約1万軒を食べ歩いたカレーライター・はぴいさんの「通いたくなるお店」

はぴいさんの通いたくなるお店

好きな“カレー店巡り”が高じてプロのライターになったはぴいさんに、約1万軒を食べ歩いたカレーライターとして「通いたくなるお店」の条件をつづっていただきました。


フードジャーナリストの飯塚敦と言います。「はぴい」の名義で20年ほど、たくさんのブログ記事を書いてきました。

わたしは本当に外食が大好きで、長い間、たくさんのレストランに足を運んではお店や料理についての文章を書くようになり、ついにはそれが生業となりました。

現在は外食応援というミッションを掲げ、雑誌連載のために日々、取材や執筆活動に勤しんでいます。ほかにもテレビのコメンテーター、札幌のラジオ局でラジオパーソナリティーをやったり、食関係のコンサル、製品開発のアドバイスなども行っています。

以前は、外食チェーンで10年ほど働いていました。当時の肩書きは和食レストランマネージャーでしたが、実質、いわゆる焼き鳥屋の雇われ大将。きついことも多かった反面、やはり現場は楽しく、けがで引退しても飲食業への思いが強く残りました。そんな経緯もあり、現在のような食を中心にした文章を書くようになったのです。

「アジャンタ・ショック」でインドカレーに開眼。食べ歩きでは偶然を楽しむ

現在のわたしにつながるカレーとの出合いは、1980年代にさかのぼります。高校を出て少したったくらいの頃でしょうか。片思いの女性をデートに誘うべく入ったレストランが、東京・靖国神社の大鳥居のそばにあった「アジャンタ」でした。日本人の有名インド料理シェフを数多く輩出した、日本のインドレストランの草分けの一つです。店内は、数多くの外国人、それこそインド人もいればヨーロッパの人もいて、ボヘミアンっぽい空気もありました。

そんな場所でおどおどしながら頼んだ料理が、とんでもなくおいしかったのです。未体験の味や強い香り。耳に入ってくる異国の言葉。パンジャービースーツ(インドなど南アジアで着用されている民族衣装)で歩き回るウエートレス……。目の前の女性のことはもはやどうでもよくなってしまい、その世界観と不思議な香りを放つ料理の虜(とりこ)になってしまいました。その後、デートに誘った女性からフラれたのはいうまでもありません。

計り知れない衝撃を受けた「アジャンタ・ショック」を皮切りに、わたしのインド料理の食べ歩きが始まります。銀座のナイルレストランやアショカ、湯島のデリー、新宿のボンベイに御徒町のジンナーと食べ歩き、気付けばタイ料理の味も覚え、日本のカレーライスの良さにも気付き、カレーへの情熱はエスカレートする一方。

そうしてお店巡りを続ける中でだんだんハマり始めたのが、バックボーンを知ることの面白さです。味という要素もさることながら、片言で会話をして注文をしたり、時にはお店のスタッフさんの故郷や郷土料理の話などに花を咲かせたり。異文化とのコミュニケーションやカルチャーギャップなどを楽しむ方が面白くなっていきました。

そして現在、平日に一人で淡々と店を回るスタイルで食べ歩きを続けています。そんな中で個人的に大事にしている点は二つあります。一つは「視野を広く持つ」こと

基本は専門店を回りつつも、あらゆる業態の飲食店をのぞいてみます。戦後最大のカレーブームとも言われる現在、喫茶店、中華料理、フレンチにイタリアンまでさまざまなお店でカレーとの出合いがあり、探し甲斐があります。

そしてもう一つ、「事前に情報収集はあまりしない」こと。わたしの場合、グルメサイトの口コミは見ずに、これと思った街に出向いて足で稼ぎます。他からのフィルターを通さぬよう注意して、偶然の出合いから体験をするのが一番楽しいと感じています。

車で行く時はGoogle マップを見るもののレビューは読まず、お店と料理の写真をさらりと見て雰囲気だけつかむ程度。そういう中で「あっ! ここはもう一度来たい、いや、何度でも来たい」と思わせてくれるお店を見つけるのが、食べ歩きの醍醐味(だいごみ)なのです。

通いたくなるお店には「居心地の良い空気」が流れている

カレーライターという職業柄、一つのお店に通い詰めることは困難です。取材で日々違う店を渡り歩かねばならないからです。そんな中でも、通わずにはいられないお店、心から大事に思っているお店を4店、紹介します。

これらの飲食店を並べると、共通するものが見えてきます。

まずは、そこに座っていていいのだ、自分の場所だ、という感覚が体験できるお店。カレー店は店内の滞在時間が短い業態ですが、通いたくなるお店は、長居するならもう少しお金を使おうとか、混んできたからそろそろ席を立とうとか、お客さんの気遣いを引き出します。ルールで縛るのではなく、「客をいい子に育てるお店」というのが本質なのかもしれません。

