居酒屋で初めてのミシュラン獲得。大阪「ながほり」店主が語る接客の極意とは

中村重男さん

大阪の上町に店舗を構え、世界で初めて「居酒屋」でミシュランの星を獲得した「ながほり」。店主の中村重男さんに、常連客に愛される店づくりの工夫について伺いました。


一度ならず、何度も足を運んでくれる「おなじみ」のお客さんは、飲食店にとって心強い存在です。多くの常連客の心をつかむお店は、どのような工夫をしているのでしょうか。

「ながほり」は1984年、大阪の島之内で居酒屋として開業。店主自ら全国の酒蔵に足を運んで関係を築き、貴重な吟醸酒を提供することで話題となりました。以来、うまい酒と肴のペアリングで、多くの食通の舌をうならせています。現在の大阪・上町に移転後は「味、接客ともに一流」と認められ、ミシュランガイドにて一つ星を獲得。その後、10年以上にわたり同ガイドに掲載され続ける偉業を成し遂げています。

今回は、「ながほり」店主の中村重男さんにインタビュー。日本酒や食材を厳しく吟味する理由、常連客が途切れない店づくりの工夫についてお話を伺いました。

厨房に居座らずホールで接客も覚えた修行時代

中村重男さん

――「ながほり」は「お酒と料理の組み合わせが絶妙だ」と評判の声が高いお店です。中村さんが料理に関心を抱いたきっかけから教えてください。

中村重男さん(以下、中村さん):料理に興味を持ったのは、私が小学生の頃です。親父が下駄屋をやっていましてね。公設市場の中に店を開いていたんです。公設市場は、現在のスーパーマーケットに近いかな。魚屋さんがあったり、八百屋さんがあったり、いろんな食べ物の店が並んでいて、私の遊び場でした

市場の一角に玉子焼きの店がありましてね。ある日、店のおばちゃんが「ぼく、焼いてみるか?」と声をかけてくれた。自分で玉子焼きをつくるなんて初めての経験でしたけれど、意外とカッコよくできまして。食べてみたら、これがおいしい。そのとき「料理って、おもろいわ」「将来はこんな仕事がやりたいな」と思ったんです。

――本格的にプロの料理人になろうと考えたのは、いつでしょう。

中村さん:中学生の時にはもう「将来は料理人になる」と決めていました。高校に進学したものの、どうしても料理の仕事がやりたくてね。さっさと中退しました。両親に「普通科ではなく、調理師専門学校で勉強させてほしい」と頼んでみたけれども、「そんな金はない」と。そやから、料理店でアルバイトをしながら実践で調理を学び始めたんです。

――中学を卒業して、もう厨房に入っていた。

中村さん:そうです。いろんな店で働きましたよ。よく覚えているのが「新大阪食堂」。昭和の頃に新大阪の駅構内にあった、乗客が電車を待つ間にささっと食事ができる店です。和食だけじゃなく、とんかつとか洋食もありましてね。一軒の店で、なんでもつくる。それがおもしろい。おいしいものを早く提供せなあかんから、自然と腕も上がりました。

――その食堂でずっと料理を?

中村さん:いいえ、30軒くらい働きましたよ。「この店、おもろないな」と思ったら、遠慮なく辞めましたからね。年功序列でいつまでも食材に触らせてもらえなかったり、オーナーがお客さんを「お金」としか見ていなかったりすると、「この店は肌に合わんな」と感じて、働きたくなくなるんです。

――若くて腕がある中村さんに辞められると、お店としては痛手ですよね。

中村さん:そりゃもう、引き留められましたよ。当時は厨房だけじゃなくて、ホールで接客もやったんです。お客さんに話しかけて、楽しい気分になっていただいてね。機嫌がよくなったお客さんが「ビールを持ってきて」「日本酒のおかわりをちょうだい」と追加で注文してくれるわけ。そうやって働きながら接客のコツをつかんでいった。そりゃ売上も自然と上がりますよ。そやから、どの店からも「やめんといてくれ」と懇願されました。

