およそ4,700種!「東陽町 七厘家」のメニューが増え続ける理由は、お客への愛だった

およそ4,700種のメニューを提供し、現在もその数を増やし続けている「東陽町 七厘家」。提供するメニューは和食、中華、イタリアン、フランス料理、スペイン料理など、バラエティーに富みます。一体なぜ、メニュー数を増やしているのか。そしてなぜ、それほど多くのメニューを生み出せるのか。ほぼワンオペでキッチンに立ち、世界各国の料理を作り続ける店主・平田尚也さんに話を聞きました。

ギネス世界記録越え!都心に潜む、驚きのメニュー数の居酒屋

大企業のオフィスと住宅街が交ざり合うように所在する、東京都江東区東陽町。駅から徒歩1分のところに「東陽町 七厘家」はあります。店内は温かみのある木目調が映えるアットホームな雰囲気。多くの人にとってもおなじみの一般的な居酒屋に見えますが……。

メニュー表がにぎやかに壁に並ぶ

驚くべきはその品数!なんとA3サイズのファイルには、ジャンルや食材ごとに多種多様なメニューが記載された大量のコピー用紙が収められています。フランス料理から和食、中華、韓国料理、イタリアン、メキシカンなど世界各地の料理が羅列されているほか、ズッキーニや白モツ、レバーなど細かい食材ごとのメニューも豊富。実は、このメニュー数はまだまだ増加中で、店主の平田さんは7,000種まで増やしたいと考えているそうです。

圧倒的なメニュー数。すべてを把握することすら難しい。ワインをボトルで注文すると、一部のメニューが無料になったり割り引きされたりするユニークなサービスも

「お客さまに喜んでもらいたい、また来てもらいたいと考えているうちに、どんどんメニューが増えていったんです。1,000種くらいまで増えたときに、ビール会社の営業の方たちに『ギネス世界記録を目指せるのでは』と言われ、当時世界一と聞いていたハンガリーの店の1,800種を超えようと思いました」

ギネス世界記録の登録を目指して2,500種までメニューを開発したものの、手続きの煩雑さに心が折れて申請は諦めたそう。そのため「世界一」を公称することはできませんが、その後も新規開発を重ね、2025年4月現在のメニュー数はおよそ4,700種。ハンガリーの店舗をはるかに超えたメニュー数を提供しています。

いったいどうやってこれほど膨大な数のメニューを開発したのでしょうか。その理由は、「東陽町七厘家」の歴史にありました。

借金3億円。「攻撃こそ最大の防御」と考え、新規店を12店オープン

店主の平田さんは、もともとは百貨店に勤務していました。学生時代は音楽家を目指して音楽中心の生活を送っていましたが、その道は険しく、卒業後は企業に就職することに。しかし、音楽とともに生きていきたいという思いは変わらず、文化の一大発信地であり、音楽部門を運営していた西武百貨店に勤めたと言います。

インタビューに応じてくれた平田さん。日々、およそ4,700種のメニューと格闘しているとは思えないほど、穏やかな語り口だ

ところが当時大衆居酒屋を営んでいた父親が病に倒れたことから、平田さんの人生は一変。急遽、父が営んでいた事業を継承することになります。引き継いだ事業にはすでに3億円の借金がありましたが、平田さんは前向きでした。

「父がことあるごとに、『お金は信用で借りるもの。借金できるのも実力のうち』と話していたことが影響したのでしょう。当時は居酒屋業界にちょっとしたバブルが生じていたこともあり、店を開けていれば借金を返していくことは十分できると考えていました」

ところが居酒屋人気に翳(かげ)りが出て、大手のチェーン店が次々と倒産・買収されると、平田さんの店の経営にも暗雲が立ち込めます。このままでは、事業はしぼんでいくばかり。しぼみきった後ではますます借り入れできなくなると考えた平田さんは、「攻撃こそ最大の防御」と心を決め、多店舗展開に乗り出しました。当時は日本中が不況のあおりを受けていたため、次々と空き物件を紹介してもらい、店をオープンさせることができたそうです。

