スナックのママに常連の心をつかむ接客の極意を学ぶ第3弾。今回訪ねたのは、飲み屋が連なる新橋の路地裏にある「スナック 栗奴(くりやっこ)」です。栗奴ママが見せる柔和な笑顔と穏やかな口調は、アルファ波のような癒やし効果抜群です。
今回もナビゲート役は全国550軒のスナックを巡り、「オンラインスナック横丁」代表やスナックイベントを通して幅広い人々にスナックの魅力を啓蒙し活動するスナ女こと五十嵐真由子さん。“新橋のお母さん”として親しまれる栗奴ママに、お客さんの管理術について教えてもらいました。取材スタッフ全員が衝撃を受けた、“名物リスト”に隠された超合理的な仕組みとは?
ママは銀座有数の高級クラブの元ホステス
五十嵐さん:ママは会津のご出身で先に東京に住んでいたお姉さんを頼って、上京されたんですよね。どんなきっかけで、このお仕事に関わるようになったのでしょう?
栗奴ママ:一度会社勤めをしたのですが、その後に勤めた喫茶店で、知り合いの方から「やってみないか」とお声をかけていただいたのがきっかけです。
五十嵐さん:会社勤めから、いきなりの方向転換。知らない世界に飛び込むのは怖くなかったですか?
栗奴ママ:信頼できる方からの紹介だったので、不安はなかったですね。それに私は生まれつき楽天家なので(笑)。
五十嵐さん:ママがホステスのお仕事を始めたときは景気もよかったし、繁華街もすごく盛り上がっていたんじゃないですか?
栗奴ママ:それはもう、すごかったですね。最初に入ったのは銀座6丁目の高級クラブ「姫」。作家や作詞家としても活躍された山口洋子さんがママをしていた有名なお店でした。「姫」にしばらくいて、その後「クラブ花」「クラブ順」「パームスプリングス」を経て、姉妹店「セレンピーネ」でママになり、結婚のため銀座を引退しました。
五十嵐さん:最初からお客さんとスムーズな会話はできたんですか?
栗奴ママ:最初の頃は何もお話できなくて、ただニコニコして横に座っているだけ。先輩の接客を見て覚えていきました。見よう見まねでヘルプから始めて、とにかくまずはお客さまのお名前を覚えようと心掛けて。お話が上手にできないので、お帰りになるときに「○○さん、今日はありがとうございました」とお名前を呼んでごあいさつするようにしていました。
銀座のクラブで培った接客術のキーワードは「名前」
五十嵐さん:私は人の名前を覚えるのが本当に苦手なんです。ママはどうやってお客さんのお名前を覚えていましたか?
栗奴ママ:この仕事を始める前に、喫茶店で働いていたことがあるんです。メニューがたくさんあるので、端から順番に頭の一文字でメニューを覚えておいて。オーダーが入ったらアイスコーヒーなら「あ」、コーラなら「こ」っていうふうに、ずっとつなげて覚えていましたね。それが習慣になっていて、この仕事をするようになってからもお客さまがたくさん来られたときには、頭文字で覚えていきました。喫茶店での経験が今でも役に立っているんですよ。
今はお客さまが来られると、リストを作るために必ずお名前を伺うんです。メモ用紙にお名前を書いておいて、お話する時にはそのメモを見ながら「○○さん」ってお名前を呼びながらお話するようにしています。それと、たくさんお客さまがいらっしゃる時に、ちょっとなじめなくて沈んでいる方が時々いるの。そういう時にはあえてその方のお名前を呼んでお話すると、いつの間にか皆さんと仲良くなれる。私も皆さんが仲良くできるように手助けをしています。
五十嵐さん:確かにこの空間なら、距離が近いから全然知らない人同士でもすぐ仲良くなれますよね。
栗奴ママ:スナックの良さはそれよね。カラオケルームだとそれぞれの部屋で歌を歌うけれど、ここは狭い場所にみんなでいますからね。「◯◯ちゃーん!」なんて呼んであげると、他のお客さまもつられて「◯◯ちゃん、歌ってよ」なんて声を掛ける。お互いに名前を覚えてキャッチボールができるようになる。そうするとまた別のお客さまからも歌が終わると拍手が起きて「◯◯ちゃん、良かったよ」って。そうやってどんどん輪が広がるんです。だから、名前は大事なんですよ。
五十嵐さん:ママのお話を聞いていると、確かに「名前」が常連さんの心をつかむキーワードなんだなぁって良く分かります。
流麗な文字に宿る、来店への感謝の思い
五十嵐さん:ところでカウンターの上に用意されている箸袋にママの手書きでお名前とメッセージが書かれていますね。
栗奴ママ:はい、お電話でご予約をいただいた場合には、お伺いしたお名前を箸袋に添え、感謝の気持ちを込めてお待ちしております。
五十嵐さん:銀座でお名前を呼びながらお見送りをしていたのと同じ。自分のことをちゃんと認識してくれているんだなと伝わってきますよね。これはお客さん、うれしいだろうなぁ! 何より達筆なのが素敵です。もともと字がお上手だったんですか
栗奴ママ:書道を習っていたことがあって、文字を書くことは昔から好きでした。それと華道も習っていたので、店内や共同のトイレにもお花を生けているんです。そう考えると、習っていたことが全部役に立っていますね。
五十嵐さん:共同トイレにまで! お客さんも同じフロアのお店の方もうれしいでしょうね。
アナログだけど、超合理的! 手書きのカラオケリストによる驚きの顧客管理術
五十嵐さん:ところで、お箸の横にあるファイル、これは何ですか?