ほどよいコミュニケーションができて、話のきっかけをつくってくれる店主がいるお店も魅力的です。別の言い方をすれば、しゃべりたそうなお客さんと、そうでないお客さんを見分けて話しかけたり、放っておいてくれたりするような「間」を読む力。喫茶店やバーに近い感覚でしょうか。それが居心地の良さになり、魅力になります。

最後は、そこにしかない味が存在すること。やはり味の記憶は大きいでしょう。ただ、電流が走るように「これは!」という味ではなく、何回か通っているうちに「これはもう逃れられないな」と感じさせるような、じわりと記憶に残る味が通う動機になります。

昭和の味とお母さんの気遣いに癒やされる東京・幡ヶ谷「スパイス」

幡ヶ谷「スパイス」のカレー

「スパイス」は、わたしが本当に大事に思っているカレー店です。1973年創業、通い始めて早30数年。「人生最後のひと皿は」と聞かれたら、このお店の名前が自然に出てくると思います。

こちらのカレーは正しくニッポンの洋食カレーライス。昔ながらの優しい味と香りの“ぽったりとしたカレーライス”が現代においてもしっかりと残っていて、素晴らしい味わいです。

しかし、ただのカレーライスではなく、きちんとこのお店の個性が伝わるおいしいひと皿なのです。ビーフ、ポーク、チキン、それぞれのカレーソースを別々の味と辛さ、個性で作り分けてあり、丁寧さが伝わります

ポークの甘味と香りはラードを使っているのでしょうか。チキンは打って変わって辛口で、爽やかでシャープな後味が気持ちいい。ビーフのデミグラスを思わせる奥行きある味も捨てがたい。どれも食べたくて、何度も通います。

幡ヶ谷「スパイス」のカレーを食べるはぴいさん

カレーのおいしさもさることながら、ホールを仕切るお母さんの笑顔と気遣いに心が和みます。いつぞや、必ず頼む「エッグ入りポーク&チキン」を注文すると、「ごめんねえ、たまご切れちゃったのよ」とのこと。「いえいえ大丈夫。たまごなしの方ください」とお願いして出てきたカレーには、おや、卵の半割れが。「半端が出たゆで卵、半分だけ入れとくね」なんてうれしいことを言ってくれたり。

いつでもお客さんたちを気にかけてくれて「そっちの席暑いでしょ、こっちにすれば」とか「ごめんねえ、狭い席で。今いっぱいだから」とか。長く続くお店がどうやってその空気をつくってきたかが分かります。

幡ヶ谷「スパイス」の外観

店主の腕と美学、店員の機転にうならされる神奈川・平塚「ニューローズ」

平塚「ニューローズ」のカレー

神奈川県の平塚と大磯の間に流れる花水川。そのほとりに位置するレストランが「ニューローズ」です。おいしそうなクリーム色の外壁に上品なローズカラーの扉。店内に入ると、薄く上品なピンクにナチュラルウッドを合わせたセンスのいい空間が出迎えてくれます。

こちらはカレー専門店という狭い範囲の店ではなく、いわばスパイス料理のレストラン。料理はどれも大変繊細で美しく、地産の食材を上手に使ったオリジナルキュイジーヌと呼べるものです。

平塚「ニューローズ」の店内

肝心のカレーは定番3種のほか、定期的に入れ変わるオリジナリティー高いメニューを提供。店主自ら「実験場」と言い切るほど創意工夫に満ちており、モダンジャパニーズカレーを標榜するにふさわしいラインアップです。アラカルトの料理も素晴らしいセンスのものばかり。小さなタンドールで焼くリブ肉など、我を忘れて食べてしまいます。大切な人を連れて行きたくなるレストランです。

平塚「ニューローズ」の料理

シェフの柔和なイケメンぶりに惚れ惚れする一方で、ホール担当の女性の人懐っこさと、的確な提案や意図を持った接客も見逃せません。

「お一人では多そうだな、と思ったらおっしゃってください、ハーフにできるものもありますから」とか「お車でいらしているなら果物のサワーからアルコールを抜いて地元産の柑橘(かんきつ)を搾ったソーダをお作りしましょうか」など、フレキシブルなアイデアや気の利いたサービスは見事。

きちんとしたレストランは、シェフもホール担当も提案ができるもの。その世界観や美学がお客さんを選び、結果、心地よい空気をつくり出しているのだと気が付きます。

平塚「ニューローズ」の扉

老舗の看板にあぐらをかかない千葉・検見川「シタール」

検見川「シタール」のカレー

「シタール」は創業40年を越える千葉のトップレストランであり、全国区でも有名なインド料理店です。

メニューにはたくさんの定番料理と季節がわりの料理が並びます。中でも、マトンのカレーはぜひ食べてほしい逸品。

一方、冬のデザートで特筆すべきは「タンドRINGO」。ナーンやタンドリーチキンを焼くタンドール窯で焼き上げたりんごをインドの野生黒蜂蜜で漬け込み、アイスを添えたオリジナルスイーツは卒倒もののおいしさ!

