Mr.都市伝説 関暁夫さん×プロスケーター 森田貴宏さんが語る「客商売って?」

都市伝説テラーの先駆者である関暁夫さんはお笑いタレントとして、10代で自らの進むべき道を切り拓いた森田貴宏さんはプロスケーターとして、それぞれ第一線で活躍しています。そんな二人は現在、関さんは自由が丘でカフェを、森田さんは中野でクルーザー(街乗り用スケートボード)専門店を運営しています。

本業があるのに、なぜお店を開くことになったのか。客商売をすることの利点や客商売に必要なこと、店舗にまつわる二人の関係など、親友ならではのフリーダムなトークで語っていただきました。

どこか似ている同志。好奇心や情熱は少年期から

――まず、この記事の読者が気になる二人の関係性について、お二人の出会いからお伺いできますか?

関暁夫さん(以下、関さん):中学校の同級生で、当時からモリタのことは認識していたけど……。

森田貴宏さん(以下、森田さん):そんなに仲良くはなかったよね?

関さん:あまり話さなかったよな。

森田さん:当時、僕の興味は小学生の時から熱中していたサッカーと、中学で始めたスケボー、あと彼女のことが大好きだったから、主にその3つに没頭していたんですよね。それで中学時代のアキオの印象っていうと、なんだろう……、“不機嫌な人”って感じ。

左:関暁夫さん、右:森田貴宏さん。中学校で出会って以来、「お互いの存在がなければ、今の自分はいない」とそれぞれが断言する、30年来の親友

関さん:イヤ、違うんだよ。彼女がいたから不機嫌だったんだよ、おまえの前では!

森田さん:そうなの!? でも確かにそうかもしれない、僕、彼女とずっと一緒にいたし(笑)。

関さん:僕らの時代、中学で誰かと付き合うとかってまだそんなになかったし、恋愛は高校からって感じで。だから、結論からいうと嫉妬してたんだよね(笑)。

森田さん:不機嫌にもちゃんと理由があったんだ(笑)。

――聞いてみないと分からないことって結構ありますよね。その後、現在まで続く友情はどんな過程で生まれていったのでしょうか?

関暁夫さん。お笑いタレント、セキルバーグカフェオーナー、「Mr.都市伝説 関暁夫の情熱クラブ」の主宰者。2021年には、愛媛県立今治西高等学校伯方分校の魅力向上を目的につくられた「放課後情熱学園」の校長に就任

関さん:中学を卒業後、僕は伊豆大島にある都立の海洋高校に行って。全寮制だったから4カ月に1回くらいしか地元には帰らなかったの。

森田さん:そうそう。だから、アキオが戻ってくると、地元の仲間がアキオの家に集結してたよね。「何かしようぜ」っていきなりアキオが言い始めるんだけど、その突飛感がヤバくて。僕が一番ウケたのは、「ゴミ拾いに行く」って遊びにハマってたこと。家に行ったらアキオがどこかから拾ってきた、見たことないようなモノがいっぱいあるの(笑)。

関さん:粗大ゴミね(笑)。

森田さん:「モリちゃん、これスゴイだろ」って、ステレオや鍵盤なんかを拾ってくるんだけど、アキオって本当に目利きだから全部使えるの。そのうち、それがエスカレートしていって、ある日完全にぶっ壊れたリヤカーを拾ってきて(笑)。覚えてる?

関さん:あったよね、リヤカー(笑)。

森田さん:アキオが修理したリヤカーを引っぱって、左右に桃太郎のキジとサルみたいに仲間を従えて、「これから家でも建てんの?」くらいにまたいろんなモノを拾ってくるから、めちゃくちゃウケた。

森田貴宏さん。プロスケーター、株式会社FESN代表。1991年、プロ契約を結び「東京Z-BOYS」メンバーとして活躍。2008年リリースした「overground broadcasting」は映像作家としての実力を世界に知らしめ、賞賛を集める。2013年リリースした「MISSING」で、国際スケートボードフィルムフェスティバル2013 in HOLLYWOOD(ISFF2013)で準グランプリを受賞

関さん:あったね、そんなこと(笑)。それで、高校を卒業してまた地元に戻ってきても、なかなか会う機会はなかったんだけど、しばらくして地下鉄の駅で偶然、またモリタと会って。それをきっかけにスゴイ遊び始めるわけだから、おもしろいもんだよな。

