激辛ラーメン、激辛カレー、激辛スナック、……いつの頃からか、私たちの食生活の中で身近な存在となっていた激辛食品。コンビニに行けば、激辛系の新商品を見かけない日はないというくらい、「辛味」は私たちにとってなくてはならない味覚になりました。
約10年前、そんな「激辛」にフューチャーした奇抜な町おこしで大成功した自治体がありました。それが、京都府向日(むこう)市です。「激辛商店街」として全国のメディアで取り上げられ、大企業や自治体との数々のコラボも果たしたプロジェクト。その影には、いくつかの失敗と、小さな組織が突き抜けるためのスマートな戦略がありました。
「激辛」で町おこしをしたら海外観光客も来店するように
京都盆地の南西部に位置する京都府向日市。市域は東西約2キロメートル、南北約4キロメートルで、西日本では一番、全国でも三番目に小さい市として知られています。コンパクトながら、長岡京の中枢「長岡宮」跡地や、千年以上の歴史を持つ向日神社など、歴史的な史跡を数多く擁し、京都市にも大阪方面にも出やすいという交通アクセスにも恵まれた町です。住みやすい環境のため、ベッドタウンとしても発展を遂げました。
そんな向日市を一躍有名にし、全国からさまざまな団体が視察に訪れる地域にした立役者が、町おこしプロジェクトの「激辛商店街」。「商店街」といえど、実際にそのような名前の商店街があるわけではなく、街全体を仮想の商店街と見立てて、加盟店が各自で「激辛」にちなんだメニューやサービスを提供しています。今回は60を超える加盟店の一つでもあり、激辛商店街の会長・宮路亮さんが経営する中華料理店「麒麟園」を訪れました。
麒麟園は1966年創業の地域に根ざした中華料理店で、宮路さんは父の跡を継ぎ、2代目として麒麟園を取り仕切っています。この店の看板メニューであり、激辛を求めて遠方からもお客が訪れるという噂の一品が「激辛坦々麺」。辛味は1辛〜5辛、さらに希望すれば裏メニューとして15辛(!)まで選べるようですが、今回は宮路さんおすすめの2辛をいただきました。
……辛い! でも、めちゃくちゃうまい! まず坦々麺特有の濃厚な風味とコクが口に中に広がって、後からピリッと舌が痺れるような辛味がやってきます。その刺激がまた食欲を刺激して、辛いんだけど2口、3口と麺を口に運んでしまうのです。
「京都の祇園味幸さんの黄金一味を含む4種類の唐辛子をベースに、ブート・ジョロキアやキャロライナ・リーパー、モルガ・スコーピオンなどを辛さのレベルに応じて加えています。こだわりは“辛くてうまい”坦々麺です。ただ辛いだけでは食べに来られる方に失礼ですよね。やっぱり“おいしいけど辛い”っていうのがないとあかんので、そこはちゃんとスタッフと相談しながら改良を続けているところです」(宮路さん)
もともとは月に数回ほどしか注文のないサイドメニュー扱いだった坦々麺が、「激辛商店街」の取り組み以降、京都を訪れた海外観光客も立ち寄るという人気メニューになったそう。また、加盟店の中には2〜3割売り上げが伸びたという店もあれば、激辛商店街きっかけでメディアに取り上げられたという店も。いまや向日市が認める名物として「激辛商店街」は地域に定着しています。
「誰もやってないことを」という意気込みで始まった「竹馬」町おこし
そもそも、なぜ向日市で町おこしが始まったのか。宮路さんとともにプロジェクト発足時から「激辛商店街」を支えてきた副会長の清水幹央さんは、町の商店街のシャッター通り化がきっかけだと言います。クリーニング店を経営する清水さんは、以前から地元の商店街の衰退を身にしみて感じていました。
「今から15年ほど前、この小さな町に超大型のショッピングモールができるという情報が入ってきました。当時は300を超える専門店ができるという――そういう話やったんです。そんなことになったら、町の商店街は全部飲み込まれてしまうのではないか。そうなる前に自力でお客さんを呼び込めるような仕掛けをやっていこう、という話になったんです」
町の危機に立ち上がった地元商工会青年部のメンバーが、最初に取り組んだのは向日市の名産である「竹」を活用した町おこしです。
「地域にある特産品や観光資源といった“地の利”を生かしたものをテーマにするということが、当時の町おこしのセオリー。まずは竹を使って何かしようという話になりました。ただ、商工会青年部は男ばっかりやったんでね、タケノコのような繊細な味を扱うのは難しい……ということで、食品開発ではなく、子どもの頃からよく遊んでいた“竹馬”で町を盛り上げることにしたんです」
