
秋田県大館市の老舗駅弁屋「花善」。戦後に誕生した看板商品の「鶏めし弁当」は、今や日本を代表する駅弁の一つですが、その味が近年、海を越えてフランスやスイスでも人気を集めています。70年以上日本で守り継がれてきた味が、なぜ海外で評価されたのか。地方の小さな駅弁屋が、どうやって“世界ブランド”を築いたのか。花善8代目社長・八木橋秀一さんの挑戦と成功の裏にあったのは、地方経営者としての熱い思いと、試行錯誤を繰り返して現場で知恵を磨き続ける、粘り強い姿勢でした。
- 守るべきは“味”そのものではなく、“味の記憶”
- 大館からパリへ──挑戦の原点は子どもたちの言葉から
- スイスで得た、“ひとり勝ちより共に進む”という学び
- 現地で見えた駅弁文化の広がりと新たな発見
- 駅弁で大舘と世界をつなぐ。地域を巻き込む花善流のまちづくり
守るべきは“味”そのものではなく、“味の記憶”
──花善の成り立ちと、看板の「鶏めし弁当」について教えてください。
1899年、大館駅の開業に合わせて「花岡旅館」の弁当部として始まったのが花善の原点です。戦後すぐに祖父母が考案したのが「鶏めし弁当」。鶏のだしで炊いたご飯に、甘辛く煮た鶏肉をのせた素朴な一品で、冷めてもおいしいんです。1947年の発売以来、レシピはほとんど変えていません。
私は、鶏めし弁当はおいしさだけを追求しすぎてはいけない、と考えています。駅弁は“旅の思い出”を売るものだからです。30年前に花善の駅弁を食べた方が、久しぶりに食べたときに、「懐かしい」と感じられることが正解です。そのため職人たちは、季節や湿度、素材の状態を見極めながら、1日に何度も味見を繰り返します。炊飯温度が少し違うだけで風味が変わる。守るべきは“味”そのものではなく、“味の記憶”なんです。

──東京のご出身と伺いました。どのような経緯で花善を継ぐことになったのでしょうか。
若い頃は東京でフリーターをしていたのですが、当時社長だった祖母から「東京支店を出すから1年だけ手伝って」と声を掛けられ、21歳で大館へ来ました。最初は製造や配送を担当していましたが、祖母が体調を崩してしまったことから24歳で常務取締役になり、36歳で社長に就任しました。“1年だけ”のはずが、気づけばもう30年近くたっています(笑)。


大館からパリへ──挑戦の原点は子どもたちの言葉から
──海外展開を考え始めたきっかけを教えてください。
大きく二つあります。一つは「教育」、もう一つは「経済」です。社長になった直後から、大館市の「ふるさとキャリア教育」の一環として、市内27校の小中学校で講話もしてきました。その中で子どもたちに夢を聞くと、「東京や仙台に行きたい」という答えばかり。地方に残ることが“夢にならない”現実を変えたいと思いました。そこで、「地方からでも世界を目指せる」ことを、自分の行動で示そうと決意したんです。
経済面でも、国内の人口は減少傾向にある一方で、世界人口は増え続けています。国内で価格競争をするより、成長性のある海外市場の方が魅力的に見えました。しかも日本食は世界的に評価が高い。ならば、花善の鶏めしで挑もうと決めました。
──なぜ最初にパリを選ばれたのでしょうか。
海外で駅弁屋ができる場所を探すために、アジア、アメリカ、ヨーロッパなど20ヵ国を視察しました。駅弁ビジネスが成立する条件は、「鉄道利用が盛んであること」、「日本文化への関心があること」、「物価が高い」の3つ。輸出コストを加味しても、価格を維持できる市場であることが重要でした。
その条件を満たしたのがフランスのパリです。パリには6つのターミナル駅があり、中でもリヨン駅はEUの交通の要。視察では、市内にすでに数十軒の日本人経営の弁当専門店があり、「BENTO」という言葉が一般的に使われていることにも驚きました。歴史を重んじ、日本文化への敬意も深い。こうして“世界の玄関口”と呼ばれるパリ・リヨン駅をターゲットに定めました。
──リヨン駅で2021年11月から半年間出店したポップアップ店舗では、販売初日から200食が即完売し、その後もほぼ連日完売が続く反響だったそうですね。もともと海外進出における、何か戦略があったのでしょうか。
正直、最初から戦略はなかったですね(笑)。海外でのビジネス経験やノウハウも持っていなかったので、とにかく実地で市場や食文化、法規制などを調査しました。その中でフランス国鉄(SNCF)のテナントに入るには3年分の納税実績が必要だと知ったんです。そこで2019年に現地法人を設立し、パリ市内の街中に小さな弁当店を出して3年間の実績を積みました。資本金は1万ユーロ。私個人と会社で折半出資しました。
食文化や法規制の壁も、現地で一つずつ解決していきました。例えばヨーロッパではテイクアウト食品を4℃以下で保存する義務がありますが、米を冷やすと味が落ちるため、水分量を調整し、再加熱してもおいしくなる炊き方を研究。店舗には電子レンジを設置して対応しました。また、EUの食材輸出規制をクリアするために現地の食材を使ったり、硬水でも米の“ふんわり感”を出す炊き方を研究したりするなど、現地厨房で試作を重ねるうちに、できる限り花善の味を再現していきました。


