが、お店としては歓迎されているのでしょうか?

松木さん

もちろん誰でも大歓迎ですよ。今なんて、若い女性が一人でふらっと来てくれることもある。僕らが店を始めた頃には考えられなかったから、時代は変わったなあと実感しますね。そういう新しいお客さんが、この古い店に興味を持ってくれるのは、素直にうれしいよ。

塩見

初めてのお客さんには、どのように接しているのですか?自分のペースで楽しめる反面、ともすれば孤独を感じやすいスタイルでもありますし、常連さんが多い店だと、どう振る舞えばいいか緊張する人もいるのではないでしょうか。

松木さん

いやいや、特別なことは何もないですよ。「お仕事はこの辺なの?」とか「お住まいは近いの?」とか、本当にありきたりな会話から。まずは相手の様子を見ながら、話しかけてほしそうか、静かに自分の時間を楽しみたいのかを、そっと探る感じかな。僕はずっと厨房(ちゅうぼう)にいて調理しながらも、不思議とカウンターでの会話は全部聞こえてるんでね。話が盛り上がってきたなと思ったら、ひょこっと顔を出して会話に混ざったりします(笑)。

 

厨房(ちゅうぼう)の奥から店全体に目を配り、カウンターの会話に絶妙なタイミングで加わる

塩見

その絶妙な距離感が、居心地の良さを生んでいるのですね。それと、女将(おかみ)さんである奥さまの飾らない人柄と接客に、お客さんはより心を開くのでしょうか。

松木さん

実は、妻から「昔は自分がしゃべるとお客さんが来なくなる気がして、しゃべらないようにしていた時期があった」と聞かされたことがあります。カウンターに立って、お客さんと直接やり取りするでしょう。だから、自分の接客がどう思われているか、色々と考え込んでしまった時期もあったみたい。でもある時、先代に「お前がしゃべらないと、うちの仕事は成り立たないんだ」って言われたみたいで、吹っ切れたみたいだね。今の自然体なスタイルは、そんな試行錯誤の末にできたものなんです。

 

付かず離れずの絶妙な距離感で、店の温かい空気をつくり出す女将(おかみ)さん

塩見

某口コミサイトでは「隣にいたベテランさんとすぐに友達になれた」といったコメントを見かけましたが、お客さん同士の交流もごく自然に生まれる雰囲気があります。

松木さん

そうですね。特に昔からの常連さんは、新しいお客さんが一人でポツンといると、放っておけないみたいでね。いい意味で、ちょっとした“ちょっかい”を出すんですよ。「兄ちゃん、それうまいのか?」なんて言いながらね。そこから若い子と人生観を語り合ったり、全く知らない者同士が仕事の話で意気投合したり。そういう偶発的な出会いが生まれるのが、この店のいいところかもしれません。

塩見

まさに地域の“集会所”ですね。お酒を飲むだけの場所ではない。

松木さん

そうかもしれないね。昔の常連さんは、半分は飲みに、もう半分は仲間の顔を見に来る、っていう人も多かったんだ。「この時間に行けば、アイツがいるな」ってね。残念ながら、そういう世代の常連さんは亡くなられた方も多くて寂しくなる時もあるけど、その“集会所”みたいな空気を、今度は今の常連さんたちが自然とつくってくれている。本当に、うちはお客さんに恵まれていると思います。

 

店主や仲間と気さくに語らう常連客

1人飲みポイント③
「合盛り」に垣間見える、世代を超えて愛される店の“顔”

塩見

1人飲みだと、色々な種類を少しずつ食べたいという欲求が常にあります。一皿の量が多いと、二品目で満腹になってしまうことも……。こちらで提供されている2種類の肉を半分ずつ盛り合わせる「合盛り」が、本当にありがたいです。

松木さん

あれも昔から自然に始まったことなんです。一人で来たお客さんがメニュー札の前で「うーん、これも食べたいけど、一人じゃ多いしなあ」って悩んでいるのを見てね。「じゃあ、こっちとこっち、半分ずつにしてやろうか」って。それがいつの間にか、当たり前になっていた。

塩見

マニュアルにあるサービスではなく、目の前のお客さんへの思いやりから生まれたのですね。

松木さん

大げさなものじゃないよ。特別なサービスというより、お客さんが喜んでくれるのが一番だから、できる限りは応えたい。ただそれだけですよ。この一皿にお客さんへの気持ちが込められている、なんて言ったら格好付けすぎかな(笑)。

塩見

そのお気持ちが伝わるからこそ、お客さんはまた来たくなるのだと思います。では、そんな思いやりの詰まったメニューの中で、初めて来たお客さんにはまず何をすすめますか?

