仙台駅から電車に揺られること約20分。仙台空港アクセス線「杜せきのした駅」周辺は、整備された町並みが広がる閑静な住宅街です。その中で、ひと際異彩を放っている飲食店が「たこ焼きイヴちゃん」。
店頭に所狭しと貼られた森高千里さんの写真。大盛り・激安が特徴の各種定食。一年中、黒タンクトップの店主。個性が強すぎるにも関わらず、連日開店前から行列は当たり前という人気の秘けつについて、店長の伊深(イブカ)利幸さんに話を聞きました。
たこ焼き屋なのに極厚トンカツが大人気! カレーライスはなんとお代わり無料
店主の伊深利幸さんによれば、11時半の開店時間にお客が20人並ぶことも日常で、早い人は10時から並んでいるのだとか。「異常だよね、並んでまで食べるものじゃないよ(笑)」と謙遜する伊深さんですが、実際に店舗を訪れてみると、その繁盛ぶりもうなずけます。まず、驚くのが価格の安さ。
「たこ焼き屋」と掲げながら、焼きそば、チャーハン、オムライスなど大衆食堂らしい豊富なメニューを取り揃えている「イヴちゃん」ですが、ほとんどのメニューが税込600円。物価高の現代にしては、思い切った価格設定です。もちろん、安かろう悪かろうではなく、どのメニューも食べ応えがあって味もよし! 特に毎週木曜日のトンカツデー限定「トンカツ定食」500円(税込)は、極厚の肉がたまらない、超人気メニューです。
トンカツデーと並んで人気企画なのが、毎週金曜日のカレーライスデー。カレーライスのお代わり自由(13時まで)という驚愕のサービスランチです。
店をあげての「森高千里」推しに全国が注目
この店、普通じゃないのは、サービスだけではありません。テレビの取材が来たり、青森から沖縄までほぼ全国からお客が訪れたりするほどの人気店になった理由は、店主の伊深さんが尋常ではない「森高千里」ファンであるということ! そのあふれんばかりの愛は、店の前に無数に貼られている森高千里さんのポートレート写真からもうかがえます。
伊深さんが森高さんに夢中になったきっかけは、今から約11年前のこと。中古で購入した2万円(!?)の車のエンジンをかけたところ、たまたまカーステレオに入っていた森高さんのカセットが再生され、一瞬で虜に。そのときの印象を伊深さんは「心に彼女の歌が入ってきたんだよね……」と語ります。
以後、ネットで森高さんのことを調べたり、CDやレーザーディスクなどを買い集めたり、しまいには店でもお客に森高さんの魅力を熱弁するように。草の根活動でファンを増やしながら2019年にはFacebookで「森高千里同好会 東北本部」を立ち上げ、ネットを通じても全国のファンとの交流が生まれるようになりました。
同好会自体は規模が大きくなりすぎて管理が大変になり、やむなく今年解散してしまったそうですが、ファンの方々との交流や森高さんの魅力を発信していく活動は、これからも精力的に続けていくそうです。
家庭の事情、社会の変化、幾多の波を超えてたこ焼き屋に
こんなミラクルな店がどのようにできたのか?気になって、伊深さんのこれまでの経歴を聞いてみました。
1959年、伊深さんは、祖母の時代から続くよろず屋「伊深商店」を営む両親の元に生まれました。当時、酒やたばこに加えて日用品を扱う、今でいうコンビニのような店だったそうです。
その後、19歳で家を出て独立し、国鉄(現在のJRグループ)の車両整備士、宅配ドライバー、タクシードライバーなど、25年間、乗り物一筋の仕事で生きてきました。転機となったのは、父親が肺がんで倒れたこと。その際、父親は「利幸、これからの時代、こういうお店はダメだ」と閉店を決意していましたが、伊深さんは店を継ぐことを決意します。
「25年間ずっと会社員をやってきて……急に嫌になったんですよ。最後は自分で好きなようにやりたいという夢があってね。でも、実際に店を継いではみたけど、100円均一でアルカリ電池が買える時代に、200円のマンガン電池を売って、仕入れが175円だから、25円の利益。こんなんじゃやっていけねえよ、と思ったよね」
