亡き祖父の町中華復活に奮闘した孫娘と幼なじみの「これまで」と「これから」

千葉県松戸市、北総線「松飛台」駅から徒歩3分にある「中華料理 東東(トントン)」。先代亡き後、「おじいちゃんの店と味を守る」ために奮闘する21歳の孫娘・池田穂乃花さんと、池田さんの幼なじみで台湾出身の許維娟(シュウ・ウェイジェン/以下、ジェンジェン)さんの二人を中心に営業を続けています。一度は店を畳むことも視野に入れたものの、彼女たちの努力もあり、現在は昔からの常連客に加え、新規客も多く訪れる繁盛店として復活しました。先代の死による味の変化、コロナ禍、物価高騰などの窮地を乗り越えた彼女たちの「これまで」の努力と、「これから」に対する思いについて伺いました。

先代が目指したのは「満腹の幸せ」がある店

「東東」は、池田さんの祖父・帯刀(たてわき)武次郎さんが1980年に創業した中華料理店です。戦後間もない生まれの帯刀さんは、「たくさんの人に、おなかいっぱいごはんを食べる幸せを味わってほしい」と船橋市で「東東」を開店。その後、近隣に工場があり、トラックの通行も多い現在の場所に移転しました。帯刀さんが作る中華料理は、ボリューム感があるのに、飽きることなく食べ進められるやさしい味わいで、やがて地域の人に愛される店となりました。

およそ40年、店を営んできた帯刀さんにすい臓がんが発覚したのは、2020年の7月。定期検診で訪れた病院で、余命3カ月と宣告されました。その時、池田さんは高校3年生でした。

「コロナ禍ということもあり、おじいちゃんが余命宣告を受けてからビデオ通話で話すことが多かったのですが、自分のことより、いつもお店のことばかりを気にしていて……。『つぶしたくないんだな』って気持ちがとても強く伝わってきました」(池田さん)

2020年9月、帯刀さんは他界。その後、池田さんは「東東」を継ぐことを決意しました。

店には先代店主・帯刀武次郎さんの遺影が飾られている

店の現状を話し、共に働くことを提案

推薦で大学への進学も決まっていた池田さん。「東東を守る!」と決めた直後、すぐに店の2階に引っ越してきました。同じ頃、お互いにしばらく連絡を取っていなかった幼なじみのジェンジェンさんと食事をする機会があり、その場で「東東の店長になる」と打ち明けました。

「本当に久しぶりの再会でしたが、その場で『私と一緒に住んで、東東で働かない?』と誘われました。私も千葉の大学に進学予定でしたが、一緒に住んでいた父も仕事の関係で帰国する必要があり、父としても『池田さんのお宅にお世話になるなら安心』とほっとしたみたいです。私自身、『穂乃花と一緒に働いたら楽しいじゃん!』というテンションで、面接なしでバイトが決まった、という風に思っていました」(ジェンジェンさん)

池田穂乃花さん(左)と幼なじみの許維娟(ジェンジェン)さん(右)

こうしてジェンジェンさんも店の2階に引っ越してきて、二人は寝食を共にしながら「東東」で働き始めました。しかし、この時、二人が向き合わなければならない課題は山積していました。

「味が変わったね」と常連客の足が遠のく日々

帯刀さんは亡くなる直前まで鍋を振っていましたが、池田さんが店を継ぐと、残された従業員で料理を作るようなりました。しかし、従業員それぞれが独自のアレンジを料理に加えるようになり、帯刀さんが守り続けてきた「東東」の味からはかけ離れた、ばらつきのある味になってしまいました。

常連客からも「味が変わった」という指摘があり、グルメサイトの口コミ欄などにも書き込まれてしまいます。折しもコロナ禍で外食を控える風潮が重なって客足は途絶えていき、閑古鳥が鳴く日々が続きました。

「東東」の店内。現在は開店から1時間も経たずに満席になることも多い

「祖母や両親と話し合ったとき、店を畳むことを念頭に話を進めていました。確かに、常連客や口コミ欄で指摘されていたように、昔から食べていた大好きなおじいちゃんの味とは違ってしまっていました。おじいちゃんの味は食べたら気持ちが温かくなる、ほっとする味だったのですが、その頃の味は変にコショウが入っていたり、油がやけに多かったり、とにかく変わってしまっていたんです。店を守るためには、まずおじいちゃんの味に戻さないと、と思いました」(池田さん)

「『東東』は、私も小さい頃からお世話になっていた店ということもあり、最初は単なるバイト感覚で働き始めましたが、気づいたらガッツリ働いていました。働くこと自体は楽しかったのですが、おじいちゃんの味の再現やSNSで発信する内容の精査など、店の内部にも関わることに、戸惑いを覚えた時期もありました。でも、味や運営について穂乃花がとても悩んでいるのを見たり、店のみんなも真剣に店のことを考えているのを目の当たりにして、自分も頑張らなくちゃと思うようになったんです」(ジェンジェンさん)

帯刀さんはほとんどの料理のレシピを残さずに亡くなってしまったため、味を復活させることはとても大変な作業でした。

「おじいちゃんと一緒に働いていた従業員に、アレンジを指摘してもめてしまったこともあります。でも、おじいちゃんを思う気持ちはみんな一緒なので、『先代の味』の復活に協力してくれました。おばあちゃんにも手伝ってもらい、少しずつ、その味を探っていきました」(池田さん)

