渋谷の街にありながら、昭和レトロな立ち呑みの聖地「富士屋本店」が挑戦する新たな店づくり

「立呑 富士屋本店」店長・酒主涼介さんの常連客を生む店づくり


立ち飲みの聖地として長年愛されてきた「富士屋本店」は渋谷再開発のため閉店しましたが、 2022年11月、そのスピリットを継いだ「立呑 富士屋本店」が新たにオープンしました。リスタートを切るうえで意識した、店づくりのポイントとは。

一度ならず、何度も足を運んでくれる「おなじみ」のお客さんは、飲食店にとって心強い存在です。多くの常連客の心をつかむお店は、どのような工夫をしているのでしょうか。

2022年11月、渋谷区桜丘にオープンした「立呑 富士屋本店」は、かつてこの界隈で立ち呑み文化が広がるきっかけとなったとされている「富士屋本店」を前身とするお店です。

名物の「ハムキャ別」や「ナス味噌」といった往年のメニューに加え、酒場好きの心をくすぐる料理やドリンクが好評で、若い世代からも支持を受けています。昔の雰囲気を残しながらも、今の時代に合わせ変化を遂げた同店で、常連客を生みだす心得について話を聞きました。

酒主涼介さん_プロフィール

酒主涼介さん

学生時代に富士屋本店でアルバイトを始め、卒業を機に飲食をメインにした建築事務所に就職。建築士として2年勤務後、本格的に飲食の道へ。TKSグループ「居酒屋きちんと」や株式会社JOの「居酒屋それがし」などで厨房・接客の経験を積む。2022年7月、「立呑富士屋本店」オープンを機に加藤社長に誘われる形で入社し、同店の店長として勤務。

2018年、立ち呑みの聖地と呼ばれた「大衆酒場 富士屋本店」が閉店するまで

――現在、「富士屋本店」を屋号として、コンセプトが異なる大人の酒場を合計6店舗運営されています。その源流となるのが、今はなき「大衆酒場 富士屋本店」なんですよね。

酒主涼介さん(以下、酒主さん):そうです。「富士屋本店」は酒販店で、1971年には2代目が自社ビルの地下で大衆酒場を始めました。昼間、販売や配送などの業務を行っていた社員が夜そのまま立ち呑みをやるような形です。料理も最初は簡単なスナックや乾き物だけでしたが、3代目の頃から少しずつメニューが増えていきました。

1皿200~300円程度で気軽に食べられるおつまみ、ボトル焼酎を好みの割り材で調節できるチューハイなどが人気でしたね。この時期に生まれた「ハムキャ別」や「なす味噌」といった名物メニューは、新しくなった現在の「立呑 富士屋本店」でも注文できるようにしています。

自社ビル地下で営業していた頃の「大衆酒場 富士屋本店」(提供:富士屋本店)

自社ビル地下で営業していた頃の「大衆酒場 富士屋本店」(提供:富士屋本店)

千切りキャベツの上にマヨネーズをのせ、食べ応えのある厚いハムをのせた往年のメニュー「ハムキャ別」(400円)(提供:富士屋本店)

千切りキャベツの上にマヨネーズをのせ、食べ応えのある厚いハムをのせた往年のメニュー「ハムキャ別」(400円)(提供:富士屋本店)

――当時、お客さんはどういった方が多かったんでしょうか。

酒主さん:近隣で働く会社員の方がメインだったと聞いています。立ち呑みですし、料理もおつまみ系が多かったので、30分~1時間程度飲んで帰るといった利用が主だったと。当時は注文ごとに支払うキャッシュオンデリバリーを取り入れていたこともあり、サッと帰れる気軽な雰囲気も良かったのだと思います。お客さんは顔見知りが多く、アットホームなお店でしたね。長居はせずとも毎日来られる方も多かったようです。

――その後、立ち呑みブームもあり、富士屋本店さんは「聖地」と呼ばれるまでになります。人気店になれた理由は?

酒主さん:やはり、当時働いていたスタッフさんの力が大きかったと思います。特に「名物女将」と呼ばれたヨシエさんという方は優しさと厳しさを持ったいわゆる“お母さん”みたいな方で。人間味あふれるフレンドリーな接客が、お客さんにとっても心地良く感じていただけていたのではないかと思っています。その後、渋谷再開発により2018年に閉店することになりますが、最後の方にはビルを半周するほどお客さんが行列したと聞いています。

「大衆酒場 富士屋本店」地下入口(提供:富士屋本店)

「大衆酒場 富士屋本店」地下入口(提供:富士屋本店)

――ちなみに酒主さんは当時から「富士屋本店」に勤めていたのですか?

