大人が心のわだかまりを吐き出す場、“昼スナック”という需要

東京・赤坂に昼間から営業する珍しいスナックがあります。その名も「スナックひきだし」。「紫乃ママ」こと木下紫乃さんが2017年にオープンした店で、「昼スナック」の先駆けとして注目され、連日14時の開店早々に満席となるにぎわいです。お客の目的は、日替わりで入るマスターやママ、そしてその場にいる人との会話です。カラオケを歌い、お酒を楽しむのではなく、自分のモヤモヤを話すために訪れています。

明るくて健康的!スナックのイメージとは一線を画す「昼スナック」

東京メトロ赤坂見附駅近くの雑居ビルに、「スナックひきだし」はあります。全体的に赤色を基調とし、店の名前の通り「引き出し」を模した壁紙が特徴的な内装。「スナック」というと何となく薄暗い空間を想像してしまいますが、照明は明るく、どこか健康的な雰囲気です。

鮮やかな赤色と、木製引き出しをイメージした壁紙がマッチした店内。外扉を開けるとまず華やかな赤色が目に入る

「今日も8人か9人くらいの人が、お店に来ると言ってくれています。混み合わないように、なるべく時間は集中しないでほしいですけどね(笑)」

そう言って、カウンターの奥で笑うのが「スナックひきだし」のオーナー・紫乃ママ。紫乃ママをサポートするチーママの智子さんと、取材日に「見習いママ」として初めて店に立つというナオコさんが開店準備を進めています。「スナックひきだし」では、「週一ママ・マスター」「月一ママ・マスター」という制度を採用。紫乃ママに認められた人であれば、「スナックひきだし」のママ・マスターとしてカウンターに立つことができるのです。

「紫乃ママ」こと、オーナーの木下紫乃さん

さっそくメニューを見せていただくと、ハイボールやウーロン茶などいたってシンプルなラインナップ。飲食店未経験者でも簡単に作れるものをということで、あえてシンプルなメニューを採用しています。

お客の来店を待ちながら、さっそく紫乃ママに昼スナック開業の経緯を伺いました。

5回の転職と大学院進学。若者たちとの出会いと意外な発見

これまで5回ほど転職をしたという紫乃ママ。最後の勤務先では、大企業向けにビジネスセミナーを販売する仕事をしていましたが、大きな組織になると研修の成果や人の成長が見えにくく、次第に手応えを感じられなくなったと言います。そこで、まったく新しい挑戦をしようと考え、仕事をしながら45歳で慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科に入学しました。

大学院では、女性の働き方を研究。若い世代に囲まれて過ごす中で、次第に彼ら・彼女らからキャリアについて相談を受けることも増えていきました。意外にも、若者たちの挑戦を阻んでいるのが、実は自分と同世代の“親世代”だということでした。

「例えば、特性や能力を生かせそうな会社に就職が決まったのに、親から『もっと安定した会社に入りなさい』と止めてしまうケースがあると知りました。次のキャリアとして、若者を支援するビジネスを考えていましたが、本当に変わるべきは私たち自身の世代なのではと思ったんです。まず、ミドルシニアが自分らしく生きる姿を見せることが、若者の背中を押す力になると感じました」

「ミドルシニア世代こそ、自分らしく!」と紫乃ママ

紫乃ママは大学院修了後に会社を辞め、40,50代のキャリア支援を目的とする研修を行う「株式会社HIKIDASHI」を設立。しかし、創業当初はなかなか思うような成果を得られなかったそうです。

「ミドルシニアは、みんなモヤモヤを抱えていましたが、研修などで背中を押せば頑張れるはずだと思っていました。でも実際には、自分の未来に希望が持てず、自己投資の必要性すら感じていない人も少なくなかった。私自身が、この世代の実情を理解できていなかったのだと反省しました。そこで、改めて、よりリアルな声に耳を傾ける必要性を感じたのです」

その声を拾うには、セミナーや研修よりももっと気軽に話せる場が必要でした。そこでたどり着いたのが「スナック」という形態。バーはお酒に力を入れる必要があり、カフェは見知らぬ人同士が話しづらい。そこに集った人が自然に語り合える場として、「スナック」が最適だと紫乃ママは考えたのです。

左から見習いママのナオコさん、紫乃ママ、チーママの智子さん

「スナック」こそ、モヤモヤを吐き出し、自分を見つめられる場

2017年、大学院で知り合ったスナック経営者の店を間借りしてのスタート。「45歳以上でモヤモヤしたものを抱えている人限定」というコンセプトを掲げ、本来の店が営業していない夜7時半から9時半の2時間、月2回という形で「スナックひきだし」を始めました。

「告知はFacebookで少しシェアしただけなのに、最初からたくさんの人が来てくれました。そして、来てくださったお客さんが、本当にいろいろなことを話してくれて。例えば、会社で不遇な扱いを受けているとか、パートナーとうまくいっていないとか。やっぱり、日頃のモヤモヤって、セミナーのような場よりも、こうした飲食の場の方がずっと話しやすいんだなと感じました。それは私にとって、大きな発見でしたね」

クチコミでお客さんは徐々に増えていきましたが、「夜は行けない」「いつ営業しているのか分かりづらい」といった声も届くようになりました。そこで、昼の時間帯に別の場所を間借りして営業することに。さらに、営業日も月2回から週1回に増やし、現在の「昼スナック」の原型が形づくられました。

次第に、「私もママをやってみたい」と言い出すお客さんも現れ、紫乃ママのように昼スナックを営業する人も増えたそう。

しかし、「昼スナック」というシステムが広がりはじめた矢先、世はコロナ禍になってしまいました。間借りしていた店舗が一旦閉店することになり、途方に暮れていたところ、不動産関係の仕事をしているお客から「紫乃ママも自分で店を借りてみたら?」と提案を受けます。

正直そんな気はなかったものの、「見るだけなら」といくつか内見をしているうちに、現在の赤坂の店舗に出合いました。きれいな内装、駅の目の前、割安な家賃という好条件に引かれ、ついに自分自身で店を持つことになったのです。

ビルの5階。エレベーターを出て、左斜め前に進むと「スナックひきだし」がある

実際にモヤモヤを話してみたら……「温かい」気付きが!

