昭和期に首都圏近郊の温泉地として栄えた静岡県の熱海。バブル崩壊後に宿泊者数は落ち込み、2011年の宿泊施設利用人数は246万人にまで減少したものの、2018年には309万人とV字回復※1を成し遂げました。観光地としての熱海復興、その立役者の一人でもある株式会社machimori代表取締役 市来広一郎さんに、何度も訪れたくなる街づくりのヒントについて伺いました。
※1 『令和3年版 熱海市の観光』(熱海市)
現代版の「家守(やもり)」として、街の付加価値を高めていく取り組み
市来広一郎さんが2011年に創業した株式会社machimoriは、熱海の中心市街地再生を目的とした事業を手がける熱海発の企業です。事業内容は江戸時代にあった「家守(やもり)」という不在地主に代わって建物やエリアを管理する職業に着想を得ており、街全体の付加価値を戦略的に高めていくという視点から、ゲストハウスの運営や空き店舗となった不動産の仲介、リノベーション、さらには熱海という場を活用した人材育成や事業開発のコーディネートなど、さまざまな角度から街づくりに取り組んでいます。
脱サラし、ゼロからスタートしたという市来さんの街づくり活動は、「昭和レトロな街」としての熱海のブランディングにも貢献しました。2017年の『観光白書』(観光庁)にて観光地再生事例の一つとして熱海が取り上げられた際にも、「Uターン者による熱海の魅力的なコンテンツづくり」として紹介されました。
近年の熱海再生に大きな貢献を果たした市来さんは、「100万人が1回来るより、1万人が100回来てくれた方が、街が豊かになる」と訴えます。その言葉の真意について、市来さんの活動を振り返りながら迫ります。
「地元の人が街の魅力を知らない」問題を解決した体験プログラム
大学院卒業後、東京でコンサルタントとして活躍していた市来さんが、地元・熱海再生の志を抱いてUターンしたのが2007年のこと。地元に戻り、まず市来さんが着目した課題は「地元の人が、地元のことを知らない」ということでした。
「観光客に『どこか良い場所はないですか』と聞かれたときに、地元の人が『何もないよ』と答える、そんな会話が至る所で繰り広げられていました。熱海は観光地なので、他の地域と比べれば町が良くなってほしいという思いは強い方だと思うんです。ですが、街がどんどん衰退していくという事実を目の当たりにしていく中で、街への愛着はありつつも、非常に自虐的な意識が芽生えていたという部分があるのかもしれません」
かくいう市来さんも、熱海に住んでいた当時は、あらためて地元の街を歩き回ることもなく、その魅力に気付くことはなかったと言います。そのきっかけとなったのは、大学生時代に初めて体験した海外旅行でした。
「海外でさまざまな街を見た後、あらためて日本に帰ってきて熱海を歩いてみると、まるで知らない場所を旅しているような感覚で街の個性を感じ、楽しむことができました。昭和のままの雰囲気、海、山、温泉、そして積み重ねてきた歴史。昔からさまざまな人が熱海にやって来ては、文化をつくり上げてきたというストーリーも含め、この街はすごく面白いなと」
地元民の熱海に対する満足度の低さに課題を感じた市来さんは、熱海を再生するには地元の人の意識を変える必要があると思い至り、2009年に熱海のまち歩き&体験プログラム「熱海温泉玉手箱(通称:オンたま)」をスタートしました。「オンたま」の特徴は、主に熱海の別荘に住んでいる人や移住者といった、地元の人たちに向けた体験型コンテンツであるということ。そして、ガイドをするホスト側もまた地元の人であるということ。
地元民がガイドをする側、される側、それぞれの立場で体験プログラムに参加することは、熱海の魅力を再発見する絶好の機会となります。さらにこの取り組みによって、体験プログラムからファンが生まれ、ファンがサポーターへ、サポーターがプレイヤーへと成長していく、という好循環も生まれました。
「移住者や別荘に住んでいる方って、東京などからお友達がよく遊びに来るわけですよ。そんなときに、ツアーでガイドしてもらった場所に連れていったり、ツアーで知った街の小ネタを教えたりすれば新たな魅力を広げることができます。また、店に案内すれば、店の人からも感謝される。うれしくなって、どんどんガイドしたくなりますよね」
2011年に終了するまで、200以上もの体験プログラムが企画された「オンたま」は、地元の人たちのチャレンジの場をつくり出し、街全体で熱海を盛り上げていく機運を生み出していきました。
リピートされる「街」づくりに必要なのは、出会いが生まれる環境をつくること
「オンたま」の取り組みの後、市来さんは内部だけでなく、外部からも街を盛り上げるプレイヤーを呼び込むことを考えます。そこで着目したのが、商店街の空き店舗。
空き店舗を減らしていくことで、街の寂れた風景を変え、さらには熱海で何かに挑戦したいという新規のプレイヤーに場所を提供できる。そんな発想から、市来さんは「熱海の中心街をリノベーションする」という壮大なミッションへと取り組んでいきます。冒頭で紹介したゲストハウス「guest house MARUYA」も、熱海銀座の空き物件をリノベーションして誕生しました。
「guest house MARUYA」には温泉も絶景の見える部屋もありませんが、街全体を宿と見立てる「まち宿構想」に基づいて設計されており、熱海の街を回遊するようなアイデアが仕掛けられています。例えば、朝食ではご飯とみそ汁は宿から提供されるものの、おかずは目の前の干物店さんで買ってきて、テラスのグリルで焼いて食べるというシステムを取っています。