そんな話を店に来たセールスマンとしていたところ、「伊深さん、このエリアでたばこに力を入れている商店ってないんですよ。ここは立地もいいし、たばこは嗜好品なんで好きな人は必ず来るから、たばこ専門店やってみない?」と提案を受けます。話に乗った伊深さんは「世界のたばこ」と銘打って、世界中のたばこを販売する専門店を始めました。
「結構、注目されてね。東北のたばこ屋としては3、4番目くらいの売り上げがあったんじゃないかな。俺、たばこの煙が嫌いで吸えないんだけど(笑)。でも、コーヒーは好きだったから、たばこを買いに来たお客さんに自家焙煎したコーヒーを提供していました。そのときに、たばこのテイスティングもしてもらって、感想を聞く。そうやって、たばこの勉強をしていったんだよ」
商売は軌道に乗りますが、taspo(成人識別たばこ自動販売機のためのICカード)が導入された頃からたばこの売り上げが激減し、商売が成り立たなくなります。一時は店を閉めてタクシードライバーに復帰した伊深さんですが、認知症の母親の面倒を見るためにも再び実家に戻りました。そこで、再起をかけるために始めたのが、たこ焼き屋です。
「近くにあった、たこ焼き屋のおばちゃんが、たこ焼きはいいよ〜って言うんだよね。初期投資はほとんどいらないし、経費もそれほどかからないって。私が全面的にバックアップするから大丈夫! って言うんで、アドバイスをもらいながら徐々にたこ焼き屋に変えていったの。でも、肝心な生地の作り方については教えてくれなかった(笑)」
そこから半年間をかけて、伊深さんは独自に生地を開発します。こだわったのは値段と味。
「業務用の生地を使えばあっという間なんだけど、それだとコストがかかる。でも、たこ焼きって子どもが小遣いで、晩ご飯までの腹のつなぎに買って食べるものじゃない? 安く提供しないといけないから、業務用はダメだとなった。もちろん、まずいといけないから、いろいろと試行錯誤して安くておいしい生地ができたのさ」
お客の顔を見て味付けを調整する、徹底したお客志向
どこの町にも一軒はあるような老舗の商店を、行列のできる飲食店へと変えた伊深さんの手腕。その秘けつは何だろうと考えたときに、思い当たるのは「お客さんの要望やアドバイスを貪欲に聞き入れ、その期待に全力で応えていく伊深さんの姿勢」です。
たばこ屋やたこ焼き屋のエピソードはもちろん、店で現在のようにメニューが増えたのも、お客に「何を食べたい?」と聞いて要望に応え続けた結果だとか。
「例えば、同じ焼肉定食を注文されたとしても、人によって味を変えていくんですよ。常連さんなら好みを合わせて作ったり、初めての人でもその人の顔を見て(好みを想像して)味を少し変えたり。かゆいところに手が届くじゃないけど、相手の立場になったときにどうしたら喜ぶかな?ということをいつも考えてるよ」
「結局、おいしいって喜んでもらえる笑顔が一番うれしいんだよね。なんで値段を600円にしてるかっていうと、1,000円でおいしかったら当たり前だけど、600円でおいしかったら感動するじゃん。その笑顔を見たいからこその値段なんだよ」
2022年の3月にテレビで紹介されてから、ますますお客が押し寄せている「たこ焼き イヴちゃん」。コロナ禍で中止となっていた森高千里さんの誕生日会イベントも、次回は感染症対策をしっかりとして開催する予定とのこと。伊深さんの森高さんへの愛も、お客への愛も、これからもますます止まることなく突き抜けていきそうです(ちなみに取材後に森高千里さんのライブDVD鑑賞会が始まりました……)。
取材先紹介
- たこ焼きイヴちゃん
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宮城県名取市増田字後島434
- 取材・文小野和哉
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1985年、千葉県生まれ。フリーランスのライター/編集者。盆踊りやお祭りなどの郷土芸能が大好きで、全国各地をフィールドワークして飛び回っている。有名観光スポットよりも、地域の味わい深いお店や銭湯に引かれて入ってしまうタイプ。
note: https://note.com/kazuono - 写真西川節子
- 企画編集株式会社 都恋堂