
かつて織物業やセメント産業で栄えた埼玉・秩父。街には当時の繁栄を今に遺す歴史的建築物が点在します。1927年(昭和2年)という、昭和初期に建てられた飲食店「パリー食堂」もその一つ。レトロな看板建築とノスタルジーな雰囲気、そして創業から100年を超えて守られてきた老舗の味が人々を魅了し、地元はもちろん、全国各地からお客がやってきます。
しかし、その店舗は経年劣化が著しく、倒壊の恐れを指摘されました。そのため、パリー食堂は文化的価値を未来に残すため、耐震補強・修復工事費を集める目的で2度のクラウドファンディング(以下、クラファン)に挑戦しました。
創業から100年を超えてパリー食堂が愛されてきたのはなぜか。そして気になるクラファンの結果と食堂のこれからは。同店3代目の川邉義友(かわなべ よしとも)さんと、義友さんの孫で4代目となる晃希(こうき)さんに話を伺いました。
「店名の由来?実はよく分からないんだよな(笑)」
――最初に「パリー」という店名の由来を教えてください。
義友さん:それ、よく聞かれるんだけど、実は分からないんだよな(笑)。店を始めたのはコックだった俺の父親で、当初は、和洋中の幅広い料理を出していた。特に人気があったのはオムライス。ほかにもカレーライスやハヤシライスもあって、昭和の初めの頃の秩父ではかなりハイカラな食堂だったんじゃないかな。創業した場所はここ(現店舗)の近くで、創業した年も1910年代と、はっきりしていない。その店が火事に遭ってしまって、昭和2年に、当時新築されたばかりのこの店舗に移転してきたんだよ。来年でちょうど築100年だね。

――義友さんは、どういう経緯からパリー食堂で働き始めたのでしょうか。
義友さん:今から64年前、高校卒業後に手伝いがてら働き始めた。継ごうと思っていたわけではなかったけれど、いつの間にか継ぐことになったんだな。料理人は「見て覚えろ」の世界だから、すべてのメニューは父のやり方を見よう見まねで身に付けた。4代目の晃希に対しても同じで、俺の姿を見て覚えてもらった。
――義友さんが働き始めた時は1960年代。ちょうど高度経済成長期に当たりますね。秩父の街も活況を呈していたのではありませんか。
義友さん:パリー食堂のような看板建築の店舗が集まっていて、近くには「ロンドン」や「世界」など外国を感じさせる名前の店もあったよ。また、当時の秩父にはたくさんの商売人が集まっていたから、この界隈には芸者がたくさんいてね。うちも2階に呼んでいた。座敷の奥にも階段があって、芸者さんとお客さんがはち合わせしないように、芸者さんには奥の階段を使ってもらっていたんだよ。連日満員で盛況だったな。



――義友さんが60年以上にわたって厨房(ちゅうぼう)に立ち続け、82歳の今も元気に働いていることもパリー食堂ならではの魅力です。健康維持の秘けつはなんですか。
義友さん:晴れの日はもちろん、雨風が強い日でも欠かさない毎朝の散歩だね。食堂と近くにある羊山公園を往復して1日8,000歩くらい。これで体力を維持して、できるだけ長く厨房(ちゅうぼう)に立ち続けたいと思っているよ。
古き良き昭和のオムライス×徹底的な経営可視化で繁盛店へ
――ここから4代目の晃希さんに伺いますが、パリー食堂を継承することを決めた経緯を教えてください。
晃希さん:高校卒業後、料理の世界で生きることは決めていたのですが、当初はパリー食堂を継ぐつもりはなく、自分で別の店を持つ夢のため、都内の老舗中華料理店で修業したんです。しかし8年ほど前に体調を崩してしまい、一旦ここに戻り、手伝うことにしました。私自身、子どもの頃から出入りしていて大好きな場所でしたが、正式に店の一員として働いてみて、この店が長く積み重ねてきた歴史を通じて、さまざまなお客さまから愛されてきたのだと実感しました。

――現在、常に行列の絶えない人気店となり、年間約2万人が訪れるそうですね。晃希さんが働き始めた頃はいかがでしたか。
晃希さん:私が働き始めた時は、今とはまったく状況が異なっていました。ほぼ、3代目・義友のワンオペで、経営的に“どんぶり勘定”の部分もあり、お客さまの数は今よりはるかに少なかったんです。


