うどんスナック「松ト麦」店主・井上こんさんが考える「通いたくなるお店」

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デジタル上でのやりとりが増え、人との触れ合いが希薄になっている今、リアルなコミュニケーションが生まれる場は貴重です。お店に何度も通ってくれる「おなじみ」はもちろん、初めて訪れるお客さんも、みんなで一緒にわいわい楽しみながら過ごせる――。そんなお店があれば、店主・お客さん双方にとって理想的かもしれません。
 
東京・駒沢にある「うどんスナック 松ト麦」は、まさにそんな理想に近い形のお店。使用する小麦品種を毎週変えて、食べ比べを楽しめる「週替わりうどんスナック」として営業しており、 「うどんが好き」という共通点を持ったお客さんが集まる場所です。週1日の間借り営業から独立して店舗を構え、当時から足しげく通う常連だけでなく、新規のお客さんもうどん話に花を咲かせます。
 
このお店の店主・井上こんさんは、生粋のうどん好きとして知られる人物です。年間約500杯を食べ歩く日々を過ごし、うどんライターとして数々のテレビや雑誌にも出演。現在は「うどんについて書く」ライターから、「うどんを打つ」店主として多くの人に日本全国のうどんの魅力を伝えています。
 
「うどんのおいしさはひとつではない」と話す井上さん。どのようにしてお店の存在を広めていったのか、多くのうどんファンに愛されるお店はどう作られていったのかなど、気になることはたくさん! 今回は井上さんが考える「通いたくなるお店づくり」について伺います。

※取材は、新型コロナウイルス感染対策を講じた上で実施しました

井上さんがうどんに目覚め、お店を始めるまで

――井上さんはもともとうどんがお好きで、ある時期から「うどんライター」として活動されるようになったんですよね。うどんに着目したきっかけなどはあるのでしょうか。

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井上さん:誰でも好物の一つ二つはあると思うんですけど、私の場合はそれが「うどん」でした。小さな時から好きで、高校や大学時代のお昼は学食で必ずうどん。その後も、居酒屋ではまずメニューの後ろのページを開いてシメの麺類を先に探すくらい(笑)。でもこの時はまだ、なぜ好きなのかと深くは考えずにうどんを食べ歩く日々でした。

意識が変わってきたのは、ライターとして仕事を始めてからです。フリーライターとして9年ほど飲食店を中心に取材をしていたんですが、2018年頃に福岡から東京に「うどん居酒屋」というジャンルが入ってきたんです。居酒屋だけどシメに専門店並みにレベルの高いうどんが食べられる業態で、この頃からうどんを提供するお店を取材することが増えました。

私にとってはそれまで趣味の域だった「うどん」がだんだん仕事になっていって、2019年には完全にうどんライターとして活動するようになったんです。

――その後、うどんライターとして「マツコの知らない世界」をはじめ、テレビや雑誌などさまざまなメディアに出演されるほどに。その肩書きや活動をどのようにアピールしていったのでしょうか。

井上さん:アピールするというよりは、あらためてうどんをしっかり学ぼうと、取り組み方を変えることにしました。まずは、うどんについてきちんと勉強するためにブログ「うどん手帖」を開設したんです。全国にあるうどん店を巡って食べ、その記録を投稿していく。それまではSNSでなんとなくつぶやいていましたが、うどんのことだけ書くように意識しました。

すると周りの人たちから「井上こん=うどんの人」と認識されるようになったんです。1年ほど集中して続けるとテレビや雑誌の依頼が来るようになって、そこから数珠つなぎにうどんに関する仕事が増えていきました。

――セルフプロデュースに近いような感じですね。

井上さん:そうですね。実は10年ほど前からスーパーで家庭用の小麦粉を買ってうどんを打ち始めていたんです。見よう見まねで作ったら、不細工でもちゃんと形になったのがうれしくて! 5年ほど前からは本格的に製粉会社などから取り寄せてうどんを作るようになりました。

ただ、知れば知るほど分からないことも増えていったんです。例えばうどんには「足踏み」の工程がありますが、実際にやってみると今度は「何のために踏むのか」「踏むことで得られる効果」が気になるようになって。小麦の品種別では? 産地別ならどう変わる?など、知りたいことが次々に出てきました。

私は高校生くらいの頃から自然や植物が好きで、大学も農学部でした。「どうしてこうなるんだろう?」と突き詰めて考えることをすごく楽しいと思えるタイプなので、食べるだけでなく学ぶことにもハマっていきましたね。

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井上さんが作成したうどん用小麦系譜図

全国にはいろいろなうどんがある。多くの人にその多様さを知ってほしい

――うどんへの探求心が始まりとなって、小麦の品種別でうどんを作り提供する「うどんスナック 松ト麦」の原型ができあがっていったんですね。記事でうどんの良さを届けるだけじゃなく、お店を立ち上げて多くの人にうどんそのものを振る舞おうと考えたのは、なぜですか? 

