
神奈川県小田原市に、全国の美食家がこぞって足を運ぶ回転寿司があります。その名は、「あじわい回転寿司 禅」(以下、禅)。本日の目玉は塩釜で水揚げされた260kgの本マグロに、川崎の市場から仕入れたキンメダイ。こだわりの素材で握られた寿司も好評ですが、美食家たちが目を付けている理由は、それだけではありません。なんと同店では、キャビアやフォアグラなどの高級食材をふんだんに使用した本格フレンチも提供しているのです。
店主は、元・極真空手の指導者だったという西尾明さん。グルメがうなるフレンチを回転寿司で提供するようになった軌跡と、道場精神が息づくメニューや接客へのこだわりを伺いました。
仲間と飲んだ時に見つけた、もう一つの“道場”
西尾さんが飲食業界に入ったのは、27歳の時。それまでは「空手道で人間形成をする」という志から、極真空手の指導者として道場を開いていました。しかし、直接体をぶつけ合うのがルールの極真空手は、痛みを伴うことも多く、せっかく入門した生徒もすぐに辞めてしまいます。生徒がいないと月謝は入らないし、自分の技術も上がらない。なかなか理想の道場を実現できないことにうっ屈とした思いを抱えていた西尾さんは、ある日仲間と大衆酒場に行き、道場と居酒屋に共通点を見つけたそうです。
「みんなで楽しいこと、悲しいこと、うれしいこと、困りごとを語り合っていた時に、あれ?居酒屋って人と人がふれあい、人間形成ができる空間かも……と思ったんです。空手は切磋琢磨し、精神を育てるのが本道です。同じく、人と人が胸襟を開き本音でぶつかり合える飲食店という場なら、道場と同じことができるかもしれないなと」

偶然訪れた店で、大きなヒントを得た西尾さん。そのまま居酒屋で働くのかと思いきや、ワーキングホリデーを利用しカナダを目指します。
「カナダで空手の世界大会が行われていたので興味があったのと、現地の寿司店なら就労ビザが取りやすいと聞き、行ってみよう!と思ったんです」
出発前の準備として寿司店へ弟子入りを試みますが、回転寿司のほうが働き手の需要があると言われ、小田原の回転寿司店を全て車で回ることに。一軒だけ板前さんがきちんと魚をおろしている店を見つけ、「お金はいらないので働かせてください」と直談判しました。偶然働くことになったその店がなんと、現在の「あじわい回転寿司 禅」であり、当時は県内に11 店あった回転寿司チェーンの1店舗。半年間の修業を経て、ついにカナダのバンクーバーに渡った西尾さんは、現地の寿司店でも大きな縁に恵まれます。
「カナダで働いた店は、寿司店ながらフレンチも提供していました。日本人のフレンチシェフがいて、その方から、寿司とフレンチの両方を教わることができたんです」
メニューにベルギービールとフレンチを導入。「全ては差別化のため!」
カナダで3年間の修業を経て日本に帰国した西尾さんは、出国前に飛び込んだ回転寿司店でふたたび働き始めました。2年後には店長として店を取り仕切るまでになりましたが、そこに大きな壁が立ちはだかります。
「近所に大手回転寿司店がオープンすることになったんです。このままではお客さまが他店に流れてしまう。なんとか手を打たねば!と焦りを覚えました。そこで、差別化を図るために、ベルギービールとワインを提供することにしました」

