【商売偉人伝】濱口梧陵の「情けは人の為ならず」という生き方に学ぶ!

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日本には古くから続く商家が各地に残っていますが、家業を守り継ぐことは決して簡単ではありません。その中でも、商売人として成功しただけでなく、その利益を社会へと還元し、近代日本の発展に大きな足跡を残したのがヤマサ醤油7代目の濱口梧陵(はまぐちごりょう)です。偉人・濱口梧陵の生きざまから、商売繁盛へのヒントを探してみましょう。

商売で得た利益を世の中に還元し、たくさんの人を救った濱口梧陵

濱口梧陵は、1820(文政3)年6月15日、紀伊国有田郡広村(現在の和歌山県広川町)に生まれました。1853(嘉永6)年には濱口家の家督を相続し、7代目・濱口儀兵衛を襲名。その後は醤油醸造業で成功しただけでなく、家業の傍ら、さまざまな政治活動に力を注ぐと、私欲を顧みない社会福祉事業にも数多く取り組みました。

特に幕末に起こった安政南海地震では、地震のあとに津波がくることを予期し、多くの人たちの命を救います。さらに、震災後には私財を投じて防潮堤を造ることで未来の災害を防ぎ、経済的な面からも人々を助けようとしました。ほかにも、江戸でコレラが大流行した際には、地元の医師にその予防法や治療法を学ばせることで、醤油醸造業=ヤマサ醤油の活動の拠点であった、下総国銚子(現在の千葉県銚子市)でコレラの感染拡大を防いでいます。

そして、65歳のときに渡米。当時、最先端にあった欧米の文化を見聞しようとするなど、晩年になっても学び、挑戦する意欲が衰えることはありませんでした。

濱口梧陵に学ぶ商売の5カ条

【その一】新しいスキルの修得にいそしむべし
【その二】人を思うは身を思うと考えるべし
【その三】一歩先の未来に常に備えるべし
【その四】チャレンジ精神を忘れるな
【その五】まずは足もとを固めるべし

 

【その一】将来に向けて常に新しいスキルを身に付ける!

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梧陵の生まれた濱口家は、1645(正保2)年の創業以来、銚子で代々、醤油醸造業を営んでいました。梧陵は成長するとその当主になりますが、子どもの頃から厳しい教えを受けていたようです。

はじめに命じられたのは、丁稚(商人の家に年季奉公をする少年)たちと一緒に家の仕事を全てやり遂げることでした。12歳になると銚子の本店で、店の人たちに交じって家業についてひと通りの仕事を身に付けさせられたそうです。

ただし、梧陵は親に命じられるままに過ごしていたわけではありません。懸命に働いて時間をつくっては、本を読み、剣術を学ぶなど、家の仕事を覚える以外にもさまざまな教養を修得。将来の飛躍に向けて備えることを怠りませんでした。

【教訓】

常日頃からさまざまなことに興味を持ち、幅広い視点で物事を見ることは、商売とはあまり関係がないように思われがちです。しかし、人の上に立って商売をしていると、自分の仕事とはあまり関係のないことまでやらなければいけないときもあるはず。そんなとき、一見、ムダと思われた経験や知識が役に立つときがあるものです。

また、商売の急転に備えるためにも、新しいスキルに挑戦するのも良いかもしれません。挑戦する過程で、新しい商売や人脈を得るチャンスもあるでしょう。新しいスキルを役立てて、二毛作ビジネスにチャレンジするのも一つのアイデアです。

【その二】誰かを助けることは自分を助けること!

