世界9周・約70カ国を訪ねた「南極料理人」。過酷な環境での経験を生かした魅力的な店づくりとは?

南極地域観測隊の越冬調理担当、豪華客船「飛鳥」の料理人など、世界9周・約70カ国200都市を巡った旅の料理人・篠原洋一さんが帰国後の2010年にオープンしたのが、横浜・関内で旅や船、そして南極好きが集まる「Bar de 南極料理人 Mirai」です。旅の写真や記念の品が飾られた秘密基地のような店内には、世界を旅した経験から生まれた料理とお酒がたくさん。唯一無二の世界観を求め、遠方からもお客が足を運びます。訪れたくなる魅力的な店づくりや、お客との関係づくりの工夫について、篠原さんに伺いました。

20歳でオーロラの話に魅了され、南極行きを目指す

――「南極料理人」の店名にもあるように、第33次・第50次南極地域観測隊の調理担当として腕を振るわれていたとか。まずは南極料理人を目指したきっかけを教えてください。

子どもの頃から食べることが好きで、高校卒業後は板前の道に進みました。私は北海道出身で、実家の近所にある高校に卒業後もよく遊びに行っていたのですが、20歳の時に図書館司書の先生が「北海道大学に面白い先生がいる」と教えてくれて。その教授は過去4回も南極を訪れた雪氷学(せっぴょうがく)の重鎮で、興味を持って電話してみると「遊びにおいで」と気さくに誘っていただきました。

教授の話はどれも面白く、特に私が引かれたのはオーロラの話。私は食べることと同じくらい旅も好きだったので、夢中になって何度も話を聞きに行くと「話をいくらしても100分の1しか伝わらないから、自分の目で見なさい」と言われたんです。教授によると、南極観測隊は研究者のほかに基地の維持を担う設営隊がいて、調理担当の枠がある。「6〜7年修業して何でも作れるようになって、それでも行きたかったら推薦してあげるよ」とアドバイスしてくれたんです。

当時の料理人の修業は厳しくて、朝から晩まで休みなし。枕元に南極観測船「しらせ」とオーロラの写真を貼って、朝起きたら「絶対に南極に行くぞ!」と頑張りました。その後、南極地域観測隊の試験を受けて3回目で合格し、29歳で調理担当として参加しました。実際に南極で見たオーロラは、この世とは思えない素晴らしさでしたね。帰国後はもっと世界を旅したいと豪華客船「飛鳥」の料理人として働きましたが、もう一度オーロラが見たくて、46歳で再度試験を受けて2度目の南極に渡りました。

オーナーシェフの篠原洋一さん。割烹「車屋」や料亭「金田中」、割烹「たかまつ」で修業し、第33次(1991〜1993年)・第50次(2008〜2010年)南極地域観測隊に越冬調理担当として参加し、昭和基地で腕を振るう。1993〜2008 年、豪華客船「飛鳥」「飛鳥 2」に乗船し料理人として活躍

店のコンセプトは「船・旅・南極」。外国船に一番近い横浜港の近くで

――南極や客船での経験を経て、2010年関内に「Bar de 南極料理人 Mirai」を開店されました。オープンの背景やコンセプトを教えてください。

実は板前を始めた時から「将来は自分の割烹(かっぽう)の店を持とう」と決めていたのですが、2度目の南極から帰った時は48歳。「今、店を出さないと体力的に無理だな」と思い、オープンを決めました。当時はちょうどバブル後で割烹(かっぽう)を出すタイミングではなかったため、これまでの経験を生かして、船好き・旅好き・南極好きが集まるダイニングバーにしようと考えました。

関内を選んだ理由は、横浜の大さん橋の近くだったから。大さん橋は「飛鳥」も入出港するほか、世界の港の中でも、外国客船の入出港を一般人が至近距離で見られる希少な場所で、私が一番好きな港なんです。周辺で昼夜問わずお客さんがいる場所を探して、この物件を見つけました。

らせん階段の下に広がる秘密基地のような店内。ペンギンや船の写真、世界地図、思い出の品などが並ぶ。「目立たない場所ですが、ふらっと入ってくるのではなく、うちの店を目的にして来てもらえる物件なのが気に入りました」と篠原さん

南極隊員の心をつかんだ逸品と、世界のお酒を堪能

――メニューには南極で提供していたものもあるのでしょうか?