――その状況をどのように改善されたのでしょうか。
晃希さん:まずは店舗運営をデータ化し、可視化することから始めました。売り上げ・客数・客単価などをエクセルで記録し、曜日別の売り上げをもとに定休日やシフトの最適化を図りました。例えば、特に混雑する曜日にシフトを厚めにして、お客さまをできるだけ取りこぼすことのないように工夫したんです。
また、料理提供のオペレーションの点から、メニュー数を半分減らし、現在の30点ほどに絞りました。多様な料理を選べる飲食体験はファミレスに任せ、うちのような小規模個人店は絞り込んだ名物メニューで勝負しよう、という戦略を取ったんです。
――結果、看板メニューになったのが……
晃希さん:オムライスです。現在では注文のほぼ7割を占める看板メニューとなりました。でも実は、ここ数年で増えたメディア取材でオムライスが多く取り上げられ評判になった流れにうちが乗っかったんです。いわばメディアにオムライスを“見つけてもらい”、「パリー食堂といえばオムライス」というイメージが確立していきました。その後、オムライスに、これまた人気のクリームソーダやプリンなどを合わせたセットメニューなども導入し、客単価と粗利率の改善にも成功しました。

――パリー食堂のオムライスのこだわりは何ですか。
晃希さん:強く意識しているのは、創業当時からの味を絶対に変えないことです。ライスは塩コショウとケチャップでシンプルに味付けし、包む卵は固焼き。昨今、ふわとろのオムライスが流行っていますが、パリー食堂のオムライスにあれは求められていませんから。また、付け合わせのフルーツや野菜、ポテトサラダの配置や量は、毎回必ず同じになるように徹底し、なおかつ立体的にふんわりと、おいしそうに見えるように盛り付けています。この立体的な盛り付けはソースカツ丼などにも共通です。カツが丼からはみ出て、蓋が閉まらない状態で提供されたほうがお客さまの驚き、喜びは大きいですし、SNSでの“映え”も格段に良くなりますからね。

店舗の耐震強度不足が表面化。工事費用は約4000万円!
――SNSといえば、パリー食堂のSNSアカウントは非常に多くのフォロワーがいますよね。どのような戦略があったのでしょうか。
晃希さん:特に2025年の夏頃から強化していまして、TikTok、Instagramはそれぞれ約3.1万人、YouTubeは約2.2万人の方にフォローしていただいています。また、LINE公式アカウントの友だち数は約1万人です(※)。もちろんSEO対策にも力を入れ、キーワードの厳選、クチコミへのこまめな返信、TikTokは月平均4本投稿と、最新情報の更新回数を上げることも意識しています。SNSの運用ノウハウは、中華料理店での修業を辞めた後に起業したWeb制作会社で培いました。
※ 各SNSのフォロワー数は2026年4月時点

――SNS強化が現在の人気の発端になったのですね。
晃希さん:はい。ここ4~5年で売り上げ、客数が右肩上がりに増えました。実感しているのがお客さまの年代の広がりです。それまではノスタルジックな雰囲気と味を求めてやって来る40~50代が中心でしたが、20~30代のお客さまが目に見えて増えました。彼らの年代に、昭和レトロが再評価されたのだと思います。中には、小学3年生の男の子が東京の上野から一人で来店したり、男子中学生が「(将来)ここで働かせてください」と言ってくれたり。お子さんが「パリー食堂でごはんを食べたい」と言って、親御さんと一緒に訪れるケースも多いですね。
――そして現在、さらに認知度を上げたのが、「店舗の耐震強度不足による崩壊危機回避に向けたクラウドファンディングへの挑戦」です。クラファンを始めた経緯を教えてください。
晃希さん:耐震診断は、2023年頃、私が自発的に建築会社2社に依頼しました。2016年、店舗外観の看板建築の部分が国の有形文化財に登録されたことは、パリー食堂が繁盛店となった大きな要因ですが、半面、建築から100年近く経過し、壁がひび割れていたり、崩れ落ちて内部が見えてしまったりする箇所もあるなど、耐震性に大きな不安を抱えていました。そして2社から出てきた回答は、やはり「倒壊の恐れあり、要耐震補強・修復工事」。費用の見積額はいずれも4000万円程度となりました。