検見川「シタール」のタンドRINGO

揺るぎのない料理と、老舗という看板にあぐらをかかない、いつでもチャレンジがある季節メニューは、何度でも来たいと思わせてくれます。

検見川「シタール」の料理

そして、行けば分かる雰囲気の良さ。お客さんはもちろん、スタッフも含めて「人を大事にする」という、代表の不変的な姿勢からきています。

例えば、スタッフにおすすめ料理を聞いた時の、目を見て、近づいて、しっかりと言葉を伝えてくれる尊さ。これだけで「また来よう」と思うお客さんは多いはず。

一貫して息づいているのは、言われてやっているのではなく「自分の意志で客を迎える」という伝統です。これができていないレストランのなんと多いことか。新メニューとコストダウンの前に、まずこうした面の強化を考えてみてほしいものです。

検見川「シタール」の外観

ネパールのお母さんの優しい料理と笑顔が迎えてくれる東京・小岩「サンサール」

「サンサール」のダルバート

「サンサール」は東京・小岩と新宿、千葉・本八幡に計3店舗を構えるネパール料理専門店です。中でも、わたしが時折足を運ぶのは、1999年にオープンした1号店の小岩店。小岩駅からは徒歩約15分、長い商店街の端っこにあります。たどり着くと、ネパールのお母さん、ウルミラさんの笑顔が待っています。

「サンサール」の店内

サンサールの料理はネパール料理の前に、ウルミラさんが作る「お母さんの料理」です。専門店らしく塩のエッジを立てたりキャラクターをつくったりせず、あくまでネパールの郷土料理をウルミラさんらしく作っています。

代表的なネパール料理といえば「ダルバート」と呼ばれる定食です。ダル(豆煮込み)とバート(ご飯)にタルカリ(おかず類)とアツァール(漬物)が付き、定食らしくその時によってカレーもおかずも変わります。

「サンサール」のダル

ダルは豆カレーと意訳されることが多いですが、最近は個人的に、カレーではなくて「豆煮込み」ではないかと考えています。サンサールのダルは、誤解を恐れず表現すると「甘くない汁粉」のような印象を受けるのです。つまり、豆の味がきちんと出ていて、スパイスはそれを後押しする程度。これが実にいい。具の多い豆スープだなと。スパイスは強くなく穏やかに効いていて、素材本来の味と香りが残っています。「これに甘みを加えたらまるで汁粉のようだな」と感じるんです。

お母さんの料理は優しくて体にいい、というのは、世界共通だなと感じます。そして、サンサールでは、ウルミラさんに会いたくて通っている人がすごく多いのです。ウルミラさんに会うと、慈愛とか慈悲とか、そんな言葉を思い出してしまうのです。

お店は創業から20年以上たち、すっかり町に溶け込んでいます。最近では、ウルミラさんが新鮮な野菜をいつもよりたくさん仕入れて、近所の皆さんに店頭でお安く分けていることも。ネパール料理を知らなそうな年輩の女性も、ウルミラさんとおしゃべりしながら大根やカリフラワーをニコニコと買い求めていたりします。

他のお客さんほど通っているわけでもないわたしのことも行くたびに気にかけてくれて「お腹は空いていない?」とか「ちょっと待ってて、いいものあるの」なんて言いながら、たちまちお腹も気持ちもいっぱいにしてくれます。

通いたいかどうかは味同様、お店の空気で決まる

いろんな土地を巡り、無数にカレーを食べ歩く中で、ごくまれに「自分の街にあったら通うだろうな」というようなお店に出合います。わたしの場合、そこには「人」という要素が大きく関わっているようです。

清潔感や入りやすさ、価格帯も大事。でも、それ以上にそこにしかない空気がいちばん大事。以前からわたしは「レストラン体験は味3割」などとうそぶいていますが、実はわりと本気でそんなことを感じています。

愛情を込めた接客と料理、それを受け入れてうれしそうに食事をする人たち。そのどちらもが愛おしく、そこからそのお店にしかない空気が醸成されていくのです。

わたしはもしかすると客というより、そういう空気、事象を楽しむ「傍観者」ではないかと思っています。空気のような存在になってそんな愛あるやりとりを楽しむ場所が、自分にとっての理想のカレー店なのかもしれません。

【著者】

はぴいさん

はぴいさん

1964年東京下町生まれ、累計1万食を食べ歩いてきたカレーライター。趣味はカレー、好きな食べ物はカレー、座右の銘は「カレーですよ。」これまでに日本全国はもちろんのこと、タイ~インドまで渡航し取材を重ねてきた。

テレビ、ラジオ、雑誌等メディア出演やインタビュー、講演会、イベント登壇、記事連載などのほか、食品監修なども手がける。Sapporo City FMにてラジオ番組「はぴいのおしゃべり交差点」放送中。

公式サイト:カレーライター はぴい オフィシャルサイト
Twitter:@hapi3

編集:はてな編集部

 

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