全18品の定番メニューは南極でも作っていたものです。よく「南極料理って何?」「アザラシやペンギンを食べるの?」なんて聞かれますが、向こうで生き物を取って食べているわけではないんですよ。越冬隊は1年2カ月ほどを南極で過ごしますから、約30人分、1,600種・2400万円分の食材を船で運んでいって、和洋中から各国料理まで何でも作るんです。

実は南極という閉鎖空間において南極料理人に一番求められるのは、「日本と変わらず食べたいものは何でも提供し、すべての隊員を満足させること」。もともと板前なのでこの店ではメニューにない料理も作りますし、ふぐやすっぽんのコースを提供することもあります。

――なるほど、「南極料理」というカテゴリがあるわけではないのですね。とはいえ、一品一品にストーリーがありそうです。

開店するなら絶対やろうと決めていたメニューが、看板の「南極ドライカレー」です。「飛鳥」に乗っていた時に習得した日本郵船伝統のドライカレーを、私が南極時代に進化させたメニューです。日本のドライカレーは約110年前に航行していた「三島丸」の船内食が起源と言われていて、定義の素材は牛肉100%、フライドオニオン、スライスエッグ。味付けは調理長ごとに違うのですが、私は白ワインを使って軽めに仕上げています。

それから「スパムおにぎり」は、第50次南極観測隊員の昼食時に麺類のお供として出していたもので、休憩中のおやつ代わりにも食べられていました。そのほか「何か温まるものを食べたい」というリクエストから生まれた「エビと帆立のアヒージョ」など、どれも隊員たちとの思い出の品ばかりです。

船上で生まれたカレーを進化させた「南極ドライカレー」(税込850円)。水分が少なく、揺れる船でも流れないことがドライカレーの語源だそう(写真提供:篠原さん)
定番メニューの「エビと帆立のアヒージョ」(税込900円)と、「スパムおにぎり」(税込680円)(写真提供:篠原さん)

――世界の珍しいお酒もたくさん並んでいますね。

特に力を入れているのが、日本酒とラム酒です。世界各地のラム酒は240種類あり、ラムコンシェルジュの資格も持っています。ラム酒は世界中に存在していて種類が多いといわれるお酒で、その数およそ3万種。興味を持ったきっかけは、カリブのスーパーでラム酒の種類の多さや多様性に驚き、「まるで日本酒の地酒みたいだ!」と魅了されたことです。歴史とも関わりが深いので、お客さんに世界地図を見せながら「2分でわかるラム講座」をすることもありますよ。

昭和基地での思い出の写真。隊員は観測を行う研究者のほか、技術者、通信士、調理師、医師、環境保全技術者など約30人。当時の貴重な写真を眺めながら過ごしていると時間がたつのもあっという間

“食事”は一番の楽しみ。隊員のメンタルを支えてきた

――南極では「食べたいものは何でも作る」と伺いましたが、大変ですよね。越冬調理担当時の苦労はありますか?

苦労というほどではありませんが、心がけていたのは「できない、食材がない、知らない」と決して言わないこと。その理由は、閉鎖的空間でネガティブな言葉を使うと、メンタルがやられてしまうからです。南極隊の一番の任務は無事に帰ることで、「死なない、けがをしない、メンタルがやられない」の3つの要素が重要です。外の世界の人と会わず話題も少ない環境において、食事は一番の楽しみです。つまり調理担当は、隊員のメンタルを担う重要な役割なんですよ。

それと、毎日献立が決まっていると単調で気持ちが沈んでしまいますから、毎週隊員にリクエストを聞いて、週替わりで献立を決めていました。作ったことがないものをリクエストされることもありますが、昭和基地には一般に先駆けてインターネット環境が整っていましたし、他の料理ジャンルを担当する相方と2人で試行錯誤すれば何とかなりました。「ドラマで見たあれが食べたい」「吉野家の牛丼が食べたい」と言われたら、材料がなくても代用する。すると「ヨシギュウじゃん!」って大喜びしてくれるんです(笑)。

月2回はパーティーも開きました。娯楽係、生活係と協力して、隊員を巻き込んでいかに楽しもうかと作戦を立て、誕生会や花見、ミッドウィンター祭などの季節イベントや氷山で流しそうめんなど、何でもやりました。調理担当は一番忙しいですから、自分もつぶれないことが大事。そのため、たまにはできあいの食材も使うなどして余裕を持てるように心がけていました。

南極で使われていた週替わりのメニュー表。月2回のパーティーは装飾にもこだわり、季節のメニューを提供。日本から持ち込んだ屋台でお祭り風にしたり、寿司パーティーも開いたりして好評を博した

食、旅、文化——唯一無二の世界観を求めて、遠方から訪れるお客も

――どのようなお客が多くいらっしゃるのでしょうか。

老若男女さまざまです。常連だと、歴代の南極観測隊の隊員、「しらせ」を運航する海上自衛隊の方、造船会社の方々。私は全国各地で講演をしているので、それを聞いた企業や組織の方が来てくださることもあります。