またバブル崩壊当時は、腕のいいシェフや板前も不況で仕事にあぶれていました。平田さんには専門店を経営した経験がなかったため居酒屋という業態ではありましたが、元高級レストランやホテルで働いていたシェフを次々と雇うように。高級フレンチ、イタリアン、魚料理に定評のある創作和食……。一流のシェフたちとともに厨房に立つ中で、ありとあらゆるジャンルの料理を本格的にこしらえる基礎力を身に付けていきました。

店の名物「一晩寝かせたラザニア」は、大皿に野菜がごろっと入り、満足感たっぷり。最近値上げしたそうだが、それでも800円とかなりリーズナブルだ

コロナ第7波。リピーター獲得のため、「飽きさせない」メニューづくりを開始

料理はおいしいと好評でしたが、相変わらず資金繰りには苦しみました。月々の借金返済額を利益が下回るようになったため、平田さんはついに12店中11店を閉店。最後に残した店が比較的好調だった「東陽町 七厘家」でした。平田さんは「東陽町 七厘家」に全力投球することを決意。お客を驚かせ、喜ばせたいと考えてメニュー数を増やしていきます。

すでに幅広い料理の基礎が身に付いていた平田さん。メキシコ料理やロシア料理などシェフに習っていないメニューも独学で学び、多くの人が店を訪れるようになりました。そしてついに、1991年には父から引き継いだ借金を完済。安定した経営を望めるようになりました。

メニュー表にも平田さんの個性が表れる

ところが、ようやく肩の荷を下ろすことができたのもつかの間、2020年に突然コロナ禍に見舞われます。人の流れが抑制されていても、飲食店に対し給付金が出た頃はなんとか持ちこたえましたが、助成金がなくなり、自粛ムードだけが戻ってきてしまった第7波の影響は甚大でした。

「店を開けなければ食べていけないから、仕入れも仕込みもする。けれどお客さまは来ない。このときが一番辛かったですね。借金があったときよりもよほどこたえました」

店は東陽町に勤める会社員の人々を主要顧客にしていたため、リモートワークが普及した時期は影響が大きかったようです。

新規客の来店を見込めない中で店を継続させるには、今来ている人にまた訪問してもらうしかありません。そこで平田さんは、「お客を飽きさせない」ことに注力します。その手段がまさに、新たなメニューの開発。メニューはさらに増えていき、「東陽町 七厘家」は膨大なメニュー数を誇る店として評判を集めていきました。

平田さんに質問!メニューの管理・提供はどうしてる?

とはいえ、これだけ膨大なメニュー数を一体どうやって管理し、提供しているのでしょうか。開店準備の買い出しから閉店後の後片付けまで、日々忙しく駆け回る平田さん。まかないを食べている間に、素朴な疑問のあれこれを聞きました。

開店準備をしながら、まかないを食べる平田さん。厨房(ちゅうぼう)の小窓からよく客席の様子を見ているのだとか

――ものすごい量の食材が必要だと思いますが、管理はどうしているのでしょう?

実際、むちゃくちゃです(笑)。品切れしているものも多いので、注文していただくまで、そのメニューをお出しできるかどうかは分かりません。ただ、できるだけ手元の食材で対応できる料理をご注文いただくために、おすすめの品は分かりやすく掲示しています。また、食材が高過ぎるときも、一部メニューの提供をやめることがあります。2025年の初めはキャベツが高騰して大変だったので、キャベツを使用した一部メニューを取りやめていました。

――正直メニュー名、全部覚えていますか?

覚えていないものもあります。だからそれをいいことに、メニュー表にないものを適当に注文されることもありますよ(笑)。レシピを忘れちゃった場合は、その場で調べながら作ることもあります。ただ、メニュー表を作っているときの光景を大まかに記憶しているので、どのページのどの部分に書いてあったのかを教えてもらえれば、作り方とあわせてかなりの確率で思い出すことができます。

――客席にも冷蔵庫が数台置いてあることに驚きました。いったい全部で何台あるのですか!?