栗奴ママ:これは前回、この方がカラオケで歌われた曲のリストです。
五十嵐さん:え~! これも全部手書きで書かれているんですか。確かにこれを見れば前回何を歌ったのか、一目瞭然ですね。お客さんも間違いなく喜びますね!
栗奴ママ:そうですね。2回目にいらした方がびっくりされることがよくあります(笑)。
五十嵐さん:ここには曲名だけではなくカラオケの番号や、中には点数が書いてあるものまで。いろいろな情報が書き込まれていて、中には20枚以上にわたって曲名が書かれている方も(笑)。この取り組みはいつ頃から始められたんですか?
栗奴ママ:開業からずっと。今年で23年ですから、その分のお客さまの数だけあります。
五十嵐さん:23年間ほぼ全員の歌を記録しているって考えたら貴重な資料ですね! これなんか曲名の左横に曲のキーまで書かれている。これなら次に来た時にキーも合わせやすいし、ママの細かい気遣いを感じます。これほど詳細な情報を反映したのは珍しい気がします。まさにスナックのお客さまカルテですね。このようなカルテを作ろうと思うきっかけは何かあったんですか。
栗奴ママ:開店当初、一人でお店を始めたので、お客さまのお酒を作りながら、お食事も用意して、お話もして。慣れるまで、いろいろなご要望に一度にお応えするのがとても大変だったんです。さらに、お客さまが歌いたい曲の番号をお調べして……、となるとどうしても時間がかかってしまいます。でも、リストに曲の番号が書いてあれば、お客さまがご自分で曲を入れて歌ってくださる。そうすれば私が手の空くのを待たず歌えるので、お客さまにとってもストレスがないと思ったんです。曲の番号やキーの上げ下げなどが分かるこのリストは、もちろんお客さまのためでもありますが、実は私自身のためにもなっているんです。
五十嵐さん:なるほど! 単に歌った曲のリストというだけじゃなく、ママがお店をスムーズに回すための効率的なアイデアでもある。その発想はすごいなぁ、合理的な考え方ですね。これを見にくるだけでも価値がありそう。
五十嵐さん:今までで一番多い方はどのくらいの曲数になっているのかしら。
栗奴ママ:リストが数十枚にもわたっていますから、きっと1,000曲くらいはあるんじゃないかしら。その方のリストは曲数が多いので50音順の特別仕様になっているんですよ。
五十嵐さん:すごい曲数! ご自分でも「こんなに歌ったのか」と感慨深いでしょうね(笑)。お客さんが何を歌ったかはどうやって記録しているんですか?
栗奴ママ:お客さまが歌っている間にカウンターの中で名前と番号だけメモしておいて、後で曲名を調べてリストにしています。
五十嵐さん:見えないところでこまめにメモしているんですね。このリスト、手書きで心もこもっているし、お客さんにとってはうれしい宝物。だけど、実はママにとってもお店を効率よく回すためのツールでもある。そんな役割があることには気づきませんでした。これはママの発想力の賜物だったんですね。私も今度お店に来るときには、このリスト作ってもらわなくっちゃ!
栗奴ママ:そうね、心を込めて作成しておきます! ご予約いただければ箸袋にもお名前を書いてお待ちしておりますね(笑)。
五十嵐さん:わぁ、うれしいなぁ! 次回お邪魔するのが楽しみになりました。今日は貴重なお話ありがとうございました。
スナック 栗奴(くりやっこ)… 栗奴ママ
温かな包容力で店を切り盛りする福島県会津出身の“新橋のお母さん”。高校から上京し、会社員勤めを経て銀座のクラブで働き始める。銀座の名店「姫」に在籍していた経験もあり、柔らかな人あたりとさり気ない心配りが訪れる人の心を癒してくれる。趣味は麻雀(3段)。健康麻雀教室に通い、色々な大会に参加するほどの愛好家。店は3000円/1時間の時間制。
スナック 栗奴
東京都港区新橋2-9-17第三常盤ビル2F
電話 03-3593-0248
五十嵐真由子さん
国立音楽大学卒。CM音楽制作会社を経て、楽天に入社。楽天トラベルの営業で全国各地を周っているときに、地元を知る絶好の場としてスナックを紹介され、以来その魅力にどっぷりはまる。2015年に独立、企業のストーリーブランディングを提供するMake.LLCの代表を務めながら、スナック愛好家「スナック女子(スナ女®)」として全国約550件のスナックを巡りながらさまざまなメディアでスナック普及活動に取り組む。2020年新型コロナウイルス感染拡大をきっかけに「オンラインスナック横丁」をスタートし、全国のスナック支援活動を行う。
取材・文/篠原美帆
東京生まれ。出版社の広告進行、某アーティストのマネージャー、パソコンのマニュアルライター、コールセンターオペレーターなど、大きく遠回りしながら2000年頃からグルメ&まち歩きカメライターに。日常を切り取る普段着インタビュアーであることを信条とし、自分史活用アドバイザー(自分史活用推進協議会)としても活動中。
撮影/高橋敬大(TABLEROCK)
企画編集/株式会社 都恋堂