教え方、働き方を現代の多様性にマッチさせ、江戸切子の伝統を継ぐ。

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東京都の伝統工芸品産業に指定される江戸切子。涼やかな艶感の伝統工芸ながら、多くの伝統工芸と同様、後継者不足や職人の高齢化といった悩みを抱えている。工房の数は激減し、現存する約9割が従事者1~3人という小さな規模である。そんな状況下、直販オンリー、日本唯一の江戸切子のスクール主宰と、独自の取り組みで躍進する工房がある。

「江戸切子とはなんぞや?」を知るべく、亀戸を目指した

ガラスに彫り物を施した涼やかな器「江戸切子」は、紅色、瑠璃色、ぶどう色など、さまざまな色味と艶感の高級な趣きで、目を楽しませてくれる。

ところで、ひとえに江戸切子といっても、何をもって江戸切子と言えるのか? 江戸切子協同組合のホームページを開いてみると、次の条件に基づいて作成されたものだとある。

  1. ガラスである
  2. 手作業
  3. 主に回転道具を使用する
  4. 指定された区域(※江東区を中心とした関東一円)で生産されている
    ※区域の指定は、江戸切子協同組合に帰属。

江戸切子の発祥は、1834(天保5)年に、江戸大伝馬町のビードロ屋加賀屋久兵衛が金剛砂を用いてガラスの表面に彫刻したのが初めてと伝えられている。1985(昭和60)年に東京都の伝統工芸品産業に指定され、2002(平成14)年には国の伝統的工芸品にも指定されている。

もっと詳しく江戸切子のことを知りたい。製造元を探してみると、1軒の工房「華硝(はなしょう)」が目に留まった。本拠地の工房は亀戸に構えるも、日本橋にも直営店を開き、さらに日本で唯一の江戸切子のスクールも開いている。しかも、スクールの卒業生が職人として活躍しているようだ。この積極的な展開や後継者育成につながる動きに、伝統工芸を存続させるヒントがあるかもしれない。

早速、話を聞きに「華硝」を目指す。向かったのは亀戸の本拠地。地図を頼りに、住宅地の家々が連なる小路を進んでいく。取材陣一同、ちょっと不安になる。本当にこんな住宅地に、江戸切子の工房があるのだろうか……? 

「華硝」はスペシャルな技術を誇る、下町の匠だった

小さな看板を頼りにドアフォンを鳴らすと、はつらつとした熊倉隆行さんが現れた。隆行さんは「華硝」の三代目となる。「華硝」は1946(昭和21)年に祖父の熊倉茂吉さんが創業。隆行さんは、二代目の父・熊倉隆一さんと共に自らも職人として作品をつくりながら、スクールの運営や人事関連、江戸切子の新しい展開方法などに日々取り組んでいる。

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「華硝」三代目の熊倉隆行さん。江戸切子の職人であり、スクールや職人の育成にも意欲的に取り組んでいる

「かつて江戸切子の工房は、東京の亀戸と大島界隈で90%を締めていたんです。東京スカイツリーのたもとあたりに大手のガラス会社が複数あり、この界隈にはガラスを加工する多くの業者や工場が集っていました。今は、うちだけになってしまいましたが……」

住宅地にぽつんとあると感じたのは、周りの環境が変わっただけなのだ。隆行さんは、慣れた様子で、制作の流れに沿って私たちを工房に案内してくれた。

1.割り出し

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生地となる江戸川区産の手拭きガラスのグラスを用い、割り出し台を使って目安となる線をマーカーで描き入れる「割付け」をする。

2.カット

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割付けに沿って、回転する円盤状ダイヤモンドホイールでカットする「荒摺り」をし、さらに細かい目のダイヤモンドホイールに掛ける「三番掛け」を経て、仕上げていく。

3.研磨

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カットし終えたグラスにさらに輝きを与える工程。……なのだが、「ここは企業秘密なので」と隆行さんからストップがかかる。素人目にはどこが秘密の仕組みかはまったくわからないが、「工房によってまるでやり方が異なる、肝となる作業」なのだという。「華硝」の秘密を知りたいがゆえに、国内はおろか海外からも視察や取材がやって来るそうだ。

4.検品、完成

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傷や不良がないか、よく検品をして完成となる。6人の職人が総出で取り組んだとして、1日に作れる量は、ぐい吞みなら40~50個、脚付きのグラスならその半分くらいだという。

工房3階はコアなファンがいる販売スペース。直販だから作りたいものが作れる

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涼やかなぐい吞みやお猪口は定番の売れ筋。鉛が入らないガラスを用いており、たわしで洗ってもOKという丈夫さで長く使える。上質な酒器で家呑みを楽しみたい、という客が増えているという

続いて案内されたのは、工房と同じ建物の3階にある店舗だ。かつては熊倉家の住まいだったダイニングルームを改装したスペースに、きらきらと艶めく江戸切子のグラスがびっしりと陳列されている。

これは、穴場。さぞ、来店する客数は限られるのでは、と思ったらそうではなかった。隆行さんいわく、「うちは直営店以外で販売をしないという方針なんです。日本橋に店舗を構えたのは2016年のこと。それよりずっと以前から、通ってくださるお客さまもいますし、新規の方も結構多いんですよ」。顧客の中には企業もいて、「世界にひとつだけ」を叶えるオーダー品の需要が高いという。

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実物を手にしてみると、紋様の面白さにも感じ入る。

「彫られているのは江戸の伝統紋様で、それぞれに名前と意味があります。例えば“矢来(やらい)”は邪気を払う意味があり、大切な方への贈り物におすすめです。“玉市松”は、上下左右どこまでも広がっていくことから、子孫繁栄、事業拡大などの縁起の良い紋様です」

