群馬がパン激戦区⁉︎ 地元産小麦と真剣に向き合う職人たちの存在に一理あり

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パンの焼き上がりの匂いは、どうしてこんなにも人を魅了するのか——。2012年にオープンした「CROFT BAKERY(クロフト ベーカリー)」は、住宅街の一角で地元産小麦などを使ったパンや焼き菓子を販売しています。時には行列ができるほどの人気店で、お客のほとんどが周辺地域から車で買いに訪れます。

現在のパン作りにも生かされているという、アメリカ西海岸で目の当たりにしたパン作りの変革や地域に根付くパン屋の心得とは…。渡米経験のあるオーナーの久保田英史さんに話を伺いました。

工房から「笑声(えごえ)」。作った人の顔が見えるパンの直売所

JR前橋駅から車で市街地を抜け、春にはハナミズキが満開になるというみずき通りを走ると、通り沿いに白い欧米風の建物が見えてきます。その建物の1階がCROFT BAKERY。大きな窓からは、焼き上がった五十数種類のパンや作業中の久保田さんの姿が見えます。

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取材日もひっきりなしにお客が来店。両手いっぱいに買うお客も少なくない

久保田さんは大学を卒業後、パン好きなら誰もが知っている有名パン店などで約5年、職人としての技術を磨き渡米を決意。パン職人になったきっかけやなぜ「アメリカ」なのかを伺うと、一貫したパン人生の歩みが見えてきます。

「高校生のときに、石窯に関する記事を読んだのが、パン職人を目指したきっかけです。日本のパン屋では技術的なことを学び、職人として過ごす中でそろそろ独立のことも考えたいと思い、心機一転、アメリカ・カリフォルニア州へ行きました。

なぜアメリカなのかと聞かれればいろいろありますが、高校の同級生がすでにアメリカでレストランシェフとして活躍していて。実は親同士が知り合いで、回り回ってアメリカ行きのチャンスを得た感じです」

現地では、レストラン母体のベーカリーのシェフとして研鑽を積んでいた久保田さん。しかし、渡米した時期はリーマンショックの影響が表面化し始めた2007年で、久保田さんが就職したレストランも閉店。その後、卸専門のベーカリーの立ち上げを模索したものの出資者を見つけることができず、後ろ髪を引かれながら2009年に帰国を決意します。

帰国後は、高校生のときから興味があったピザ窯やパン窯などを造る会社に3年間就職します。入社した時点で独立開業までの期間を決め、社長もそれを快諾。煉瓦窯の開発や窯を使用したレシピの提案などを行ってきました。そして、2012年12月にCROFT BAKERYをオープンします。

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お客の来店や帰りの度に手を止めて声掛けをする、オーナーの 久保田英史さん

CROFT BAKERYは、自分でパンを選びレジに運ぶスタイルではなく、あえて昔ながらの対面による注文スタイルです。棚に焼き立てのパンがざっくりと並べられ、それ以外の装飾を省きパンだけに向き合えるようにしたシンプルな店舗づくり。そのコンセプトは “果樹園の直売所”で、奥さまの万里子さんが接客を担当し、久保田さんはガラス窓で仕切られた工房でパンを作りつつ、店内に入ってくるお客一人一人にあいさつをします。

「対面販売は、人によっては自由に選びにくいって思うかもしれません。でも地域のパン屋は、街のシティホールじゃないですけど、コミュニケーションが気軽に取れる場所だと思うんです。以前もご年配の方が『今日は誰とも話してなかった』と言われたことがあったのですが、会話ができる場だと思ってくれると嬉しいですよね。

あとは、この地域の方々がハード系のパンになじみがなかったりして、どんなパンなのか説明したり、食べ方の提案ができることも対面販売を決めた理由です」

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明るく、気配り上手な奥さまの万里子さん

オープンから9年が経ち、人気店としての地位を確立したCROFT BAKERYですが、対面販売などの運営自体に変わりはないものの、販売しているパンはオープン当初とは異なるそうです。それは、アメリカ西海岸のベーカリー事情が関係しています。

西海岸のパン業界に変革。それが地元産小麦を使うきっかけに

久保田さんは、4年ほど前から年に2回渡米して、レストランやホテルにパンなどを卸す専門店のレシピ開発に携わっています(現在はコロナ禍につき、電話連絡のみ)。渡米する機会を得て数年ぶりに現地を訪れてみると、就労していたカリフォルニア州の労働環境に変化がありました。

