東京・銀座の中央通りに位置する「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」は、現存する日本最古のビアホールです。1934(昭和9)年に開業し、2024年4月に90周年を迎えた老舗中の老舗で、店舗が入る銀座ライオンビルも、その歴史的・芸術的価値を認められ、2022年に国の登録有形文化財(建造物)に指定されました。
昭和、平成、令和の時代を経てなお、行列のできるビアホールとして大衆に支持される「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」が、大切にしてきたこだわりとは何か。総支配人の熊山克希さんに話を伺いました。
「心を開いて友だちをつくる場所」という、ビアホールの理想が具体化
――もともと、どのような経緯でビアホールがつくられたのですか。
銀座ライオンビル自体の竣工は1934年ですが、当社(※)はすでに1918年から銀座で当店の前身となる「銀座ビヤホール」を営業していました。「銀座ビヤホール」も豪華な内装の店だったそうです。しかし、当時の大日本麦酒の社長・馬越恭平が会社の新本社ビルを建設するにあたり、ビルの一階に自身の理想を追求した、さらに豪華なビアホールをつくろうと構想し、完成したのが現在の「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」です。
※株式会社サッポロライオンは、大日本麦酒株式会社(現・サッポロビールの前身)の外食部門が独立した共栄株式会社が前身。1936年設立。
――店内を歩いてみると、まるで昭和初期にタイムトリップしたかのような非日常感があります。内装はアール・デコ調のモダンで贅(ぜい)を尽くしたデザインですが、どのようなコンセプトで造られているのでしょうか。
設計は旧・新橋演舞場や駒澤大学耕雲館(現・禅文化歴史博物館)などを手がけた菅原栄蔵という建築家に依頼しました。その際、馬越は菅原氏に、理想のビアホールについてのイメージを熱く語ったそうです。まずビアホールなので、大前提として生ビールをおいしく飲める場所であること。また、ビールは“胸膈を開く”飲み物であるから、それにふさわしい空間にしてほしいと伝えました。
――「胸膈を開く飲み物」とはどういうことでしょうか。
心を開いて、腹を割って話すことで、友人になる機会をつくってくれる飲み物という意味です。だからこそ、馬越はビアホールは身分の高い・低いに関係なく、客同士が対等であることが大事ですし、辛気臭い日常を忘れて明るく笑い合える場所であってほしいと望みました。
――馬越さんの理想は、実際の内装にはどのように反映されていますか?
馬越の話から、菅原氏がたどり着いたのが「豊穣と収穫」というコンセプトです。西洋文明がもたらした豊かさや、ビールという飲み物を生み出す自然の恵みを表現することで、その豊かな雰囲気に浸りながら、笑って語り合える空間を目指しました。実際、店内を見渡すと、大麦の穂を表した柱、ブドウ房を模した照明、大麦の収穫をする女性たちを描いたガラスモザイクの壁画など、「豊穣と収穫」をモチーフとした意匠を至るところに見つけることができます。
また、人々の活気や楽しそうな会話があふれる雰囲気を生み出すために、ビアホールの天井を高く設計しました。天井を高くすると、音が上に抜けやすくなります。さらに、吸音性のある「抗火石(こうかせき)」という石材を天井に貼っています。これにより、騒音を吸収しながらも、人々の会話が混ざり合って響く、活気ある雰囲気を演出する狙いがあります。
――国の登録有形文化財(建造物)に指定されたことで、従業員に建物をより守るという意識が強まったり、建物の保存のためにルールを設けたりしていることはありますか。
銀座ライオンビルが価値のある建物であるということは、指定される前から従業員の間で長年共有されていましたので、毎日の清掃や定期的な点検は以前と変わらず実施しています。また、これも以前から実施していたことですが、アルバイトスタッフにも、内装のコンセプトや装飾の意味などを伝えて、お客さまに聞かれた時に説明できるようにしています。
世代を超えるリピーター、だから芯となる部分は変えない
――長い歴史の中で、接客やサービスに関してずっと貫いている姿勢や、こだわりはありますか?