井上さん:取材や食べ歩きを通じて「書く」、実際にうどんを「打つ」。この2方向から取り組んでいくうちに、うどんの多様性を実感するようになりました。その一方で、クチコミサイトに書かれている心ないコメントがすごく気になるようになったんです。

うどんはコシが強いものもあれば、やわらかさが魅力のものもある。その地域ごとの良さがありますし、身近な食べ物だからこそ、誰もが「自分が食べ慣れているうどんが一番だ」と思う気持ちはよく分かるんです。

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ただ、単にその人の味覚に合わなかったり、よく知らなかったりするものに対し、自分だけの物差しで好き勝手に言ったり書いたりするのは違うのではないかと、見るたびに怒りの感情が「ぬーっ!」と湧き出てきて。

 もっとたくさんの人に、バラエティー豊かで幅広いうどんを知ってほしい。そう考えた時に、全国各地の小麦でうどんを作り、発信するのが良いのではと思いついたんです。

うどんに関する否定的な考えが少しでも減って、みんながそれぞれの「うどん観」に寛容になればいいなと、不定期で「品種別100%のうどん食べ比べ会」というイベントを開催するようになりました。

 ――その頃から、実際にお店を持つことは視野に入れていたんですか?

井上さん:いえいえ、まったく考えていなかったです(笑)。Twitterを見ていたらたまたま、世田谷線の松陰神社前駅にある「スナックニューショーイン」で曜日ごとのオーナーを募集しているというツイートが流れてきて。イベントで自分が作ったうどんを人に振る舞うことに慣れてきたこともあり、「週一で定期的に現場を持つって面白そうだな」と、すぐに応募して翌日には契約。月曜日に間借りさせてもらって、毎週異なる品種のうどんを提供することにしました。

間借り時代のお店の様子

毎週通う「おなじみ」も多数! うどんファンに愛されるお店づくりとは

――ちなみに、井上さんは全国のうどん屋さんに行かれていますが、「松ト麦」さんのようなコンセプトのお店はほかにもあるんでしょうか。

井上さん:1カ月の間に何品種かを入れ替えているお店は数軒ありますが、「松ト麦」のように毎週入れ替えているところはないですね。継続的にお店を営業していると、毎週変更するのはやっぱり難しいと思います。

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「ネバリゴシ」の冷やかけうどん(編集部撮影)

「松ト麦」では品種の違ううどんを2種類用意していて、1種類は岩手県の「ネバリゴシ」100%で固定。もう1種は「ネバリゴシ」と比較して差を感じられるタイプのものもあれば、異父兄弟くらいの微妙な違いのものを用意することもあります。

固定品種に「ネバリゴシ」を選んだのは、オープン当時、東京で使っているお店は1軒もなく、知名度がゼロに近かったから。比較対象のうどんには、品種だけでなく「冷や」「あつ」を用意して、より違いが分かるようにしています。

週替わりで小麦の品種を入れ替え提供。赤字が取材時に提供中だった品種名

――毎週変わるとなると、在庫管理も難しい面がありそうですよね。仕入れや管理などはどのようにされていますか?

