飲食店未経験の元常連が、2代目店主に!焼肉根尾街道が「引き継ぐもの」と「変えたこと」

個人経営の飲食店が頭を悩ますことも多い事業承継。元常連との向き合い方や、土地・資産の権利等の問題、先代店主と2代目の関係……など、事情はさまざまです。そこで、当連載では承継後も繁盛している店に取材し、気になる承継事情を探ります。

今回お話を伺ったのは、岐阜県本巣市にある老舗焼肉店「焼肉 根尾街道」の先代店主・山田受弘さんと現店主・岩﨑健輔さん。根尾街道の元常連で飲食店未経験の岩﨑さんが、2代目として店を継いでいます。なぜ店を継いだのか、承継までの道筋や承継後の取り組みについて聞きました。

「この場所を守らなければ」。使命感に背中を押され、未経験で飲食業界へ

根尾街道は、1975年(昭和50)に先代店主・山田受弘さんが創業した焼肉店です。山田さんの気さくな人柄や、甘辛い焼肉ダレが地元で評判を集め、約40年の歳月をかけて常連客が集うアットホームな名店へと成長を遂げました。現店主の岩﨑健輔さんも幼い頃から根尾街道に親しんできた一人。祖父、父、おじが元々根尾街道の常連客で、家族で外食といえば、ここで焼肉を食べるのがお決まりだったといいます。

岩﨑さん(左)と山田さん(右)は、お互いを「けんちゃん」「やまちゃん」と呼び合う。根尾街道の客も皆、2人をこのように呼ぶという

幼少期から家族ぐるみで付き合いがあったからこそ、根尾街道は心安らぐ“第二の我が家のような存在”だったと振り返る岩﨑さん。しかし、根尾街道の価値を改めて感じるようになったのは、社会人になってからでした。

「全国出張が多い仕事だったので、出張の前後によく店に立ち寄っていました。そうして地元と県外を行き来するようになってから、店への思いが僕の中で少しずつ変化していったんです。この店は、本当に人と人との距離感が近い。初めてのお客さんでも、『どこから来たの?』という常連さんの問いかけから、お客さん同士がたちまち打ち解けてしまう。こんなにお客さん同士が仲良くつながれる場所は、かなり貴重なんじゃないかなって。僕にとっては家族との思い出が詰まった場所ですが、地元の方たちにとっても“なくてはならない場所”なんだと感じるようになりました」(岩﨑さん)

こぢんまりとした座敷が温かい雰囲気を醸し出す店内。お互いに面識のなかったお客同士がいつの間にか仲良くなっている……なんてことは今も昔も日常茶飯事

しかし、2017年12月のある日、山田さんが業務中の事故で手を負傷してしまいます。当時66歳で体力的にも限界を感じた山田さんは、その怪我を機に廃業を決意しました。

「もちろん店を畳むことに悔しい気持ちはありましたが、店を経営する上で、手が使い物にならないのは致命的。そろそろ潮時だと感じ、引退することを決めました」(山田さん)

廃業の話を聞いた岩﨑さんは、大きなショックを受けます。なんとか大好きなこの味と、この場所を残す方法はないか――。ちょうどその頃、岩﨑さんは地元で腰を据えて働きたいと考えていたタイミングでもありました。ならば自分が跡を継げば良いのではないか?そう考えた岩﨑さんは、山田さんに店を継ぎたい意思を伝えましたが、「飲食店の仕事は大変だから」と断られてしまいます。

「飲食店は休みが取りづらいし、食材などが災害や気候のあおりを受けやすいから、収入も安定しません。当時彼が勤めていた会社は給料も良かったし、そのまま会社勤めを続けるのがけんちゃんにとって良い選択だと考えていました」(山田さん)

自分が本気で継ぎたいと思っていることをなんとか分かってもらいたい。岩﨑さんは当時勤めていた会社を辞め、店を継ぎたいという意思を改めて山田さんに伝えました。

「それまで僕は飲食店で働いたことがないばかりか、料理自体ほとんどしたことがなかったんです。そんな僕が店を継がせてもらうには、とにかく自分が本気でこの店と向き合うつもりであることを示さなければと思いました。会社を辞めることに不安はありましたが、地元のために何かしたいという気持ちは以前からあったので、前向きな気持ちの方が大きかったです」(岩﨑さん)

岩﨑さんから二度目の申し出を受けた山田さんも、それほど本気ならばと承継に同意し、2018年3月、事業承継計画は、実現に向けてゆっくりと動き出しました。

リニューアルオープンを告知する貼り紙。先代店主・山田さんと2代目店主・岩﨑さんの意気込みが記されている

料理スキル、資金繰り……次々と現れる課題を、周りの手を借り一つずつ克服

承継が決まった翌月から約4カ月にわたって、岩﨑さんは毎日15時に山田さんと厨房に立ち、閉店時刻の23時前まで手ほどきを受けました。

「包丁もまともに触ったことがないようだったから、最初は途方に暮れてしまいました。包丁の扱い方から始まり、野菜の切り方、肉の洗い方、焼き方まで、一から目の前でやって見せて、実際に彼にやってもらって……をひたすら繰り返して、体で覚えてもらいました。ただ、実際は、自分一人で店を回していく中で気付くことや、学べることがたくさんあります。だから、一通りやり方を覚えた後はあえて一人で一からやってもらうなど、意識的に手を離すようにもしました」(山田さん)