森田さん:お互いの通う専門学校が同じ駅で、そこで久しぶりに会ったんだよね。そしたらアキオの方から「モリちゃん、うちに遊びにおいでよ!」って誘ってくれて。それが今みたいな関係になるきっかけだったかな。

関さん:モリタはストリート文化を知ってたから、夜の世界からいろんなことまで遊びを教えてくれたんだけど、オレにとっては影響力が強すぎたよね。

森田さん:アキオを六本木とか連れて行くと、もう、全然ダメ。とにかくマジメだから(笑)。

関さん:高校が海洋学校で、“The オトコ”みたいな世界に3年間もいたからな。

森田さん:当時、僕が遊んでいた仲間は年齢とか関係なく、年上を呼ぶときでも「〇〇ちゃん」みたいなノリだったのに、アキオをみんなに紹介すると、アキオは「どうぞよろしくお願いします」とかしこまっちゃって(笑)。

関さん:就職先が海上自衛隊かマグロ漁船の二択というか、もう、軍人みたいな生活をしていたからね。でも、陸の生活を選んで、いろんな世界に興味が広がっていったな。

――森田さんの若き日はイケイケな感じで、関さんは意外にもやんちゃエピソードはないんですね。でもお二人の再会は、必然だったように感じました。

森田さん:お互いに遊ばない時期があっても、突然、急にワーッと会うようになって、そこでいろんなことを吸収したら、またスパっと会わなくなるみたいな感じ。なんだろう……、アキオが今、何を求めているか分かるんですよ。

関さん:モリタが一番の理解者って思いは強い。モリタはスケボーのプロライダーで、僕はお笑いタレントなんだけど、本業をやりながらも店をやってるのは、昔の仲間の中でも僕ら二人ぐらいじゃない?

森田さん:確かに、僕らだけかもしれないね。口裏を合わせて「店やろうぜ」って言ったことは、全くないけどね。

客商売で大切なことは、お客に本気で向き合うことからしか学べない

――関さんは2013年4月、森田さんは2014年10月にお店をオープンされていますが、どういった経緯で開業に至ったのでしょうか?

関さんが経営する『セキルバーグカフェ』。独特の世界観だが、居心地が良いという声も多い

関さん:もともと実家が寿司屋で、母親も喫茶店をやっていたから、子どもの頃から飲食店は身近な存在でしたね。

なんで始めたのか考えてみると……、僕はテレビじゃなく、自分が書いた本をきっかけに世の中に知ってもらったんですよ。テレビとは違って、もっとリアルな、本を買ってくださった方々のおかげで今の生活ができているわけだから、自分と同じ価値観を持っている人たちが集まれたらいいよなって。都市伝説が好きな人たちって、昔は肩身が狭い思いをしてきた経験があるっていうし。

それに、価値観が同じ人たちが重なることでクリエイティブなものが生まれてくるっていうか、手塚治虫さんや藤子不二雄さんとか、日本を代表する漫画家たちが一緒に生活しながら腕を磨いた「トキワ荘」みたいなものをつくりたかったのかな。

森田さん:昔から漠然とだけど「カフェやりたい」って言ってたよね。本当にモノが好きだったから、カフェやってグッズとか作りたいって。

関さん:そうね。それで、最初は恵比寿神社の近くで物件を探したんだけど見つからなくて、中目黒へ行っても見つからない。じゃあ、ちょっと足をのばして自由が丘に行くかってなるまでに半年くらいはかかっているんだけど。自由が丘で最初に入った不動産屋で座った瞬間にFAXが流れてきて。「今、空いた物件があります」って言われて、だったらもうそこでしょって思って行ったら、偶然にも熊野神社の参道の目の前だった。

僕もモリタも、店舗に対するおもしろい“運”があるんだよね。お店を出している方だったら分かると思うけど、やっぱり店舗って出合いだと思う。モリタの店も、前に借りていた人がかなりの売り上げを出していた場所なんだよね?

