80年以上にわたり常連さんから愛される「とんかつ とんき 目黒本店」。3代目の吉原出日さんに聞く、お客さん一人ひとりに目を向けた接客術とは。
一度ならず、何度も足を運んでくれる「おなじみ」のお客さんは、飲食店にとって心強い存在です。多くの常連客の心をつかむお店は、どのような工夫をしているのでしょうか。
1939年創業「とんかつ とんき 目黒本店」は、行列覚悟で通いたくなる、とんかつの名店です。お客さんから全てが見える厨房では、完全分業制による流れるような職人技で、心地よいコクのあるとんかつが作り出されます。
さらに、絶妙なタイミングで提供されるキャベツ・ごはん・豚汁のおかわり、膨大な労力で清掃された清潔感あふれる店舗なども定評があり、「とっておきのお店」として、今なお常連客は増え続けています。
今回は、3代目の吉原出日さんに、愛され続ける店づくりの秘訣をお聞きしました。
- 吉原出日さん
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1975年生まれ。「とんかつ とんき 目黒本店」の3代目。創業者の孫にあたり、大学卒業後に消防設備点検の会社を経て、29歳から店に入る。厨房では、花形である“カツ切り”を担当。
- カツは「お客さんの特徴」に合わせて切る
- 「湯呑みの角度」は食べ終わりのサイン?
- マスクをしたお客さんも覚えられる「マイルール」
- 2回来てくれたらもう「常連さん」
- 商いは「飽きない」から生まれる
- 変化はしても「変わらない店」でありたい
カツは「お客さんの特徴」に合わせて切る
──とんきといえば、客席から全ての工程を見わたせる「さらし」の厨房が象徴的です。設計にどんな意図がありますか。
吉原出日さん(以下、吉原さん):創業は1939年(昭和14年)ですが、この店舗ができたのは1967年(昭和42年)です。当時、私も生まれていませんが、誰が見ても恥ずかしくない姿で料理をお出しする「公明正大*1」の思いがあるそうです。
──どの席からでも、厨房が丸見えですもんね。
吉原さん:隠しようがないんで。全て出す感じです。
──1階は、壁にかけられたメニューが2カ所にあるのみなんですね。
吉原さん:メニューの設置場所は美観のために減らしたいのと、従業員から「こういったメニューがございます」と説明できるタイミングをつくりたい意図もありまして。
外国の方向けに英語のメニューも用意しているんですけど、それでも伝わらないときにはロース・ヒレ・串かつ揚げ用*2それぞれ、生のお肉をお見せします。
──とんかつは調理に時間がかかるため、お客さんの滞在時間も長いと思いますが、「過ごしやすさ」と「回転率」はどう両立されていますか。
吉原さん:まず、入店時にすぐ注文を聞くんですよ。お待ちいただく間にとんかつを作り始めて、少しでも早く提供したいからです。ちなみに、揚げ時間はかつて20分くらいでしたが、今は17~18分になりました。
──なぜ短縮できたんですか?
吉原さん:昔は20~30枚とかのカツを一気に揚げたんですが、なかなか揚がらないし、油もどんどん力がなくなっていく。今は13、14枚くらいに抑え、その分、揚げ時間も早まりました。
──丁寧に揚げられて、提供時間も早まる。さらにお店の回転スピードも上がると。そして、とんきと言えば、この十字に切られたカツが食べやすいですよね。
吉原さん:はい。カツを切り分ける際に、お客さんの性別や年齢に合わせて一口分のサイズを調整します。
十字に切るとき、歯が弱いとか、あまり食べられなさそうな方には1回多く包丁を入れたり、逆に大柄なお兄さんには1回減らしたり。過去にご来店いただいた方には、そのときの記憶も頼りながら。「縦2本入れてくれ」とか、オーダーいただければお応えしますよ。
「湯呑みの角度」は食べ終わりのサイン?
──スタッフのみなさんが、お客さんの行動を細かく見守っていると感じます。
吉原さん:はい。調理場全体の床を少し高くして、コの字型のカウンター全席に目が行き届くようにしています。お客さんを見下ろす感じになってしまいますけど、少し高くないとカウンターの端までお皿が見えないので。
──キャベツのおかわりを、こちらが頼まずとも盛りに来てくれるのもうれしいですね。
吉原さん:お店に入った従業員が最初に覚えるのは、キャベツをお持ちすることなんです。「とにかく減っているものを探せ」って。減っていたら足す。ごはんや、からしも一緒です。
──とはいえ、キャベツが減ってきても、入れに来たり、来なかったりするときがあります。
吉原さん:基本は箸休めなので。お皿の様子を見て、追加したほうがいいかの判断はします。あまりとんかつが減っていないのにキャベツがなくなっている場合は、どんどん追加しますし。とんかつの切り方と同じように、おかわりも性別や年齢、体の大きさなども見て判断します。
吉原さん:ほかにも妊婦さんはカフェインがダメだから、お茶を出さずにお水を出すとか。あと、お茶を追加したほうがいいかは、湯呑みの角度でも分かりますよ。
──角度ですか?