32台です。どこに何を入れるかは特に決めていないので、食材が行方不明になることもあります。

――一度しか作っていないメニューやまだ注文されたことのないメニューもあるんですか?

数え切れないくらいありますよ(笑)!意外に新しいメニューに挑戦し続けるお客さまは少なくて、一度「おいしい」と思ったものをリピート注文されることが多いんです。

――料理はすべて試作してからメニュー化しているのでしょうか?

試作せずとも作れてしまいそうなものは、試作なしでメニュー化します。あまりなじみのない料理はさすがに試作をしますね。あとお恥ずかしいことに私は偏食家で……。人参や大根などの根菜が苦手なので、これらが入った料理はあまり試食ができないんです。そのためキッチンの小窓から客席を見て、お客さまのリアクションから料理の方向性を決めたり、微調整をしたりしています。

――日々お店の営業で忙しいかと思いますが、どんなときに新しいメニューを思い付くんですか?

日夜メニューのことを考えています。思い付いたらメモをして作ってみていますね。休日に外出しているときも、頭のなかはずっとメニューのことでいっぱい。開発のときに心掛けているのは、手間がかかり過ぎるものと、材料が高過ぎるものはやめておくことくらいです。

――正直、メニュー数が多過ぎてパニックになることはありませんか?

しょっちゅうですよ(笑)。料理はほとんど一人で担当しているので、忙しいときはわけが分からなくなることもあります。

――似たような料理もありますよね。あちこちのメニューが混ざって「創作料理」化してしまうことはないのでしょうか?

そうならないように心掛けています。多少分かりにくくても、イタリアンメニューはイタリア語を、フレンチメニューはフランス語を用いることで、その料理の独自性を保っています。「◯◯風」といったメニューを出し始めると同じようなメニューが溢れてしまうので、そうならないようにしているんです。もちろん、創作料理も別途にはありますよ。

――料理の量や質に対して、あまりにも価格が低すぎませんか?

できるだけ気軽に楽しんでほしいという一心です。また来てもらえたらそれでいいですね。けれど、昨今の物価高でさすがに価格の見直しが必要になってきました。メニュー表を書き換える時間がなかなかないので、定休日に少しずつ見直しています。

――これからは、どのような戦略でメニュー数を増やしていく予定ですか。

アジア系の料理をもっと増やしていきたいですね。トムヤンクンやパッポンカリーなど割とメジャーなタイ料理はあるのですが、ヨーロッパ系の料理よりは手薄なのでもっと頑張っていきたいです。東欧系の料理も手薄だったので、このあたりに着手すればメニュー数はさらに増えると思います。定食屋の「松屋」さんがシュクメルリを出してヒットしたでしょう。あれは悔しかったですね。最近はジビエメニューも出していますが、これはメニューを増やすためというよりは、単純に面白いと思ったからです。興味が向いたことはとことん突き詰めるタイプなんです。

唯一無二の居酒屋へ。メニュー開発の旅は続く

一時期は12店まで店を増やした平田さん。今後は店を増やす計画はなく、「『東陽町 七厘家』を繁盛店にさせてもう一花咲かせたいと思っています」と話します。

「東陽町 七厘家」を続けているモチベーションは、人を楽しませたいという純粋な思い。お客には驚いてほしい、良い時間を過ごしてほしい、そしてまた来てほしい。とにかくその一心で営業を続けているそうです。

メニュー数が話題を呼びメディアへの露出が増えたことから、最近の金曜・土曜はたいてい予約でいっぱい。新たな顧客やリピーター獲得のためYouTubeの運営も始めたそう

驚異的な情熱でメニュー開発を続けている店主。音楽家を目指してきた頃から培ってきたエンターテイナーとしての矜持(きょうじ)を胸に、あくなき探求はまだまだ続きます。

取材先紹介

東陽町七厘家
取材・文大川祥子

ライター/編集者。総合旅行業務取扱管理者。王道から半歩ズレたところにある面白さを発掘中。食を通じた地域の観光コンテンツ作りに興味あり。

写真中村宗徳
企画編集株式会社都恋堂