
1981年、大阪府八尾市の住宅街で創業された喫茶店「ザ・ミュンヒ」。どんな喫茶店とも違う世界観で、日本全国、そして世界のコーヒーマニアを魅了している存在です。1杯12万円の熟成コーヒーはもちろん、朝6時から夜中3時までの超・長時間営業にもかかわらず定休日はナシ。お土産にブロマイドを配っていたり、店主自作の詩を朗読してくれたり……メディアにもたびたび登場し話題を集めます。ザ・ミュンヒの独自性の源を探るべく、店主の田中完枝(かんじ)さんにお話を伺いました。
豆の量は10倍、抽出量は約10分の1。長年追い求めた「コーヒーの一番搾り」
「いらっしゃい」という声に迎えられて入店すると、「うちのコーヒーは抽出に時間かかるから、とりあえず先コーヒー淹(い)れますわ」と、テキパキと準備を始める田中さん。早速、ザ・ミュンヒの原点とも言える「デミタスコーヒー」5,000円(税込)を淹れていただきながら、お話を伺います。事前にドリップして熟成させているメニューを除き、提供するコーヒーを全て目の前で抽出するのが田中さんのこだわり。分厚いネルに、細挽きのコーヒー豆が山のように積まれています。



一般的なコーヒーは豆を15gほど使って200㏄を目安に抽出するところ、デミタスコーヒーは150gの豆を使い、抽出するのはわずか30㏄程度。これだけでも驚いてしまいますが、抽出時間はなんと50分。大量の豆にお湯が浸透するには相応の時間がかかり、ネルから最初の1滴が落ちてくるのは、お湯を注いでから約30分後だそう。
「僕の理想は、コーヒーが元々持つ甘みを存分に感じられる一杯。そのためには、雑味とかえぐみを限界まで取り除かなあかん。ゆっくり落とせば雑味とえぐみの原因になる酸化を防げるし、大量に豆を使ってデミタスカップ1杯30ccの抽出に抑えれば、コーヒーの一番おいしいところだけ味わえる濃い一杯になる。一番搾りとでもいうのかな。それがうちのコーヒーです」
ようやく最初の一滴がカップにぽたり。徐々にデミタスカップを「一番搾り」が満たしていき、味見をした田中さんも「旨いわぁ」と満面の笑顔。口に含むと、これまでに味わったことのない、濃厚な風味が広がります。口の中からなくなっても、余韻が長く残る不思議な体験です。


ここで、デミタスと飲み比べるお客が多いというコーヒー「スパルタン(シングル20cc)」2,000円(税込)もいただきます。スパルタンは、1kgの豆から100cc抽出したコーヒーを10日以上寝かせた一品。角が取れたまろやかな風味で、デミタスコーヒーと同じく、よく知るコーヒーとは別物です。

名店で受けた衝撃を糧に、研究・実験を繰り返す日々
今では「コーヒーの一番搾り」にこだわって提供する店ですが、創業当時はごく普通の街の喫茶店だったザ・ミュンヒ。
「喫茶店の前は牛乳屋を経営してて。繁盛してたんやけど、過労で倒れて……そんなとき、牛乳を配達してた喫茶店のゆったりした雰囲気に憧れてね。コーヒーも好きやし、『ミュンヒ』っていうドイツメーカーのバイクもみんなに見てもらいたいし、ミュンヒを店名にして喫茶店始めようかと」
ミュンヒとは「ミュンヒ1200TTS-E」のこと。世界初の4輪用機械式燃料噴射装置を採用し、世界に5台、国内にはたったの1台が存在しないという貴重なバイクです。現在の価値に換算すると7,000万円ほどというから驚きます。田中さんは仕事で得た収入を貯金し、その多くをバイクにつぎ込んできたそう。