スイスで得た、“ひとり勝ちより共に進む”という学び
──ヨーロッパ出店における知識がほとんどない状態からのスタートだったんですね。2025年2月にはスイス・チューリッヒ中央駅でも3週間限定で駅弁ショップを出店されましたが、なぜスイスへの出店を決めたのでしょうか。
スイスは世界でも類を見ないほど鉄道ダイヤが発達していて、どの列車も30分以内に接続できるんです。そのため、駅構内ではイートインより移動しながら食事を済ませられるテイクアウトが好調と聞き、挑戦しました。物価は、パリは日本の約2倍に対して、スイスは約4倍。パリには日本食店が約1,800店ありますが、チューリッヒは10店ほど。完全なブルー・オーシャンでした。スイス国鉄に日本人スタッフが1名いたことと、JR東日本パリ事務所の協力もあり、出店が実現しました。
──リヨン駅での出店から3年のブランクがありましたね。
はい。まずコロナ禍で国内外の行き来が制限され、日本国内の駅弁販売が95%もダウンしてしまって。経営の立て直しに約2年を要したんです。また、パリの経験を通して感じたことは、「単一ブランドでは駅弁文化の“選ぶ楽しみ”を伝えにくい」という課題です。全国の郷土の味を旅しながら選べるのが駅弁文化のだいご味。“選ぶ楽しみ”を提供できる手段を模索し、“協業”という発想に至りました。
──具体的にはどのように行ったのでしょうか。
2024年に、全国の駅弁屋に声をかけて「駅弁ワールドチーム(EKIBEN WORLD TEAM)」なる団体を結成したんです。兵庫と名古屋の会社とともに3社で出店しました。協業により各社の特色を生かした弁当を2種類ずつ、計6種類の駅弁を展開できます。スイスの駅店舗は厨房付きでレストラン扱いだったため、4℃以下で保存する規制もなく、各社の職人たちが現地で調理できました。レシピを共有し、互いに助け合う良い関係を築けたと思います。
さらに、今回は3社の社長が直接動いたことが、スピードと柔軟性の両立につながりました。利益と赤字を均等割し、リスクも3分の1ずつ。中小企業が海外で挑むための一つのモデルができたと考えています。