すると、回転寿司でベルギービールが飲めるという噂はたちまち広がり、全国から人が集まるように。しかし西尾さんに新たな課題が生まれます。
「知名度が高まるにつれて次第に、お客さまからベルギービールに合うサイドメニューが求められるようになりました。天ぷらや卵焼きはありましたが、必要なのは“洋”の料理です。さあ、どうしようと考えた時に、思い出したんです。あ、俺、フレンチが作れる!と。早速カナダで習ったうずらのローストを南部鉄瓶で作り、テーブルでパっとふたを開けるパフォーマンスをすると、お客さまから大歓声が上がったんです。フレンチを出すようになると、今度はワインも売れるように。メニューに合う銘柄をこだわって用意するうちに、ビールもワインもどんどん品ぞろえが豊かになっていきました」
カナダでの経験が役立ち、グループ内では抜群の利益を上げますが、2009年、会社の経営状態が悪化し、西尾さんの店舗の客入りにも翳(かげ)りが出はじめます。
「その時期は仕入れにこだわることもできず、料理の品質もみるみる落ちていたから、当然の結果でしょう。それでも会社からは、とにかく売り上げを出してくれと言われ、それならいっそ店舗を売ってくださいと交渉したんです」
じつは独立する目標をずっと持っていたという西尾さん。手が届く金額で店を買い取ることができたのは、裏を返せばそれほど経営的に危ない局面だったと言えます。遠のいた客足はすぐには戻りません。それでも西尾さんは、看板を変えると同時に仕入れから全てを見直し、自身がこだわる料理のクオリティーを取り戻します。
そんなある日、テレビ局の取材が入ることに。取り上げられたのは、経営が苦しい中でも用意し続けた数百種類にものぼるベルギービールとワインでした。
本物にこだわる道場精神が、お客を引きつける
テレビ放映の効果は抜群でした。放送を見て、かつてと変わらずこだわりの料理を提供する西尾さんやスタッフの姿に懐かしさを感じた昔の常連さんや、回転寿司らしからぬ品ぞろえに面白さを感じた新規客が続々と来店するように。極真空手を通して培った、独自の信念はメニューや備品、接客にも生かされました。
「とにかく“嘘をつかない”、そして“本物を提供する”ことが大切。海鮮系以外の料理についても、フォアグラにキャビア、トリュフ、スペイン・サラマンカのギフエロ産のイベリコ豚『ベジョータ』など最上級のものを惜しみなく取り入れ、こだわり抜いています」
本物にこだわる西尾さんの道場精神は、カトラリーやサーブ、そして所作にも宿ります。お客に出すフォークとナイフは、ミツバチのエンブレムが入った「ラギオール」。またワインを開ける時はたとえスクリューキャップでも、ソムリエとしての矜持を忘れません。
「フレンチでラギオールを使う店は、肉料理に自信ありというメッセージです。我々も回転寿司ながら肉料理に自信がありますから。ワインを注ぐ時は、姿勢を正してなるべくカッコ良く!がモットーです。空手のシャドーボクシングと同じで、美しい所作に人は価値を感じてくれますからね」
さらに店内でも、全方位に神経を研ぎ澄ませる西尾さん。空手で磨いた斜め後ろまで見える(!?)広い視界で、お客のかゆいところに手が届くサービスを心がけています。
「メニューの紹介をする時は、こだわりが伝わるように出産地や製法なども詳細に説明します。また目の前のお客さんだけでなく、そのほかのお客さんにも聞こえるように、大きな声で話します。そうすると、次に何を頼もうかな……と迷っているお客さんのヒントにもなりますし、食べたことがないメニューも頼みやすくなるんです」



全体で利益を生めればよし。店を支える大局的なビジネス観
「禅」のターゲット層はずばり、「食に興味がある人」だと西尾さんは言います。食通をターゲットにすることで、高価な食材の仕入れは欠かせませんが、どうやって売り上げを立てているのでしょうか。
業者には絶対に上から目線で接しないことと、提示された値段から一切値切らないのが西尾さんの信条と言いますが、仕入れの際にはより大胆な戦術がありました。
「例えばイクラでもなんでもコンテナでまとめ買いし、一括で支払います。その代わり、使い切るまでの保管は業者さんにお願いします。僕と付き合えば得をすると信頼してもらえれば、次からより良質で安価なものを持ってきてくれるようになりますから」

大量に仕入れた食材が無駄になることはないのか。疑問が出てくるところですが、「消費すればいいんです」と西尾さん。料理に関しては利益がなくても良い。例えばトリュフが余ったら、お客の目の前で削り、料理に振りかけるパフォーマンスを追加する。するとお客は喜び、ワインの注文につながります。西尾さんによると、レストランでは、ワインは仕入れの約2.5倍の価格で提供されるのが一般的と言いますが、自身の値付けは独特です。
「テーブルワインならボトルで一律2,700円。一方、少し良いワインは5,000円で仕入れたものを7,000円で出します。銘柄を知っている方には、レストランやホテルで飲むよりも安いので喜ばれます。専用グラスもそろっているし、僕のうんちくも聞けます(笑)」
底値を割らないようにしつつ、お得感がある絶妙な価格設定です。そんな「禅」の魅力にハマり、1時間で7万円分も飲んで食べる猛者たちもいるとか。本格的な食材をふんだんに使用することで料理の満足度を上げ、お酒の注文につなげる。価格設定を工夫することで、お客のお得感をくすぐる。武道でいうところの大局を捉えて利益を生む考え方が、店の経営をうまく循環させているようです。
人をつなぐ場であり続けるために。西尾道場の探求は続く
「ワインと料理をゆっくり楽しみたい」という常連さんの声に応え、2020年には、鎌倉に隠れ家的なレストラン「Sushi bistro zen」もオープンさせた西尾さん。では、フレンチメニューが充実するこちらの店はなぜ、依然として回転寿司という業態であり続けているのでしょうか。
「回転寿司は誰でも入れる間口の広いB級グルメ。そんなドレスコードなしで気軽に入れる空間に、“本物”があることが大事なんです」

本物の美食とお酒を通じ、人の居場所をつくりたいと言う西尾さんですが、さらに間口が広く安価で楽しめる業態を今、構想中だそうです。
「立ち飲み屋をやってみたいんです。回転寿司の要素を取り入れた薄利多売で、客単価800円でも良いんです。コロナが明けた今だからこそ、人はふれあいを求めていると感じています。物価高の時代でも、会社帰りにパッと寄って人と心を通わせられる。次はそんな道場をつくりたいです」
常に時代が求める空間を探求する西尾さん。極上料理とお酒、そして西尾さんが媒介となり、人と人をつなぐ西尾ふれあい道場がまた生まれていきそうです。
取材先紹介
- あじわい回転寿司 禅
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住所:神奈川県小田原市東町2-1-29
X(旧Twitter)

- 取材・文くればやし よしえ
- 写真中村宗徳
- 企画編集株式会社都恋堂