吉原さん:お茶を飲む仕草はアクションが大きいので、一番分かりやすいんです。大きく傾けて飲み干しているようであれば「そろそろお食事が終わるかな」と取れるし、いい目安ですね。
──1人で来たお客さんには新聞を渡していたとも聞きます。
吉原さん:コロナ禍の前までやっていました。毎日スポーツ新聞と夕刊を準備して、待ち時間に読んでいただこうと。そのうち「あのお客さんは日経とサッポロビール。おつまみはピーナツじゃなくて昆布だったな」と分かってきます。
でも、いろいろなサービスが新型コロナウイルス感染症の流行でなくなってしまいました。うちは「密」がウリだったんですけど、席の間隔も相当広くなって。少しはコロナ禍前の席数に戻したいと考えているんですけどね。
──ほかにもコロナ禍で休止しているサービスはありますか?
吉原さん:おしぼりを2回出していたんですよ。食事前に一本と、食事後にもう一本。お客さんには、食ベ終わった後の手や口を拭いて、さっぱりして帰っていただく。最近はコロナ禍も落ち着いてきたので、復活する可能性もあるかもしれません。
マスクをしたお客さんも覚えられる「マイルール」
──とんきは行列も多いですが、心地よく並んでもらうための工夫はありますか。
吉原さん:店の中に入ったら、(カウンターの後ろにある)どの待合席で待ってもらっても平気なので、店内で並ぶ必要がないんですよ。ずっと同じ所で待っていられる。並ぶと、前のお客さんが呼ばれるごとに1個ずつズレなきゃいけないですから。
──順番が来たらその人を探してお呼びするんですか?
吉原さん:そうです。覚えていますので。
──すごい記憶力ですね。最近はマスクをしている方ばかりなので大変では?
吉原さん:顔以外でもお客さんは覚えられます。例えば、ネクタイやシャツの柄とか、洋服には個性が出ますし。従業員それぞれ、自分なりのルールで、お客さんの特徴を頭に入れているんです。
──お客さんとのコミュニケーションの取り方も、ほどよい距離感がいいですね。
吉原さん:1人のお客さんにかけられる時間は限られているので、なるべく平等に、さっぱりした接客になります。
でも、常連さんに対してはさりげなく『覚えていますよ』という雰囲気を出すようにしています。例えば、2本お酒を飲む方なら、もう1本も用意しておくとか。ある常連さんがいらっしゃった瞬間から「あの方はいつもロースを注文するから、先に揚げておこう」といったことはしますね。
──「分かってくれているな」と、私ならうれしくなります。
吉原さん:それが怖いと思うお客さんは来なくなりますが。でも、一人ひとりのお客さんを覚えることがうちにとっては大事だと思っています。
2回来てくれたらもう「常連さん」
──中には、吉原さんが生まれる前からの常連さんもいらっしゃると思います。
吉原さん:5代にわたって来てくださるお客さんもいるし、「このお客さんが、実はあのお客さんの息子さん」みたいなのはしょっちゅうあるんですよ。お孫さんを連れてきてくれるとか、ご家族を紹介してくださるのが一番うれしいですね。
──たしかに、誰かを連れていきたいお店だと思いました。親とかに少し贅沢をさせてあげたくなるような。
吉原さん:ちょっとした贅沢なんですよね、とんかつって。毎日食べるような値段でもないし、少しいいことがあった日に食べる料理。大きな伝染病も少ない豚は価格もそんなに上下しませんしね。
──漫画「美味しんぼ*3」で有名なフレーズがあります。「いいかい、学生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ」というものですが、「とんきのとんかつ」はまさに、ですね。
吉原さん:とんかつが食べられるぐらい、頑張ればいいということですよね……それくらいの位置づけがね、すごく助かるんですよ。実は、毎日来てくださるうち、飽きちゃう方も多いんです。
──そうなんですか?