「誰もやっていないことをやろう!」と意気込んでいた商工会のリーダーをはじめ清水さんたちは、竹馬の全国大会を開催することにしました。
「竹馬全国大会なんて馬鹿げているけど(笑)、どこもやっていないから何か副産物が生まれるんじゃないかと。ふたを開けてみれば、数こそ少ないものの竹馬のマニアみたいな方が全国におられて、西は広島、東は新潟あたりから大会に参加するために車や新幹線でやって来ました。ほんま驚きましたね。2、3年も続けていると、竹馬のキットが欲しいとか、学校に竹馬を教えに来て欲しいとか、竹馬に特化した番組をやるので名人を紹介して欲しいとか、竹馬に関する問い合わせも入るようになりました」
そうした経験から清水さんたちが学んだのは「突き抜ける」ことの強さです。
「間口を広げるのではなくて、あえてカテゴリーやジャンルを絞ることで、ターゲットは狭まるけど、何百キロも先から熱狂的ファンが来てくれたり、予想外なことが起こったりするということが、やりながら段々と分かってきました」
二の矢として放った「激辛町おこし」に秘められたメディア戦略
順調に思えた竹馬での町おこしですが、3〜4年ほど経つと一つの懸念が浮かび上がりました。それが「経済効果」です。
「竹馬目当てに向日市に来ていただいても、宿泊するのは京都市内のホテルだし、お土産を買うのは京都駅の駅ビル。町にどうやってお金を落としてもらうかと考えた時に、キャッシュポイントをもっと我々の生活の近いところに置かなければいけないんじゃないかと。そこで、竹馬が駄目だったというわけではないんですけど、二の矢としてグルメをテーマにした町おこしをしたらどうだろうという話が出てきました」
グルメで町おこしをするにあたって、竹馬の先例を参考に、誰もやっていないことで、かつ地の利を生かした素材はないかと清水さんたちはリサーチしますが、結果的に「そんなものはない」という結論にたどり着きます。
「なければ、また“竹”に戻るかという話も出たんですけど、お客さんのニーズに応えられるものでなければ、ただの自己満足になってしまうんですよね。本気で町おこしをしようと考えるのであれば、やっぱり、行ってみたい、食べてみたい、体験してみたいと本当に思えることを考えなければいけない」
形だけの「町おこし」になってはいけない。そこで、清水さんたちがとった次の一手が、町おこしのセオリーであった「地の利」を捨てるということです。
「我々は後発なんで、大体のことはみんなやられているんですよ。揉みに揉んで、結局(向日市はまったく関係のない)“激辛”をテーマにしてはどうかという案が出ました。カレーとか特定のメニューで町おこしをしている地域はあるけど、“辛い”というテーマだけで町おこしをしている場所はほとんどなかったですからね。激辛というテーマだけ設定して、料理は(激辛商店街に加盟している店舗が)各自で開発してくださいということにしたんです」
清水さんたちが激辛商店街を始めるにあたって、特にこだわったのが「メディア戦略」です。
「結局、メディアに取り上げられるには、面白いな、いいなと思ったことをいち早くやらなければいけなんですよ。スピード勝負なんです。普通やったら、会議を重ねて名称やキャンペーンなど一つひとつ決めていくと思うんですが、そんな時間がなかったし、せっかくとんがったテーマを思いついたからには、そのままやってみよう、と。だから最初は、趣旨に賛同してもらえてすぐに動ける人たちは一緒にやらへんか、という言い方で加盟店を募りました」
企画趣旨への賛同者でメンバーを固めて、トップダウンで物事が決定する組織とすることで、迅速な意思決定が可能に。さらにスピード重視のため、対面での会議を開催することもほとんどなく、LINEでほぼすべてのやり取りを完結させるという徹底ぶり。機動力重視なのか、いまだに事務所もないそうです。
実は「激辛商店街」というネーミングも、メディア戦略の一環。「商店街がなくなるって言ったら当たり前の話なんでニュースにはならへんけど、商店街が新しくできたって言ったらニュースになりますよね。この時代に? って」と、思い付いたと説明します。
ヤフトピに掲載されメディアの取材が殺到!