酒主さん:いえ、実は正式に入社したのは2022年7月なんです。もともと学生時代に「富士屋本店」の姉妹店などでアルバイトしていて、卒業後は建築事務所に就職しました。その後、お客としてお店に飲みに来たり、フリーターの時期にアルバイトさせてもらったりと、つかず離れずの付き合いをさせてもらっていました。

――建築業界から飲食業界へ転身されたということですか?

酒主さん:そうです。僕が勤めていた建築事務所は主に飲食店の設計を手掛けていて、新オープンのレセプションにサービスやキッチンスタッフとしてお手伝いに入る機会も多かったんです。「やっぱり飲食は楽しいな」と思い、その後はTKSグループ「居酒屋きちんと」や株式会社JOの「居酒屋それがし」「とり口」などでさまざまな経験を積ませてもらいました。次のステップアップを考えていた時に、加藤社長から「新店舗の店長をやらないか」とお誘いをいただいたので入社したんです。

「立呑 富士屋本店」店長の酒主涼介さん

「立呑 富士屋本店」店長の酒主涼介さん

――なるほど、そうだったんですね。2018年の渋谷再開発では「大衆酒場 富士屋本店」を含め、桜丘の該当エリアにあるお店がすべて立ち退きすることになったんですよね。当時の状況がどうだったかは聞いていますか?

酒主さん:再開発の該当エリアにあった「大衆酒場 富士屋本店」ほか、「ピッツェリア アル フォルノ」「洋食 富士屋本店」「富士屋本店ワインバー」が閉店になりました。その後「ピッツェリア アル フォルノ」と「富士屋本店ワインバー」はひとつの店舗にまとめる形で再オープンしました。「大衆酒場 富士屋本店」はヨシエさんを始めスタッフのみなさんもいいお年だったので、いったん閉めようと。その後、すぐコロナ禍になり、再開する目途が立たなかったようです。

「立呑 富士屋本店」としてリスタート。昔の名残と、新たに始めた取り組み

――そこからどのようにして、「立呑 富士屋本店」がオープンすることになったのでしょうか。

酒主さん:コロナ禍で休業していましたが、再開発の該当エリアから少し離れた場所に「ダイニングバー 富士屋本店」を運営していたんです。こちらも立ち呑みだったんですが、ディープな雰囲気が受けていた「大衆酒場 富士屋本店」とは異なり、洗練された空間の中でワインやハイボール、グリル料理などが楽しめるお店でした。その隣のお店が閉店し空き店舗になったので、つなげてお店をやろうということになりました。

といってもヨシエさんたち以前のスタッフはいないので、まったく同じ「大衆酒場 富士屋本店」を再開することは物理的に不可能です。以前のお店のスピリットを継ぎつつ、新たなお店としてリスタートする形ですね。この場所も次の再開発予定地なので、期間限定ではありますが。

店内は約20坪、外のテラス席を含めると約30坪の敷地。気持ち良い時期は外からお客が埋まるという

店内は約20坪、外のテラス席を含めると約30坪の敷地。気持ち良い時期は外からお客が埋まるという

――そのタイミングで、加藤社長から酒主さんに店長としてのお誘いがあったんですね。建築士の資格を持つ酒主さんも空間づくりに関わったとお聞きしています。

酒主さん:といっても、大きな設計変更はしていないんです。ダイニングバーとしてのベースを生かしてレイアウトを考えて図面を引き、照明や通信関連など細かな部分は自分たちでやりました。以前はオープンキッチンを囲う「ロの字型」のカウンターで、どこからでも調理シーンが見られるような設計でしたが、こちらは2つのお店をつなげたので、「L字型」と「コの字型」、2つのカウンターがあります。

――空間づくりをするにあたり、具体的にこだわった部分はありますか?

酒主さん:カウンターとテーブルの高さですね。立ち呑みのテーブルは一般的に1m5cm程度になっていることが多いのですが、当店では1m10cmと約5cm高くしました。

テラスを含め、最大で60人以上収容可能。「大衆酒場 富士屋本店」の頃と比べ、照明は少し暗めに。居心地の良さを追求した

テラスを含め、最大で60人以上収容可能。「大衆酒場 富士屋本店」の頃と比べ、照明は少し暗めに。居心地の良さを追求した

――5cm?どうしてですか?