現地で見えた駅弁文化の広がりと新たな発見
──初めてのことばかりで大変だったと思いますが、フランスとスイス、2カ国での出店を通じて何か見えてきたことはありますか。
海外の人にとって、“駅弁”と“弁当”の違いはまだ分かりにくいようです。ただ、列車内で食事をとる“時短の楽しさ”は理解され始めていると感じますね。例えばリヨン駅の出店時、コロナ禍でフランス国鉄が車内飲食を禁止したときに、路面店の売り上げは伸びたのに、駅店舗の売り上げは6割も減少しました。電車を利用する人だけが買わなくなったということは、「フランスでも電車内で駅弁を食べるカルチャーが届いていた」ということ。それに気づいたときは、胸が熱くなりましたし、大きな発見でしたね。
一方、スイスでは“バズる怖さ”を学びました。開店3時間前から行列ができ、連日2〜3時間で完売。SNSで話題になり、現地メディアも多数取材に来ました。反響はありがたかったですが、その分、想定を超える需要対応やクレーム処理などの課題もありました。うれしい悲鳴ではあるものの、次の挑戦ではもっと持続可能な形をつくりたいと感じました。
駅弁で大舘と世界をつなぐ。地域を巻き込む花善流のまちづくり
──自らの足で道を切り開き、挑戦を続ける強さを感じます。海外進出を成功させるために、八木橋さんが大切にしていることを教えてください。
他国の文化を尊重しながらも、迎合しすぎないことですね。現地に合わせすぎると個性が薄れ、誰の心にも刺さらなくなる。まず現地在住の日本人が食べて「本物だ」と感じられる味を守ることが、最終的には現地の人の感性にも響くと信じています。
あとは、行動と実践です。海外ビジネスの知識はゼロでしたが、とにかく現地へ行き、自分の目で見る。フランスでは人気の弁当店の外で1日中お客さんを観察して、市場を肌で学びました(笑) 。強さというか、負けず嫌いなんでしょうね。私は英語もフランス語も得意ではありませんが、通訳を介するとスピード感が失われる。だから直接日本語で話します。そうすると言葉は伝わらなくても、姿勢と熱意がしっかり伝わりますから。
自分自身が“よそ者”だった経験が、異文化耐性にもつながっている可能性はありますね。秋田は古くから暮らしている人たち同士の絆が濃い分、東京からきて30年経っても、僕はまだ“東京もん”なんです(笑)。

──当初掲げていた「大館でも世界を目指せることを証明したい」という目標に向かって、着実に歩みを進められていますね。
それならうれしいですよね。実は花善の海外プロジェクトには、地元の若者も関わってくれています。小中高大と連携し、ノベルティや掛け紙のデザイン、お茶のブレンドを考えてもらったり、大学生にはマーケティングや映像制作などを担当してもらったり。現地スタッフとオンラインで交流しながら進めています。「自分の町の駅弁が海外で売れている」という実感は、子どもたちにとって大きな誇りになる。「自分も海外でお弁当屋をやってみたい」と話す子もいますし、次世代のキャリア観を変えるきっかけになっていると感じますね。


──地元の若者にとっても、夢があるプロジェクトですね。今後、海外に向かってどのような発信をしていきたいか。展望があれば教えてください。
冷凍駅弁を積極的に輸出していきたいですね。これまでの経験で得た冷凍技術を応用して、すでに香港向けに冷凍駅弁の輸出を始めていて、現地製造と「メイド・イン・秋田」の二本柱で供給体制を整えています。スイス・チューリッヒ駅での再出店も検討中ですが、今は人手不足やインフレが落ち着いてからにしたい。再び“バズる”よりも、持続的に届けられる形を模索しているんです。ちなみに国内でもこの冷凍技術を生かして、秋田駅を拠点にレストラン展開を進めているところです。
やっぱり駅弁は、単なる食事ではなくて「旅の記憶」を包むもの。国や文化を越えても、人の心を動かせる。いつか国内外の人々が「本場の鶏めしを食べたい!」と大館に訪れてくれたらいいなと思っています。
取材先紹介
- 花善
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住所:秋田県大館市御成町1-10-2
HP

- 取材・文渡辺満樹子
- 写真中村宗徳
- 企画編集株式会社都恋堂