2009年、ついに激辛商店街がスタートします。そして清水さんたちの狙い通り、開始早々にYahoo!ニュースのトピックスに「京都府向日市で激辛商店街発足」という見出しが踊りました。
「激辛商店街って何ですか? みたいなところから始まって、新聞・ラジオ・雑誌・テレビ、もうありとあらゆるメディアから注目を集めました。半年ぐらいで一気に知名度が全国区になりましたね。それで風向きが変わったのか、最初加盟店を断られた店からも“入るわ”って言われて(笑)」
激辛商店街の注目度が高まると、企業とのコラボ企画も行われるようになりました。ローソンやサークルKといったコンビニとコラボ商品を開発したり、激辛商店街監修のヤマザキ ランチパックが販売されたり、北海道北見市のJAから「辛すぎて売れない」と相談を受けた“激辛南蛮”という唐辛子の品種を使って「激辛南蛮フェア」を開催したり……。
そして、2012年からは、B級グルメの「B-1グランプリ」をインスパイアした「KARA-1 グランプリ」が開催されます。「辛くて旨いNo.1」を決めるグランプリということで、京都向日町競輪場を会場に、全国各地の激辛メニューが集合。年々、イベントの規模は拡大し、2019年には京都府の「大物産展」と合同開催が実現。合計で約100店舗が出店し、最終的には11万人の来場者を誇る大イベントに成長しました。
やってみなければ「成功」か「失敗」かが見えてこない
ここまで聞くと、トントン拍子のサクセスストーリーであるかのように思われますが、清水さんは「いっぱい失敗してますよ。(失敗が多すぎて)もう忘れてますけど(笑)、全部が成功しているわけじゃない」と言います。
「最初に加盟店を募った時、『何を根拠に激辛で成功すると思うんや』とよく言われました。リーダーをはじめとする商工会メンバーは『いや、根拠のない自信です』と(笑)。これで絶対勝てるという自信はなかったですけど、やってみればとりあえず成功か失敗か、どちらかの答えは出ますよね。ただ失敗した時に大きな痛手にならないようスモールスタートで始めることは心掛けてます。何か新しい企画をやる時は、加盟店全体で一気にではなく、話に食い付いてきた2〜3軒で始めて、うまくいき出したら風呂敷を広げるというやり方。逆に、もうあかんなと思ったら早めに撤退する。風向きが怪しくなってきたのに変に取り繕うと、ますますドツボにハマっていきます。『皆さん、進む方向間違えてました』と店舗に早めに伝えて撤退してしまえば、リスクを最小限に抑えられますよね」
加盟店が、企画に無理なく参加できるように、それぞれの店舗の自由を尊重していると言います。清水さん曰く「いいかげんっちゃ、いいかげん(笑)」のスタイルですが、この柔軟性が10年以上も激辛商店街が続いた秘訣なのかもしれません。パンデミックで激辛商店街の活動はここ2年ほど停滞しているようですが、コロナ明けに備えて、五感を刺激するユーモア溢れるたくさんのアイデアを温めているということで「悲観はない」と語ります。
山椒は小粒でもピリリと辛い、そんなことわざもありますが、西日本で一番小さい向日市の激辛町おこしには、機動力高く、とんがった企画を打ち出していくという、まさに小ささを逆手に取った確かな戦略があったようです。
取材先紹介
- 純中華料理 麒麟園
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京都府向日市寺戸町東田中瀬5−54
電話:075-933-1370 - クリーニングシミズ
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京都府向日市寺戸町初田24
電話:075-921-2075
- 取材・文小野和哉
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1985年、千葉県生まれ。フリーランスのライター/編集者。盆踊りやお祭りなどの郷土芸能が大好きで、全国各地をフィールドワークして飛び回っている。有名観光スポットよりも、地域の味わい深いお店や銭湯に惹かれて入ってしまうタイプ。
- 写真新谷敏司