お客さまの声は親方よりも響く。お客さまが職人を育てる店「鮨 銀座おのでら 登龍門」

寿司の名店「鮨 銀座おのでら」の系列店である「鮨 銀座おのでら 登龍門」は、「お客様に育てていただく鮨店」をコンセプトに、入社3年目以降の若手職人が総本店と同じネタで寿司を握り、破格の値段で提供しています。若手育成の場としてオープンした登龍門で働く職人たちは、お客さまとどのように向き合い、スキルを磨いているのでしょうか。寿司業界の未来を担う若手職人たちに話を聞きました。

寿司業界の課題解決をはかるべく、若手育成の場としてオープン

「鮨 銀座おのでら」は、東京・銀座の総本店をはじめ、世界3カ国13店舗(2024年1月時点)を構えるグローバルな外食ブランドです。「食」を通じて、日本文化を世界中に広げることを掲げています。

その系列店として、2022年4月に「鮨 銀座おのでら 登龍門」をオープンしました。同店は「鮨 銀座おのでら 総本店」と同じ通りに位置し、本格的な寿司を楽しめる店としては珍しい立ち食いスタイルを採用。入社3年目以降の若手が修業として寿司を握るため、総本店と同じネタをリーズナブルな価格で堪能できます。

都営地下鉄東銀座駅からすぐの場所にある「鮨 銀座おのでら 登龍門」。ネタはセントラルキッチンで仕込み、総本店と同じものを提供している

通常、一人前の職人になるためには10年ほどかかるとされている寿司業界。3年目の若手が寿司を握るのはかなり珍しいですが、なぜ登龍門は誕生したのでしょうか。

銀座おのでらに入社して6年目となる都川裕介さんは、その背景として業界の抱える人材不足、育成制度の縮小化といった問題があると話します。 

「コロナ禍になる前から、寿司業界では人材不足が叫ばれていました。採用に力を入れる店はいくつもありましたが、なかなか職人になれないことに将来への不安を感じた若手が、業界を離れてしまうケースが多々あったと聞きます。僕個人としては、寿司に限らず、あらゆる技術職は時間をかけて腕を上げていくものですし、修業期間が長いことは仕方がないと捉えています。ですが、時間は間違いなくかかるため、一人前になるまで待てないという声にも共感できます」(都川さん)

登龍門のオープン当時からカウンターに立つ、入社6年目の都川裕介さん。「以前は、町中にある寿司店でも若手職人が寿司を握る練習をすることがあったそうですが、そういう店は年々減少しています。経験を積む場所や機会自体が少なくなっているようです」

銀座おのでらでは、社内の人材不足を解決することを目的に、寿司職人の中途採用に注力していた時期もありました。しかし中途採用者の多くは即戦力となる一方、それまで培った独自の経験や技術をベースとするため、時にそれが弊害となってしまうこともありました。

そこで注目したのが、新卒採用者です。知識も経験もない状態で業界入りする彼らは、真っさらな状態だからこそ、店の価値観や方法を積極的に吸収していきます。しかし、従来のように10年目から寿司を握るようでは、一人前になるまでに時間がかかってしまい、人材不足の解決にはつながりません。

そこで思い付いたのが、入社3年目から客前での実践を通して経験を積んでいく、登龍門のスタイルです。早くから寿司を握らせてもらえるとなれば、修業へのモチベーションも上がり、離職防止につながります。さらに、立ち食いスタイルにすることで単価を抑えつつ来店客の回転率を上げれば、職人も学びのチャンスを多く得られると考えました。

思い切った決断ですが、長い目で見れば、職人の数が増えることは店にとっても、業界にとってもプラスになるはず。「店、そしてゆくゆくは業界の将来の戦力となるような職人を新卒採用者から生み出したい」という思いが、登龍門のオープンを大きく後押ししました。

総本店の職人がこまめに立ち寄り、若手職人の技術をサポート

登龍門には、現在3人の若手職人が在籍しており、基本的には2人が「つけ場(寿司の調理場)」に立つ形で店を運営しています。営業時間は、16~22時(ラストオーダーは21時15分)で、出勤時間は10時。総本店と登龍門を行き来しながら、その日に出すネタの準備をします。

最大で18名が立ち並ぶ店内。2人の職人でお客さまを担当する

ネタの準備をする都川さん。「基本的にお出しする寿司のネタは総本店と同じですが、中には登龍門だけで提供しているネタもあります。そうしたものは、僕たちで在庫管理や仕込みを行っています」

店に常駐するのは若手職人のみ。営業中は握り、お客さまの様子、残りの食材に気を配り、常に頭も体もフル回転の状態となりますが、混雑時には総本店から先輩職人が手伝いに来てくれたり、握り方や切り付けなどのアドバイスをしてくれたりすることもあるそう。

「手が空いている時は、わざわざ食べに来てくださるので、その時に味の感想やフィードバックをしていただきます。実は親方も、月に2回ほどのペースで食べに来てくださるんです。握りの回数やわさびの利き具合、お寿司を出す向きなど、教わることはたくさんありますが、教えられたその場で直すようにしています」(都川さん)

