完成形は、あえて求めない。現場のフィードバックで店を形づくる老舗酒販店の試み

1915(大正4)年創業の酒販店・桑原商店は、新たに日本酒と飲食、アートを楽しめるコミュニティースペースとして、2018年にリニューアルオープンしました。改装を手掛けたのは、4代目店主の桑原康介さん。お店を継ぐ前から現在に至るまで、各地のアートプロジェクトにも携わっています。アートと飲食店経営には親和性がたくさんあると語る桑原さんに、新しい飲食店経営のヒントを伺いました。

飲食店や酒屋の知識「ほとんどゼロ」で、老舗酒販店の店主に

――まずは、リニューアルに至った経緯を教えてください。

桑原さん:桑原商店は1915(大正4)年に酒販店として創業しました。その後、戦後まもなくして2代目の祖父が酒販業と飲食店を掛け合わせた形態を始めたんです。当時としては画期的だったそうです。それから1980年代のコンビニ黎明期に入ると、父が酒販店からコンビニにリニューアルしました。五反田エリアでは最も早く、コンビニ事業を始めたと聞いています。

コンビニになってからも地域のお店として町の方たちに愛されていて、父とお客さまが親しげに交流する風景は今でも脳裏に焼き付いています。

1950年頃の桑原商店。町の酒屋として栄えた(提供:桑原商店)

2005年頃の桑原商店。ニーズの変化から、80年代にコンビニとしてリニューアル(提供:桑原商店)

――いつかは家業を継ぐと考えていましたか?

桑原さん:小さい頃から店の手伝いをしながら現場で真摯に接客する父を見て、「いつかは自分がお店を継ぐのだろう」という意識が常に心の中にありましたので、店を継ぐことにネガティブな感情は抱いていませんでした。そうした思いがあったからこそ、大学卒業後は各地の芸術祭に携わりながらも、地域商品のパッケージデザインの提案など商品開発を含めたアート関連の店舗運営に携わる仕事もしていました。

「小さい頃から、物を作ったり絵を描いたりして、自分で新しいものを生み出すことが好きでした」と語る桑原さんは、美術大学卒業後、アートプロジェクトの世界へ。「大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ」を中心に、「瀬戸内国際芸術祭」「中房総国際芸術祭 いちはらアート×ミックス」など、数々のアートイベントの運営に携わった

――生き生きと働く父親の姿を目にすることで、自然とお店を継ぐことへの心の準備ができていったのですね。

桑原さん:そうですね。ただ、父も歳を取り、経営から退くことになった時にはコンビニ事業へ参入する競合他社が増え、会社の経営は厳しい状況にありました。いざ自分がお店を継ぐことになったとき、これからどうしようかと悩みました。当時、恥ずかしながら飲食店や酒販店に関する知識はほとんどない状態でしたが、新しい価値観でビジネスを捉えないと生き残る道はないだろうと強く感じていました。そのため、コンビニに姿を変えながらも父の代まで引き継がれてきた酒屋のノウハウと、これまで自分がアート関連の仕事で広げてきた人脈や知識をうまく組み合わせて、酒屋として何か新しいことができればと考えたのです。

一方、街の酒屋が減少しているにも関わらず、あえて酒屋としてリニューアルすることに対し、周囲は反対する声も多かったですね。私自身、それまでと同じような方法で酒屋の経営を行うことは結局厳しいことになると思っていたので、酒屋に飲食を併設した形などを考えていました。具体的にどう作り上げていけば良いかと悩んでいた時、スペースコンポーザーの谷川じゅんじさんの紹介でスキーマ建築計画主宰の長坂常さんに出会いました。

長坂さんは、ご自身のシェアオフィスHAPPAを使用して、実際にオフィスで働きながら、より働きやすく過ごしやすい空間につくりあげていくという取り組みを実践してきた人です。そこで、飲食併設型の酒販店をつくりたいという思いを長坂さんに伝えたところ、ワークショップを積み重ねる中で、店舗づくりを行っていくことを提案いただきました。

「予定不調和」をキーワードに店舗のあり方を探る

――ワークショップを重ねて店舗づくりを行うというのは、かなり斬新なアイデアに感じます。提案を受けた時、戸惑いや不安はありませんでしたか?

桑原さん:当初、新店舗の構想を分厚い企画書にして持っていきました。でも、長坂さんは『そんなに思った通りにはいかないんじゃない?』って。長坂さんは、私の周囲の人や家族で商いの仕方や考え方に違いがあることや、倉庫の空間の面白さを見抜いていて、私の一存だけではなく、さまざまな意見を取り入れてみた方が面白いんじゃないかとワークショップの蓄積でお店をつくることを提案してきたんです。確かにそうかもしれないと納得してしまって。

そこで長坂さんをはじめとするスキーマ建築計画の皆さんのご協力もいただき、約1年半をかけながら、それまで倉庫として使っていたスペースを仮店舗としてワークショップやイベントを開催していくことにしました。参加者は、4世代にわたる私の家族のほか、食やアート、建築など含めた幅広いジャンルの方々です。倉庫を仮設店舗に据えた後は、内装から店舗オペレーション、提供するお酒や食事のメニューまで、店舗営業に関わることは、全て実践を通して決めていくことにしたのです。