森田さん:そうなの。元々億単位を稼いでた事務所が入っていて、元の持ち主の方とは、たまたま知り合いの社長さんの紹介で会うことになってね。90歳ぐらいなんだけどめちゃくちゃパワフルで、会ったらいきなり「おー、若いの。お前ならここで何やる?」って聞かれたの。

それで自分のことを話してたら「こいつ、気に入った! いくらでもいいから貸してやる」って。実はその時、自分の中に何にもアイデアがなかったというか、そもそも店をやるって選択肢がなかったんだよね。

関さん:モリタは当時、中野にある『FATBROS(ファットブロス)』ってスケボーショップで、ライダーとしてお世話になっていたから、「自分のブランドはつくるけど、店は出さない」って言ってたよね。

森田さん:同じ中野で、先輩の店とバッティングしちゃうのは、自分の中のルールとして、地元の仲間を分裂させちゃうって思いがあって。だから、いろいろ考えちゃって。店を借りたのはいいけど、3年間何もやらなかった。アキオもそうだったよね?

関さん:そうだったね。僕の場合、物件を借りたはいいけど、1年間持て余してた。そうしたら大家さんから電話が掛かってきて、「光をつけてください!」って言われて(笑)。

ちょうど、本の執筆作業が終わった頃だったと思うんだけど、大慌てで知り合いに電話して、とりあえずスタッフを見つけて。『セキルバーグカフェ』の立ち上げをするときには、従業員の制服のデザインとか店のデザインとか、モリタには本当にいろいろ手伝ってもらったな。

セキルバーグカフェ店内のあちこちには、関さんだからこそ集められた、世界各地の貴重な都市伝説グッズの数々が飾られている

壁面に飾られているカードは、ARアプリでスキャンすると、そこに隠された意味をAR(拡張現実)で見ることができる

森田さん:あの店は、アキオワールドが炸裂しているよね(笑)。オープン当時のことを鮮明に覚えてるんだけど、アキオの店にフレディの絵が描いてあるスケボーが置いてあったんだよね。

関さん:『エルム街の悪夢』が描かれていたやつね。当時、モリタたちが乗ってたスケボーってタイヤが小さくてガラガラうるさいし、膝にも振動がすごかったから「もうちょっと柔らかいのある?」ってスケボーショップで聞いたら、その板にでっかいタイヤを付けてくれて。

森田さん:「モリちゃん、スケボーってこんなか? こんなガタガタするの? こんなんじゃ前進まねえじゃん」みたいなこと、すごい大真面目な顔して言ってた(笑)。

――もしや森田さんがクルーザーのお店を開くきっかけとなるエピソードですかね? 普通、トリック用スケートボードの板に大きめのタイヤを付けることはないのですか?

関さん:当時は普通の板にそういうのを付けるのは珍しかったんだよね?

森田さん:珍しいというか、僕らの中ではいろんな意味でご法度な感じでしたね。だから、その時は「アキちゃん、やっちゃってんじゃん……」って思ってたんだけど、しばらくしてアキオの店に行ったとき、お客さんが結構いたから「ちょっとスケボー貸して」って、その板を借りて外ですべってみたら「何‼︎」って驚いた。

アキオの店の前は坂道になってるんだけど、板を漕がなくても自走だけで登れちゃって。そんな経験は初めてだったから「やっべ! 重力に勝てるんだ!」って結構衝撃だったなあ。

関さん:マジで、オレとの出会いがデカイじゃん(笑)。

森田さん:まあね(笑)。当時、僕もそこそこの年齢になってきて、東京オリンピックで注目されたようなストリートスケートをやるのがちょっと年齢的にも厳しいし、騒音とか縁石を削っちゃうのが道徳的にも無謀なんじゃないかって、友だちと話していたことがあったんですよ。

それが自分の未来のスケートボードスタイルについて、ずっと考えていた時期と重なっていたんだけど、アキオの店の前で、あの板ですべった経験は結構大きくて。これはもっと本気でやってみる価値はあるなってなりましたね。

関さん:それで1年後、自分の店を出してるからな(笑)。

森田さんが経営する、クルーザー専門スケートショップ『FESN laboratory』の店内。クルーザーのカスタムオーダーも可能

森田さん:『FATBROS』のボスにちゃんと話して、自分はトリックのスケボーには一切関わらない。その代わり、音が静かなスケボー、いわゆるクルーザーを専門に扱う店は、当時の日本にはなかったから、新しい分野を開拓していきたいって。

関さん:ボスにそんなことまで言ってたの! それじゃモリタにとってオレは、頭が上がらない存在じゃない(笑)。

森田さん:それを言うならアキオだってそうだけどね、ここじゃ言わないけど(笑)。でも、確かに今の僕はアキオなしじゃ全然成立しなかったと思う。

それに、店を開ける場所を与えられて、スタッフになってくれる人が周りにいて、なんか神さまの思し召しというか……。きっかけは正直ノリだったけど、自分のライディング技術向上に必要不可欠なボードを作るための店、というコンセプトで『FESN laboratory』をやってみようとなりました。

――今、お二人は自分でお店を始めて良かったと思っていますか?