妻の死を経て、息子に料理人としての背中を見せたいと思った

――自分のお店を持とうと思われたのはいつですか。

中村さん:27歳です。30軒ほどの飲食店で働いて、「ぼちぼち自分の店をやりたいな」と思いましてね。店をやるのならば「居酒屋」と決めていました。自分自身お酒を飲むのが好きでしたし、居酒屋にはいろんな料理があるでしょう。魚があれば肉もある。揚げもん、焼きもん、調理法もさまざまです。居酒屋やったら、これまでいろんな店の厨房で得た調理の技術、お客さんに喜んでいただけるノウハウの集大成になるなと考えたんです。1984年、大阪の島之内に「ながほり」を開いたのが最初ですね。

――店名が、ひらがな4文字。とてもシンプルで覚えやすいですね。

中村さん:当初は「ながほり」にするつもりじゃなかったんです。私は俳優の故・高倉健さんのファンでね。健さんが主演した映画『居酒屋兆治』にあやかって「兆治」にしたかった。ところが知人から「同じように考えて兆治と名づけた店がつぶれたで」と聞きましてね。「そらあかんわ」と。

それで、たまたま店の北側を長堀通り(大阪市を東西に横断する幹線道路の愛称)が横切っているから、「ほんなら“ながほり”でええか」と。漢字だと堅そうやから、ひらがなでね。

店名は、なんでもよかったんです。自分でがんばって、名前を大きくしていったらいいんじゃないかなと。

――繁盛店だった島之内から上町へ移られたのは、どうしてですか。

中村さん:きっかけは、妻の死でした。2005年のJR福知山線脱線事故*1でね。

――あの大事故で……。

中村さん:残された息子の海里(かいり)は一人っ子で当時、中学3年生。このまま居酒屋を続けていると息子と顔を合わせる時間もない。子育てのために「定時で終わる仕事を探そう」と考えて、料理人はやめて店を閉めるつもりでいました。

そんな私を見て、谷町の空堀(からほり)商店街にある名店「こんぶ土居」の先代、土居成吉さんが「あなたは料理人を辞めたらいかん。これからもっと大きなことをやる人なんやから」と励ましてくれて、銀行まで紹介してくださった。それで心機一転のつもりで更地を購入して「料理人として一から出発しよう」と決めたんです。「借金してでも料理人として生きる私の背中を見て、息子が立派に育ってくれれば」と願いつつ、2008年に再オープンしました。

――現在は息子さんも料理人としてこの店で働いていますね。

中村さん:大学に通っていた息子がある日、私に「お客さんが『包丁を買ってあげる』と言ってくれてるんやけど、なにを選べばいい?」と聞いてきた。

お客さんとは、人間国宝の能楽師、大槻文蔵さんのことです。うちの常連さんでね、息子をたいそうかわいがってくれていた。息子は、料理人になりたいと大槻さんに打ち明けていたんですね。私が働く背中を見てそう思ってくれたのならうれしいですよ。

共に店を支えている、息子の海里さん

共に店を支えている、息子の海里さん

生産者から直で仕入れた旬の野菜で客の心をつかむ

活毛ガニのジュレ添え

活毛ガニのジュレ添え

――「ながほり」は厳選された食材が名物の一つです。野菜は生産者さんから直接仕入れるものが多いそうですね。きっかけはなんだったのでしょう。

中村さん:まだ島之内に店があった頃、悔しい思いをしましてね。東京から週刊誌のライターがうちへ来て、「大阪の店はたいしたことないね」と言うんです。「フレンチ、イタリアン、寿司、天ぷら、みんな東京だよ」と。私は怒って「そんなことあらへん。大阪には日本料理があるやないか」と反論しました。すると今度は、「日本料理は京都でしょ」と言い返してくる。

もう腹が立って、腹が立って。「よし、私が大阪の料理を向上させたる。食材もぜんぶ底上げしてやる!」と心に誓いました。それからですね、自分の足で生産者さんの元を訪ねるようになったのは。

――関西以外にも足を運ばれているとお聞きしました。

中村さん:もちろんです。とにかく「食材のトップを探そう」と、日本中をめぐりました。自ら静岡へ行って、1キロ2万円もする高級なわさびも仕入れました。味がぜんぜん違うんです。せやけど当時はベテランの料理人たちから「そんな高いもん、なんで使うねん。半額でも充分や」とよく言われました。

ところが、私の姿勢を見て若い料理人たちは、「そんなに味に差が出るのならば使ってみたい」と関心を示してくれるようになった。お客さんも「味がよおなった」とほめてくださる。うちの店だけではなく、私に影響を受けて周りの店の料理もどんどんおいしくなっていったんです。「ながほりさんのおかげで、大阪の味が変わった。各段においしくなった」と、いろんな料理人が認めてくれています。