「カリフォルニア州の最低賃金は州法により、コロナ禍にもかかわらず前年度よりも1ドルずつ上がり続けているそうです。現在では、従業員24人以下のお店でも最低時給は13ドル、残業手当は時給の1.5倍を支給しなければならず、経営陣を悩ませているそうです。

パンを卸す専門店なども例外ではなく、さまざまな分野を外部に発注し、雇用を最小限にすることにシフトしています。4年ほど前から、ある卸専門店の方から声を掛けていただき、外部のベーカリーシェフを僕が担当することになりました。顧客企業の要望を聞き、レシピ化して作業スタッフに伝える仕事をしています」

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パンを作るスピードの速さは圧巻。「これでも職人の中では遅い方なんですよ」と謙遜するが職人技が光る

アメリカ西海岸ではリーマンショック以降、雇用の体制が変わると共に、人々の価値観も変わったと久保田さんはいいます。

「今まで“ブランド”に価値を置いていた人たちが、“物自体”の価値を見極めるようになりました。例えば、大手コーヒーショップは契約農家のコーヒー豆で淹れたドリップコーヒーをその価値に合う価格で販売し、少し値が張ってもお客さんは買っていました。同じお金を使うにしても、“ローカルの地域に還元されることに価値がある”と気付いたんだと思います。

それに着目したサンフランシスコの『Tartine Bakery(タルティーン ベーカリー)』は、パンの種類を限定し、街の製粉所や農家の人と直接取引をした小麦粉を使い、自然発酵種(ルヴァン種)でパンを作りました。

種類を絞った大ぶりなパンを前日に仕込み、成形して冷蔵庫で寝かせることで翌日は焼くだけ、という風に時間的にも効率化されています。西海岸ではこうした地元の挽き立ての粉を使い、シンプルな製法で焼くパン屋が増えてきていますね」

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群馬県の素材を使ったハード系のパンや焼き菓子が並ぶ

農家から製粉する人まで、顔の分かるつながりでできているパン作りを間近に見たことで、「食べる人たちへの安心に通じ、自分たちが住む地域の食がこんなにも豊かなんだと気付くきっかけになるかもしれない。そして、ここ前橋でも同じことができるのではないか」と気付かされたといいます。

また、この時期に地元のマルシェで一緒になった小麦やライ麦農家、小さな製粉所など地域生産者たちとの出会いも久保田さんのパン作りに大きな変化をもたらし、約3年前から地元産小麦を使ったパン作りを始めたそうです。

今回は、そのつながりの一人、有機栽培で小麦を丁寧に育てる「すみや農園」の小林祐さんにも話を伺うことにしました。

雑草に負けず作物と向き合う、今が楽しい

「すみや農園」のある群馬県高崎市箕郷町は、CROFT BAKERYから車で30分ほどの場所にあります。

畑で作業している小林さんを訪ねると、青々と茂る大量の草をむしっているところでした。取材時期に育てていた青大豆「さといらず」は、味噌にも豆腐にも適し扱いやすく甘みがあり、隣の畑で作っている赤大豆は、お米と一緒に炊くと赤飯のような色合いに炊けるのだそう。そのほか小麦、大麦、お米なども栽培しています。

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青大豆の畑。無除草剤を使わないため、手で草をとる小林さん

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さやが成長し、枝豆となり青大豆になっていく

小林さんは大学卒業後、語学習得のために1年間カナダでファームステイを体験。その後、東京の企業で会社員をしていました。カナダでの農業体験は、今思えば就農を決意する基盤になっていたようですが、会社員時代は自分が本当に農業をするとは考えもしなかったと振り返ります。

30歳を過ぎた頃から、地元群馬へ戻ることを念頭に就農プランを立て始めます。自分に合う農業スタイルを探す第一歩として実行したのが、無給で働きながら食事や食泊場所、知識・経験が得られる「WWOOF(World Wide Opportunities on Organic Farms)」の制度を利用した、ドイツでの1年間のファームステイでした。

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「自分で作れるものは自分で作り、作れないものはできるだけ身近な人から得る」という海外の農家スタイルに共感し、脱サラ農家となった

帰国後は再び東京で会社員として働き、就農を始めるタイミングを見計らっていた頃、群馬県藤岡市の「有限会社古代米 浦部農園」で本格的な農業研修が受けられるチャンスに巡り合います。

「おいしいものを作り販売して、良いことも悪いことも含め、相手から直に反応がもらえる農業って、すごく素敵ですよね。海外で滞在したファームでは、田畑も家も自分たちの手で一生かけて少しずつ手を入れて。そんな風に僕も、農作物や住まいを育てていきたいと思ったんです」