吉原さん:毎日とんかつを食べていると、「この間はすごくおいしかったのに、今日はそうでもない」みたいに、味の違いがかなり分かるんです。特に、夏場前になると豚はすごく水を飲むので、肉が締まって硬くなりがちなんですよ。
なので、2週間や1カ月に一度くらい来てくださる方のほうが、何十年と通い続けてくれる常連さんになっていることが多いです。
──変な質問ですが、何回来れば「常連さん」と認めてもらえますか?
吉原さん:「1回来て気に入ってくださった」わけですから、2回目からはもう常連さんだと思っています。もちろん、全員を覚えているのはなかなか難しいですけど、頑張っています。
商いは「飽きない」から生まれる
──とんきでは、掃除もすごく大切にされてらっしゃると聞きます。毎日どのくらい掃除に時間をかけていますか。
吉原さん:仕込みの時間を使ってずっと掃除しています。厨房に敷かれた“すのこ”とカウンターは営業前に必ず洗いますし、みんな自分が担当するものは自分で洗う感じですね。
かつては従業員が多くて、合計3~4時間を掃除に費やしていました。現在は人数が減りましたけど、できるだけ掃除の時間をつくるようにします。
──おかげでピカピカですね。
吉原さん:私もお店に入ってから10年ほど、厨房に敷かれている“すのこ”を洗っていました。「木目に沿って拭け」と、さんざん言われてきましたね。膝をついて洗濯石鹸で洗うんですけど、やっぱり乾くと綺麗なんですよ。掃除する喜びをそこで感じられますし、お客さんもほめてくださる。
洗い続けているうち、木がだんだん減ってきて、木目もキレイに出てくると「掃除できているな」と実感できますね。
──繰り返しが大切なんですね。
吉原さん:とにかく毎日同じことをするのが、お店の未来につながりますから。そういう意味で掃除もすごく大事なんですね。本当に面倒くさいんですが、一回サボると次はその分やらなくてはいけませんし。
だから、とにかく毎日変わらず掃除して、同じ時間に開店して、同じようにとんかつを食べていただく。この間も、アメリカ海軍の方が約50年ぶりに来てくださって。「変わらない味だね」と言っていただき、うれしかったです。
──それでも、毎日同じことをやっていて飽きませんか?
吉原さん:お客さんは毎日顔ぶれが違いますから。やっていることは一緒ですけど、変化がたくさんあるんですよ。
先代の社長が一番心がけたのは、近江商人の「三方よし」を基に生まれた考え方でした。
- お客さんがまずトクをする。
- その次に従業員がトクをして。
- 最後に経営者がトクをする。
このように段階を踏むことでお店が大きくなるという教えです。逆算して、お客さんに喜んでもらうためには何をすればいいかを考えれば、やるべきことはおのずと決まりますから。
変化はしても「変わらない店」でありたい
──数年前にレジをiPadにして、全面的に集計をオートメーション化していますね。老舗として勇気がいる行動だったと思います。
吉原さん:営業が終わった後に売上を集計する作業が自動になっただけで、お会計自体はいまだにほとんどアナログです。
レジスターもずっと使っていません。レジを打ってお金を出す時間があれば、接客に使いたいんで。お金をいただいたらすぐお釣りを渡す。インボイス制度が始まったら、領収書の発行が増えそうなので、このスピード感が失われないように努めていかないと。
──今まで積み上げてきたやり方が第一なんですね。
吉原さん:いつの時代もそうです。ただ、最近会計に電子マネーを導入したところ相当楽になりました。スピード化も図りながら、社会に取り残されないようにしたいと思っています。
──最後に。お客さんにまた足を運んでいただくため、お店に必要なことは何だと思いますか?
吉原さん:やっぱり、変わらないことに尽きます。常連さんでも、一見さんでも、変わらない接客と変わらない味。
初めてのお客さんは日々いらっしゃるので、その方を大事に。2回、3回と来てくださるようにと、本当にその一心ですね。そのためには、うちの店が変わらないことが大切だと思います。
愛されるお店づくりを学ぶ
【取材先】
とんかつ とんき 目黒本店
住所:東京都目黒区下目黒1-1-2
Twitter:@Tonkatsu_Tonki_
Instagram:tonkatsu_tonki
取材・文/辰井裕紀
外食を愛するライター、番組リサーチャー。過去「秘密のケンミンSHOW(日本テレビ系)」などに関わり、ローカル情報にくわしいほか、飲食系の記事を多く発表。著書に『強くてうまい!ローカル飲食チェーン(PHP研究所)』がある。
Twitter:@pega3
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撮影:高島啓行
編集:はてな編集部
編集協力:株式会社エクスライト