「熱海にはふらっと観光に来た方が立ち寄らないような、昭和のままの路地裏がたくさんあって、そんなところにディープな居酒屋がひしめいているんです。熱海銀座はそんな面白い路地裏への入り口となる場所なので、その入り口にゲストハウスをつくれば、街へ飛び込んでもらう拠点として利用してもらえるんじゃないかと思いました」
そんな狙いがあるため、チェックインしたお客さんには周辺のエリアマップを配布するのはもちろんのこと、ゲストの要望に応じて、スタッフが実際に食べたり、体験したりして良いと思った、おすすめの店やスポットを紹介するようにしています。
ゲストハウスを起点として、有名スポットに限らず街を隅々まで回遊してもらうこと、そして人と人との接点を生み出していくこと。この仕組みが、実は街のファンを生み出し、リピートを生み出すことにつながっていると市来さんは言います。
「『また熱海に行きたい』と思ってもらうために大事なことは、どれだけ多くの人と会ってもらうかということです。例えば、僕が『この人、熱海に関わってほしいな』と思う人と出会ったら、次に考えるのは『この人、誰に会わせようかな』ということ。熱海のファンになってもらうには、それだけでいい。その街で価値観の合う人に会うだけで、一発で街のファンになってしまうんですよ。その街に繰り返し来る理由とは、そういう人との出会いの積み重ねでできてくるのではないでしょうか。街じゃなくて、お店にしたってそうです。そのお店に繰り返し足を運ぶ理由は、商品だけじゃない。やっぱりそのお店をやっている人自体の魅力とか背景、ストーリーがすごく大事だし、お店の人もまた、ゲストの方をちゃんと“人”として見ることが大事だと思うんですよね。単純な“お店の人とお客さん”ではない、人と人とのコミュニケーションがどれだけできるかなんです」
十数年前までの熱海には「接客が良くない」というネガティブなイメージがあったそうです。それは観光のスタイルが「団体客による宴会歓待型」から「個人や家族による体験・交流型」に変化する流れに地元民が付いていけず、お客さんとの関わり方が分からなくなってしまったからだと、市来さんは見ています。
市来さんが「100万人が1回来るより、1万人が100回来てくれた方が、街が豊かになる」という考えを持っているのも、1回限りの訪問ではどうしても人気のスポットに足が向いてしまいがちですが、100回訪れれば、もしかしたら観光地ではない裏路地にも足を運ぶかもしれない。それが、熱海の表層的ではない深い魅力を知ってもらうことにもなるかもしれないし、街全体として接客などの経験値を積むことができるという目論見があるからです。
歴史や文化を打ち出した「アイデンティティーのある街」で、国内外で愛される熱海へ
最後に熱海の街づくりに関する今後の展望を市来さんに伺いました。当初、市来さんは熱海を、東京を中心とした関東近郊の人々の“サードプレイス”として、観光でも定住でもない多様な関わり方ができる街にしていきたいと考えていたそうです。しかし、今後は海外観光客も第2のターゲットとして視野に入れていきたいと語ります。
「理由の一つが、街に海外の人がいたほうが、第1のターゲットの人にとっても居心地のいい多様性のある空間になると思うからです。また、海外の人を意識することで、街がもっと磨かれていくとも思っています。やはり海外の人から選ばれ続ける街には、本質的な価値、文化、歴史といったものがあります。キャッチーな要素だけで評価されてきた観光地はみんな失敗していますし、これからの熱海には街の個性やアイデンティティーが必要なんです」
市来さんが将来的に構想しているのは、観光客に限らず、熱海と同じような課題や価値観を持った周辺地域のプレイヤーたちがつながり、お互いの国を行き来するという未来。
「例えば、最近になって台湾の方々が熱海へ視察に訪れたんですけど、台湾もまた日本と同じように地方創生が盛んに行われているそうです。そういった人たちと熱海がつながればきっと面白いと思いますし、熱海と海外の街をダイレクトにつなげるツアーもやっていきたいです。熱海には海外に行ったことがない人も多いので、かつての僕と同じように世界中のいろいろな街を見てもらいたいですね。海外の街と結び付きが生まれれば、もしかしたら貿易ができるかもしれない。そうなれば、外貨を稼ぐことも可能ですよね。今この国の状況を見ていると、平均賃金も周辺国にどんどん抜かれていっていますし、街が自立できるか、稼げるかをちゃんと考えなければいけない段階にきていると考えています」
目まぐるしく変化する国際情勢、気候変動、震災、パンデミックなど、先行きの見えない状況の中で、何があっても生き抜くことができる強い街をつくるにはどうすればいいのか。市来さんの思い描く街づくりの壮大なビジョンに、私たちが学ぶべき点は多そうです。
取材先紹介
- guest house MARUYA
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静岡県熱海市銀座町7-8 1F
電話:0557-82-0389
- 取材・文小野和哉
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1985年、千葉県生まれ。フリーランスのライター/編集者。盆踊りやお祭りなどの郷土芸能が大好きで、全国各地をフィールドワークして飛び回っている。有名観光スポットよりも、地域の味わい深いお店や銭湯に引かれて入ってしまうタイプ。
note: https://note.com/kazuono - 写真西川節子
- 企画編集株式会社 都恋堂