いざ就農するために農地を探していると、小林さんのお母さまの実家近くで紹介してもらうことができ、今では他の農地も借りながらほぼ一人で二毛作を行っています。

ところでなぜ「すみや農園」という名前なのか、その由来を伺ってみました。

「この近くでむかし農業をしていた母方の祖父の姓が『すみや』なんです。この地域で農業を始めようと思ったときに祖父を思い出し、この名前に決めました。なので、お客さんの中には本名を知らず、『小林さん』ではなく『すみやさん』と呼ぶ人もけっこういます(笑)」

実直な農作業は「おいしい」のために

収穫した農作物の流通方法は、主にJA(農協共同組合)への出荷になります。しかし、小林さんのように、JAへ出荷しないことを選ぶ農家もいます。販路の新規開拓やJAからの補助が受けられないため、経営面でプラスになることは少ないながらも、なぜ人と人のつながりや通販のみで販売を行うのか……。理由を伺うと、小林さんらしい真っ直ぐな言葉が返ってきました。

「カナダのファームステイでの経験が大きく影響してます。日曜日になるとファーマーズマーケットに自分たちが作った野菜を持っていくと、常連さんが買ってくれますよね。それで、次に会ったときに『おいしかったよ』と言ってもらえたのが嬉しかったんです。

それに直接の販売であれば、取引先のお店の方とも自然に仲良くなり、最初は小麦だけのお取引が大豆に広がり、今度は味噌教室をやりましょうと発展することもあります。久保田さんとも仲が良くて、夜に製粉について長電話をしたこともありますね(笑)」

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元々パン好きの小林さん。「おいしいパン屋はたくさんあるので、自分は小麦を作ろうと思いました」とのこと

そんな顔の見える関係性を大切にしている小麦農家の小林さんと、パン店の久保田さん。同じ考えを持つ人たちが共鳴するかたちで、ネットワークがつながっていく——。単なる“卸と販売店”を超えた関係性になっているようです。

パン屋はパンに関わる人々の架け橋的存在

「小麦粉の産地までは分かっても、販売されているパン、一つ一つのバックストーリーを知ることはまずないですよね」と取材スタッフに問いかけてきた久保田さんは、地域のパン店のあるべき姿についてこう語ります。

「僕たちのようなパン屋は、食べてくださる方に“バトン“を渡す最後の人です。僕らの後ろにいるすみや農園のゆうくん(小林さん)や高崎市で製粉所を営むコンベ製粉所さんなど、おいしい小麦粉をバトンで渡してくれている方がたくさんいます。そのおいしさを引き出すのが、僕の役目ですね」

さらに、今回話を伺った小林さんについて、取材時に得られなかった情報を教えてくれました。

「ゆうくんは、有機JAS認定の認定検査員の資格を持っているそうです。でも自分の農作物では、有機JAS認定を取っていません。認定を取るにはお金も時間も掛かるので、そこに労力や費用を掛けるなら栽培に回したいと言います。

僕たち自身がその品質を分かっていれば、小麦とか農産物とか地域でモノを回すための流通には、正直、有機JASの認定シールは必要ないと思っています」

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すみや農園の小麦粉を使った「ガトーボワイヤージュ」。甘さ控えめで、また食べたくなるおいしさ

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常連客による予約済みの焼きたてパン。「おまかせ」で頼める安心感

売上や利便性を重視するのではなく、“安心安全で、おいしいもの”を作ることに情熱を注ぎ、バトンを渡してくれる、小林さんなどの生産者や製粉所の方々のことを久保田さんは、「一緒にパンを作っている仲間」といいます。そして食べてくれる人たちも、パンでつながる「仲間」。

最後に、ここ最近、雑誌やwebなどで前橋・高崎市が「パンの激戦区」と称されることについて、どう思われているのか伺ったところ、

「そうなんですかね……⁉︎  ここで営業して数年経ちますが、そう感じたことはないですね。まだまだ僕を含めてこの地域のパン屋はもっと切磋琢磨勉強し合って、より良いパンを共に地域に提供する必要があると思っています。もっと地元に注目が集まるよう、僕ら自身も頑張っていきます」

小麦の収穫からパンとして焼成されるまで、心を込めた職人たちのバトン渡しが、群馬エリアだけではなく、人々を魅了するパンを生み出しているようです。

 

【取材先紹介】

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CROFT BAKERY
群馬県前橋市日吉町2-5-1
電話 027-257-9052
http://croft-bakery.blogspot.com/ 

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すみや農園
群馬県高崎市箕郷町柏木沢2187
https://www.sumiyanoen.com/

取材・文/夏野久万、おなじみ編集部

撮影/鈴木愛子