当初は、田中さん所有の“日本に1台しかないバイク”目当てに学生がやってくる同店でしたが、若いバイクファンは、いずれ社会に出てバイク趣味から離れる可能性が高い。バイク目当てではなく、店の主力メニューであるコーヒーを目当てにされる店にしようと、評判の喫茶店を片っ端から訪ねたそうです。田中さんが最も衝撃を受けたのは、東京・銀座の老舗喫茶店「カフェ・ド・ランブル」の濃厚なコーヒーでした。
「上質な豆を普通の店の倍くらい使って、じっくり淹れたコーヒーに衝撃を受けてね。でも、いい悪いではなく、銀座と八尾では環境が全然違う。やから『10年でランブルを超えたい』と決めて、そこからは豆の焙煎、抽出方法の研究に没頭しました。研究を始めた翌年からモーニングなどの喫茶店によくあるメニューの提供はやめて『コーヒーだけの店』に。おなか空いて来る人が気の毒やから、今はケーキだけ出しているけどね」
試行錯誤の末に誕生したのが、自家焙煎の豆を大量に使い、時間をかけて少量抽出するコーヒーなのです。


自分にしかできないことを。メディアも注目の「30年熟成コーヒー」
ザ・ミュンヒのオリジナリティーは、コーヒーのメニュー数にも表れています。メニューに書かれている「標準抽出【想定内】コーヒー」と、酸化しにくい「創作抽出【想定外】コーヒー」を合わせると、その数は約100種類!その中でも「幻の創作コーヒー」と呼ばれる一杯が、抽出したコーヒーを樽の中で30年間熟成させた「元祖熟成樽仕込み氷温コーヒー 30年物」で、お値段はなんと12万円(税込)。
せっかくなら体験してみたいと、お試しで「コーヒースプーン1杯」3,000円(税込)をいただきました。1995年6月からマイナス3℃を保たれた樽(たる)の中で熟成されたコーヒー。ノンアルコールなのに、どこかブランデーのような甘やかな風味と、フルーティーな香りが漂います。

「スイカくらい甘いでしょう。樽の木から出てくる甘みとコーヒーの甘みが合わさった液体を、僕は『天使の分け前』って呼んでます。液体のコーヒーを熟成するのもそうやけど、これまでずっと僕しかできないこと、人がやってないことを追求してきた気がします。それって、技術だけでは限界があるんよね。抽象的で申し訳ないけど、『飲むコーヒー』ではなく『たしなむコーヒー』を人生かけて提供しようという情熱があったから、僕のコーヒーを体験してみたくて、今もお客さんが来てくれてるんやと思う」
日常を忘れられるひととき。誰かに話したくなる「ザ・ミュンヒ」体験
コーヒー以外にも、つい誰かにザ・ミュンヒについて話したくなるポイントはたくさんあります。名物のバイクはもちろん、田中さんのトーク、店のカウンターに鎮座するアンティークのマイセンや、古伊万里、バカラといった一流の器、田中さんによる詩の朗読まで……。何から話したらいいか、迷ってしまうほどです。


現在、ザ・ミュンヒのお客は9割が新規かつ、さらにその9割が府外から訪れるそう。それでも十分に店を運営できているのは、残り1割のコアなコーヒーファンのほか、バイクやお店のインテリアのファン、何より、店主と話したいという「田中さんのファン」が集ってくるから。
「コーヒーが出てくるまでに何十分ってかかるでしょう。ほとんどはお客さんとお話ししたり、僕が自作の詩を朗読したり、店を取り上げてくれた雑誌とか新聞を読んでいただいたりします。ここに来てくださるお客さんだけじゃないと思うけど、みんな時間に追われ過ぎな気はするよね。一見、無駄に見える時間にも意味があると思うし、時間がないと物は考えられへんよ。僕はお客さんを待つ間、ずっと妄想してる。その妄想から研究が始まったり、進んだりすることもあるから、思索する時間ってほんまに大事と思う」
田中さん、そしてザ・ミュンヒは多忙な人々をも引きつける魅力があるのです。