「崩壊寸前の食堂を守りたい82歳」のSNS戦略で大きな成果
――4000万円とはかなりの高額ですね。なぜそこまでの金額がかかるのでしょうか。
晃希さん:建物の基礎から抜本的に改修する必要があることと、建物が傾いていて構造全般のゆがみを修整することが、高額の工事費を要する大きな要因です。いっそのこと建て替えてまったく別の建物にすれば、安く済むのかもしれませんが、それではパリー食堂の価値はなくなってしまう。看板建築は残し、内部は一旦スケルトンにして、現在使っている建材をできるだけ多く流用し、昭和の風情を残す耐震補強・改修工事以外の選択肢はありませんでした。
とはいえ、4000万円なんて金額は到底準備できなかったため、調達のためにはクラファンが最適な手段だろうと判断しました。先に話したとおり、SNSでの認知度が上がっていましたから、それも寄付金集めの後押しになると考えたのです。耐震工事が必要だと発覚した時点で地元金融機関には相談しましたが、2000万円程度が融資額の限度とのことでした。そこでとりあえず、耐震工事費用と同額の4000万円を目標にしてクラファンに挑んだのです。

――TikTokでは「崩壊寸前の食堂を守りたい82歳」という分かりやすいハンドルネームで義友さんに窮状を語ってもらい、クラファンへの寄付を募るスタイルを取られましたね。
晃希さん:パリー食堂の顔はやはり祖父ですから。彼が前面に立って語ることで共感が得やすく、説得力が増すと考えたのです。TikTokは2025年7月頃から始めていたのですが、クラファンに挑戦した同年10月半ばを境に再生回数が伸び、25年の年末時点で累計1000万回再生を超えました。もちろん、当初の動画撮影は大変でした(笑)。義友にとっては生まれて初めての体験でしたから、収録にかなりの時間を要しました。それでも何とか回数を重ねるうちに徐々に慣れてきて、クラファンの終盤には月3~4回程度、頻繁に発信することができました。クラファンは2026年1月に2回目も挑戦させていただき、総計で約2200万円超の寄付をいただくことができました。


2026年10月、補強工事開始予定。期待高まる「新生・パリー食堂」
――金融機関の融資も合わせれば、耐震補強・改修工事の目途は立ったわけですね。今後はどのような展開を考えていますか。
晃希さん:この建物が建築されたのがほぼ1世紀前であり、当時の法律と現在の建築基準法に不一致があるため、設計には一部調整も必要なのですが、それでも2026年10月から工事に入ることができそうです。工事期間は現時点では約1年を予定していますが、その間、完全休業は避けたいので、別店舗で仮営業するのか、キッチンカーで展開するか、テイクアウトのみとするか……、代替案を検討しています。

――工事が終了したら、新生・パリー食堂をどんな場所にしたいですか。
晃希さん:今と同様のレトロな世界観を残し、「家族の記憶」が世代を超えて集まる思い出の場としたいです。今も時々「このオムライス、親父やおふくろに食べさせたかったよ……」などとおっしゃっていただく中高年のお客さまがいらっしゃるのですが、そのように感じていただくことが、まさにパリー食堂の真骨頂だと思います。工事終了後もそうした雰囲気を感じていただける食堂にしていきます。
――工事を経て再生するパリー食堂、楽しみですね。
義友さん:そうだね。最初はSNSもクラウドファンディングも何のことやらさっぱりだったけど、いつしか俺が宣伝マンとなって(笑)、役立てたのならよかったよ。たくさん寄付金をいただくことができて、こんなにうれしいことはないね。ただ、店が新しくなっても俺のやることは変わらないよ。お客さんが帰り際に「ごちそうさま、おいしかったです」と言ってくださればそれで満足だ。変わらず元気に厨房(ちゅうぼう)に立つために、日課の散歩を続けていかなくちゃな。

取材先紹介
- パリー食堂
-
住所:埼玉県秩父市番場町19-8
HP
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- 取材・文保倉勝巳
- 写真新谷敏司
- 企画編集株式会社都恋堂