取材当日も、14時の開店から1時間足らずでカウンター席は満席になりました。来店客は、人材派遣会社に勤めながらYouTuberとして活動している人や、人材開発系の仕事をしている人、クラフトビール会社に勤めている人など、実に多種多様です。

開店間もなく席が埋まりはじめ、1時間もしないうちにカウンターは満席

新規と常連の割合はおよそ50:50です。スナックという特性上、ママやマスターのファンになって常連になる方も多い一方で、クチコミや紫乃ママの取材記事を見て新しく訪れる方も少なくありません。

また昼の営業がメインのため、安心してこの場に参加できる雰囲気があります。お客の中には女性も多く、時には子連れで訪れる方も。こうした心理的な安全性が、他のスナックや酒場との大きな違いになっているようです。

「店を訪れる皆さんに共通しているのは、“自分の話を聞いてほしい”という思いです。内容も、子育てから介護の悩み、自分自身の終活の話までさまざま。産業保健医の方がママを務める日は、同業の方々も職場では話せない悩みを打ち明けに多く訪れてくださっているようです」

また友人・知人などに話をするのではなく、自分の生活と切り離した場で自分のことを話すメリットについて、紫乃ママは分析します。

「他人にとっては些細でも、自分にとって大切なことを安心して話せる場が、いま少なくなっていると思うんです。会社でそうした話をすると、相手によってはハラスメントにつながる可能性もあり、自由に話すのが難しい。スナックのような場では、特に深刻な悩みでなくても、弱音を吐きたい、やってられないという気持ちを打ち明けられます。それが解決しようのない話であったとしても、共感のひと言や、軽い相づちをもらうだけで、気持ちが軽くなることもあります。話すことで、自分が何に悩んでいるのかに気付いたり、自分自身で整理できたりするようになる。初対面の相手だからこそ、本音が話せるという安心感もありますよね」

「自分の話を聞いてくれている」という安心感から、つい、いろいろと胸の内を話してしまう

通常のスナックで流れるカラオケもないため、聞き取りやすく、話しやすい空間。お客はそれぞれ、会話を楽しむ中、筆者も紫乃ママに日頃抱いている悩みを相談してみました。

紫乃ママはまず、「聞いてほしいんですが……」という言葉を受けると、身体を筆者に向け、ちゃんと聞く態勢を取ってくれました。これだけでも、自分の話をちゃんと聞いてくれる安心感があります。そして、今後のキャリア形成について迷うことがあることを話すと、さすが、キャリア支援会社の社長という顔も持つ紫乃ママ、メディア関連の仕事の実情も把握している様子。驚くほどの理解力で「●●が強みなんじゃないですか?」とそっと後押ししてくれました。確かに、何かが直接的に解決されるわけではありませんが、自分の仕事について認めてもらえたという実感があり、これほど心が軽くなるのかと驚きます。そして会話することで自分というものの理解がより深められました。

気が付くと、お客同士でいろいろな話に花が咲いている

次の構想は「駄菓子屋」。人々がゆるくつながれる場づくりへの挑戦

当初の狙い通り、スナックでお客さんから聞いたミドルシニアのリアルな声は、キャリア支援のセミナー構築など、会社の事業にも役立っていると言います。最後に、紫乃ママに今後の展望を聞いてみました。

「このスナックで培ったノウハウを生かして、まったく違う業態でも人が集まれる場をつくりたいと考えています。今、候補の一つとして考えているのが駄菓子屋です。子どもって、大人が持つような変なバイアスがかかっていないから、ときどき大人顔負けの良いことを言ったりするじゃないですか。そんな子どもたちにカウンターに立ってもらいたいと思っていて。でも、スナックになかなか子どもは来づらいですよね。だから、昔から子どものたまり場だった駄菓子屋なら、それができるんじゃないかと思うんです」

紫乃ママの接客には「ちゃんと聞いてくれている」という安心感がある

いずれにしても、紫乃ママの中で一貫しているのは、「人と人とのゆるいつながりをつくりたい」という思い。困ったときに助け合い、応援し合えるような関係性やコミュニティを、スナックなどの場を通じて育んでいきたいと話してくれました。

悩みや不安を共有し、他者とゆるくつながれる場をつくるという紫乃ママの取り組みは、共感を呼び込み、ニーズを引き出しながら、これからも新たなビジネスの可能性を広げていきそうです。

取材先紹介

スナックひきだし

取材・文小野和哉

1985年、千葉県生まれ。フリーランスのライター/編集者。盆踊りやお祭りなどの郷土芸能が大好きで、全国各地をフィールドワークして飛び回っている。有名観光スポットよりも、地域の味わい深いお店や銭湯にひかれて入ってしまうタイプ。

写真新谷敏司
企画編集株式会社都恋堂