当時の倉庫はかなり雑然とした雰囲気だったため、第1回のワークショップのテーマは、仮店舗としてワークショップをする場を作るために、倉庫内の不要な荷物を処分して倉庫をスケルトン化することでした。あくまでも仮店舗なので、既存のスチールラックを活かし、サッシ、床、壁、天井はそのまま。しかし、ワークショップに参加した人たちの中で、このままがいいよねという声が多かったので、結果として倉庫の雰囲気をなるべく残す形で、正式な店舗としてリノベーションを進めることになりました。

――そもそも、先代までは大通りに面した場所で経営されていたかと思うのですが、なぜあえて路地を入った場所にある倉庫スペースを新たな店舗として選んだのでしょうか?

桑原さん:リノベーションするなら、コンビニや酒屋などに姿を変えてきたビルよりも40年以上姿を変えずに路地裏にたたずむ倉庫の方が、歴史の名残があって面白いと感じたからです。今の時代、みなさんGoogle Mapで店の場所を調べながらお越しになるので、路面店で目立つ必要もないと考えました。

――第2回以降は、具体的にどのようなワークショップを行ったのでしょうか?

桑原さん:ある日は食のワークショップ、また別の日はオペレーションのワークショップという具合に、開催日ごとにテーマを決め、実践しては参加者と感想を共有し、改善を重ねていく作業を行いました。

例えば、オペレーションのワークショップでは、100名近い参加者にお客さま役になってもらい、実際に現金を使用して、会計まで一番スムーズな動線なども検証しました。

お店で提供するメニューや日本酒に関するワークショップでは、これまでつながりのあった蔵元さまや料理研究家の方をお呼びして、試飲会や試食会を行いました。実際に店舗の雰囲気を感じてもらいながら、どのようなメニューや日本酒を提供するのが良いか相談したいと思ったんです。

店舗の内装に関しては、最終的にはワークショップの延長で、参加者のフィードバックを踏まえて家族みんなでセルフリノベーションを行うことになりました。棚やカウンターなどは設計図を基に大工さんの指導を受けながら、現場で調整して家族みんなで作ったものになります。

これまでの仕事で培った人脈を生かし、アーティストやデザイナーにも集まってもらった(提供:桑原商店)

食のワークショップでは、10種類ほどの仮メニューを料理研究家や桑原さんの家族と作り、100名近い参加者に提供。日本酒も10種類以上を用意し、それぞれ少量で飲み比べをしてもらった(提供:桑原商店)

店舗に置く椅子も、複数色購入し実際に店舗に設置してみて判断。実践なしで取り入れられるものは、この店にない

――当初の予定や想定していた内容と異なる結果になったものはありましたか?

桑原さん:そうですね。例えば、当初は簡易に運営できるオペレーションを考えると、もっとシンプルな「角打ち」がいいのではという声もありました。でも、ワークショップを通じて、「やはり生産者の商品はより丁寧に扱いたいし、お客さまには飲食施設としても充実した空間を提供したいね」という話が出て。それを実現するために、提供する料理のほか、酒器や食器もこだわり抜いています。今の桑原商店はお酒をただ飲むというより、各地域や蔵元さまへの興味を喚起したり、お食事やインテリア、お客さま同士、もしくは店員とお客さまのコミュニケーション含めてその場で気軽に楽しんでもらう複合的な意味で、「立ち飲み」という言葉の方がしっくりきますね。

――ワークショップで話した内容を実現するため、桑原さんが中心になって動かれたのですか?

桑原さん:私は、飲食店経営のプロでもなく、食やデザインに関する知見も、専門家ほど深いわけではありません。そのため、今回の店舗づくりにおいて内装の設計や陳列、メニュー開発などの実際のクリエイティブまわりは、参加したアーティストやデザイナー、建築家、料理研究家の方々に協力を依頼し、私は皆さんのアイデアを俯瞰(ふかん)的に調整してまとめていく役に徹しました。

こうして参加者の皆さんと一緒に試行錯誤を繰り返す中で、最初から完成を目指すのではなく、実践を通じてあらゆる角度から店のあり方を決めていくという意味での「予定不調和」という言葉が、徐々に店づくりのキーワードになっていきました。

随所に施される「予定不調和」を誘発するデザイン

――「予定不調和」という考え方は内装やオペレーションにも反映されていたりするのでしょうか?