井上さん:主に製粉会社や問屋さんから購入しています。基本的には20種前後をそろえて、3カ月ごとに品種を入れ替えるような形ですね。今はお店の一角に作った製麺室に粉類を保管できていますが、間借り営業の頃は合計100㎏前後を自宅に置いておかなきゃいけなくて、家中が粉だらけ(笑)。

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店内には製麺室も完備

大変でしたけど、不定期イベントではなくお店として営業するようになると、「何これ! おいしいね!」っていうお客さんの反応を直接見ることができるので、すごくうれしい体験でした。うどんの良さを伝えられている手ごたえを、日々カウンター越しに感じられるからです。駒沢の今のお店を開業し、週3日営業をするようになって、さらにそう強く思うようになりました。

――毎週のように来てくれるおなじみのお客さんも、とても多いと聞きました。

井上さん:そうなんです。八王子のようにお店から遠いところに住んでいる方も含めて、間借り営業の頃から毎週来てくださるお客さんも多くて。うどんだけを食べてパッと帰られる方ももちろんいますが、開店から閉店まで5時間ほど過ごしていかれる方もいます(笑)。

どのお客さんも、うどんを楽しむために来ている方ばかり。「松ト麦」がどんなお店なのかご存じの上で来てくださっているから、ふらりと訪れるお客さんはまずいません。だから看板を出さずとも成り立っています。

品種の異なるうどんをきっかけに「こんなうどん知らなかった」「僕の地元ではちょっと変わったうどんがあるんですよ」なんて、お客さん同士でわいわい盛り上がってくださることも多くて。

「うどんスナック」とつけたのも、うどんを通じてお客さんが交流できるサロンのような場所になればいいと思ったからなんです。

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――すごい……! ほかのお店にはなかなかない、特殊な形態ですよね。お客さんはどんな方が多いんですか?

井上さん:10~70代まで幅広いですよ。一番多いのは40~50代の男性ですが、10代の女性ひとりで来られる方もいます。一般の食いしん坊さんから、うどん屋さん、製麺会社さんのようなプロの方まで。お客さんがお客さんを連れてきてくださるケースも多いですね。

最近は、ラーメン屋さんが来店されることがすごく増えました。うどんとラーメンに使う小麦は厳密には異なるんですけど、自家製麺に取り組まれるお店が多くなったこともあり、「小麦の特徴を知りたい」「勉強したい」という店主さんが足を運んでくれます。

私自身も今まではうどんばかり食べていましたが、ラーメン屋さんにもお邪魔する機会が増えました。垣根を越えて、お互いに情報交換をさせてもらっています。

 ――常連さんも初めてのお客さんも、みんなが過ごしやすいようにと工夫されていることはありますか?

井上さん:うどんが茹で上がるまでに15分前後かかるので、その間も楽しんでもらおうとお酒やおつまみを用意しています。「そば前」ならぬ「うどん前」ですね。簡単なものばかりですが、常連さんが多いのでおつまみは10種程度。週ごとに半分ほど入れ替えて、飽きないように工夫しています。

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人気のおつまみ「ゴボ天」と常連さんから愛される「淳子梅サワー(梅干しサワー)」

あとは、これは私がワンオペで営業していることもありますが……うどんを茹でている時、揚げ物をしている時などは手を止めるのが難しいので、お客さんを結構頼っちゃいますね。

「松ト麦」では伝票をお客さん自身で書いていただくようにしているんですが、「分からないことがあったら、こちらのお客さん(常連さん)に聞いてください」ってお願いしちゃうんです。

それについては常連さんも理解してくれていて、初回のお客さんに「初めてならネバリゴシの『冷や』にすると、食感がハッキリ分かるのでおすすめですよ」とアシストしてくれるんですね。何か話したいなと思って来られた方は、それをきっかけに会話が生まれています。

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お客さん自身で飲食したものを伝票に書き込み、切り離してお会計をする

もちろん、ひとりでゆっくりうどんと向き合いたくて来店されるお客さんもいらっしゃるので、お客さんそれぞれの楽しみ方で居心地よく過ごしてくれればうれしいなと思っています。

食べ手として通うのは、「ホッとできるお店」と「わくわくできるお店」

――自然とお客さん同士の交流が生まれるというお話を聞いていると、店名にもある「スナック感」が伝わってきます。自身でお店づくりをする上で、通っているお店や、参考にしたお店などはありますか?