こうして数カ月をかけて、先代・帯刀さんの味の再現を果たし、それが現在の「東東」の味のベースとなっています。

大きな中華鍋もやすやすと振るジェンジェンさん。「東東」で働き始めてから調理をするようになったというが、その手際には無駄がない

活気を取り戻した新生「東東」

現在、池田さんはホールで接客を、ジェンジェンさんは厨房(ちゅうぼう)で調理を担当しています。「東東」の味が先代の味に戻ったことはお客にも伝わり、次第に昔ながらの常連客も再訪するようになりました。

毎週末訪れるという常連客も多い。「一時期は味が変わったけれど、元に戻ったし、この店が好きだから応援したい」という声も

「一度は離れてしまったお客さんもまた戻ってきてくれて、今では『おじいちゃん(の味)が戻ったね』と言ってもらえるようになりました。また、しばらく見かけなかった常連さんが久しぶりに来てくださった時、『お店が忙しそうなのが見えて入れなかったんだ』なんて言われてしまうことも増えました」(池田さん)

帯刀さんは、「自分が死んだ後、1年間はそのことを誰にも知らせるな」と遺言を遺していました。そのため、一周忌を迎えた後で亡くなった事実を伝えられた常連客の中には、闘病後に元気になって戻ってくると思っていた人も多く、ショックを受けた人がたくさんいました。大粒の涙を流しながら、ぽつりぽつりと帯刀さんの思い出話を話してくれる人も多かったそうです。

一方、彼女たちは新規客の開拓にも積極的です。デカ盛りメニューや「まんぷくセット」など、新しいアイデアで考案されたメニューをSNSで発信したことで、テレビをはじめ、メディアで取り上げられることも増えました。その結果、今や「東東」は全国区どころか海外からもお客が訪れる店へと変貌しました。

「食べたいものガッツリ入れたメニューを作ろう」とのアイデアから生まれたデカ盛りメニューの一つ、「ステーキチャーハン」(2,900円/税込)は、1ポンドのステーキでチャーハンが見えないほど。また、平日限定の「まんぷくセット」は、材料費高騰により値上げしたことで足が遠のいた近くの工場作業員のために、大盛り無料でおなかいっぱい食べてもらえるように始めたそう

「店のオリジナルTシャツを着て食べに来てくれる人も多いですし、名古屋からわざわざ、うちの店でご飯を食べるためだけにバイクで来てくださった方もいました。中国の主要なSNSに誰かが載せてくださったこともあって、中国からのお客さんも多く、『一緒に写真を撮ってください』と言われることも増えました」(ジェンジェンさん)

真夏に従業員が熱中症になってしまった時は、翌日、箱買いしたスポーツドリンクを差し入れてくれた新しい常連客もいたそうです。こうして店のファンを増やしていった結果、中華料理店の開店にしては少し早い午前10時を回ると、すぐにお客が入店し、お昼前には満席必至となる店になりました。

新メニューの調理過程から実食までを撮影・編集し、SNSにアップする

店にお客が戻った今、彼女たちが考えていること

今年(2023年)で21歳になった池田さんとジェンジェンさん。「東東」の経営にもっと入り込むのか、それとも、それぞれが元々描いていた自分の夢に踏み出すのか、現在二人は人生の岐路に立っています。

二人は現在、「東東」オリジナル調味料の食品通販の実現を模索中。3種類ある特製ラー油の販売を熱望する声が特に多いが、実現に向けての検討課題も多いという

彼女たちが必死になって帯刀さんの味を再現し、SNSで「東東」の情報を発信して新メニューなどを根付かせた行動の根底には、店を存続させたいという思いとともに、一度傾いた店を自分たちで復活させて、信頼できる人に引き継ぎたいという思いもあったようです。

「おじいちゃんの死に直面し、ただただ『おじいちゃんの店を守りたい』という一心で突っ走って、店を立て直すことばかりを考えてきました。でも、今、大学卒業の時期も見えてきて、自分たちそれぞれの道も考えるようになりました。私は幼い頃からアナウンサーになりたいという夢があり、今も就職活動をしています。つい最近、芸能事務所にも所属しました。この店は実家だし、おじいちゃんがいてくれるような気がするから必ず来ますし、思いついたメニューのアイデアとかいろいろ口を出すと思いますが、今までのように店と関わることは難しいかもしれません。アナウンサーになることも簡単なことではないですし。先のことは分かりません……」(池田さん)

「私も幼少期から通訳か、外資系の語学を生かせる仕事に就きたいと思っていました。私は台湾出身で中国語を話せるので、大学では英語とスペイン語を学んでいます。ちょうど今、自分の夢を追いかけるかどうか、いろいろと考えています。『東東』と関わるにしても、自分ならではのスキルを生かすような形で関わりたいですね。もしかすると、『東東』の2号店を海外に出店するかもしれません!」(ジェンジェンさん)

進路に悩みながら、それぞれの道を見据える二人

二人が「東東」から卒業することが現実味を帯びてきた昨今。「何事も丁寧にやれ」と帯刀さんから教えられてきたという池田さんが、ジェンジェンさんと共に「祖父の味と店を守る」と奮闘し、店を存続させ、繁盛店として復活させました。決して簡単ではないことを、周囲の助けを借りながら見事にやり遂げた彼女たち。無我夢中で店を立て直した経験は、この先どんな道に進もうとも、きっと彼女たちの大きな支えになることでしょう。

取材先紹介

中華料理 東東


 

取材・文別役 ちひろ

コピーライター、ライター、編集者。東京生まれ。まち歩きフリーペーパー制作に長年携わる。旅や食、建築にまつわる執筆が多く、銭湯のフリーペーパーで10年以上執筆している。特にキリスト教会の建築・美術の愛好家で、26都道府県・約900軒の教会を訪ね歩いている。

写真新谷敏司
企画編集株式会社 都恋堂