桑原さん:はい、もちろんです。ワークショップにおいてさまざまな職業や立場の方の意見に耳を傾け、「予定不調和」を大切にするプロセスが、結果として多くの人を巻き込み、生き生きとした場の魅力が引き出されていくことにつながりました。

さらに課題をポジティブな発想で捉え直すと、お店の個性に転じさせることができるという学びも得ました。そういった学びから、お客さまとお客さま、お客さまとスタッフ間の「予定不調和」な化学反応を引き起こすためのコミュニケーションを生む仕掛けが内装に施されているんです。

例えば、大型の冷蔵ショーケース内のお酒は表側から開けられない仕様にしています。常時低温で温度変化が起きないという品質管理の観点もありますが、この仕様によって必ず店員に声をかけていただいてからお酒を選んでもらう仕組みができました。

そうすることでお客さまとの会話が生まれ、よりお客さまの趣味嗜好に合ったお酒を提供できます。辛口が好きだというお客さまも、よくよく聞いてみると辛口しか飲んだことがないために、なんとなく選んでいる場合もあります。他にどのようなお酒が合いそうか、会話を通してお客さまそれぞれの感覚を大事にしながら選ぶことで、新しい日本酒との出合いを楽しんでほしいと思っています。

温度や照明も、徹底管理。「日本酒は蔵元の思いが込められた作品。商品がよく見えるように陳列し、一番おいしい状態で召し上がっていただけるようにしています」

また、店内の至る所にアート作品を置いているのですが、それらもお客さま同士の会話のフックになっています。

店内には国内外のアーティストの作品が随所に飾られている

――日本酒の話題だけでなく、飾られたアートの話で盛り上がることもありそうですね。

桑原さん:そうなればいいなと思っています。アート作品は、「この作品なんとなくいいよね」と感覚的に会話ができて、自然と話題が広がっていくんです。お酒の知識の有無に関係なく、どんな人も会話を楽しむことができます。

アート作品を飾るだけでなく、店内空間の設計でもデザインを通したコミュニケーションを意図しています。例えばお酒や料理をのせる卓にはサワーのケースを3段積み上げたものを使用しているんです。ちょっと不安定な見た目の方が、みなさん警戒してむやみに寄りかからないから、倒したりすることもない。これも緻密なデザインの力です。

アートギャラリーの側面も持っている点が良いのか、雑然とした雰囲気ではないためか、女性客や海外のお客さまも多くいらっしゃいます。最近ではそうした方々が実際にお酒を召し上がっていただいた感想などを求めて、新奇性ある取り組みをされている蔵元さまからの取り引きのご依頼をいただくことも増えました。

――日本語がわからないお客さまにもデザインの力があれば伝わりやすくなりそうですね。

桑原さん:まさにその通りです。海外から観光で来るお客さまは限られた滞在時間の中でここを選んでくださっているので、気持ちよく過ごしてもらいたい。わからないと感じることを減らすため、床に会計までの動線を示す矢印を記すなど、デザインや記号を効果的に使用することで、お互いに気負うことなくコミュニケーションができます。

デザインの力は新型コロナウイルス感染症の対策にも生かされました。飲食店で食事をすることに不安を感じる場面が増えたからこそ、「緊張感を生じさせない」ことをテーマに、飛沫感染を防ぐための空間づくりをし、それまでの取り組みと併せてグッドデザイン賞も受賞しました。

店舗を安全に運営するために、ただ指示書きを貼るのではなく、デザインの力で先回りしてお客さまを誘導する。ストレスを感じさせない工夫を随所に施すことで、お客さまがよりのびのびと過ごせるような空間をつくり上げています。

卓まわりの白線はコロナ禍で登場。「白い線を踏むように立てば、ちょうど人との間隔を1.5m開けられるんです」

お会計はこちら。オレンジ色のビニールは飛沫感染を防ぐためのもの。ビニールに記された黒の矢印の下に立つと、ちょうどレジの目の前に来るようにデザインされている

時代のニーズを柔軟にキャッチしながら、変化を取り入れる

――内装からオペレーションに至るまで、既に細部まで考え尽くされているように思えますが、今後も変えていく可能性はあるのでしょうか?

桑原さん:その可能性は十分にあると思います。時代が変われば、当然お客さまのニーズは変化しますし、運営体制も変わるでしょう。例えば、コロナ禍によって、お客さまのお酒の楽しみ方やライフスタイルは大きく変化しましたし、今後も変わっていくはずです。私たちスタッフ側の状況も、家族経営から家族以外のスタッフと協働して運営していく形へと変化しています。

そう考えると、今の店舗の運営方法がこれからも同じままでよいとは考えにくく、時代のニーズに合わせて、その都度、変化していくのが自然な姿でしょう。思えば桑原商店は創業時からそのように経営してきましたし、これからもそのスタイルでやっていくつもりです。

ただ、改善点が見えても、全てを反映するわけではありません。さまざまな意見を聞いて経営全体を俯瞰して捉えてみて、整合性が取れる状態であるなら変更を加えるようにしています。全てのオペレーションに意味があり、コンセプトがあるので、一部分だけを見て変更するのは非常に危ういと考えています。

多くの方のご意見に耳を傾けながらも、時代の読み取りや本質を射抜く視点のビジョンを見失わない。そうやってしなやかにバランスを保つことは、桑原商店が「予定不調和」を生み出すための場として常にフラットな目線を持ち続けるために必要です。今後も、人と人、人とモノとの交差点になり、関わりのある皆さんに感謝をし、常に新しい出会いを提供できるような店でありたいですね。

取材先紹介

桑原商店

 

取材・文齊藤葉(株式会社 都恋堂)
写真中村宗徳
企画編集株式会社 都恋堂