それから、遠方から足を運んでくださる新規のお客さんも多いですね。例えば、名物のドライカレー、珍しいラム酒や日本酒を求めて来る方。あと、お酒は飲めないけど旅が好きな方、南極に行きたいという方や実際に行ってきた方、それから客船に乗りたい方。南極、ラム酒、膨大な旅の写真など、変なところが尖っているせいか、ここまで客層がバラバラなお店も珍しいですよね(笑)。目的を持って来られる方が多いためか、飲みすぎて泥酔する方もいなくて、お客さんの質も良いんじゃないかな。

店内には南極の石や、国の用務で海外渡航する人やその同伴者のみに発行される緑の公用パスポートも

――横浜にいながら、世界の旅気分が楽しめるのも魅力ですね。お客との関係づくりの工夫はありますか?

やはりお客さんに楽しんでほしいので、料理の手が空いた時にはできるだけお話をしますね。また、利き酒師を招いた「日本酒会」、面白い研究者と一緒に楽しむ「研究者と飲む会」など、定期的にイベントもやっています。店のイベントの良さは、講演とは違って「それはどうして?」とすぐ聞けるところ。最近も地球外生物の研究者を招いて、「木星の衛星エウロパには生物がいるかも?」なんて話で盛り上がりました。

南極の昭和基地にはバーがあり、日本を代表する研究者たちがおのおのの専門分野に関わる話をたくさんしてくれました。そんな彼らに「オーロラの話を素人にも分かるように話して」なんてお願いして、お酒を飲みながら「そこをもっと簡単に!」と盛り上がるのが楽しくて。その面白さをこの店のイベントとして皆さんに味わってもらいたいと思い、開催を続けています。

よく店を見回すと、当時使用していた貴重な品がちらほら

人間関係は“262の法則”でうまくいくということを閉鎖空間で実体験

――南極基地はおよそ1年2カ月、客船は世界一周100〜110日もの期間を仲間とともに過ごすそうですね。こうした経験が、店づくりや経営に生きていると感じることはありますか?

閉鎖空間で長く過ごすなかで得た気づきは、「人間は考え方一つでずいぶん感覚が変わる」ということ。例えばブリザードの時、閉鎖された建物に閉じ込められているか、もしくは守られていると捉えるかでは気持ちがまったく違いますよね。メンタルをやられないためには、時々自分自身を俯瞰(ふかん)して、自分の心幹が偏っていないか見つめることが大事と感じます。

人間関係で今も意識しているのが、「262の法則」です。「飛鳥」の調理場で働いていた時、外国人の部下がお酒を飲んで寝坊を繰り返すようになり、頭にきて怒鳴ったことがあったんです。その時、先輩に言われたのが「声を荒げるのではなく、論理的に説明することが大事。閉鎖空間で怒られると逃げ場がなくなり、メンタルがやられる」と。同時に教わったのが、262の法則です。「10人いたら仕事ができる人が2人、普通は6人、それ以外は2人。そんなものだと思え」と言われ、腑に落ちました。実際にそう思うようにしたところ、無駄に怒ることがなくなったんです。さらに相手のことをもっと理解しようと努力するようになり、職場も明るくなりました。老若男女だけでなく文化の違う外国のスタッフが入り交じる多様な場においては、とても大事な考え方だと思います。

――スタッフの育成にも役立ちそうですね。

もちろん、時にはスタッフにカッカすることもあります。そんな時も262の法則を思い出すと、「私自身が教えるのが上手な2か、下手な2になるか。相手が教わるのがうまい2か、ダメな2になるかは、自分の手腕にかかっている」と気付いて面白くなる。そう考えるとやりがいになりますし、相手が成長する姿を見られた時はとてもうれしく思います。

年間50本ほどの講演を行う篠原さん。テーマは心理的安全性やコミュニケーション、働き方など。「講演での移動は息抜きでもあり、人前で話をすることは自分を客観視する良い機会になります」

どんなときでも自分が楽しめることに集中する

――夢に向かって挑戦を続けてきた篠原さん。店も14年目を迎えましたが、今の目標は?

今年で62歳です。70カ国200都市に行きましたが、まだ70カ国しか行っていないから、残り130カ国に行きたいですね。今の目標は、トリニダード・トバゴのカーニバルを見ることです。とはいえ、お店もありますから、なかなか難しいですけどね(笑)。

お店を続けていくなかで大事にしているのが、自分がつぶれないように“楽しむ”こと。今後も楽しいことをたくさんたくらんで、ポジティブな気持ちを保ち続けていきたいですね。

取材先紹介

Bar de 南極料理人 Mirai


取材・文渡辺満樹子
写真新谷敏司
企画編集株式会社 都恋堂