松木さん

まずは、すぐに出せる「牛スジ煮込み」かな。じっくり時間をかけて煮込んであるから、味には自信があるし、うちの店の味の“名刺”代わりのような一品だと思っているんだ。これを一口食べてもらえれば、うちがどんな味を大事にしているか、分かってもらえるんじゃないかな。これをアテに一杯やりながら、次に何を焼こうかとゆっくり考えてもらうのが、うちでのおすすめの過ごし方だね。

塩見

煮込み、本当に絶品です。さまざまな部位のうま味が溶け込んでいて、一皿で満足感がすごいですね。では、いよいよ焼き物ですが、メニューが豊富で本当に迷ってしまいます。

松木さん

一番人気はやっぱり「アバラ」だね。脂の甘みと肉のうま味のバランスがいい。あとは、お客さんの好みを聞きながら一緒に考えるのが楽しいんだよ。「今日はどんな気分?硬いのが好きなら、独特の歯ごたえがあるナンコツはどう?」とか、「柔らかいのがいい気分なら、肉々しいカシラか、とろけるようなレバーがおすすめだよ」とか。「このコリコリした食感がたまらないんだ」って言う通なお客さんには、ハツをすすめたりね。

塩見

まるでカウンセリングのようですね(笑)。その対話自体が、この店で飲むことの楽しみの一つになっています。

松木さん

そう感じてくれると嬉しいね。結局、お客さんとのそういう何気ないやり取りが、僕らにとっても一番の喜びなんだよ。

 

おすすめの「牛スジ煮込み」に、「合盛り」。誰にも気兼ねなく、自分の好きな焼き加減で味わう時間は何よりのぜいたく

塩見

お店を続けていて良かった、と実感されるのはどんな瞬間でしょうか?

松木さん

色々なお客さんと出会えることです。そして、何よりうれしいのは、親子2代、3代で通ってくれるお客さんがいることですね。「俺、ちっちゃい頃、親父に連れてきてもらったんだよ」なんて、40代になったお客さんが話してくれる。その言葉を聞くと、ああ、この店はただの飲食店じゃなくて、誰かの人生の記憶の一部になっているんだなあって、胸が熱くなるよ。

塩見

店の歴史が、お客さん一人ひとりの人生と交錯しているのですね。

松木さん

そうなんだよ。「親父が好きだったこのシロを、今度は俺が息子に食わせるんだ」なんて言いながら、小学生の息子さんに肉を焼いてあげるお父さんの横顔を見ると、もうたまらないね。場所もスタイルも店の名前も変えずにやってきて、本当に良かったと思う瞬間です。

塩見

最後に、お店の今後の展望をお聞かせいただけますか?

松木さん

展望ねえ……。よく聞かれるんだけど、本当に特にはないんだよなあ。このスタイルで、このまま変わらない方が、うちの店にとってはいいのかなって。ちょっと想像してみてくださいよ、この店が急に大改装して、ピカピカでお洒落な内装になったら、長年通ってくれているお客さん、みんながっかりするでしょ?

塩見

間違いなく、悲しむと思います(笑)。

松木さん

でしょう?煙でいぶされたこの壁も、年季の入ったこのカウンターも、このごちゃっとした雑多な雰囲気も、全部がうちの店の“味”。だからこそ、それを守り続けていく。でもそれは変化を止めるという意味じゃない。自分たちが守り続けてきたものの大切さを誰よりも理解しているからこそ、積み重ねてきた努力を誇りに思っている。守り続けることが僕らの目標であり、役割だね。

 

毎日々変わらずに掲げられるこののれんは、地道な仕事の積み重ねに支えられている

忘れかけていた、人の温かさに出会える場所

店の温かい雰囲気とともに、一人客の心をつかんで離さないのが、客のささやかな“わがまま”に寄り添う柔軟なメニューと、創業以来ぶれることのない確かな味です。そこには、店の利益よりも客の満足を優先する、老舗の哲学が息づいています。

そして、のれんを後にしたとき、毎回のようにとても温かい気持ちにしてくれる「大力酒蔵」が提供しているのは、食事や酒という単なる「モノ」だけではないのです。

昨今のデジタル社会で暮らす大人が失いつつある、目的のない会話、偶発的な出会い、そして世代を超えた交流。その全てが、この店の煙の中に凝縮されています。

取材先紹介

大力酒蔵

 

取材・文塩見なゆ
写真新谷敏司
企画編集株式会社 都恋堂