田中さんに質問!ザ・ミュンヒの謎に迫ってみた
お土産に誰かのブロマイドを配っていて、喫茶店とは思えない営業時間、そして、最近になって店を手伝う女性の存在がうわさされていたりと、気になることが盛りだくさん。率直な質問をぶつけてみました。
――ところで、このブロマイドのイケメンは誰ですか!?
30歳の頃の僕ですね。僕は詩人の中原中也が好きで、真似して撮った写真です。最初はグッズとして販売していて、そしたらSNSで反響があってね。「この人、今日働いていますか?」って女性から電話かかってきて、「あ、今日はいません」とか言うて適当にごまかして……。ブロマイドの僕は何十年も前の僕やから(笑)。
今は、コンビニで月200枚プリントしてお土産としてお渡ししています。来てくれたお客さんには、楽しい思い出をたくさんつくってほしいという思いです。あの世に行くときにお金は持っていかれへんから、こういうところでお客さんに還元したいんですよ。お金は全然惜しくないね。最新のブロマイドもあるよ、遺影にしよ思て。

――日月火は6時〜21時までという営業時間ですが、そのほかは翌午前3時に閉店という超・長時間営業ですよね。実際、疲れることはありませんか?
好きなことに純粋に生きていれば、まず疲れないですよ。あと、自分の人格、哲学、思い、生きてきた時間、すべてがこもったコーヒーを「おいしい!」って喜んでもらえると、自分も救われるというかね。幸せな気持ちで満たされるので自然と元気になります。あと、純粋にこの空間が大好きなんですよ。全然飽きへん。

――ちなみに、田中さんの後継者はいらっしゃるんですか?
まだはっきりとは言えへんけど、お客さんで来てくれた子がね「マスターは面白い。こんな人も店も見たことない」って僕と店を気に入ってくれて、今は別の仕事しながら週3日手伝いに来てくれてます。昔から書いてる詩も好きと言うてくれて、その子の詩も書きましたね。僕は、人生すべてを込めたコーヒーを「飲むポエム」って言うてるんやけど「ここだけのコーヒー(飲むポエム)」と「詩(見るポエム)」でつながった縁ですね。
――ここまでコーヒーを突き詰めたら、チャレンジしてみたいことってさすがにもうないですよね?
いやいや、全然ありますよ。エスプレッソマシンを使って「コーヒーエキス飲み比べセット」をつくりたい。これまで、淹れたてのデミタス、10日間以上熟成したスパルタン、年単位で熟成した樽熟成と、コーヒーの一番搾りにこだわってきたけど、エスプレッソマシンでスプーン1杯ずつ何度も落としてエキスができたら、また違う味わいになると思う。元々、ある人が実現してたんやけど、最近やめてしもたみたいで。その人とその機械でないと難しかった方法なんで、これから研究したいです。そもそも僕があと30年生きるのは難しそうやから、何も添加せずに「30年樽熟成」に近い風味を持つコーヒーを開発して、お客さんに喜んでもらえたらなと思ってます。

きっかけを見つける行動と、見つけたきっかけを現実にする探究心を大切にしてほしい
飲食店を経営する方へのメッセージを伺ったところ「飲食店に限らずやけど、きっかけを大切にして、自分にしかできないことを追い求めてほしい」と語る田中さん。
「僕はランブルのコーヒーにきっかけをもらって、ひたむきに理想のコーヒーを追い続けた。自分が引かれたものを純粋に愛していたら、店はつぶれない。人を幸せにしていたら、店は絶対続く。僕はコーヒーを愛していて、そのコーヒーで数は多くなくても人を幸せにしたから40年以上も店を続けられたんやと思う。せっかく生まれてきたからには、人のために自分のできることをしてほしい。誰に何と言われても、自分の思う道でね」
きっかけをつかむにも、まずは行動すること。そして「これ」と思うものに出会ったら、時間をかけることを恐れずに追求することの大切さを、田中さんのコーヒーから学んだ気がします。
取材先紹介
- ザ・ミュンヒ
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住所:大阪府八尾市刑部2-386
電話:072-996-0300

- 取材・文岡島梓
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2024年末に東京から大阪に拠点を移したインタビュアー・ライター。取材を受けてくださった方、言葉に触れてくださった方にとって、何かの「はじまり」になる表現を模索します。
- 写真鞍留清隆
- 企画編集株式会社 都恋堂