酒主さん:立ち呑みでは、テーブルやカウンターに寄りかかって過ごす場合が多いですよね。でも、その位置が低いと体重がかけにくいので長居する人は少ない。結果的に店の回転率が上がるんです。

今回、お店を新しくするにあたり料理にも力を入れるようにしたので、ゆったり楽しんでもらえるようにと考えました。高さが5cm変わるだけで疲れにくくなったと思います。

テーブルの天板面積は600×550cm。寄りかかりやすく、体を預けやすい高さにしている

テーブルの天板面積は600×550cm。寄りかかりやすく、体を預けやすい高さにしている

――そういえば、お店のクチコミサイトを拝見すると「2~3時間過ごした」というお客さんの声もちらほらありました。滞在時間が伸びると回転率が下がるのでは……と思うのですが、実際はいかがですか?  

酒主さん:確かに、早く安く飲みたいという方もいれば、じっくり料理を楽しみたいという方もいらっしゃいます。なので、客単価は1,000円前後から4,000円程度までと幅がありますね。回転率はあまり意識せず、思い思いの過ごし方で楽しんでもらえたらと思っています。

――先ほど「料理に力を入れている」と仰っていました。メニューについては「大衆酒場 富士屋本店」時代と現在の「立呑 富士屋本店」とで具体的にどう変わったのでしょうか。

酒主さん:先ほども少し話しましたが、「大衆酒場 富士屋本店」時代は、スピーディーに提供できる簡単なものが中心で、ドリンクはビールと焼酎、ウイスキーくらいでした。「立呑 富士屋本店」では、軽いつまみから肉・魚系の一品料理、デザートまで季節の食材を使った料理を40~50種類、すべて手仕込みでそろえています。姉妹店にワインバーやビストロ、和食業態があるので、そのノウハウを当店でも生かしているんです。ドリンクは全国各地の日本酒を常時10種類以上そろえるほか、特製サワーやノンアルなども用意しています。

「本日のうまかもん」など、黒板に書かれたメニューは約50種類。その上には「大衆酒場 富士屋本店」時代の写真が飾られている

「本日のうまかもん」など、黒板に書かれたメニューは約50種類。その上には「大衆酒場 富士屋本店」時代の写真が飾られている

――なるほど、ラインアップが増えたんですね。「大衆酒場 富士屋本店」の頃と客層や利用シーンに変化はありましたか?

 酒主さん:お客さんの年齢層が若くなってきた感じはありますね。3~4名様の利用も増えてきた印象です。「大衆酒場 富士屋本店」の頃、日曜・祝日は営業していなかったので仕事帰りの会社員が主でしたが、「立呑 富士屋本店」では定休日なしで営業することにしたので、平日と土日で客層の雰囲気も変わりますね。

平日はやはり会社員が主ですが、スーツ姿の方は全体の1/3程度。あとは私服姿の方が多いですね。渋谷界隈にIT系などの企業が多く入るようになったことも関係しているのではと思っています。土日になると渋谷に遊びに来た20~30代の方の目的来店がグッと増えますね。割合ではご新規と常連さんで5:5くらいでしょうか。

「立呑  富士屋本店」の人気メニュー「鰯海苔巻」(850円)と「サッポロ赤星」(490円)

「立呑 富士屋本店」の人気メニュー「鰯海苔巻」(850円)と「サッポロ赤星」(490円)

レモン皮入りの自家製シロップと天然塩を使った「塩レモンサワー」(550円)

レモン皮入りの自家製シロップと天然塩を使った「塩レモンサワー」(550円)

――もともとキャッシュオンデリバリーという歴史があったと思うんですが、「立呑 富士屋本店」ではモバイルオーダーやキャッシュレスを導入されたんですよね。なぜそのような形にしたんでしょうか?