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1854(安政元)年に安政南海地震が起きたとき、梧陵は震源地に近い、故郷の広村にいました。地震が発生したのは11月4日の夕方。すぐに日暮れを迎えようとしていた中、梧陵は津波が襲ってくることを予期します。そこで、村人たちを安全な場所へ避難させるため、道沿いに積まれていた稲むら(稲束)に火をつけ、高台への道を明るく照らしたそうです。おかげでほとんどの村人が津波の難を逃れ、命を救われました。

この逸話は、のちに小泉八雲が小説化したことで有名になりますが、梧陵の本領が発揮されたのは震災後です。将来の津波から村を守るだけでなく、津波で住まいや仕事を失った村人たちの働き口をつくるため、惜しみなく私財を投じて村人たちを雇い入れると、彼らの手によって全長600m、高さ5mの広村堤防を築かせました。

この堤防は、1946(昭和21)年に起こった昭和南海地震の影響による津波から村を守り、現在までその姿を残しています。

【教訓】

「情けは人の為ならず」ということわざもあるように、困っている誰かを助けることは、いずれ自分に恩恵となって返ってくるもの。梧陵の場合、地元の生き神として祀られる動きがあったそうですが(本人はかたくなに断ったそうです)、こうした社会貢献活動はその人物への信用へとつながり、ひいてはその商売の成功にも大きく影響していくはずです。

最近では「こども食堂」の運営といった活動も注目されていますが、これも単に子どもたちに食事を提供するだけではありません。さまざまな人たちが安心して集まれる場所をつくることで豊かなコミュニケーションが育まれ、地域の魅力が増加し、めぐりめぐって商売が栄えることにつながることもあるでしょう。

【その三】明日、起こるかもしれない“万が一”に備える!

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江戸から明治時代にかけて、日本では何度かコレラの流行がありました。当時の人々は、コレラという感染症に対する知識に乏しかったことから、1858(安政5)年に起こった流行では、江戸だけで10万人が亡くなったともいわれています。

このとき梧陵は、近い将来、江戸の近隣にある銚子にもコレラの流行が拡大することを予期。その前に予防法と治療法を研究する必要があると考え、町で医院を開業していた医師・関寛斎に資金を与え、西洋種痘所(現在の東京大学医学部)に向かわせます。

その後、コレラの流行は銚子にも広がりましたが、当時の最新の研究をもとに、感染した患者をすぐに隔離。素早い対応を取ることができたことから、ギリギリのところで感染爆発を食い止めることに成功します。

【教訓】

昨今のコロナ禍を体験し、多くの人が予防の大切さを痛感しました。自分の身近に起こっていないトラブルも、他人事と思って放っておくと、その火の粉が自分の身に降りかかってきた際に大変な目に遭いかねません。

例えば昨今では、大きなショッピングセンターが進出した地域において、個人商店の閉店が顕著に見受けられます。個人商店が生き抜くには、ショッピングセンターにはない付加価値をあらかじめ考えておく必要があるでしょう。さらに、世の中の流れはオンラインショッピングや宅配にシフトしつつあります。一歩先の未来に起こるかもしれない出来事に対して、適切な準備を整えておくことは重要です。この機会にさまざまなリスクヘッジを改めて確認しておきましょう。

【その四】新しいことには、年齢に関係なく挑戦できる!

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若い頃から外国への強い憧れをもっていた梧陵。1860(万延元)年に日本の軍艦としてはじめて太平洋を横断し、アメリカへ渡った咸臨丸に乗り込むことも、真剣に検討していたといわれます。この時にはさまざまな事情から渡米を断念しますが、その夢を諦めることはありませんでした。

1884(明治17)年、65歳になった梧陵は念願の海外視察に出かけます。欧米の制度や文物を見聞するだけでなく、将来、日本にも洋食の時代が訪れると予見していたことから、西洋醤油(ソース)を研究し、これを国内で製造することを目指していたようです。

しかし、滞在中のニューヨークで梧陵は死去。彼の夢は、8代目・濱口儀兵衛が国産ソース第1号のミカドソースを作ることでかなえられました。

【教訓】

何歳になっても好奇心やチャレンジ精神を忘れてはいけない、ということを梧陵は教えてくれます。未知のもの、未体験のものを恐れて尻込みしてしまうのではなく、まずは新しい環境に飛び込んでみると、これまで見えなかった新しい商売のアイデアが思いつくかもしれません。

昨今の日本では、一部の地域において飲食店でのアルコール提供が制限されました。この出来事をきっかけに、ノンアルコールドリンク市場はハイボール、ジン、日本酒、焼酎などへと急速に拡大しました。今後はこういった新しいコンテンツを駆使しながら、小さなチャレンジを日々続けていくことが必要なのかもしれません。

【その五】まずは本業の商売でもうける!