包丁を研ぐ様子

――確かに「ながほりは野菜がうまい」という話をよく耳にします。

中村さん:「旬のいい食材を提供する」、これが大事です。うちには皆さんこぞって召し上がる「うまい野菜 山椒あんかけ」というメニューがある。これは各地の生産者さんの元を訪ねて手に入れた季節の野菜を「ひとつの皿に盛られへんやろか」と考えてできたメニュー。種類が違う野菜を山椒というスパイスでぎゅっとまとめて、一つの作品にしました。

いい野菜には、育てた人の想いが入っています。そやから、うまい。春夏秋冬、使う野菜が変わります。同じメニューでも同じ味やない。季節ごとの変化を皆さん楽しみにしてきてくれるんです。うちが常連さんの心をとらえて離さないのは、季節ごとに食材が変わるからですよ。

客側のリクエストに応えてワイン、シャンパンを提供

店内の様子

――野菜のみならず、お酒へのこだわりも強いですよね。

中村さん:島之内に店を開いた頃、大阪の泉州で、鑑評会に出すようないい吟醸酒を飲んだんです。口にして、「これはすごいな!」と驚きましてね。目を見張るうまさでした。ただ、いい酒ですから、やはり高価でね。最初は買うのに躊躇(ちゅうちょ)しました。

すると「中村さん、やめときなはれ。こんな高い酒、居酒屋じゃ売れまへんで」と言われましてね。そう言われるとよけいに「いや、売ったる!」という気持ちになる。それで勇気を出して仕入れました。

――お客さんの反応はいかがでしたか。

中村さん:よく売れました。同じ時期に第一期「吟醸酒ブーム」が到来したんです。このブームがうまく重なって、どんどん売れました。「吟醸酒ブームの先頭を走った店」として雑誌などにもよく取り上げていただき、おかげでさまざまな酒蔵を訪れやすくなった。いい酒を探して、遠くは青森、秋田、宮城、福島などへも足を運びました。酒の品揃えも増え、ますますお客さんに喜んでもらえるようになりましたね。

 「高いから、売れへん」。そんなことはない。いいもの、確かなものを提供すれば、お客さんにはちゃんと伝わるんです。そうやってお客さんにいい日本酒を飲んでいただいたからこそ、私たちは生きてこられた。「日本酒に恩返しせんとあかん」、そう考えて、上町に移転した際は店を酒蔵のようなデザインにしたんです。

――日本酒以外のお酒もそろえておられますが。

中村さん:ワインとシャンパンですかね。私が日本酒一筋でやってきたから、お客さんから「そろそろワインとかシャンパンくらい置いたらどないや」と勧められまして。私もワインやシャンパンは好きで、家ではよく飲むんです。そやけど自分で仕入れるとなると、話は別です。「うちはソムリエがいてへんから」と、ずっと拒んでいました。

 するとね、息子がソムリエの資格を取得してきたんです。これはもう、置かなしゃあない(笑)。ワインやシャンパンに合う料理を息子が編み出し、それを私が試食して、「もっとこうした方がええで」とアレンジを加える。こうして洋酒に合う料理も商品化してきました。

 ワインやシャンパンが加わって、お客さんがさらに喜んでくれる。その様子を見て、私たち料理人も喜ぶ。対面で、接客をしながら調理をしているから、すぐ反応が分かるのがありがたい。「ワインやシャンパン、置いたらどうや」とお客さんが言ってくれなかったら、いまだに頭が固いまま日本酒だけで営業していたかもしれません。そういう点でも、接客はほんまに大事ですよ。

「目配り・気配り・心配り」が客の満足度につながる

中村重男さん

――「ながほり」は接客もたいへん好評です。接客で心掛けていることはありますか。

中村さん:お客さんが何を望んでいるのか、その瞬間ごとに察知することが大事です。「このお客さんは、ほんまはカニを食べたいのに、懐具合を気にして我慢してはるんやないやろうか」とかね。そこが察知できたら、カニを使った比較的手ごろな商品もお勧めできるやないですか。

そのためには「目配り・気配り・心配り」が大切。調理しながらでもお客さんの様子を見て、食事や飲み物の進み方を観察し、会話の邪魔をしない程度にテンポよく話しかけるのを意識しています。