中野通り沿いにあるお店には、森田さんを慕う多くのスケーターたちが近隣のみならず全国各地から集う。また、森田さんを慕って中野に引っ越してくる若いスケーターもいるそう

森田さん:良かったとめちゃくちゃ思う。

関さん:僕も。だって、お店をやると人との出会いがあるでしょ。それで、自分の人生の選択肢や可能性っていうものが広がるんだよね。

森田さん:そうそう。ただ、丸6年お店に立っているけど、実際にやってみると難しいよね。自分の店だから、その日の売り上げを立てなくちゃいけないわけで、初めの頃は必死になりすぎてお客さんに話しかけすぎたことがあったな……。

お客さんに対してエネルギーを向けすぎて、ホント毎日疲れちゃったし、しゃべっても結局何も買ってくれないっていう悪循環のくり返し。しまいには、「しゃべりすぎ」とか言われるようになって、自分が良かれと思ってたことがマイナスに働いているんだって、身をもって知ったね。

“客商売で大切なこと”はなんだろうっていうのを、お客さんに向き合うことでイチから教わる感じだったよね。

関さん:僕も最初の3年間はお店に付きっきり。お店をやっている方なら共感してくれると思うけど、やっぱり店の立ち上げって、働いてくれるスタッフを含め、土台をつくったりするのに3年はかかるでしょ。

今はスタッフも、来てくださるお客さんたちもいろいろ理解してくれているから、店には定期的に顔を出すみたいになっているけど、モリタは今もほぼ付きっきりだもんな。

森田さん:そうだね。自分の今までやってきたことと全然違っているからね。

――客商売や店舗運営をするのは、やはり一筋縄ではいかないですよね。

森田さん:ホントに。それで、僕はこの店の立ち位置としてどうあればいいんだろうって毎日考えて、その結果「ナイスなヤツ」になろうって思うようになった。

「ナイスなヤツ」って、まず気が利いて、優しくて、面白くて、心が広くて……、なおかつカッコいい! みたいな。だから、お客さんが入ってきたら、最初に「こんにちは」って言うの、それもぜったいに笑顔で。その次、少し時間が経ってから「何か探しています?」って聞く、それだけ。

その間にお客さんを観察して、すぐに動けるように情報を集めておく。例えば、アキオが「ちょっと腹減ったな」って言ったら、「卵焼きでも食う?」とか即答できるバランスね。それをお客さんにもできるのが、ナイスなヤツだって思う。

関さん:今、モリタが言ってることってスゴイいいんだよ、動画だったら。熱い思いがあるんだけど、活字で読んだら普通の経営者の話だから(笑)。

接客の傍ら、店内にある工場でオリジナルのクルーザーを制作する森田さん。今後の構想は、「まずは100年続くスケートボード会社になるための、社員を含めたスケーターの育成」とのこと

森田さん:確かに(笑)。でも、店舗運営の方法とかまったく誰にも教わらなかったし、アキオにもどうやったらいいかなんてひと言も聞いたことない。お店をやっていくために大切なことは、全部自分で拾い集める、だってすべて自分の問題だから。

関さん:うん、確かにモリタは相談しないね。

森田さん:それは負けず嫌いとかそういう問題じゃなくて、自分で答えを出さないと意味がないって思っていて。考えることを止めたら、もう終わってると思うんですよ。自分がこれからどう生きていくかとか、どうあるべきかとか、人に聞いたら意味がない。だって、結果が出ないのも人のせいじゃなく、自分の問題。すべては「自分」ですからね。

「利己」ではなく「利他」の心をもつ

――では最後に、これからの時代の客商売で必要なのは、どのようなことだと思いますか?