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幕末の天才学者と知られた佐久間象山のもとで学んでいたことがある梧陵は、勝海舟、福沢諭吉など、多くの知識人と広い交流がありました。また、開国論を唱えて政治活動にもいそしんでいましたが、家業をおろそかにしていたわけではありません。

梧陵が当主であった時代、ヤマサ醤油の生産量は創業以来、最高を記録しています。生産量の増加についてはさまざまな要因が考えられますが、物価高騰が顕著だった当時、原料費の上昇も大きかった状況にありながら高い売り上げを維持できたのは、新しい市場への販売などに努めた梧陵の力があったからこそ。

さらに、醤油の品質面でも、江戸幕府から特に品質の優れた醤油と認められ、「最上醤油」の称号を与えられるという栄誉も得ています。

【教訓】

樹木が成長していくためには、まずは地面にしっかりと根をはって幹を成長させなければ、いくら枝葉を伸ばしてもちょっとした風で倒れてしまいます。

むやみに新しいことに取り組めばよいという訳ではなく、本業の基盤をしっかりと固めた上で新たな挑戦に乗り出すことが、成功の秘けつということです。将来的にさまざまな方向に商売を広げていくことは必要ですが、そのためにはまず本業に真剣に取り組むことが大切、ということを教えてくれます。

今、自分ができることから始めよう!

新しい知識やスキルを得ることに積極的だった濱口梧陵。その時々で自分ができることを考え、商売で得た利益を社会に還元し続けることで、お金以上の財産ともなり得る信頼を手に入れてきました。また、一歩先の未来を想定し、きたるべき危機に備える用心深さを持つことで、商人としての成功もつかみ取りました。

コロナ禍が落ち着いた先で、以前よりもさらに明るい世の中をつくっていくためにも、まずは今、自分ができることから始めていきたいものです。

 

参考資料
瀬川光行編『商海英傑伝』収録 「濱口梧陵君傳」
ヤマサ醬油株式会社HP
https://www.yamasa.com/
稲むらの火の館
https://www.town.hirogawa.wakayama.jp/inamuranohi/
日本遺産 百世の安堵 和歌山県広川町
https://hyakusei-no-ando.com/
JBpress「江戸で流行のコレラから民を守ったヤマサ醤油七代目」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63612
『帝国データバンク史料館だより Muse』(2020.9 Vol.37)
「輝業家交差点 近代にっぽんを彩る人物往来」
https://www.tdb-muse.jp/report/Muse_No37all.pdf 

文/スノハラケンジ
日本史を中心とした社会科学から自然科学まで、執筆・インタビューを幅広く手がける。代表作として『なぜエグゼクティブは、アラスカに集まるのか』(幻冬舎メディアコンサルティング)。近年では『古代・平安時代の偉人に聞いてみよう!』(岩崎書店)、『全国 御城印 大図鑑』(宝島社)などの制作に携わる。第3回江戸文化歴史検定受検において1級を取得。

イラスト/沼田光太郎
雑誌、広告、ポスター、web、映像媒体でイラストレーション、漫画、アニメーション、を制作。2019年11月 文芸社より絵本「バナナうんち」(原作 はりまりえ/文・絵 ぬまたこうたろう)​発売。テーマソング「バナナうんち」作詞・作曲・歌を担当。https://www.instagram.com/numata_kotaro/