中でも、ひと際、輝きを放つ紋様に目が留まった。

「こちらは“米つなぎ”といって、米粒を表した『華硝』で開発した紋様なんです。五穀豊穣への祈りとして、古くから稲は繁栄の象徴とされてきましたから。でも、この紋様を彫り込むのには、高度な技術が必要で。僕もはじめは相当苦労しました(笑)」

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「華硝」二代目・隆一さんが考案した紋様“米つなぎ”を彫り込んだワイングラス。2008年に開催された北海道洞爺湖サミットでは、この紋様を施した「華硝」の江戸切子が国賓への贈呈品に選ばれた

隆行さんは言う。

「父の時代に直販のみに踏み切ったのは、大きな決断でした。百貨店などからの受注生産になってしまうと、いくら技術が高くても他の工房といっしょくたになってしまう上に、オーダーされたものしか作れません。でも、直販だと作りたいものが作れて、利益も確保できる。お客さまの声をじかに聞けるので、次の作品に反映することもできます。さらに、インターネットのおかげで高額な経費をかけなくてもPRができるようになり、オンライン販売も浸透しました」

 “週末職人になる”をコンセプトに、技術を継承するスクールを主宰

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「華硝」が営む「江戸切子スクールHANASHYO'S」は、日本唯一の江戸切子の技術が学べるスクールだ

場所を移動して、今度は工房から徒歩5分の場所にある「江戸切子スクールHANASHYO'S」へと向かった。

生徒数は100人ほど。都内はおろか、千葉県や神奈川県、遠くは兵庫や名古屋から通う人もいる。10~15回のレッスンで、ひとつの作品をつくれるようなカリキュラムとなっており、早い人なら6、7回で完成する。その人ごとに合わせた教え方をしているのが特徴だ。 

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開校から10年。男女比率は1対9と女性が圧倒的に多いという

スクールを始めたきっかけを、隆行さんはこう語る。

「お客さまの『やってみたい』という声に応えるべく、2011年からスタートしました。確かに窯業の専門学校はあるけれど、ガラスはありませんでした。昔は、『技術は見て盗め』の時代でしたが、それも変わりました。積極的に技術を公開して、完全に同じものができなくても、その人なりの味を楽しめればいいな、と。それに、後継者不足が危ぶまれる中、自前で職人を育てていけるのではないかという考えもありました」 

実際のところ、工房の職人の中にもスクールの卒業生が活躍しており、スクールの講師も現場で経験を積んだ卒業生が務めるなど、隆行さんの目論見は見事に功を奏した。

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スクールはカリキュラムがあるものの、生徒ごとに対応。「本職の職人を目指したい人には、虎の穴コースで対応もします(笑)」と隆行さん。実際に感覚を掴めるうえ、職場の雰囲気も知ることができる貴重な場だ

多様性に応じた“柔軟さ”と、新たなジャンルの“融合”が生き残りのカギ

だが、スクールの運営、卒業生が活躍できる場をつくるには、運営サイドの柔軟性が絶対的に必要だった。

「例えば、スクールは土日の授業の需要が高いものです。最初は、僕ら職人が講師を務めていましたから、そのために自分たちの休みを変えて、生徒さんを受け入れられるようにしました」

筋がいい人、働きたいという希望がある人は、パートタイムで工房に入ってもらうことも始めた。伝統と経験を重んじる職人の世界において、これは革新的なことである。その影響もあってか、「華硝」の職人の平均年齢は32~33歳。以前は高齢化の一途だったことを考えれば、確実に若返っている。

「私たち、工房を営む側も多様化を持たせようと、今後もパートタイマー制を取り入れ、週1、2日のみしか働けない方も採用していく予定です。今後を見据えれば、それでもいいと思うのです。そうでないと江戸切子の業界はどんどん縮小してしまいます。人材確保は一つの大きな課題です」

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最後に、江戸切子の今後の展望について聞いてみた。

「柔軟性の大切さは、技術においても同じことが言えます。例えば、江戸切子の技術をガラスだけに使うのではなく違うものに応用し、転換していくとか。それには、どんどん世界に出ること大事ですね。既存の枠を飛び出して、新しい発想で文化を共有していくことに新しい可能性があるのではないでしょうか」

従来のしきたりにがんじがらめにならず、どこまで現状に歩み寄って、この先の実情を想像できるか。伝統工芸を未来につなぐカギは、そこに尽きるようだ。

 

【取材先紹介】
江戸切子の店 華硝 

亀戸本店(工房・店舗) 
東京都江東区亀戸3-49-21(製造1F店舗3F)
電話 03-3682-2321

日本橋店(2号店) 
東京都中央区日本橋本町3-6-5
電話 03-6661-2781

スクール 
東京都江東区亀戸3-1-9
電話 03-5858-9175 

▼取材・文/沼 由美子 
ライター、編集者。神奈川生まれ、東京住まい。10年の会社員生活を経て転身。醸造酒、蒸留酒ともに愛しており、バー巡りがライフワーク。とくに日本のバー文化の黎明期を支えてきた“おじいさんバーテンダー”にシビれる。著書に『オンナひとり、ときどきふたり飲み』(交通新聞社)、取材・執筆に『日本全国 ご飯のとも お米マイスター推薦の100品』(リトルモア)、『読本 本格焼酎。』(プレジデント社)などがある。

▼撮影/高橋敬大(TABLEROCK)