井上さん:うどん屋さんでは福岡の「牧のうどん」によく行きます。東京では、世田谷区下馬の「ニューさがみや」を訪れることが多いですね。どちらも「ホッ」と落ち着けて、うどんと静かに向き合える場所。近くの席から常連さん同士の会話が聞こえてくるような、街のうどん屋さんが好きなんです。

あとは武蔵小山の居酒屋「長平」も好きですね。こちらにも近くに住んでいた時はよく通いました。店主とお客さんの距離が近くて、「お客さんができることは自分でやる」がなじんでいる。

私も「松ト麦」を営業する時はひとりでやると決めていたので、「お客さんが了承してくれるなら、こういう形もアリなんだ」と、お店の在り方の一面を教えてもらったような気がしています。

それと、私はお酒とおつまみが好きなので、食べたことのないような組み合わせのおつまみ、知らない味に出合えるとわくわくします。最近はピスタチオと白レバーの組み合わせにテンションが上がったり、根室名物の「めふん(鮭の腎臓を漬けた塩辛)」に感動したり。いろいろなことに刺激を受けています。

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常時10種類ほどおつまみを提供

――おつまみも、うどんと同じように研究しているんですか?

井上さん:おつまみは食べた時のわくわく感で止まってしまって、そこから先の気持ちにはならないんですよね。不思議なことに、私が探求心を掻き立てられるのはうどんだけ。なので「松ト麦」のおつまみはうどんほどこだわってないんです(笑)。

熱量を上手に発信、うどんライター時代から変わらないSNS活用術

――井上さんはうどんライターとして活動されていた頃からSNSを上手に活用されてきたと思うのですが、発信するうえで気を付けていることなどはありますか?

井上さん:これはうどんライター時代から変わっていないんですが、うどんが好きな気持ちを全開に出すようにして「うどんが好きなんだな」「よく勉強しているな」と分かってもらえるようにしています。

とはいえ、やり過ぎると一方的な押し付けになってしまう。すると、読んだ人がうどんに対しての興味を失ってしまうことにもなりかねない。言葉遣いや伝え方などは常に考えて、上手にバランスを取るように気を配っています。

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ほかには、先ほどお話したクチコミサイトにあるような「自分の意見を押し付けてしまう人」についてもあらかじめ「NO」と意思表明をするようにしています。これは、今来てくださっているお客さんや行きたいと思ってくださる潜在的なお客さんを守ることが目的です。

そもそも「松ト麦」を開業したのも、常連さんを増やすためではなく、うどんの幅広い魅力をたくさんの人に知ってもらうため。文章を「書く」ライターから、うどんを「打つ」店主へと軸足が変わっただけで、私自身はうどんの魅力を伝えたい気持ちに変わりはないんです。そこを多くの人に理解してもらえるように、できることはしていきたいなと思っています。

――井上さんにとっては、伝える手段が変わっただけなんですね。やってみたいことがたくさんありそうですが、直近で考えていることなどはありますか?

井上さん:いつも実践できそうなことは思いついた時点でやってしまうんですが(笑)。よくお客さんに「うどんに合うお酒ってなんですか」と聞かれるので、「うどん専用日本酒」を造りたいなとは思っています。以前もイベントで「うどんと日本酒のペアリング」を行ったこともあるんですよ。

知人が「54(コシ)」といううどん専用の日本酒を造っているんですが、新たに自分なりの日本酒を造って、うどんをもっと楽しんでもらえるようにしたいですね。

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【お話を伺った人】

井上こんさん
「うどんスナック 松ト麦」店主。福岡県生まれ千葉県育ち。大学中退後フリーライターとして飲食店を中心に取材するうちに、元来のうどん好きが高じ「うどんライター」として活動の幅を拡大。テレビや雑誌など多様なメディアで全国各地のうどんの魅力を伝える。2019年5月から始めた週1回の間借り営業を経て、東京・駒沢に常設店「うどんスナック 松ト麦」をオープン。週替わりで異なる小麦品種のうどんが楽しめる希少な店としてうどん好きを中心に人気を博す。ほか、月替わり小麦のうどんサブスク「UDON LAB」も実施中。著書に「うどん手帖」(スタンダーズ・プレス)。

Instagram:kon__udon
Twitter:井上こん|うどんスナック松ト麦(@koninoue)

【取材先紹介】
うどんスナック 松ト麦
東京都世田谷区野沢2丁目26-5 野沢ビル B1F
電話 03-5962-7888

取材・文/田窪 綾
調理師免許を持つフリーライター。惣菜店やレストランで8年ほど勤務経験あり。食分野を中心に、Webや雑誌で取材やインタビュー記事作成、レシピ提案などを行っている。

撮影/小野 奈那子

編集:はてな編集部