並行して、財産面での契約手続きについても話し合いを進めていた二人。ここで、承継準備の中でもっとも岩﨑さんの頭を悩ませる事案が発生します。山田さんは店を渡す条件として「岩﨑さんが店を買い取ること」を提示したのです。この条件には、山田さんなりの事業承継に対する強い思いがありました。

「店を渡すなら賃貸ではなく、買い取ってもらおうと決めていました。賃貸だと、気持ち的になんとなくお互いに中途半端になってしまうでしょう?もし買い取れないなら廃業するしかないし、店を渡す、店を継ぐという覚悟をお互いが持つという意味では、とても重要なことだと考えていました」(山田さん)

しかし、賃貸契約の心づもりでいた岩﨑さんは、当時まとまったお金を持っていませんでした。融資を受けるために、何十社も当たっては断られることを繰り返します。銀行の融資担当者と一緒に何度も事業計画書を作り直し、リニューアルオープンの目安だった8月まで残り1カ月となった頃、国民生活金融公庫から融資を受けることができました。

資金繰りは大変だったものの、賃貸ではなく買い取りの形にしたことで、二人の間に生じる権利関係はシンプルなものとなった。結果的には、承継後の店づくりにおいて岩﨑さんが山田さんに過度に遠慮することはなく、岩﨑さんが思い描く店をスムーズに実現できたそう

承継後の改革から地域の場づくりまで、幅広く挑戦

資金の問題も解決し、2018年8月に根尾街道は晴れて岩﨑さんの店としてリニューアルオープンしました。もともと、根尾街道の味と、店の雰囲気や居心地の良さを残したくて店を継ぐことを決めた岩﨑さん。タレの味はもちろん、内装や装飾もほとんど山田さんの時代のものを引き継ぎましたが、店をより良くするために思い切ったメニュー改革を行いました。

まず岩﨑さんが行ったのは、焼肉店にとって重要な部分である食肉の仕入れ先の変更です。

「それまでの肉が決して悪いわけではなかったのですが、物価が上がり始めた時期だったので、肉の値段や質を一度見直さなければならないと思っていました。今後健全な経営を続けていくためにも、どうせ値上がりするのであれば、より質の良い肉を提供したいと考えたのです。そこで、肉の品質が良い地元の精肉店から仕入れることにしました」(岩﨑さん)

また、先代のボリューム層である60~70代だけでなく、若年・ミドル層にとっても敷居の低い店にすることを狙い、アルコールメニューを拡充しました。

「以前の店は、やまちゃん自身がお酒を飲まなかったこともあり、メニューにあるのはビールと焼酎だけでした。でも、僕の店に来てくれる同世代のお客さんの中には、ビールや焼酎は苦手だけれど、他のお酒なら飲みたい人がそれなりにいると思ったんです。そこで、酒販店を営む知り合いに相談し、当時はやっていたハイボールや各種サワーなど、若めの客層も意識したアルコールメニューを増やしました」(岩﨑さん)

さらに「地元を盛り上げたい」という思いも、承継を決めた大きな理由だった岩﨑さん。店から一歩踏み出た、地域の場づくりへの取り組みにも挑戦します。2020年10月には焼肉店の隣にカラオケ喫茶&バーを、2022年8月には「地域全体で子どもを育てたい」という思いで駄菓子屋「つきの家」をオープンしました。

カラオケ喫茶&バーの店内。昼は岩﨑さんの母がカラオケ喫茶を、夜は姉がバーを経営している。焼肉店を利用した後にカラオケバーへ向かうという流れを生み出した。その他「地域で暮らす子どもの居場所になれたら」と、地元の高校生が小学生に宿題を教える場所として月に数回程度、定休日に開放している

「つきの家」では、大人の寄付金で子どもが200円まで無料で駄菓子を楽しめる仕組み。寄付(1口1,000円)をすると、根尾街道のドリンクチケットを1枚もらえるため、寄付した人が根尾街道を訪れてくれるきっかけにも。その斬新で温かみのある取り組みはたちまち話題になり、地元の新聞やメディアにも取り上げられた

いずれも、すぐに売り上げや新規客の来店につながるものではありませんが、こうした展開はSNSを中心に話題となり、新たな根尾街道の知名度や評判アップに一役買ったといいます。

先代との比較は必然のもの。店に必要な変化は、批判を恐れず取り入れる

しかし、これらの変化に対して「以前と変わってしまった」と離れていくお客も少なくなかったそう。

「自分が最も守りたいと思っていた店の雰囲気に対して、“やまちゃんの時と変わった”と言われてしまうことは、胸にこたえましたね。僕とやまちゃんの性格の違いも関係しているだろうし、どんな人に対してもオープンで明るいやまちゃんと比べて、僕は割と人見知りをしてしまうタイプ。新規のお客さんなど初対面の相手だとどうしても緊張してしまうんです」(岩﨑さん)