やはり料理は冷たいものは冷たいうちに、温かいものは温かいうちに提供するという点は基本です。特に生ビールは時間が経つとどうしても泡が落ちてしまうので、注いでからの素早い提供が求められます。当店は、系列店と比べても特に早いと思いますね。
――「生ビールをおいしく飲める空間」をまさに体現しているんですね。提供スピードの他に取り組まれていることはありますか。
多くの飲食店で、生ビールは後から泡を注ぎ入れる形を取っていますが、当店では「一度注ぎ」という注ぎ方にこだわっています。これは、液体を勢いよく回転させることで泡を形成し、一度で注ぎ切る方法です。余分な炭酸を抜き、雑味を閉じ込めることで、すっきりとおいしく飲むことができます。
――実際に注ぐ瞬間を見せていただきましたが、まさに職人技という感じですね。
我々従業員の間で、先輩から代々受け継がれてきた教えに「泡切り3年、注ぎ7年」という言葉があります。要は、それだけ生ビールを注ぐのは難しいということですね。注ぐ時間はわずか数秒ですが、その一瞬で泡と液体の絶妙なバランスをつくらなければなりません。熟練にもなると、ビヤカウンターとお客さままでの距離から提供時間を計算し、注ぎ方を微妙に変える人もいます。
――一方で、時代によって変化させてきた部分はありますか。昭和初期に誕生し、戦中の空襲を免れたと思いきや、進駐軍に接収。後に高度経済成長となり、バブル期の崩壊。近年では景気低迷やコロナ禍と、激動の時代を生き抜いてきた店かと思いますが。
もちろん、食生活の変化に合わせてメニューを増やしたり、電球をLEDに変えたりと細かな調整はありますが、内装やサービス、設備で大きく変更した部分はありません。やはり90年もの歴史を重ねますと、30年以上も通い続けてくれている常連さまや、親子2代、3代にわたって来店されるお客さまもいらっしゃいます。何度足を運んでも、「いつも同じ姿で迎えてくれるビアホール」、「思い出が詰まっているビアホール」でありたいからこそ、変化は少ないように意識しています。
私が先輩から聞いた話ですが、ある時、ご夫婦で訪れたお客さまが帰り際に「ありがとうございました。今晩、60年ぶりに父に会えました」と言ったそうなんですね。話を聞くと、1944年頃に、戦争で出征されるお父さまと、家族で最後のひと時をこの場で過ごされたと。お父さまが亡くなっても、このビアホールでの思い出はずっと胸にしまって生きてきた、だから「60年ぶりに会えた」ということだったらしいのです。
常連客も新規客も平等に、誰もがおいしいビールを楽しめる空間に
――通われる年数が長い常連も多いそうですが、実際にリピーターの割合はどれくらいになりますか。
体感的には3〜4割がリピーターというイメージです。銀座という場所柄、観光でいらっしゃる方も多いためか、新規の方もたくさんいらっしゃいます。
――リピートしていただくために行っている施策はありますか。
リピーター獲得は非常に重視しているところではありますが、そこに関しても目新しいことをやろうとせず、「基本に忠実」を大切にしています。例えば、座る時に椅子を引く、重い荷物があったら持つといった、簡単なことではありますが、ちょっとした気遣いが大事だと思っています。プラスアルファで、お客さまとのコミュニケーションで「さっきのビールはいかがでしたか?」と話しかけるなど、オーソドックスなことで構わないので会話ができれば、また来ていただく動機につながると思うのです。
――老舗となると、常連を大事にするか、新規客を大事にするか、そのバランス感覚が難しいと思うのですが、いかがでしょうか。
難しいところではありますが、新規の方と常連さまという区切りをつくると、かえってサービスに悪影響を起こしかねないので、皆さん平等に接することを意識しています。やはりこのビアホールをつくった馬越も、日本人にビールを普及させたいという思いが出発点となっているので、敷居は高くせず、間口を広げておきたいと考えています。
最近は外国人観光客の方の間でも当店の認知度が高まっているようで、「飲食はしないけど、写真だけ撮らせてもらえないか」とお願いされることもあります。もちろん、飲食していただきたい気持ちはありますが、せっかく来ていただいたので「写真くらいなら、もちろんいいですよ」とお答えしています。
――最後に、今後の展望についてお聞かせいただきますか。
1階の「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」を今までと変わらずに守っていくのはもちろんですが、「銀座ライオンビル」として、ビールを飲むシーンの多様化や、お客さまの変化に合わせて、当店が培ってきた誇りと技術を生かした新しい提案もしていきたいと思っています。例えば、今年(2024年)4月、3階に「和食ビヤホール 枡々益 -MASUMI-」という「和」をコンセプトにしたビアホールを開業しました。もともとは年齢層の高いお客さまの来店を想定していたのですが、思いのほか、外国の方にも多く来ていただき驚いています。
これからも、竣工当時のコンセプトや馬越の思いを大切にしながら、幅広い方々にビールを楽しんでいただけるよう取り組んでいきたいと思います。
取材先紹介
- ビヤホールライオン 銀座七丁目店
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住所:東京都中央区銀座7-9-20 銀座ライオンビル1F
HP
- 取材・文小野和哉
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1985年、千葉県生まれ。フリーランスのライター/編集者。盆踊りやお祭りなどの郷土芸能が大好きで、全国各地をフィールドワークして飛び回っている。有名観光スポットよりも、地域の味わい深いお店や銭湯にひかれて入ってしまうタイプ。
- 写真新谷敏司
- 企画編集株式会社都恋堂