関さん:本当に主張する時代になってきたなって思うんです。店舗の人たちだけじゃなく、一般の人たちにも言えることなんですけど、社会とつながりを持ちながら自分の役割とか、一番大事にしていることをちゃんと主張しないといけない。

お店の場合、自分たちの“セールス”とか“アピールポイント”っていうのに特化して、表に出していかないといけないですよね。

森田さん:そうだよね。

関さん:“個”っていうのをしっかり立てたうえで、周りを呼び込む力に変えていく。例えば、モリタの店も、スケボー業界での森田貴宏という“個”の存在で歩んだ歴史があるから、他のスケボーショップとは違って、商品だけじゃなくモリタの体験を聞きに、お客さんがいろんなところから来る。

僕の店の場合は、飲食店で料理を出すけど、都市伝説であったり、僕だけの情報や価値観をお客さんは取りにきてくれている。これからの時代ってなんだろうね……、やっぱり、人として本業以外にもう一つの技術が求められるんじゃないかな。

そのためにはクリエイティブなものが必要で、その源がモリタはスポーツで、自分はミステリーになるんだけどね。人として何ができるかっていうのを考えて、それをちゃんと行動をしていくっていうことだよね。

人気メニュー「ふくろうのドライカレー」。カフェスタッフによると、タバスコをかけて食べるのがおすすめ。この他、3Dメガネをかけて食べる「マジカルマフィン」など、関さんならではメニューが揃う

セキルバーグカフェの大切な仲間、ウーパールーパーのあきおくん。常連客にとって、あきおくんの成長も楽しみの一つ

森田さん:それは僕もそう思うよ。

関さん:昔は、お店はお客さんを選べない時代だったけど、今はお店がお客さんを選ぶ時代になってきている。それに、自分たちのプラットフォームとかコミュニティーとかをすごい大切にする時代でしょ。

だから、お金をいくら持ってるお客さんでもお店から嫌われたら、もう店には入れてもらえない。今の10代や20代の若者が当たり前に思っていることを、その上の世代が気付いて意識改革していかないとね。

やっぱり、秩序を乱す人は選別されて自分の周りから人がいなくなっちゃうし、社会の変化とかいろんなものの進化っていうものにどんどん対応していかないと。人間とコミュニケーションとっていると思ったら、実はAIだったなんてこともありうるしね。こんな感じで、これからすごいエキサイティングな時代がくるから、本当にハートを温めておいたほうがいい、ホントにね。

森田さん:マインドを広げる努力はした方がいいよね。ホント、利他的にどういう風に行動できるかを考えなきゃダメだと思う、お店をやるにしても、人としての生き方にしても。

関さん:だから、適材適所があるんだよね。人を呼び込むのに特化した人がいれば、お金を集めるのに特化した人、もてなすことに特化した人がいる。それぞれ、お互いのヒューマンに、“個”として自分の得意なことをプラスして重ね合う、そうやって団結できたら、他人に分け与える余裕ができるでしょ。人と人が支え合う、感謝し合うってところを取り戻さないと、日本はダメになっちゃうと思ってて。

それはお店づくりにもいえて、お店とお客さんが感謝し合える、ちゃんとリスペクトし合える関係性をつくるためには、店側が人としての秩序を構築して、それを共有していかないと。

例えば、飲食店をやるうえで大切なことって、昔は「1に場所、2に味、3に人」って言われてたけど、これからの時代は「1に人、2に味、3に場所」っていうように切り替わっていく。すごく離れた場所にあるお店でも、人に魅力があればみんな行くでしょ。それが、これからのトレンド。

だから、人間磨きっていうのかな、これから訪れる“個”の時代においては、自分がウソをついて人と接していなければ、場所はどこにあろうがお客さんは来てくれると思う。

森田さん:確かに、そうだね。

関さん:多分、これからは、お店はコミュニティーの場として、本格的に“個”を主張していく時代だから。僕もモリタも主張するタイプだけど、今回の話を通して、誰か1人でもそれに共感して、熱くなってくれればうれしいですね。

取材先紹介

セキルバーグカフェ

東京都自由が丘1-25-20


FESN laboratory

東京都中野区中野3-33-15 KHTビル2F

取材・文スノハラケンジ

インタビューアーとして、衆議院議員・塩川正十郎、アサヒビール会長・瀬戸雄三、アンリ・シャルパンティエ創業者・蟻田尚邦をはじめ、各界の著名人と対談。ライターとしては専門分野である日本史を中心に幅広く執筆活動を展開。代表作として『なぜエグゼクティブは、アラスカに集まるのか』(幻冬舎メディアコンサルティング)など。

写真木村心保