酒主さん:オープンするにあたって人材確保に一抹の不安がありました。特に人手が割かれてしまうのがオーダー部分なんですよね。「富士屋本店」グループでは初めての取り組みでしたが、今の客単価で運営していくなら、できるだけ人件費は抑えたいので。

それに、忙しくなってくるとどうしても手が回らなくなり、お客さんが注文したいタイミングを見逃してしまうケースが多いんです。混み合う時間帯はお客さんの間を縫ってオーダーを取りに行くのも時間がかかりますから。ただ、モバイルオーダーだけに頼らず、口頭でも注文できるよう柔軟に対応しています。

QRコードは多めに用意しているので、テーブル相席時にも対応できる

QRコードは多めに用意しているので、テーブル相席時にも対応できる

――テーブルにあるQRコードをスマホで読み取れば、お客さんの好きなタイミングで注文できるようになる。機会損失を防げるんですね。

酒主さん:そうです。複数のスマホで読み取って注文できるので同グループのお会計別にも対応できますし、合算も可能です。写真も表示されるのでビジュアルでも伝えやすいです。

モバイルオーダーでの実際のメニュー画面(スクリーンショット)

モバイルオーダーでの実際のメニュー画面(スクリーンショット)

――ちなみに以前の「大衆酒場富士屋本店」とで売り上げ比率はどう変わりましたか?「立呑 富士屋本店」としてオープンされてから、1日の平均客数や月商をお聞きしてもいいでしょうか。

酒主さん:以前は日商30万円前後でひと月約25日営業でしたので、月商にすると750万ほどでした。酒屋との兼業だったこと、現在よりも営業時間が短かったことなどもあり、目標として750万円前後の売上が取れていればいいという感じですね。現在のお店は無休営業で、平日は110人前後、金土日祝でおよそ160人です。月商は800万~900万を推移しています。今は仕込みの体制が整ってきたので、今後は客数をもう少し増やしていきたいですね。

――以前は名物スタッフさんとのコミュニケーションを楽しむ場でもありましたが、今はどのように接客されているんですか?

酒主さん:ホールスタッフは20代のアルバイトが中心です。やはり、以前のようにコミュニケーション重視の接客はできないですね。毎日大勢のお客さんを受け入れていかないといけませんし、一通り教えたら、あとは自分なりに考えてテキパキ動くように、あまり細かい指示は出していません。その分、モバイルオーダーで写真を入れてわかりやすくしたり、日本酒メニューには味わい別にチャート表を入れて、オーダー時に説明がなくともお客さんに伝わるように工夫しています。

――立ち呑みのお店は柔軟に入店人数を調整できるのがメリットでもありますが、逆に難しいのはどんなところでしょうか。常連さんを増やすうえで、酒主さんが心がけているポイントがあればお聞きしたいです。

酒主さん:混雑時はお客さんの相席など、どのように配置するかが難しいですね。お客さんをパッと見た印象でしか判断できませんが、若い方は相席を楽しんでくださる方も多いので、詰めてもらうことは多いです。逆に年配のご夫婦などは会話を楽しんでいただけるようにとなるべく奥の席にご案内するとか。何が正解かはわかりませんが、自分が客だった時に嬉しいと思うことをやる。当たり前のことを地道にやるしかないのではないでしょうか。

「立呑 富士屋本店」店長の酒主涼介さん

――昔ながらの大衆酒場の雰囲気に、今の時代に合わせたシステムを取り入れているんですね。実際にオープンされて、「大衆酒場 富士屋本店」時代のお客さんからの反応などはいかがでしょうか。

酒主さん:昔からの常連さんは高齢になっている方も多いのでやはり少し減ってしまってはいますが、年配の方でも積極的にQRコードで注文してくださるなど、時代に合わせた変化を面白いと受け入れてくださる方も多いです。もちろん昔と変わってしまったことでがっかりされているお客さんもいらっしゃるかもしれません。でも、もう以前通りのお店はできないので、僕たちは芯をもって今のお店をやり抜いていかないと、と考えています。

2023年11月には、以前「大衆酒場 富士屋本店」があった場所に商業施設「Shibuya Sakura Stage」が竣工します。「富士屋本店」もウェイティングバーを備えたレストランスタイルのお店を開業予定なので、ぜひ今後も盛り上げていきたいですね。

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【取材先】

立呑 富士屋本店
住所:東京都渋谷区桜丘町16−10
Web:立呑 富士屋本店
Instagram:立呑 富士屋本店Instagram

取材・文/田窪 綾
調理師免許を持つフリーライター。惣菜店やレストランで8年ほど勤務経験あり。食分野を中心に、Webや雑誌で取材やインタビュー記事作成、レシピ提案などを行っている。

編集:はてな編集部