――確かにお店の人からいいタイミングで話しかけられると、食事の時間がいっそう楽しくなりますね。

中村さん:気を付けているのは「ハリネズミの距離」です。ハリネズミは、近付き過ぎるとトゲが刺さって痛い。せやけど離れ過ぎると体温が伝わらなくて寒い。トゲが刺さらん、けれどもそばにはいる、そういったちょうどいい距離を保つ。接客はこれを肝に銘じています。

――お店の人から心地よい距離で接してもらえると「また訪れたい」という気持ちになるし、初めてのお店だと特にそう感じます。

中村さん:大将と常連さんだけが話し込んでいる店って、やっぱりいい気分はしないですよ。「この店はなじみの客しか相手にせんのか」と思ってしまう。常連さんも最初は新規のお客さんだったわけですから、初めての方も常連さんも、まんべんなく楽しんでもらわないと。

二人連れでお見えになるのか、お一人で来られるのか、お客さんにはいろんなパターンがある。「どう話しかけられると失礼じゃないか」を見極めないと。女性がお一人で来られたら、「おしゃれですね」など、よい点を見つけて褒める。褒められたら、人はやっぱりうれしいもんです。そうやって満足していただき、リピーターになってもらう。この努力をしていかないと店はジリ貧になるんです。

――常連になってもらうためには、味をよくするだけではだめなんですね。

中村さん:そうです。そのためには「忘己利他(もうこりた)」の気持ちを忘れない。「忘己利他」とは仏教用語で、平たく言うと「自分のことは忘れて他人のために働く」という意味です。お亡くなりになった瀬戸内寂聴さんがうちに食べに来てくださって、教えていただいた言葉です。「なんのために働いてるねん。お客さんのためやろう」と。その気持ちを忘れたらあかん。

――お話を伺って、「おなじみ」の常連さんも一見さんも共に大切にしつつ、心ゆくまで満足できるようなお店づくりが、長く支持され続ける理由だと感じました。最後に、「ながほり」の今後の展望を教えてください。

中村さん:「100年続く店」、それが目標です。私だけで100年は無理やから、息子が継ぎ、さらにその次の世代が継ぎ、そうやって、いい酒と料理をともに楽しむ「居酒屋」という文化を後世に伝えていきたいですね。

【お話を伺った人】

中村重男さん

中村重男さん

1984年に開業した居酒屋「ながほり」店主。大阪の十三(じゅうそう)生まれ。良質な食材を求めて北海道から沖縄まで旅をし、100人を超える生産者や酒蔵との関係を築いた。選りすぐりの酒と素材にこだわった料理で多くの文化人を魅了する。『ミシュランガイド京都・大阪2010』にて、「居酒屋」のカテゴリーで世界初の星を獲得。名物はカニ料理。活毛ガニをはじめ、四季折々の新鮮なカニを仕入れ、人々の舌を驚かせる。子息も調理人かつソムリエとして同店で働き、親子鷹の活躍も魅力である。

Instagram:ながほり (@izakaya_nagahori)

取材・文/吉村 智樹
京都在住。フリーライター&放送作家。近畿一円の取材に奔走する。著書に『VOWやねん』(宝島社)『ビックリ仰天! 食べ歩きの旅 西日本編』(鹿砦社)『吉村智樹の街がいさがし』(オークラ出版)『ジワジワ来る関西』(扶桑社)などがある。朝日放送のテレビ番組『LIFE 夢のカタチ』を構成。

撮影:中島真美

編集:はてな編集部

常連客を生む店づくりのヒントを探す

LINE公式アカウントで集客する方法とコツ丨成功事例も紹介

LINE公式アカウントで集客する方法とコツ丨成功事例も紹介

▶記事を読む

 
接客は悪印象が残りがち! お客さん100人に聞いた「再訪問したい店」の基準

接客は悪印象が残りがち! お客さん100人に聞いた「再訪問したい店」の基準」

▶記事を読む

 
最近「常連客が来なくなったな」と感じたら。3つの改善策と良い関係性のつくり方

最近「常連客が来なくなったな」と感じたら。3つの改善策と良い関係性のつくり方

▶記事を読む

 

*1:2005年(平成17年)4月25日に西日本旅客鉄道(JR西日本)の福知山線(JR宝塚線)塚口駅 - 尼崎駅間で発生した列車脱線事故。乗客と運転士、合わせて107名が死亡、562名が負傷した。