演芸に魅せられた元『笑点』ディレクターが営む、「魅力を知る人」だからこそできる店づくりとは?

落語をはじめ、漫談、小唄(こうた)、俗曲(ぞっきょく)などの演芸を、寄席ではなく、料理と酒を味わいながら楽しむ。料亭などのお座敷で見られる趣向を楽しめる店が、東京・秋葉原駅から徒歩10分のオフィス街にあります。予約制の小料理店「落語・小料理やきもち」を営むのは、あの演芸の長寿番組『笑点』でディレクターを務めていた女将(おかみ)です。『笑点』に携わったことで演芸の魅力を知り、その経験を生かしてつくられた店には、演芸の魅力を知るからこそ考えられた気遣いがありました。

出演者に「笑点にハマったね!」と言われたディレクター時代

テレビドラマのディレクターを志し、大学卒業後に日本テレビに入社した女将は、朝の情報番組を担当後、早い段階でテレビドラマの現場に携わるようになりました。『笑点』のディレクターになったのは入社から10年ほどたった頃で、当時は「担当番組が一つ増える」程度に思っていたそうです。しかし、『笑点』の現場は、テレビドラマや他のバラエティーとは大きく異なっていました。

「『笑点』の楽屋は大部屋で、出演者が全員一緒に利用するんです。寄席の楽屋に倣ってだと思うのですが、師匠方がいつも談笑していて、スタッフも出入り自由。師匠たちと一緒にお菓子を食べたり、おしゃべりしたりできたんですよ。それが学生時代の部室みたいで、それまでの制作現場とはまったく異なり衝撃的でした。師匠たちから歩み寄ってくれるため、私も興味を引かれて落語を聞きに行くようになりました。そうして師匠方に、笑点や落語にハマったね(=気に入られたね)と言われるようになったんです」

「落語・小料理やきもち」の女将。芸人さんとともに女将が習い立ての踊りを踊る、という公演回もある

落語が好きになり、寄席に通うようになった女将が、笑点に携わったのはわずか1年ほど。その後、編成部に異動となりましたが、「座ってする仕事は性に合わない」と感じて退職し、「落語・小料理 やきもち」をオープンさせました。

「テレビドラマの現場から外され、転職を考えた時期もありましたが、当時は踏ん切りがつきませんでした。目標が閉ざされ、心血を注いでやってみたいと思う仕事がよく分からなくなったのです。そうした中で『笑点』に携わることになり、落語や演芸の面白さや奥深さを知り、芸人さんの温かさに触れて、鬱々(うつうつ)としていた仕事への思いに変化を感じました。同じ頃、なじみのお店から『落語会をやりたいから、落語家さんを呼んでほしい』と頼まれて対応したところ、その会はとても好評でした。その時、『これは仕事にできるんじゃないか』と思い、私が新たにやってみたい仕事の形として、落語や演芸が楽しめる店を考えたんです」

物件探しや内装、しつらえにもこだわり

店を始めるにあたり、女将は物件探しに力を入れました。都内各所の物件情報を200〜300軒は閲覧し、実際に内見に訪れた物件も20〜30軒に上りました。

「飲食店の経営が初めてだったこともあり、とにかく維持費を抑えなければ続けられないと思っていました。また、師匠方から『寄席や演芸場の近くは縄張りがあるから控えた方がいい』とアドバイスをいただき、そのような場所から少し離れたエリアで探しました」

その中から選んだ物件は元カラオケパブで、音響が良かったことも決め手となりました。三味線や唄を披露する芸人には「音の響きがとても良い」とお墨付きももらっているそうです。

「落語・小料理やきもち」の店内。小上がりの下は収納になっていて、限られたスペースを有効活用している

店の内装は、女将が好きだった美容室を手掛けた設計士に依頼。かつて、粋な旦那衆が料亭のお座敷に落語家を呼んで、酒を飲みながらはなしを楽しんだということを設計士に伝え、店舗デザインを決めていきました。

「入口から一番奥に、舞台となる小上がりのお座敷を造りました。高座にする場合はお座敷に座卓テーブルを置き、その上に座布団を敷くのですが、落語家さんが膝立ちになっても頭が当たらない高さを計算しています。落語で取るポーズを実際に落語家さんにあれこれやっていただき、長さを測って造ってもらったんですよ」

また、女将が出した重要な条件として、「座席数をできるだけ多く確保したい」という要望がありました。

「カウンターを含め全部で24席入ります。およそ14坪のこぢんまりとした店内ですが、この座席数を確保しないと芸人さんのギャラが支払えないため、テーブルはどうしても4卓は必要でした」

テーブルは壁側に折りたたんで収納できるように造られた。ただ、小上がりから2番目・3番目のテーブルが一番使われるため、現在はちょうつがいが外され、自由に稼働できるようになっている

どの席でも舞台の芸人との距離は近くなるように設計されていますが、特に舞台前のテーブルは手を伸ばせば触れるほどの近さです。お客との距離がとても近いため、出演者からは「お客さんの反応が手に取るように分かる反面、すべてが見えてしまうからごまかしがきかない」という、緊張感もある舞台と認識されています。

初心者が楽しめることを目指した店づくり

「落語・小料理 やきもち」では現在、月に6回ほど公演があります。「落語や演芸に親しみのない人こそ、ぜひ来てほしい」と話す女将。鑑賞に対して何かと不安が多い初心者の心理も踏まえ、料理やドリンクだけでも十分満足ができるようにと努力しています。