若手が成長する場として任せるところは任せながらも、品質や接客面で落ち度がないように、一定のフォローを欠かさないようにしているのです。

若手社員は入社後まず、総本店で基本となる修業を積む。基本的に1年目は「追い回し」と呼ばれる皿洗いなどの雑用をこなし、2年目で焼き物や揚げ物などの一品料理を担当。3年目で「手子(てこ)」と呼ばれる寿司職人のアシスタントを担当し、職人としての基礎を身に付けてから、晴れて登龍門で寿司職人デビューとなる

さまざまな形で胸に刻まれる、ありがたいお客さまの声

一方で、店のコンセプトが「お客様に育てていただく鮨店」であるように、若手職人の成長を支えるのが、お客さまからの声です。若手職人たちもそのありがたみを、身を持って実感しているといいます。

「お客さまからの言葉は、本当に心に残ります。ここで働き始めた頃によく言われたのは、提供スピードについて。立ち食いなので、時間がないけどおいしいお寿司を食べたい方が多いのですが、当初は一人に一貫ずつ丁寧に提供することを意識していたので、『遅い!』とお叱りを受けることもありました(苦笑)。今では、注文の仕方や食べるスピード、待っている時の過ごし方などを注意深く観察して、お客さま一人ひとりに合った形で提供するようにしています。

また、若手では気付きにくい点を指摘いただくこともあります。例えば、ある時『シャリが冷たい』とお声をいただきました。シャリは冷めると、少し硬さが出てしまうんです。口に入れた時の食感や温度に違和感が生じることを、その時はっきりと認識しました。それ以来、シャリは常に人肌の温度を意識して提供しています」(都川さん)

こうしたお客さまからの率直な声は、現場に対する最も嘘のないフィードバックであり、若手職人にとってかなり貴重なものです。その分、褒められた時の喜びはひとしおだとか。

登龍門に入って半年の山本颯人さんは、「何度も来てくださるお客さまから、『前回より(握りが)キレイになった』『おいしくなった』と言っていただけると自信になります。先輩や親方にも増して、お客さまから褒められるのがやはり一番うれしいです」と振り返ります。

入社3年目で、登龍門では半年が経つ山本颯人さん。大好きな寿司に携わる仕事をしたくて、この業界に入ったのだとか

「結局、お客さまの言葉が、親方や先輩たちの言葉よりも心に響くんですよ」と話す、「鮨 銀座おのでら」統括総料理長の坂上暁史さん(右)。若手職人がひたむきに修業をする姿を目にして、お客さまには「頑張る若者を応援したくなる親心」のようなものが生まれる。若手育成を支える柱の一つとして、そんな心遣いにも頼っていきたいのだとか

技術面だけではなく、若手の時からつけ場に立つことで、お客さまとのコミュニケーションや人間関係の構築など、学びも多く得られます。

「ある日、満席で注文数も多く、常連さんがお帰りになることにも気付けない時がありました。その日は何も言われなかったのですが、後日、『帰るお客さんにはひと言くらい声を掛けた方がいいよ』と言っていただいたんです。(若手として)余裕がない状況だったとはいえ、接客としてはゼロ点です。それ以上に、人と人とのコミュニケーションにおいて大事な『あいさつ』ができていなかった事実に、自分はまだまだだと痛感しました」(都川さん)

しかし、「こういったアドバイスをくださるお客さまは、ほんの一部」と都川さん。どんな言葉も一人前に育つための糧になるため、もっと気軽に意見してもらいたいと、前向きな姿勢で語ります。お客さまからの意見は、他の誰からの言葉よりも心に響く栄養となり、若手職人たちの成長を支え続けているようです。

夢は大きく、世界を股に掛ける寿司職人へ

オープンから1年半。実践を通した人材育成に手応えを感じた銀座おのでらでは、若手職人のさらなる成長を目指し、今後一層、新卒採用に力を入れていきたいと考えています。現在、登龍門で寿司を握る若手職人は3人のみですが、将来的には働き手を増やし、新卒採用者同士で自然とお互いを高め合うような店をつくっていくことを理想としています。

そして、登龍門で育った職人たちは、「昇り龍」(卒業生)となって次のステージへと向かいます。親方に認められると国内外にある系列店へ異動することができ、登龍門を卒業した先輩2名も、現在はそれぞれが希望した店舗で働いているとのこと。都川さんも、系列店で寿司を握ることを夢見る職人の一人です。

壁に並ぶ名札には、登龍門を卒業した職人の名前が掲げられている

「実は、僕はアメリカで寿司を握りたくて、海外展開に力を入れている銀座おのでらに入社しました。一日でも早くアメリカの店舗でも通用する寿司職人になれるよう、怠けず、おごらず、ひたむきに邁進していきたいと思います」(都川さん)

お客さまの胸を借りながらたくましく成長し、世界へ羽ばたいていく若手職人の姿は、職人不足に悩まされる寿司業界の人材育成制度に新しい視座を与えています。

取材先紹介

鮨 銀座おのでら 登龍門

取材・文安倍川モチ子

鳥取県出身で東京在住のフリーライター。2011年よりライター(たまに編集者)として活動しはじめ、現在はWebメディアを中心に、 グルメ、 エンタメ、 歴史、 ライフスタイルなどの幅広い分野で執筆している。

写真田淵日香里
企画編集株式会社 都恋堂