岩﨑さんは、自分のそんな一面を自覚していたからこそ、山田さんと比較されることに悩んだ時期もあったといいます。しかし、岩﨑さんが商品の値段設定やメニュー内容など、店舗の経営方法について具体的な相談をすることはあっても、常連客からの批判などを山田さんに話すことはありませんでした。

「やまちゃんがつくってきた店ですが、店を継いだ以上、今は僕がいろいろ考えて決めていく立場にあります。だから、自分が店に変化を加えたことでお客さんが離れてしまったことについては、自分で解決しなければと思っていました」(岩﨑さん)

そうした責任感とは別に、岩﨑さんには「良いものは引き継ぎつつ、山田さんの時とは違った自分の店をつくっていきたい」という、店づくりへの前向きな思いもありました。

「店主が変われば、どうしても“前と変わった”という声は上がってしまうもの。店が少しずつ変わることで離れていくお客さんがいたとしても、必要だと思った変化は積極的に取り入れていかなければ、守りたいものも守れなくなってしまいます。だから、ある程度は“自分の店は自分がやりたいようにする”という強い意志を持って受け流すようにしました」(岩﨑さん)

招き猫は山田さんの代からある、店のマスコットのような存在。その隣には、岩﨑さんが承継祝いに友達からもらったたる酒が並べて飾られている

そんな岩﨑さんの様子を、特に干渉することもなく見守っていたという山田さん。岩﨑さんに店を引き継いだ後は、彼の方針を尊重する姿勢だったといいます。昔からの常連客の間で新しい店に関して否定的な意見があることは耳にしていましたが、あえて岩﨑さんにそれを伝えることも、やり方を否定するようなこともありませんでした。

「オープン直後の1週間だけサポートしましたが、それ以降は営業に関する相談に乗ることはあっても、自分から口を出すつもりはありませんでした。けんちゃんが店を継いでから若いお客さんも増えたから、昔からのお客さんが店に行ったら、なんか雰囲気が合わないと感じることはあると思いますよ。でも、それはどちらが悪いとかではなく仕方のないこと。いま、けんちゃんの店が繁盛しているってことは、その変化は必要だったということなんだと思います」(山田さん)

良いと思ったものは積極的に取り入れ、変わり続けようとする2代目店主と、それを前向きに受け入れる先代店主。どちらも、一部からの批判を深刻に受け止めすぎずに、変化に対して柔軟な姿勢を持っていたからこそ、新たな客層を引きつける店として生まれ変わることができたのかもしれません。

いつまでも地元の人がつながる場として、あり続けるために

では、根尾街道はすっかり「変わって」しまったのでしょうか? 

「根本の部分はそんなに変わっていないと思っています。お客さん同士が店で仲良くなることは今でもよくありますし、この前も、店でつながったお客さんが複数人集まって、一緒に旅行へ行っていましたよ。初めてのお客さんが一人でもいたら、今でも『どこから来たの?』という会話が自然とお客さんから生まれるし、やっぱり根尾街道はそういう場所なんです」(岩﨑さん)

岩﨑さんと話したくて店に来るお客さんも多く、それぞれが岩﨑さんと会話をしていたところ、いつの間にか岩﨑さんを通じてお客さん同士で話が盛り上がることも多いそう。山田さんも、そんな岩﨑さんの人望に信頼を寄せています。

「今日はこの後、常連さんの誕生日会に行くんです。向こうから誘ってくれたので(笑)」と岩﨑さん

「小さい頃からけんちゃんを知っているから分かるけど、彼は本当に人から愛される性格。おとなしいところはあるけど人の悪口は言わないし、しっかりしている。彼には、彼にしかない強みがあるんです。僕はよそから来た人間だから、店を始めた頃はお客さんが来てくれなくて本当に苦労したけど、けんちゃんは小さい時からここで暮らし、地元の消防団にも入っているし、この地域との結び付きがすごく強い。応援してくれる人たちがたくさんいるから、安心してこの店を任せられたのだと思います」(山田さん)

常連が集うカウンター。他の店で食事を済ませた常連が、「けんちゃんと話したいから」とお酒だけ飲みに来ることもあるとか

岩﨑さんの誕生日に常連のお子さんが似顔絵を描いてくれた

そんな山田さんに対し、「お客さんと店の距離が近く、お客さん同士の距離も近いのが根尾街道の魅力。他の部分がどんなに変わっても、店の根っこであるその部分は変えるつもりはないし、変わらないと思います」と力強く言い切る岩﨑さん。

先代がつくりあげてきたものへのリスペクトがあるからこそ、それらをただ引き継ぐのではなく、時代に合わせて、一番良い承継の方法を模索していく。根尾街道が示す事業承継の形は、その一つの成功例と言えそうです。

取材先紹介

焼肉 根尾街道

 

取材・文齊藤 葉(株式会社 都恋堂)
写真新谷敏司
企画編集株式会社 都恋堂