「料理は素人ですが、知り合いの飲食店で少しバイトはさせてもらいました。なので、飲食店としてはほぼ見切り発車で始めています。これまでお客さん側の目線しか持っていなかったため、『手作りの方がおいしいでしょ?』という考えで業務用の食料品は使わず、マヨネーズなどもすべて手作りです。ありがたいことに、料理を評価いただくことも増えました」

予約人数などによってアルバイトも入るが、基本的に女将一人で店を回している

演芸時の料理は全7品。季節の食材を使った和食がメインとなっています。アルコールは好みがあるため、日本酒や焼酎など、オーソドックスなラインナップは一通り揃っています。中でも、伊豆で採れたレモンを使い女将が仕込んだレモンサワーは人気のドリンクです。

女将が漬けたレモンシロップ

料理を出すタイミングも女将が見ており、お客が来るタイミングに合わせて提供し、19時30分からの公演中はオーダーストップ。そして、終演後に残りの料理が出るという流れです。

「公演中は食べづらくなるため、その日の状況にもよりますが、公演が始まる前はあまり品数を出さないようにしています。また、公演後に店内に残ってくれる芸人さんも多いため、お酒と共に芸人さんとの時間も楽しんでいただきたいとの思いから、シメのご飯は基本的に公演前には出さないようにしています。提供の流れなども、店を始めてから覚えていったことですね」

「玉ねぎと牛すじの煮込み」(左)と前菜3品(右)。前菜は左から「レンコンとあずきの炒め煮」、「菜の花のおひたし」、「カブの含め煮」。どれもお酒が欲しくなる味わい

芸人が場を和ませ、お客同士の距離を縮める

公演後、そのままお客とともに酒を酌み交わす芸人もいます。中にはお客同士の間に入り、仲を取り持つことに一役買った芸人もいました。

「うちの店は共通の話題ができるため、デートでいらっしゃる方も多いです。以前、やり取りはメールなどでしていたものの、会うのは初めてというお二人が来てくださいました。その時の師匠が本当に仲を取り持つことがお上手で、お二人の間に入って、共通点などを聞き出して『あなたたち相性いいよ!』なんて盛り上げたんです。その後、正式にお付き合いすることになったようで、師匠とは『結婚式の司会の発注あるかな?』なんて話しています」

他にも、大げんかした夫婦が来店し、最初はギクシャクしていたものの、一緒に落語を聞いて芸人と話していたら「ケンカしているのが、ばかばかしくなった」と仲直りして帰っていったというエピソードもありました。

店を維持し、演芸の裾野を広げるために直面した課題

オープンから8年目を迎えた「落語・小料理やきもち」。コロナ禍を経て見えてきた課題があるといいます。それは、演芸と小料理屋を併せ持つ店だからこその課題ともいえます。

「どんな飲食店でも言えることですが、『お客さまの新陳代謝』というのがあります。好きな店があっても、仕事の転勤や出産など、ライフステージが変わると行く場所は変わるため、大体2年から3年でお客さまは入れ替わります。しかし、コロナ禍の3年間、うちには新しいお客さまが入ってきていません。アフターコロナとなり、新規のお客さまもぼちぼち来てくださいますが、来なくなってしまったお客さまのスピードに追いつかないんです」

お客の年齢層もコロナ前は30〜40代が多かったそうですが、現在は60〜70代が中心。

「うちは、ショーチャージと料理やお酒を楽しんで1人1万円程度です。寄席で落語を聞くと大体1回1,000〜3,000円の料金なので、とても高く感じると思います。現在、うちの店に来てくださる主なお客さまは、昭和のいい時代に稼いだ方が多いと思います。一方、SNSで情報を拡散することに慣れている世代にはなかなか来ていただけていない現状です。実は、コロナ前は『誰それのSNSに載っているのを見て来ました』というお客さんが多く、“人が人を呼んでいる状態”で営業できていたのですが、今は厳しくなりましたね」

店名の由来は落語「悋気の独楽(りんきのこま)」から。悋気とは「嫉妬・やきもち」の意味。夫の浮気をこまで占うという話から、こまのデザインが施されている

「いつ閉店しないといけないか、と思いながら営業している」と話す女将ですが、演芸をより身近に親しめる空間を目指しつつ、シビアな状況を打開するための努力は怠りません。日曜日の朝、モーニングを食べながら若手の落語家のはなしを聞く「こんがりクラブ」を開催したり、出張公演として、200人ほど収容できるホールでの公演会も実施しています。逆風の中でも、今できることを考え行動に移す芯の強さ。「落語・小料理やきもち」は、そんな女将だからこそ運営できる、日本の伝統芸能が楽しめる粋な店です。

取材先紹介

落語・小料理 やきもち


 

取材・文別役 ちひろ

コピーライター、ライター、編集者。東京生まれ。まち歩き系のフリーペーパー制作に長年携わる。旅や食、建築にまつわる執筆が多く、銭湯のフリーペーパーで10年以上執筆している。特にキリスト教会の建築・美術の愛好家で、27都道府県・約1,000軒の教会を訪ね歩いている。

写真新谷敏司
企画編集株式会社 都恋堂